コラム[自分の生活と幸福感を何と比較するのか]

人は皆不幸を厭い幸福を求めている。

そして、私達は自分が他と比べて幸福なのか不幸なのかをいつも気にしている。私は多くの人が比べている対象が間違っているので、自分を不幸な存在に感じてしまうのではないかと思っている。比べる対象を現代の身近なところを対象にするのではなく、もっと時間も空間も広げて対象を探して今の自分と比べたら、いかに自分が物質的に恵まれて幸せかが解る。物質に恵まれた分だけ、逆に精神的に脆弱になり、心が不幸になっていることも解る。

日常的に感じて捉えている自分を取り巻く世界を瞑想的に広く深い視点で見てみよう。視点を替えて自分が江戸時代の人間で時空を超えて現代に迷い込んだと仮定してみる。

場所は只見の叶津番所

叶津番所の外観を見るとほとんど江戸時代と変わっていない。建物内に入ってまずびっくりしたのは、電気という仕組みだ。指で押すだけで行灯やロウソクの100倍も明るい光が天井から吊り下げられたギヤマンの玉から発せられることだ。又、この電気は目で見る事が出来ないが、紐のような中を通って炬燵の中の箱型の装置の中で炭の代わりに熱を出して暖かくしている。この便利な装置は温度を自在に調整できるので暖かく大変気持ち良い。テレビという驚くべき箱芝居があった。これも電気によって情景が映し出されるのだという。世の中で起こっていることの全ての瓦版が廻り灯篭のように紙芝居のように映し出されるのだ。テレビという装置はとても面白く、あたかもその場所にいるように事件や芝居や祭りが見れるし旅行まで出来る。だから何時間見ていても飽きない。この家には水屋(台所)があるが、とても便利に出来ている。水が水道という金属で出来た筒を通って来て簡単に出したり止めたりすることが出来るし、大雨の後でもとても水が綺麗なのには驚いた。

この家には竈がなく、不思議なガスというものを使って煮炊きしている。ガスは煙もでず、火加減も調整出来るようになっている。点火には付木を使わず、火花を散らすことで一瞬のうちに火が付いてしまう。風呂場に行ってみると、水道とガスをうまく組み合わせて簡単に風呂が沸かせるようになっている。厠に行って驚いた。全然臭くない、便槽がなくて、出した便が全部水で流されてしまう。驚くべきことに便を出すための腰掛けから水鉄砲のように水が出て紙を使うことなく尻を洗うようになっている。

石油ストーブというものがあって油を燃やして暖を取るようになっている。どこにでも簡単に持ち運べるので、暖かくしたい部屋に持っていけば良い。着物は我々の時代と全く違う形で動きやすいし丈夫で暖かい。糸は砿油から作るらしい。それにとても安く手に入る。一日か二日働いた給金で一揃いの衣服が手に入る。草鞋を履いている人は誰もいない。ゴム長靴という便利な履物があった、外から水が染み込まないので、雪の中を歩いても冷たくない。布団はとても軽くて暖かい、綿でなく砿油から作られた軽い糸が中綿の代わりになっている。中綿が軽い羽毛で作られた布団も多く出回っているらしい。羽毛が中綿になった袢纏のような衣類があったが、暖かく軽く水も通さない驚くべきものだ。遠くの人と話す事ができる手のひらに乗る程の大きさの道具は本当に不思議なものだ。どうなっているのかさっぱり見当もつかない。この小さな道具で手紙のやり取りもできるとのことだ。江戸や京、長州で起こっていることが遠く離れていても互いに話すことができるし、驚くべきことに手のひらの大きさなのにテレビのように実際にそこにいるように見ることが出来る。

建物の中で驚いたが外にはもっと驚くべきものがあった。道が3倍も広いのだ。そして、石と油を固めたようなアスファルトというもので敷き詰めてあって、凸凹がなく真平なのだ。その道を鉄で出来た篭のような物が勝手に動いていく。車が前後に四つ付いていて、篭のような中には人が腰掛けられるようになっているのだ。鉄篭を動かす人が一人中にいてこの人が巧みに鉄篭を動かしている。鉄篭は4人乗りが多く中には50人も乗れる家ぐらい大きい鉄篭まである。鉄篭は砿油を燃やして動かしているらしくとても巧妙に緻密に出来ている。只見から江戸まで平らな道は繋がっていて、僅か4時間で江戸に行けるとは本当に驚きだ。鉄篭は殿様の乗り物ではなく百姓、町人、下々の者誰もが普通に持っている。叶津村のどの家にも鉄篭があって、冬雪が降っても、とんでもない形の鉄篭が雪を吹き飛ばし道を除雪して、冬でも江戸まで出かけることが出来る。家々の屋根は茅葺きではなく、只見のような雪の降るところでは薄い鉄の板で葺かれている。鉄板の表面は錆びないように加工されていて滑らかである。雪が降っても屋根から簡単に落ちるように工夫されている。村人は落ちた雪だけ片付ければ良いのでとても楽だ。

役所や寺子屋のような多勢人が集まる大きな建物は、漆喰のようなセメントという石の粉を砂利と水で混ぜ合わせて作られている。石で出来た粉(セメント)を水と砂や小石で混ぜ合わせると、最初は田んぼの泥のようだが数日で固まって叩いても引いても壊れないコンクリートという大変丈夫な物が出来上がる。地震でもビクともしないこの石の建物はとても多く作られている。今や江戸の町ではほとんどがこのコンクリートと鉄の組合せで出来ていて、お城の天守閣よりはるかに高く大きい建物が隙間なくぎっしり建っている。高さは70階建て80階建てなのでびっくりだ。

百姓が米を作りたがらない。米は異国から安く買えるし、油で動かす鉄製の巧みな道具で田植えしたり刈り取りするので、楽に沢山できて国じゅうで余って処理に困っている。貧しい百姓には年貢がないので暮らしは楽だ。稼ぎが少ない人や体の不自由な人、年寄りには年貢免除だけでなく、お上からお助け金が貰える。誠に羨ましい。

食べ物は不思議なものが沢山ありどう説明したらいいのか解らない。酒の種類も豊富でどこでどう作られているのかさっぱりわからない。私が神隠しにあって迷い込んだ世の中は孫の孫が暮らしている世界だったらしいが年号で言うと平成26年ということだった。元の時代に戻っても誰も私のいう事を信じないので、神様から許可をもらってひとつだけ宝物を未来から持ち帰って来た。これがほらゴム長靴だよ。

叶津番所の役人だった保左衛門は、村人から夢物語を語るホラ役人、ホラ役と呼ばれて当時の人々に愛され親しまれた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2014/7/31からの転載です)

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