人間以外が教えてくれるトリビア
広い海で自然生活をしている海洋生物にもそれなりに悩みはあるのでしょうか。
蛸はストレスが高じると自分の脚を齧ってしまうことがあるそうです。
タコの脚は敵に襲われるなどして失っても、再生するそうですが、自分で食べた脚は生えてこないそうです。
外部からの傷は癒されても、自ら作った損傷は残る・・・何かを教えてくれているように思います。
人間は他から受けた小さな傷を自分で大きくしてしまうことすらあります。
楽しくない気持ちを反芻している時は、自分で脚をかじっているのかもしれません。
酢蛸を食べながら自省しました・・・(美味しかったです)
****お話・5・疑心暗鬼 (ジャイナ教の絵本より編集) ****
藩王ウダアイはシンデユ(SindhuSauveer)を治めていました。
妃のプラブハヴァティは亡くなりましたが、生前の深い信仰のおかげで女神に転生していました。
女神は、王がジャイナ教の学びを深めるように見守っていました。
王の最大の願いはマハビーラ様の説法にあずかることでしたが、その願いが叶いました。
尊師がシンデユを訪れ、教えを説いて下さったのです。
深く心を動かされた王は出家することに決めました。
ウダアイの出家に当たり、王子・アブヒッチが王位を継ぐと思われていました。
ところが「王権のような世俗的力を持つことは地獄への入り口だ」とウダアイは思っていました。
王妃の忘れ形見である王子を地獄に送り込むに忍びないと考えた王は、甥のケシを跡継ぎに指名しました。
それに納得のいかない者たちが、王子をけしかけて反旗を翻すように勧めました。
お家騒動?も危ぶまれましたが、アブヒッチは、父王の決定に納得しないまでも争う気持ちを持ちませんでした。
彼はケシの臣下になることも嫌だったので、シンデユを去り、遠くの街チャムパプリに家族と共に移り住みました。
一方、僧になったウダアイは瞑想と平安の日々を過ごし、修行も深まっていきました。
そして彼の心に、精神世界の喜びを故郷の人々にも伝えたいという願いが生まれました。
ウダアイは尊師の許しを受けて、一人旅を始め、シンデユにたどり着くと、郊外の公園に滞在しはじめました。
すると、その徳を慕って沢山の人が公園に集まりました。
その僧がウダアイだと知ったケシは、彼が王位を取り戻しに来たのではないかと疑いを持ちました。
王の権力に酔いしれたケシは宗教心を忘れてしまったのです。
彼は
「ウダアイを公園に滞在させてはいけない」
「ウダアイに食事を施してはいけない」
「ウダアイに宿を提供してはいけない。」とお触れを出し、
「違反した者は財産没収の上、追放する」と付け加えました。
ウダアイは公園を出て街を彷徨いましたが、ケシ王を恐れた人々は布施をしません。
疲れきった僧が街はずれの陶工の家の前に立っていると、女が出てきて
「ここで待っていてください。夫に頼んできますから」と言いました。
女は仕事場に走っていき、夫に僧を供養したいと頼みました。
彼はケシ王を恐ろしく思いましたが、妻の願いを無下にはしませんでした。
陶工夫妻はウダアイに宿と食事を捧げました。
それを知ったケシ王は、もはやウダアイを殺す以外にないと考えました。
ケシは策を練り、供養を装って毒入りの食事を施しました。
ウダアイはそれが毒であると知っていましたが、平常心をもって僧として戒律通りに食し、肉体を去ると同時に永遠の存在になりました。
その出来事は女神プラブハヴァティの知るところとなり、女神の怒りは炎となって、ケシの城下に下りました。
火は大いなる猛火となり、街中が崩れ落ちる勢いとなりました。
その中で、ウダアイを滞在させた家だけは少しの被害を受けることなく陶工夫妻は無事でありました。
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王の猜疑心が国に壊滅的なダメージを与えたお話です。
ケシ王は実際には無いことへのストレスに押しつぶされてしまったのです。
妄想に負けて自分の脚を食べつくしたと言えるでしょう。
ジャイナ教の昔話ではやたら詳しく地名が出てきたり、お話の流れに関係ない登場人物の出自まで説明されたりしています。
昔話というより実際に有った出来事や、実在人物の伝記と捉えられているのかも知れません。
地名や人名を全てご紹介してはいませんし、表記に誤りがあったとしたら私の責任です。
ちなみに、タコが自分をかじるのは空腹からだけではないようです。
水槽が狭かったり不快刺激を与えられたりしたタコは、十分な餌を貰っていても齧るといいます。
人間も不安感が多い時には注意が必要でしょう。
ウイルスという見えないモノに不安を掻き立てられながらの巣ごもり生活は動く物としての命、社会性を持つという人間としての自然の制限とも見えます。
それが漠然としたストレスとなっている時こそ
「外に行けないときは、自分の内を観るチャンス」という「瞑想の勧め」が光ります。
お話の紹介が、拙いながら何かのお役に立つことを願っています。