コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その1 ラドヌーン編

私にとって今度のインド旅行は16回目になる。初めてインドを訪れたのが43年前になる。その頃のインドを思い出して現在と比べてみると、あまりにも変化が激しすぎて、一体何が起こったのかと戸惑いを感じてしまう。経済発展と国民所得の向上が爆発的に自動車普及の増加と建築ブームをもたらし、インドの大都市の景観を一変させてしまった。靄のように立ち込める排気ガスのスモッグと交通渋滞は、蜂の巣をつついたようなデリーの大混乱の中でも逞しくエネルギッシュに生きるインドの庶民の象徴だと思った。

 居心地の悪いそんなデリーから早く昔の雰囲気の残る地方に行きたかった。目指すはプレクシャ・メディテーションの聖地ラジャスターン州のラドヌーン、そこはジャイナ教スエタンバラ(白衣派)に属するテーラパンタ派の本拠地になっている。テーラパンタ派は1761年に白衣派のスターナックヴァーシ派からアチャリヤ・ビーカンジが12名の同志と共に分離して起こったジャイナ教復古主義者のグループである。テーラパンタ派は偶像崇拝しない、寺院を作らず参拝もしない、一か所に定住せず常に遍歴しながら修行しているなどの特徴があり、古代のジャイナ教の厳格主義、純粋主義に一番近い白衣派集団であると位置づけられている。

 テーラパンタ派9代目のアチャリヤ(宗派の最高指導者)がアチャリヤ・トウルシー師でトウルシー師がラドヌーンに生まれたことから、トウルシー師が女子の地位向上と教育の重要性を大事にしてラドヌーンに教育センターを作った。それがジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティ(ジャイナ教学院)の始まりである。トウルシー師と6歳年下だった10代目アリャリアが、マハープラギャ師で、トウルシー師と共にプレクシャ・メディテーションを完成させた大哲学者であり優れたメディテーターである。プレクシャ・メディテーションは古代から伝わるジャイナ教の瞑想法に仏教の瞑想法やタントラヨガの瞑想法を加え、さらに現代医学や心理学の科学性を加えて論理的に理性的に再編された世界で最も高く評価されている優れた瞑想法の一つである。アチャリヤ・トウルシー師もアチャリヤ・マハープラギャ師もすでにこの世を去り、今は11代目のアチャリヤ・マハー・シュラマン師の時代になっている。マハー・シュラマン師はテーラパンタ派を特徴づける一か所に定住しない行のアヒンサー・ヤートラ(非暴力の旅)を、2014年にラドヌーンを出発して7年がかりで、インド中を遍歴する徒歩の旅を現在続行中である。次にラドヌーン戻ってくるのは2021年になる。 

 現在は南インドのチエンナイ近郊に居られるとのことでした。旅の後半に訪れるポンデチェリーはチエンナイに近かったので日程に余裕があればアチャリア師に接見できるかと考えたが、滞在場所が私たちの旅のルートと離れていたために実現できませんでした。2019年は南インドのバンガロールでプレクシャ・メディテーションの国際キャンプが開かれる予定です。その時に、アチャリヤ・マハープラギャ師生誕100年祭も行われるということです。キャンプの参加費を無料招待するので日本からも大勢で来てほしいと召請が来ています。

 瞑想巡礼の旅に参加した私を含めた10人と通訳兼現地ガイドのサンジーブ・バンダリさんを載せたバスは高速道路をデリーから北西を目指して走ります。高速道路も10年程でだいぶ整備が進み走りやすくなっています。以前は高速道路上を干し草を満載させてノロノロ道をふさいでいたおんぼろ車もなくなり、ノラ牛が歩き回っているようなことも無くなりました。私たちの乗ったマイクロバスは現地生産の日本のいすゞ製で新車です。砂漠に近い荒野地帯になるとドライブインもなくなり、トイレも野外ですることになります。トイレの為に枯れた草地に入った時のこと、足に虫に刺されたような激痛が走った。よく見ると無数の草の実が付いている。手で取り除こうとすると指先に小さな針のような毬が刺さってとても痛い。ちょうど栗の毬を2mmぐらいの大きさにした草の実でズボンの裾に沢山ついている。それを取り除こうとして大騒ぎになった。生き物たちは子孫を増やそうとさまざまに工夫してこんな荒地でもしたたかに逞しく生きているのだなーと実感した。

デリーからおよそ8時間かけてやっとラドヌーンに着いた。日本なら8時間あれば車で東京から青森まで行ってしまう。遥かなラドヌーンに日の暮れる前に到着できた。ジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティの敷地内はいつもと違ってやけに静かで閑散としている。それもそのはず今日と明日はディワリの祝日なのだ。ディワリとは印度最大のお祭りで日本の正月のようなものと考えれば良い。街中はイルミネーションで飾り立て数日にわたって昼夜関係なく爆竹を鳴らし、花火を競ってガンガン上げまくる誠ににぎやかな祭りである。ヒンドウ教では伝説の神様ラーマが魔王と戦って勝利してその凱旋を祝うものである。ジャイナ教徒はこの日をマハヴィーラがモークシャ(悟り)を得た日として一緒に祝っている。大学も休みなので構内は閑散としている。今日は日本で言えば大晦日のような日なのだ。そのように忙しい中、研修センターの責任者アショカ・ジェイン氏と奥さんのマンジュウラ・ジェインさんが我々を優しく迎えてくれた。

 ディワリは10月の下旬から11月上旬にかけての新月に行う。今年は11月7日がその日だった。私たちはその日、瞑想ドームで瞑想したり、アショカ氏の講話を聞いたり、ジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティ内の今は廃墟同然になって使われていない旧道場の二ダムや国際ホールを見学するなどのんびりと過ごした。外では一日中花火の音が砲撃のように響き渡っていた。 その夜、ムニ・ジャイクマール師に会った。ジャイクマール師とは2005年のビワニでの国際キャンプ以来づーと教えを受けている。テーラパンタ派のムニの中で私が一番親しい知己のムニである。ヨガの達人であり、体を横にしないで瞑想の座法のまま眠る修行を長年継続している。ムニはこの日私たちに会うまで数日間モウナ(沈黙の行)をしていた。私たちが接見したとき、沈黙の行は終わったと言って「マントラとは何か」という素晴らしい講話をしてくれた。ジャイクマール師は3年前ネパールのビルトナガールでお会いした時より一層パワフルで清らかで平和な雰囲気になられていた。まさに聖者である。徳が高く威厳に満ちた聖者でありながら友好的な親しみをも感じさせてくれる。

