コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その2 聖地アルナチャラ



 南インドのタミールナドウ州の州都チェンナイの西方、車で5時間ほどのところに大地から湧出したような花崗岩の岩山がある。標高およそ800メートルの独立峰でアルナチャラと呼ばれる。アルナチャラの意味は「内なる炎」であるが、「篝火の山」あるいは「智慧の丘」ともいわれる聖山である。聖山アルナチャラの東麓にシバ神を祀るアルナチャレシュワラ寺院がある。アルナチャレシュワラ寺院は9つのゴープラム(山門)をもつ典型的なドラビダ様式の壮大な寺院である。テルバンナマライの街はアルナチャレシュワラ寺院の門前町として発達してきた。アルナチャラはアルナチャレシュワラ寺院の奥の院であり、山そのものがシバ神であると言われている。20世紀の中頃、この山を世界的に有名にした優れた聖者が現れた。「真我とは」と探求し続けてジュニヤーナヨガにより悟りを開いたラーマナ・マハリシである。マハリシは16歳の時、抑えがたい衝動を感じて裕福な家庭から家出した。アルナチャラに引き寄せられるようにやって来て、その後70歳で亡くなるまで生涯にわたってアルナチャラから離れることはなかった。

 聖山アルナチャラ、ラーマナ・マハリシのアシュラムそしてアルナチャレシュワラ寺院、この魅力的な3つの要素を備えたこの場所に私は25年前に来たことがある。その時、ジャイナ教と仏教の研究者として高名だったナットマル・タチヤ博士から「アルナチャラは世界最古の行者の山で、古来より優れたメディテーターを輩出してきた所である。」と聞いた。日本に帰国してもアルナチャラの印象は強く残って、いつかまた訪れたいと思っていた。

 今回の旅の目的の一つはアルナチャラの頂上に登ることと山中で瞑想すること、そして、アルナチャラ山麓を1周する巡礼路を歩くことにあった。テルバンナマライでは1年前から予約していたラマナシュラムのゲストハウスに3泊した。ゲストハウスにチエックインしてアルナチャレシュワラ寺院を見に行った。東門が正門であるがマイクロバスが着けやすい南門から入った。境内は、日曜日だったので参拝客で込み合っていたが、時間が充分にあったのでゆっくり拝観することが出来た。境内はとても広い大きな寺である。マヤの神殿を連想させる9つのゴープラム(山門)が高く聳え立つ基本構造は宗教建築の極地と言ってもよい。山門に守られた境内にはガーネシャ等を祀る祠堂や千柱ホール、シバ神を祀る本堂などがあり、どれも敬虔な信徒が熱心に参拝している。我々もヒンドウ教徒に習ってお布施をし、僧侶から額に聖なる灰のティッカをつけてもらった。寺は全て固い砂岩を組み合わせ積み上げて作られている。高い技術で柱や壁に彫刻が施されているので見る者を飽きさせない。日が暮れるとゴープラムはイルミネーションで飾られ昼間とは違った別の美しい姿を見せてくれた。

 翌日は早朝からアルナチャラの頂上をめざして登山する予定でいた。現地で登山の為の情報を集めたら、中腹のスカンダシュラムより上部は2年前から登山禁止の聖域になっているのだという。私はこの情報を全く知らないでいた。2年程前にロシア人のツーリストが山中で2日間行方不明になり、遭難騒ぎになった。それがきっかけで入山禁止になったのだという。アルナチャラはそんなに危険な山ではない。ただ、入山者が多くなると山に慣れない人は道に迷うだろうし、行者さん達の修行の妨げにもなる。頂上付近をサンクチャリーとして入山規制することでアルナチャラの神秘性が高まる。ラマナシュラムの管理運営者と政府役人の思惑と利害が一致して入山規制が始まったと私は思った。1年に一度頂上で篝火を焚く祭りの準備で、関係者が山に登る以外は何人も山に登れないことになった。サンクチャリーとして聖なる山となったが、行者さん達は山から降りてカーニャクマリ方面に行ってしまったという。25年前と比べてラマナシュラムは様変わりし、参拝客が100倍になっていた。以前のような、自ずから平和な宗教的敬虔な気持ちが湧き起ってくるような静かさが失われてしまった。テルバンナマライの街も車の数が比較にならないほど増加して騒がしく落ち着いた雰囲気を失っていた。失望した私は浦島太郎のような思いで、再訪前に作り上げていたイメージの差を埋めようと努めた。

 山頂に登れなくとも、旅を最良のものにする責任が私にはある。ツーリストが以前より格段に多いので人込みを避けてスカンダシュラムまで早朝に登って、日の出を拝むことにした。ラマナシュラムからの登山道は朝8:30にならないとゲートが開かないので、アルナチャレシュワラ寺院西門近くの東登山道はゲートが無いはずなので、そちらから登ることに決めた。

