ジャイナ教の昔話①あの世のお話

「この世」に確かなことなど何もないといいますが、一つあるとしたらそれは、誰もがいつかは「あの世」に行くということです。誰もが体験するのに、誰も確かなことを知らない。それでも「あの世」という表現には単に「死」と言うのとは違う、どこか楽しみな面すらありませんか?そこには今生を終えてもまだ何かありそうだ、という視点があります。
 
さて、輪廻転生を何となく信じている方でも、今の人生以外のことを考えている日本人は少ないでしょう。昔は聞かれた「来世のために徳を積む」とか「前世の因縁」などの言い回しも影を潜めました。西洋のおとぎ話でもヒロインは最初から美しく、活躍する王子はたまたま勇敢に生まれついています。
 
ところがジャイナ教の昔話には、誕生前から始まるものが多くあります。今日はその中から一つお届けします。
 


*お話(その1)-ミルク・マン*
 昔、男がおりました。親友と共にミルク・マンだったと言いますから、乳しぼりか配達の貧しい暮らしだったようです。二人とも心正しく、一生懸命に生きたので、死後は天界に生まれました。天界の後は人間界の立派な家に生まれ、再び親友同士になりました。その人生では新たに4人の善い友を得ました。6人とも在家ながら宗教心篤く、まっとうに生きて死んだので、そろって天界に転生しました。

 天人として生きた後、4人は人間界に戻り、ある国の王とその妃、その国の裕福な商人とその妻になりました。4人は平和に暮らしていましたが、商人夫妻は子供が無いことを残念に思っていました。一方、天界に残っていた元ミルク・マンたちも人間界で修行をしたくなってきたので、旧友たちの子に生まれることにしました。

 天人2人は巡礼僧の姿で商人の前に現れ、男の子を二人授かるだろうと告げました。やがて、その言葉どおり夫婦は双子の男子を授かりました。喜びに包まれながらも、商人には心配事がありました。誕生を予言した僧たちが「子供は僧侶にさせてあげてください」と言っていたことでした。子供たちには家業を継がせ、普通の幸せをつかませたかったのです。

 夫婦は托鉢僧に出会うことの多い街から離れ、郊外に引っ越しました。そのうえ子供たちには「お坊さんを見かけたらすぐ逃げなさい。彼らは子供を誘拐する恐ろしい人たちなのですよ」と言いきかせていました。

 ある日、双子が外で遊んでいると僧が歩いて来るのが見えました。両親の言いつけを思い出した二人は木に上って隠れました。ところが、僧はその木の下で清楚な食事を始めたのです。枝に?まって震えていた双子ですが、僧の戒律的な振る舞いを見ているうちに、前世の記憶がよみがえりました。人間界で修行をする、という目的も思い出しました。

 二人は木から降りて僧に挨拶をすると、その足で両親のもとに駆け戻り、出家したいと願い出ました。父母は、僧の生活の厳しさ、俗世の楽しさを伝えて説得を試みましたが、子供たちの心は変えられません。「この世の喜びは儚いものです。僕たちは永遠の至福を求めたいのです」という双子の言葉に心を打たれた両親は、自分たちも出家することにしました。

 さて、その国には家長も後継者もいない家の財産は、王様が没収するという決まりがありました。王は自分のものになる商人の家を見にやってきました。

 王に同行していたお妃が元商人家族に問いかけました。「あなたたちは本当に、この豊かな暮らしを捨てるのですか?どうして貧しい僧になりたいのですか?」。新出家者たちは、声をそろえて俗世に勝る修行の喜びを語りました。

 お妃と4人の会話を聞いていた王様が叫びました。「わしも僧侶になるぞ!」心からの言葉でした。それを聞いたお妃も喜びの声を上げました「私も尼僧になります」。ここに立派な出家者が6人生まれました。

(めでたし、めでたし・・・?お話はここで終わっています。…王国はどうなったのでしょうね?)