 ラドヌーンでの今回の収穫は毎朝6:30分、毎夜8:30分からムニと在家信徒によるお祈りのマントラや讃歌の斉唱を聞くことが出来たことにある。ラドヌーンに着いた初日はモウナ中のジャイクマール師に代わってお弟子さんの若い出家僧モデッタ・ムニが中心になって讃歌を唱えてくれた。次の日の夜からはジャイクマール師が中心になり一層パワフルな讃歌の斉唱になった。

 ジャイナ教の讃歌を聞いていると細胞の深い深いレヴェルで魂がゆすぶられる。楽器のない音声だけの合唱讃歌がものすごいバイブレーションを生み出し、音の粒子が身体深くに浸透する。本当に素晴らしい響きだ。魂の深いレヴェルから得も言われぬ感動が起ってくる。同時に心身が清らかに軽くなっていくのが良くわかる。魂が音のバイブレーションで浄化されているのだ。私は本当に感動し打ちのめされた。今までラドヌーンであるいはプレクシャ・メディテーションの国際キャンプで何度もジャイナ教の讃歌を聞いて素晴らしいと思っていたが、今回は格別だった。私はジャイナ教の讃歌への恋に落ちたと感じた。

 日本に帰ったらCDや録音機に録音された音声をよく聞いて讃歌を覚えよう。以前、プレクシャ・メディテーションの国際キャンプで頂いた讃歌集から意味を日本語に翻訳し、意味が解ったうえで、日本のプレクシャ同志と共に、瞑想する前にジャイナ教讃歌唱えることにしようと思った。

 ラドヌーンでのもう一つ感動的な出来事は、ジャイナ教のデガンバラ派の偶像崇拝するグループに属する二人の裸形僧に出会ったことである。ラドヌーンの旧市内にはテーラパンタ派とは全く別のデガンバラ・マンデールがある。この寺は相当古い寺らしく、かつては廃墟になっていたらしい。遺跡のような古い寺の上に新しい寺が作られていた。古い寺は地下室のようになっていて、地下に降りていくと、ジナを祀る祭壇があった。その祭壇の中で二人の裸形僧が横座りになって背中をみせていた。「あ、裸形僧だ」と思ったけれどどのように接して良いかわからなかったので、静かに祭壇を右回りに一周した。裸形僧一人が我々日本人の訪問を珍しく思ったのか、突然に英語で話しかけてきた。地下室になっている古いお寺のことをいろいろ説明してくれた。二人の裸形僧は極めて友好的で明るくよく笑った。デガンバラの裸形僧に対して厳格で気難しい、とっつきにくいイメージを持っていたが、この二人は全く違っていた。英語を話すムニの名前はムニ・サンブット・サーガジーという。彼は我々に興味を持ったらしく、いろいろ興奮気味に話してくれる。同行の武田さんや飯島さんはこの機会とばかりにムニに質問する。瞑想の時の立ち方はどうすれば良いか?ジナムドラの手の組み方と位置は正しくはどうするのか?目は半眼が良いか、閉じた方が良いかなどについて質問したところ詳しく教えてくれた。話には聞いていた私にとってデガンバラの僧侶との出会いは初めてだったのでとても感動した。彼らは非暴力、不殺生のシンボルの箒しか持っていなかった。全くの裸でスッポンポンだった。完全なる無所有、無執着の実践者だ。食事は乞食して両手で受けて立って食べるだけで食器は使わない。命を繋ぐぎりぎりの飲食である。それでも健康に溢れていた。このようなムニはインドにどれくらいいるのだろう。宗教の国印度、その奥は深いと実感した。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/11からの転載です)

 

コラム:来世不動産



台湾の友人から添付メールで面白い動画が送られてきた。日本で作られ、フジテレビ系列で放映された「来世不動産」という短編ドラマである。人間の生まれ変わりについてとても示唆に富んでいて、哲学的でありながら面白可笑しく、ペーソスにも満ちていて、深く考えさせられ、また感動した。このドラマはお笑い芸人で人気があるバカリズムが原作を作り、脚本を手がけまた出演するという、15分程の短編ドラマだ。ドラマの主な出演者はバカリズムと俳優の高橋克実の2人である。

話の筋は以下のようなものだ。

物語の主人公である高橋克実が病院のベッドで寝ている。真夏の暑い昼下がり病室の開け放たれた窓の外で蝉がうるさく鳴いている。そこへ克実の奥さんが病室に入ってきて蝉の鳴き声がうるさいと窓を閉める。すると克実は別次元の大草原に仰向けに横たわっていて、ふと気がついて起き上がる。克実は死んで死後の世界に入ったのである。何もない大草原にただ一軒、現実離れした不動産屋がある。店に近づき恐る恐るドアを開けると、店の中から店長のバカリズムの「いらっしゃい」の声がかかる。克実は「ここは不動産屋ですか」と尋ねる。バカリズムは「1つの人生の契約を終えた方(死んだ人)に次に生まれる物件を紹介する不動産屋です。つまり魂が次に宿る体を賃貸住宅のように紹介しているのです」と答える。店には入居者募集の張り紙があり、人間の他、蛇や魚、パンダ、猿などが入居条件と金額に代わるポイントと共に掲示されている。

克実はそれらの張り紙を見ながら、入居希望としては日本人の男として生まれたいと言う。バカリズムは「人間ですか?人間は人気があって、人間に生まれ変わるのは、前世の行いが良くないと難しいです。」と言う。克実は「人間でないこともあるのですか?」と尋ねると、バカリズムは「もちろん」と答える。

「このパソコンにお客様の名前と生年月日を打ち込むと、お客様の行いリストがすべての事柄と回数になってデータとして記録されている。良い行いも、悪い行いも、普通の行いも全て記録されていて足し引きしてポイントが出るようになっている」と言って克実のデータを調べる。前世で31390回洗面し、358回ポイ捨てし、675匹の蟻を踏みつけ、19回コンビニの入口でボロ傘を新しい傘に取り替えたと表示され、忘れてしまっていた些細な悪事を思い起こして愕然とする。これらはマイナスポイントになる。いじめられていた子供を9回助けたのはプラスポイントになる。結果、克実のトータルポイントは82000ポイントだった。平均点より少ない。

克実は「82000ポイントだとどんな物件ありますか」と尋ねる。バカリズムは、この予算だと人間も無くはないけれどもあまり良い条件のものがないので、むしろ他の物件にした方が幸せではないかと言って犬に生まれることを勧める。ここにある土佐犬なら闘犬で横綱になれるという。克実は「私は争いごとが嫌いだから、動物ならのんびりしたものが良い、できれば長生きが良い」と答える。バカリズムは、「それならミル貝はどうですか?160年生きられるし、砂の中でのんびりと160年長生きできますよ」。克実は、160年も砂の中でじっとしているのは嫌だ、他にはないのか、パンダはダメかと聞くが、パンダは一応絶滅危惧種指定物件であり克実のポイントでは足らず入居出来ないと言われる。

バカリズムは、北海道の乳牛はどうかと提案する。「のんびりしているし、生活環境も良いし、定期的に乳を絞られるだけで人間関係の悩みもないし、仕事に追われることもないですよ。なんなら内見しませんか?」許諾すると次の瞬間、克実は不動産屋のバカリズムと共に北海道の牧場にいて牛を眺めている。搾りたての牛乳を飲みながら、「乳牛になると牛乳を搾り取られるだけでこのように飲むことができない、一生人に飼われる生活は嫌だ、もっと自由な生き物が良い」と勧められた物件の乳牛を断る。

そこで、バカリズムは「最近人気がある蝉はどうですか」と克実に尋ねる。克実は「蝉の生活のどこが良いのだ」と不機嫌に聞き返す。「蝉は7年間地中で暮らし、最後の1週間だけ地上に出てきて生涯を終えるといいますが、この1週間が実は天国の暮らしでとてつもなく気持ち良く、人間の夜の営みで得られる100倍もの快楽があり、蝉の鳴き声は鳴き声というより快楽から来る絶叫なんです。それに蝉は悪いことをする機会がないのでポイントが貯まります。蝉に入居してそこでポイントをしっかり貯めて次の来世にかけるというのはどうですか」と勧められる。ついに克実は蝉への入居を決意し、契約書に捺印する。

そして、51歳で人間としての生涯を終えた克実はあるアブラゼミの長男に生まれ変わった。地中での7年間の暮らしは蝉なのでストレスもなく、暇とか退屈とかいう概念がないので苦ではなかった。地中での7年の長い生活を終え今日、初めて地上に出た。初めて浴びる光、初めて空を飛ぶ、初めて吹かれる風の心地よさ、なんという自由さ、なんという爽快さ、なんという喜び快感、至福感で思わず絶叫してしまう。ミーン、ミーン、ミーン・・・・・蝉は最高、蝉は最高、・・・・・・」

留まった木からふと下を見ると、そこは克実がかって人間だったときに息を引き取った病室で、自分と同じような人間が死にかかっていた。蝉の克実は、生まれ変わるなら蝉が良いとその人に伝えたくて思いっきりミーン、ミーンと泣き叫んだ。ところが、不意に奥さんが病室に入ってきて空いていた病室の窓をバシャッと閉めた。 

終わり

このドラマはジャイナ教の生まれ変わりの哲学そのものである。不動産屋のパソコンが私たちのカルマボデイであり、様々なデータが原因としてのカルマである。自己責任の因果律と輪廻転生が結びついたとき高度な倫理哲学となる。すべての道徳、戒律の根拠がここにある。人間が幸福になり、地球社会が平和になるための基本原則だとおもう。

「来世不動産」は小学館の文庫「東と西2」で原作を読むことが出来ますので、皆さん是非読んで見てください。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2013/1/26からの転載です)

コラム:活用する喜び

不殺生を積極的にすることが活用です。活用は殺すなではなく活かせという教えです。生き物だけではなく、人間が生きて行く上で必要な物についても粗末にするな、大事にしなさいと云う教えです。私は生き物だけでなく、物にも心が宿っていると思っています。その心というのはある種のエネルギーでネガティブなものとポジティブなものとして主観的に感じます。人間に粗末にされた物や打ち捨てられたものにはネガティブなエネルギーが宿っています。それらの物に対して愛の心、大事にする心、活用する心で接していくとポジティブな物に変化します。打ち捨てられたものや場所を愛し助けてあげると、今度は助けたものが私達を生かし助けてくれます。それが自然法則です。

大量生産・大量消費システムは一見、人類を幸せにするシステムに思えますが、沢山の物を粗末にし、殺すことなので長い目でみれば人類を幸福にするシステムではないと解ります。世の中は全てが変化の流れの中にあり、必要な物が出現し、不要な物が滅していきます。これも自然法則です。

しかし現代人類社会は変化の流れが加速しているので、沢山のものを創り沢山の不要物を破棄しています。私達はあまりにも日常多くの不要物を廃棄しているので、心が麻痺して生活の必要物をあまりにも粗末にしています。自転車が1万円で買えるなんて本当に考えたらおかしな事なのです。自分一人で作るとしたら、とても難しいことです。江戸時代に自転車を持っていたら、それこそ宝ものです。その宝ものが今や町中、至る所に破棄されていて厄介者、ゴミとして処理されています。これらの自転車を徒歩で生活しているマダガスカルの人々に届けられないかと思います。

大量につくられたものはどんなに価値を有していても、需給バランスが崩れて需要が無くなれば金銭価値は限りなくゼロに近づいてゆきます。近年の不況は社会が成熟化したからともとれますが、工業化、便利化、快適化のやりすぎに起因しているのではないかとも考えられます。全ての生き物達との共存、サステイナブルな社会システム構築の観点から、今の資本主義経済に対して人類の良心が許せなくなってきたのではないかと思っています。

最近、著名な作家・五木寛之氏の『下山の思想』と云う本が話題になっています。日本は世界史的に見て繁栄の時代が終焉し成熟後の活力の乏しい社会になるとの論調です。本の題名が時代にマッチしたせいかベストセラーになっています。本を読んでみて、何処に下山してゆくのか具体的に触れられていなかったのでとても物足りなく思いました。私なら下山してゆく場所を具体的に指し示すことが出来ます。それは彼が漠然と云っている経済指数とは別の物差しのことです。ブータン王国的幸福指数の事です。下山とは私達の生活から複雑な機械を手放して行くことです。身体の延長としての道具までの時代にもどることです。

昭和30年代食料増産のため、日本の米作道具が最高水準に達しました。道具ですがエンジンを持たないし電気を使わないから機械と定義しませんが、機械寸前まで高度化した道具が作られました。私はここが下山地点だと思います。電気で機械を動かさない、電気は照明器具に使うだけとします。車も化石燃料を使わないところまで、馬車、人力車、自転車、リヤカーを使うまでにします。そして住環境や町や村の景観を芸術的にまで美しく整えてゆくようにします。個人がそれぞれ美しい庭を競って作り、共同で石畳や石垣の美しい路地を作ってゆきます。それが大事な下山の道筋だと思います。下山とは揺り戻し、反動でありルネッサンスのことだと考えます。田舎から都市に流れた人口が都市から田舎に流れるようになることかもしれません。

日本は少子高齢化、人口減少がこれからどんどん進行し50年後は4000万人の人口が減るとの予測がなされています。東京、千葉、埼玉、神奈川以上の人口がなくなるのです。下山するとはこの事です。人口減少によって需要が減少し大量の物が余ってきます。余ったものは値が付きません。今でも、余った物が沢山出て来て、本来価値あるものが値崩れして悲惨な状態になっています。ネットオークション市場で、総欅のしっかりした茶箪笥がたったの5500円で落札されていました。本来の価値から云ったら20万円するでしょう。美術品の値下がりも甚だしく中堅の洋画作家の油絵が本来価格の20分の1、30分の1の値段になっています。これからの時代、中古住宅やリサイクル家具調度品なども余って来て考えられない安値になっていくでしょう。お金がかかるものと云えば食べ物位になるでしょう。食べ物は安全安心が求められるので、逆に高くなってゆくような気がします。多くの人が自分の食べ物や生活必需エネルギーを自分で作るということに、今よりずっと価値を見い出すようになるでしょう。

需給が有り余って金銭的に無価値になったものの中から、宝のような価値を見い出し、それを愛の心で活かすならば下山後の時代も悲惨になりません。むしろ今よりずっと精神的に豊かな時代となるでしょう。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/3/25からの転載です)

コラム:静と動

孫子に曰く、静かなること林の如く、動かざること山のごとし。武田信玄も風林火山の旗印にした。林は静かか、山は動かないかは別問題として、動くこと止まることは一つの事と云える。このことを古人は静動一如と云った。静動一如は名人、達人、悟りの境地である。それは静けさ、止まっていることのなかに、莫大なエネルギーが湛えられていて時が至れば激しく動くと云うことを意味する。また、激しく動いているのにそこに静けさをあわせ持っていることでもある。例えればダム湖の水は波静かであるが、甚大な位置のエネルギーを持っているし、地球は秒速900キロメートルで宇宙空間を移動しているが地上で生活している人間には静止しているとしか感じられない。

動くと云うのは一体なんなのか。

人間がこの世に生を受けるということは、一時も止まることが許されない躍動の中に放り出されることなのだ。人間は常に動かなければならない、人間は変化しなければならない。動かないことじっとしていることは肉体的に苦痛なので常に体勢姿勢を変え続けなければならないように出来ている。立ち続けることも苦痛、座り続けることも苦痛、寝続けることも大変な苦痛なのだ。古人は動くと云うことが心地よいにもかかわらずなぜ苦痛を承知で体の動きを止め、呼吸を限りなく鎮め、思考を止め、体内感覚の波を鎮めようとしたのか。それは、それらが止まり鎮まったときに動いているとき以上の至福感があるからだ。

我々は時間を止めることは出来ないし、地球や惑星の動きを止めることも出来ない。体の中で細胞レベルで起こっている変化の流れも止めることは出来ない。神経細胞の中を流れてゆく電磁気的な流れは継続している。その流れと共におこっている感覚を知覚しているとき、思考が止まって心が鎮まり、知覚が観じようとする対象の感覚と一つになって、粗雑な感覚から微細な感覚へ、希薄な感覚へ、さらに無限に広がる均一で透明な静かに静止した感覚になっていることがある。そんなときは時間も無くなってしまったような、自己と云う存在もなくなってしまって根源的なものだけが立ち現われている気がする。

過去と現在と未来が一瞬のなかにことごとくあって、知覚すべき動きがまったくない静止したような状態、三次元的な空間ではない広がり、観じようとする意識と観じられる対象が双方透きとおったようになる。

そんな体験が未熟な私にもときどき起こる。

私はもっと深く動と静について探求しなければならないと思っている。

私達は動いていること、生命が永遠なる過去現在未来に繋がっていることやもっと多くのことを川の流れに学ばなければならないし、止まっていることの意味、忍耐を大木老樹に学ばなければならないと思う。私は最近、川が先生であり、老樹が友達であり、それらと自分がなんら変わりなく同じものだとの気持ちが目覚めてきた。山や川や森を観察し自分の内部を観察することが万巻の書物を読むことより大事だと解ってきた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/1/25からの転載です)

コラム:非対立主義について

私はジャイナ教の戒律アネカンタを今まで、不定主義とか非独善主義と訳してきた。今後は非対立主義の意味も含めたいと思う。世界には沢山の宗教哲学がある。なぜ沢山の宗教哲学があるかと言えば、それらがどれも完璧でないからだ。それぞれの宗教哲学が皆正しいと言えるし、同時に皆間違っているとも言える。

南伝仏教では神もなければ魂もない(無元論)と言い、北伝仏教では神も魂も認める宗派(二元論)がある。ジャイナ教では宇宙を創造した神はないが魂があり、それを純粋にすることを修行の第一としている(魂だけの一元論)。ヴェーダンタ派は唯一の神としてブラフマン(梵)を認め、真我であるアートマンと梵は本来一つのものだとする梵我一如(一元論)を唱えている。サーンキャ哲学はプルシャ(魂)とプラクリティ(現象)を説く二元論である。

また、世界には沢山の国々とそこの人々の政治と生活と文化、伝統、習慣がある。これもどれが正しくどれが間違っているという問題ではない。その時の必要性からそういうものが存在するのだ。韓国が竹島は韓国のものだと強引に既成事実を積み上げている。中国は尖閣諸島を中国領だと主張し始めた。お互いに領有権を主張しあえば争いになり戦争になる。このような場合アネカンタで解決するにはどうしたらよいか。国家間の重要問題である。

アネカンタの理想は、争わない、主義主張しない、抗議しない、要求しない、決めつけない、腹を立てない、自分から変わることだが、もう一つ大事なことはすぐに反応したり即答せずに、相手にゆっくり考えさせるということもある。どうしたら平和で双方の利益になるかを考える時間を相手に与える意味も含んでいる。

軍事的に強い国が周辺諸国に覇権の手を伸ばす事は、歴史上、沢山の実例がある。私見では、チベットは中国では絶対ないのに強引に中国にされてしまった。新疆ウイグル自治区も歴史的にみて中国ではないだろう。中国は本来大陸の国であり、また万里の長城の内側の国である。そういう観点からみれば台湾は島なので中国ではないし、南沙諸島の島々も中国領であるはずがない。中国が軍事的にも経済的にも強くなったため周辺諸国に触手を伸ばしているようにみえる。人類史も動物と同じで、弱肉強食がその真の姿である。平和を望むなら相手の要求を飲み忍耐するしかない。土地争いは人類史上、生存権を賭けた熾烈な争いであった。ロシアには北方領土を返す意思はないだろう。土地は実効支配した者の物になる。盗られたくなかったら打ち払うしかないが、そうすれば戦争になる。所有や領有を争うのではなく、人類の幸せの観点から条約をつくり平和に相互利用できたら一番良い。

かって韓国は日本の植民地だった。中国は日本と戦争をしていた。日本は太平洋戦争でアメリカに敗れたが、中国や韓国と戦争して敗れたわけではない。中国や韓国の国民が日本に対して複雑な感情を持っているのは事実である。中国や韓国の国民生活が豊かになり、日本と同等意識・ライバル意識を持ち始めたことが、竹島問題であり、尖閣諸島問題であると私は見ている。竹島は取り返すのが大変だと思う。尖閣諸島は早急に日本が施設を造り防人を置かなければ難しいことになる。付け入る隙を与えないこと、油断しないことが大事である。相手に考える時間を与える方法がこの事である。

自分から変わる方法として、戦国時代、江戸時代はどうだったかと考えることだ。江戸時代は幕府が全国統治していたが沢山の旛に国が分断されていた。その頃、会津旛の人に隠岐や対馬の問題は関係なかっただろう。琉球の話をしてもピントこなかっただろう。今、世界人類が国境を無くし、人類が相互に混じり合い、混血を繰り返す方向に動いている。世界中、好きなところに自由に住めると考えてみる。すると民族主義もなくなり、領土問題も解決することだろう。民族主義、国家エゴは平和の敵である。グローバリゼーションは経済の分野で、金融の分野で、情報の分野で急速に進展しているが、世界が一つの国になるまで越えなければならない壁がまだいくつもあるだろう。世界が一つの国、一つの人類になれば、このような領土問題は存在しなくなる。それを可能にするのがアネカンタの哲学だ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/8/25からの転載です)

コラム:エコ的生活は新しい非暴力運動です

日本近海の海水温が近年上昇してきていて、それが原因で、筑波の大竜巻や近年の集中豪雨、猛暑などが引き起こされているという。まさに地球温暖化を実感として感じざるを得ない昨今である。地球温暖化の要因は大気中の二酸化炭素やメタンの増加によるものであるが、元を質せば世界の人口増加と経済活動に行きつく。人間は、誰でも安全に快適に豊かに幸福に生きたいと願っている。その願いである欲望が行き過ぎて、逆に安全性や快適性が脅かされはじめているのが地球温暖化問題であり、原発問題である。

また私達人間はある意味で動物である。動物として観た場合、自然から離れた不自然な生き方は許されないように出来ている。現代先進諸国の人々の生活は快適ではあるが不自然生活そのものであり、よほど上手に不便さと折り合いをつけていかないと、心身が不調になる。自殺者の増加や鬱、アレルギー体質の問題なども現代人の不自然生活に起因していることが多いのではないかと私は考えている。もっと生の自然に接しなければ、真の意味の健康に達しないと云うのが私の考えだ。焚火の煙を吸い、蚊、蜂、アブ、ブヨ等の虫達に予防接種の注射を打ってもらったほうが良いと考えている。快適ばかりを追い求めて行くと、心身の適応性が失調してしまうのだ。

便利や快適さをどのレベルに置くことが人間の真の幸福に繋がるのかを今私は模索している。自分だけの幸せでなく、他の人々にとっても、未来の子孫に対しても、地球上の他の生き物達に対しても、責任ある行動と生き方は何か、そして幸せな暮らしとは何かを考え始めた。不便や不快を良い事、楽しい事と積極的に解釈できれば、今問題になっている人間としての正しい生き方は何かの解決策が見いだせるのかもしれない。

自分たちの暮らしが幸せであるかないかを論ずる時、比較する対象が必要となる。只見に住んでいる人は只見と首都圏との生活を比較して苦楽や幸不幸を論じている。つまり視野が狭いのである。只見とマダガスカルやミャンマーの田舎と比べたり、明治時代の只見の暮らしと、現代の暮らしを比べて論じることをしない。もし、そのような視点に立てば、いかに只見の暮らしが豊かで快適で便利で幸福感に満ち満ちているかがわかる。

江戸時代の只見と現代の只見の暮らしぶりを比較してみる。雪に閉ざされる冬の条件は同じである。今ある便利なものとして車、電気、照明、システムキッチン、灯油ストーブ、電気炬燵、羽毛布団など快適な寝具、快適な衣服、ゴム長靴、テレビ、パソコン、携帯電話、宅配便、スーパーマーケット、豊富な食料、学校、役所、その他沢山ある。年貢の重税はなく、補助金を貰える。江戸時代の人が蘇ったらビックリするだろう。

山村や離島で暮らしていた多くの人がより良い快適さ、便利さ、幸福さ、自由さ、やりたい仕事を求めてこの50年間に都会に移住していった。今では、山村や離島は過疎化し、集落が消滅し、先祖が永永として築き上げてきた耕地が荒廃してきている。日本人の悪いカルマ(過剰な贅沢)が積みあがっているのではないかと思ってしまう。いまや、新しい価値観を創造して、新しい幸福観にめざめなければならない時代に入ったのではないかと思っている。

地球温暖化防止の生き方は江戸時代に戻るのではなく、私は昭和30年代の暮らしに戻る事だと考える。現代文明は大量生産大量廃棄でやりすぎだ。昭和30年代の暮らしに戻れば原発を全廃してもエネルギーは足りるだろう。経済優先の政治を止めて、国民の幸福優先の政治に転換すべきと考える。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/7/25からの転載です)

コラム:所有と無所有

私は人間の幸せというのは、その人が所有している物の、質と量であるとずっと思っていた。お金は無いよりあった方が良いし、お金が沢山あるということは少ないより自由度が高いのだと思っていた。お金がもっと沢山あればさらにもっといろいろな可能性が出てくると考えるが、今まで自分がしたいと思ったことのほとんどをする事が出来て、お金に困った経験はあまりない。若いころ漠然と欲しいと思っていたものはいつの間にか、ほとんど実現されて手元にある。今、自分の身の回りを改めて見回してみると、あまりにも沢山の物を所有していることが解る。

親から相続した屋敷は広大だ。庭の手入れだけでも多大の労力と経費が掛かる。自宅以外に奥会津の只見町には自分の夢を追いかけた結果、5軒の建物を所有している。この維持費もばかにならない。只見に所有している平坦な土地も数千坪にのぼる。それらは無駄だといえば確かに無駄である。煩わしいことでもある。瞑想センターを中心とした理想郷作りが自分の夢や願いであるから、なんでこんなに馬鹿な事をしているのかと思いつつ、多大な労力を費やして現在も実際にしていることである。

若いころから読書が好きだったので私の蔵書は甚大な量になっている。その蔵書を只見と自宅に分けて置いている。本はなかなか捨てることが出来ないので今も増えていく一方である。研究の過程で集めた水晶も把握出来ていないほどの量になる。刀剣や油絵などの骨とう品も数多く持っている。それらの物は全て過去の私がイメージし引き寄せた物なのだ。カルマが引き寄せたと云ってもよい。なんと欲深い人間なのだろうと改めて自分を客観視している。

私たちは普段、好きなもの素敵な物に取り囲まれて暮らしたらどんなに幸せだろうと考える。素敵な家族、素敵な家と庭、素敵な別荘、車、美術・骨とう品、宝石等々を追い求めて日々努力している。それが一般的な幸せの価値観だ。それを俗生活という。一方、所有を手放し出来るだけシンプルに気軽に生きていこうと云うのが出家生活である。典型的な出家の姿をいまに留めているのがジャイナ教の出家僧である。日本の僧侶のほとんどは所有の生き方なので、出家でなく俗生活者だ。現代の出家とはホームレスの人達かもしれない。彼らは生活保護を受けているのではなく自己責任で自由に生きているからだ。

私は年齢と共に所有物が増えて、今ではそれらの管理に煩わしささえ感じている。自己保存本能と自己拡大本能が人間を物の所有に向かわせる。物をいろいろ所有してもそれによって、心の平和や幸福、自由が達成できないことがわかる。だから偉大なる仏陀やジナは所有から無所有への道を歩み始めたのである。方丈記の鴨長明のように越後の良寛さんのように、ジャイナ教の出家僧のように無一物になれたらどんなに心が休まり平和だろうかと思うことがある。所有物を必要最小限に整理していく事がやましたひでこさんの提唱する断捨離整理術である。いらないものを手放し、心を軽く、住環境を清らかにする方法だ。究極的な断捨離がジャイナ教の出家僧だ。ジャイナ教の出家僧は本当に何も持っていない。私には出家生活は無理だったので沖先生が云われた半俗半聖の生き方を目指して今日までやってきた。バランスのとれた生き方をすると云うのが今回の私の人生のテーマである。俗生活の中で聖・俗のバランスを取る生き方を心掛けてきたつもりだ。

集まったものは何時か宇宙空間に散逸していく。宇宙空間に働いている力は陰と陽、プラスとマイナス、収縮と拡散である。所有することは陽であり、プラスであり収縮である。無所有、捨てること、手放すことはその反対のことだ。所有、無所有に良い悪いは無い。悪いのは執着である。持っていても持っていない心であればそれは無所有である。全て物は縁があって預かっているのだと思う心が捨てている心(捨の心)である。所有物を自分の為だけに使えばそれは所有になり、他の人の為に役立つように使えば無所有になる。全てのものは縁あって帰去来している。手元の物が離れる時期が来て、離れていこうとする時それに執着するから苦しみがやってくるのだ。無執着と無所有が同義語なのはそういう意味から理解出来る。私は今、自分が預かっているものをどの様に縁ある人に手渡していこうかと考える年になった。物の集合離散は考えても仕方がない事かも知れない。なぜなら縁起していることだから。しかし、出来るだけ大勢の人の役に立つように手放していきたいと思っている。また、ふさわしい人に引き継いでもらいたいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2011/11/25からの転載です)

コラム:仏教の源流・ジャイナ教との類似

何事も一部分のみを見ているだけでは本当のことは解らない。物事を広く深く観察して考察することが瞑想である。時間と空間を拡大して考察し、さらにそのことが起こってきた背景までも考察する。すると、疑念が解け、理路整然となって本当のことがスッキリ腑落ちする。

河口だけ見ていても川の本当の姿は解らない。川の中流や源流をも見なければならない。さらに川を理解するためには、地球の自転や海について理解し、大気の流れや雲、雨、水の性質、どうして水が多量に地球に存在しているかなどを考察する必要がある。

同じように、広く深く考察することで、私達日本人が仏教と思っている概念のほとんどは仏教であって仏教ではないことが解る。日本の仏教は広い意味での仏教のカテゴリーに包括されるかもしれないが、その実態はゴータマ・ブッダ(仏陀)が説いた仏教とは程遠いものだ。また、初期仏教を正しく継承していると言われているテーラワーダ仏教でさえ疑わしく思えることがある。

仏教の草創期、仏教の源流、つまり仏陀が生きていた時代から没後百年ぐらいまでの初期仏教がどのようなものであったかが解らないと、私たちは後世の人の創作を仏陀が説いた教えであると間違って受け容れてしまうことになる。

幸い私は仏陀と同時代から今日までインドに続いているジャイナ教を通して初期仏教との共通点や相違点を探って来たので、初期仏教がどのようなものであったか、又、ジャイナ教やヒンドウ教との比較の中で宗教とは何かがとても良く理解出来るようになった。日本仏教についても格段に理解が進んで本質的な事が良く解るようになった。

古来、インドにはバラモン教の流れと、シュラマナ系宗教の流れがあった。バラモン教はアーリヤ人の奉ずる宗教で本来寺院を持たなかった。バラモン教の伝統の中に自業自得の哲学があった。一方、シュラマナ系は土着的なインド先住民の奉ずる宗教で輪廻転生がその哲学の中にあった。紀元前八世紀ごろ、この二つの宗教哲学、自業自得と輪廻転生が出会い解脱思想が起こった。この解脱思想こそインドに起こった宗教の根幹をなしている。

解脱思想の流行でバラモン系からもシュラマナ系からも沢山の出家者が現れた。世俗の生活では解脱出来ないというのがその理由だった。世捨て人となって、世俗的なことを何もなさないことを理想とした。出家は家庭を持たず、仕事も持たず、食事の支度もせず、屋根の下に寝ず、ボロをまとい、中には素っ裸になった者もいた。

輪廻転生の原因であるところのカルマを根絶するために苦行と瞑想することが修行の中心だった。

こうしたなか、紀元前5、6世紀頃、シュラマナ系修行者の中からマハーヴィーラとゴータマ仏陀が現れた。マハーヴィーラは苦行(断食行)と瞑想を通じて解脱した。一方仏陀は瞑想しても苦行しても解脱に至らなかったので、修行法にどこか欠陥があるのではと思い因果律(カルマの法則)について徹底的に考察した。そして従来考えられていた因果律の欠陥を発見しそれを教えの基本とした。それがブッダの教え、根本仏教である。

マハーヴィーラグループもゴータマグループも哲学的に大きな差異はなかった。仏陀は理想主義者ではなく、現実主義者だった。現実主義者である仏陀は悟りを開いてから、在家信者からの寄進や布施に対して理想主義的な出家者のようにこだわりを持たなかった。

食事の接待を受けるようになり、常に綺麗な衣を纏うようになり、屋根のある大きな建物にも寝起きするようになった。その頃、発達し始めた都市国家の担い手、有力な商人がこぞってジャイナ教や仏陀等の自由思想家達に帰依したが、仏陀の教えがより多くの人々の心を捉えたのだと思う。仏陀が生きていた時代、ジャイナ教徒からは弟子のサーリープッタが仏教教団の代表のように思われていた。サーリープッタは仏陀に帰依する前、サンジャヤ(注:六師外道の一人、鰻論法で知られる懐疑論・不可知論者。シャーリプッタは仏陀が因果律を説くと聞き兄弟弟子のモンガラナーと共にサンジャヤの下を去り仏陀の弟子になった)の弟子であったので、経験的な事実に基づかない宗教哲学理論を師のサンジャヤと同じようにのらりくらりとした掴みどころのない戦法で否定したと思われる。ブッダも恐らく同じような考えを持っていた。それが十難無記である。十難無記の中に魂が有るか無いかの問題があった。

仏陀は魂が有るとも無いとも云わなかったのが真相だと思えてならない。なぜならその頃の出家修行者の間では魂があるのは当たり前の考え方であり、自業自得の因果律と輪廻転生の哲学、輪廻からの解脱とそのために出家するということは広く受け入れられた考え方だった。仏陀もマハーヴィーラも言っているように、出家しなければ解脱できないというのがその当時の共通した考え方だった。出家主義は今もジャイナ教や南伝仏教に生きている。

バラモン教は仏教とジャイナ教の影響を受けて、紀元前3世紀頃、その当時有ったインドの民間信仰を何でも採り入れて、インドのなんでもあり宗教に変化したが、その基本的な教えはベーダンタ哲学である。ベーダンタの修行体系、ジャイナ教の修行体系、初期仏教の修行体系はいずれも、出家を中心にしてカルマの根絶、輪廻転生からの解脱に取り組むものである。その方法は多少の相違はあっても瞑想と苦行(タパス)であった。仏陀は極端な苦行は無意味としたが、苦行は悟りや解脱に必要なものとして位置づけていた。共通項として他律を廃し自律を重んじた。

ヒンドウ教にあっても、修行とは自分で自分を助け救う悟りの希求だった。要約すると、自業自得で汚れた魂を清らかにする道、カルマを無くす方法が修行であり、その哲学がインドで生まれた宗教であり、輪廻転生からの解脱がその目的である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2014/8/27からの転載です)

コラム:生 カルマ 死 カルマ 生

ありとあらゆる物が自分のカルマと縁によって、やって来て次の瞬間去って行く。

まるで流れる川の中に立っているようだ。
その流れはまさに宇宙のエネルギーそのものだ。
体の外側も流れている。
体の内側も流れている。
それは高速の流れだ。

動いている身体をもって、僕は動いている世界に飛び込んで行く。
生きている世界は僕が立ち止まっても、押し寄せてくる。
それが生と云うものだ。

今日一日、いろいろな物や出来事が、僕の所へ引き寄せられ押し寄せて来て、超スピードで去って行った。

死とは自分の中の流れが止まって、別次元の止まっている外界を、意識だけが流れて行く状態だ。その時、世界は押し寄せて来ない。意識が動くので世界が動いているように想えるのだ。

純化できていない意識はやがてある特定の振動を持ったエネルギー(音、匂い、光、色彩)に強く引きつけられる。

鮭が故郷の川の水を知っているように、自分を思い出し、帰るべき世界、生まれるべき所に強く惹きつけられる。

そして人間は生まれてくるのだ。

純化出来ていない意識はどうしても成し遂げたい願を持っている。
それが良いカルマ仏性だ。

仏性発現を阻害するものが悪いカルマだ。

陰陽二つのエネルギーが人間の潜在意識から放射される。
一つの人生で遭遇するあらゆる出来事の源泉はそこにある。

カルマに対する洞察、カルマのコントロール、アカルマへの道が全ての人間の遠い旅路なのだ。

プレクシャ・ディヤーナはその旅の道しるべであり、地図でもある。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2011/10/25からの転載です)

コラム:瞑想・二つの流れ

アーリヤ人がアフガニスタンやパキスタン方面からインドに進出してきたのは紀元前13世紀から11世紀頃のことである。アーリア人は遊牧を生業とする人達であった。彼らが奉ずるのはヴェーダという宗教であり、司祭をバラモンと呼んだ。バラモンは施主から祭祀を頼まれると荒野に結界を作り祭壇を作った。結界に炉を作り火を燃やして火の中に生贄をくべ、施主の願いを叶えるべく呪文を唱え、神々を召喚した。ヴェーダというのは神々を召喚し願いを聞き届けてもらうための様々な呪文の事である。

祭祀が終わると祭壇は壊されて更地に戻された。遊牧民であったアーリア人は当初固定的な寺院を作らなかったのである。バラモンはインドに流入してくる以前には神々から天啓を受けるためにアムリタを使っていた。アムリタとは最近の研究によればベニテングダケだということがわかってきた。インドではベニテングダケが入手出来ないので、天啓を受けるための別な手段の必要性が出てきた。そこで彼らが採用した方法が苦行である。苦行によって天啓を得た。またアーリア人は自業自得の宗教哲学を持っていた。

一方インド在住の人々の間には長い伝統としてのシュラマナ系の宗教があった。シュラマナ系の起源は極めて古くインダス文明にまで遡ると言われる。シュラマナ系宗教では修行としてメディテーションが行われていた。そして教義として輪廻転生を信じていた。

紀元前8世紀頃、ヴェーダの流れとシュラマナ系の流れの宗教哲学が合流し、自業自得と輪廻転生の哲学が融合して解脱思想が起こった。何回も何回も生まれては死ぬのは嫌だと考えて大出家ブームが起こった。世俗的な生活ではどうしても沢山の業を作ってしまうので、業を作らないようにと世俗的な生活を捨て、行為をなさないようにと出家した。出家とは世捨て人、社会からドロップアウトした人の意味が強く、ぼろ布を纏っていた。ヴェーダの流れの中からも、シュラマナ系からも沢山の出家者が出た。

紀元前5世紀から6世紀頃、シュラマナ系出家者の中からマハビーラと仏陀が現れた。マハビーラや仏陀の時代、沢山の宗教哲学が起こり宗教論争が盛んであった。今日、世界中に見られる様々な宗教哲学がこの頃既に全て存在していたと言っても過言でない。六師外道が有名であるが、そのほかに沢山の宗教指導者が存在した。ジャイナ教の経典「スーヤガタ」では363の異なる宗教哲学があったとされる。マハビーラや仏陀以外では運命決定論・無因無縁論者のマッカリ・ゴーサーラ、快楽主義・唯物論者のアジタ・ケーサカンバリン、不可知論者のサンジャヤが主な思想家である。輪廻や魂を否定する彼らも又、出家であり質素な生活を営み苦行をしていたのである。

インドでは古代から輪廻転生が既定の事実として考えられていた。又、因果応報のカルマの支配も疑う余地のないものであり、仏教では六道輪廻からの解放を切に願った。ジャイナ教では地獄の7層、植物界、動物界、人間界、天界の26界に分かれるが、天界の最上階モークシャに入ることを理想とした。

修行によってカルマを根絶し輪廻の輪から離れてモークシャ(解脱)になるという点では仏教もジャイナ教も根本教義は同じである。見解の違うところはカルマがどこに蓄積されるかということと、輪廻の主体は何かということだけである。ジャイナ教は輪廻の主体として真我である魂を想定した。そしてカルマが魂に付着すると考えた。だから魂の汚れであるカルマを取り除けば魂は純粋になる。純粋になった魂がアラハンでアラハンが死んで肉体がなくなるとモークシャに入り、解脱してシッダとなり再生しないと説いた。

一方仏陀は実用主義者だったので証明できないものは有るとも無いとも断定しなかった。架空のはなしの論争を避け、そんなことに時間を費やさず心の安定に励めと弟子達を指導した。そして八正道の実践を奨励した。仏陀は体は私ではない、心は私ではないと言った。私は魂だとも云わなかった。

後世の仏教者たちは仏陀ともあろう人が曖昧な事を言うはずがないとして本来非我説であった仏陀の説を無我説(魂はない)にしてしまった。シャーリープッタやモンガラナーは初め懐疑論不可知論者のサンジャヤの弟子であったが、後にブッダが因果律を説くというので仏陀の弟子になった。仏陀が証明出来ない仮定の話にのらりくらりと断定を避ける姿勢をとったのは、シャーリープッタやモンガラナーをとおしてサンジャヤの影響を受けていたのかもしれない。

部派仏教の時代に仏教は「魂は無い」とする無我説を採用したので、輪廻の主体が不明確になり、カルマ論や輪廻転生からの解脱が曖昧になってしまった。現代のテーラワーダ仏教系は無我説の立場に立っている。

仏教にはニルヴァーナ寂静としての解脱があり、解脱の方法(実践方法・修行)があるが、無我説に立つと何のための修行かの説明が十分でなくなる。魂を否定するとそういう矛盾がおきてしまう。

ジャイナ教と初期仏教は教義や修行体系が驚く程よく似ていて、兄と弟、本家と分家、本店と支店のような類似性がある。小異を捨て大同につけば兄弟宗教と言っても良い。仏教側から見てジャイナ教を外道と蔑めば、ジャイナ教からは仏教が外道となる。

ジャイナ教は魂を認める宗教であり、カルマと輪廻転生を信ずる宗教である。プレクシャ・メディテーションの目的はアカルマ(無業)になることであり、魂を純粋にすることにある。そして魂があるか無いかに関係なく、瞑想修行の過程で健康と幸福を得る恩恵が間違いなくある。

古来ジャイナ教の出家者は自然法則を深く洞察し、今日でいう宇宙物理学や原子物理学のレベルの考察をしていた。それらの見解が古代のジャイナ教聖典に記述されている。現代科学に照らしてみて荒唐無稽なものも多いが、現代にも通ずる優れた見識も見受けられる。科学が発達していなかった古代において宗教哲学を科学的に説明しようとしていたジャイナ教僧侶の洞察は驚嘆すべきものがある。

私たちは本に書かれたものをまるごと信じたり、人の学説を鵜呑みにすることなく、あくまで自分で考え経験・体験し学ばなければならない。宗教哲学を論じる際にはアネカンタ、つまり非独善主義、無対立にならなければならない。他が信ずる宗教を否定してはならないし、侮辱してもいけない。他を尊重することが平和の道であり、争いを無くす道である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/1/28からの転載です)