 5:00、我々一行12名と現地添乗員のネギさん、一人もかけることなく登山に参加することになった。ゲストハウスからマイクロバスで西門まで行き、そこから登山道に入る。あたりはまだ夜が明けず暗い。登山道の両脇に民家が立ち並んでいたが、やがて小さなお寺や祠のある場所に出た。この辺りにマハリシが修行したマンゴウ樹洞窟やビルパクシャ洞窟があるはずだが暗いので良くわからない。明るくなってだんだん周囲の情景がはっきりしてきたころスカンダシュラムに着いた。スカンダシュラムは固く門が閉ざされて人の気配がなかった。スカダシュラムから右手に少し上るとラマナシュラムに下る峠に出る。そこは懐かしい場所だった。25年前この大岩の上に木村賢司さんと横たわって、夜明け前の星々に輝く夜空を見上げていた。そのときは30分ほどの間に十数個の流れ星を見た。想い出の多い大岩である。この場所は今も昔と変わらない。足下にテルバンナマライの街と荘厳な佇まいを見せるアルナチャレシュワラ寺院の全景が手に取るように望まれた。登る朝日を期待したが靄にかすんで現れなかった。私たちはそれぞれ好きな場所を選んで瞑想した。野猿が沢山いたので瞑想のじゃまになった。私はその場所で持ってきた母の遺骨の小片を散骨した。その遺骨はチベットのマナサロワール湖に散骨する予定であった。ネパール地震でカイラーサに行けなくなって散骨できないでいたものである。

 スカンダシュラムからの下山は往路を下った。ビルパクシャ洞窟は時間外だったので入れなかったが、マンゴー樹洞窟は入ることが出来た。どちらもマハリシが住んで修行した場所である。マンゴー樹洞窟は建物に入って奥の方にあった。わずか数人が座ってやっと入れる広さである。洞内でマントラを唱えると音が回るように響いた。早朝に登山出来て本当に良かった。他の観光客と会わずに私たちだけの静かな登山を楽しむことが出来たからだ。

 午後の自由時間に元気な女性の南部さん伊藤さん阿部さんとともに今度はラマナシュラム側からスカンダシュラムまで登った。こちら側からの登山道にはお土産の石彫を売る人たちが店を出していた。観光客が増えたのでマハバリプラムから観光客目当てに石彫職人が出稼ぎに来ているのであろう。石彫の多くは柔らかい石で彫られていて価値あるものではなかった。アルナチャラ山は植林が進み以前に比べ格段に樹木が増えていた。25年前、砂漠のような岩山だった所が森になっている。驚くべき変わりようである。以前はスカンダシュラムの周辺しか樹木は無かった。スカンダシュラムは拝観できる時間だったので中に入った。マハリシの母親が住んでいた部屋を見た後で、マハリシの居室や瞑想室に入った。一坪に満たないような小さな瞑想室はマハリシの写真が飾られ、その前にオイルランプがともされていた。誰もいなくなった瞑想室で一人静かに瞑想の座法を組んだ。そこは狭くとも穏やかで平和な雰囲気に満ちた空間だった。スカンダシュラムで瞑想することができて、山頂に登れなかった私の満たされない心が少し平和になった。

 ラマナシュラムはすっかり観光地化してしまっていた。以前はマハリシのブロンズや黄金の彫像などなかった。マハリシが神像のように崇拝対象になり、立派な寺に変身したアシュラムに安置されている。参拝客はマハリシの像を神様のように礼拝している。マハリシはジュニヤーナ・ヨギだった。しかし、私にはアシュラムが今やバクテイ・ヨガのお寺になってしまったと感じた。マハリシがこの現状を知ったらなんと思うだろうか。純粋だった宗教が大衆化して俗的なものに変化する過程を私は学んだと思った。

 アルナチャラを一周する巡礼路は全て自動車道路になっていた。一部に人が歩くだけの巡礼路が残されているとイメージしてきたが、この点でも私のイメージはかけ離れていた。3日目の早朝5時にゲストハウスを出発し、3時間半かけて右回りの巡礼を終えたが、私の心は喜んでいなかった。その時の気持ちを例えれば、「別れなければならなくなって、25年間もう一度会いたいと恋焦がれた久恋の人と再会した。25年間、私が勝手に美しいイメージを作り上げてきたその人はあまりにも変化していた。その恋人は年を取って昔の美しいイメージはどこにもなかった。私は失望したがそれは執着した無理な願いだったと悟った。」そんな心情だった気がする。

 正直言って私の心はラマナシュラムでアルナチャラで満足からほど遠いものだった。満たされぬ思いを抱いて一人再びアルナチャレシュワラ寺院を訪れた。今度は東門から入り境内を隈なく歩いた。今日は火曜日なので空いていて、のんびりお寺の雰囲気を楽しむことが出来た。寺の境内は隙間なく大きな敷石で覆われていた。その石の感触が素足に心地よかった。西ゴープラムの主門と副門が重なる上にアルナチャラが聳えていた。この風景は今も昔も変わらない。アルナチャレシュワラ寺院別名テルバンナマライ神殿の壮大な佇まいだけは来る前に25年間描き続けていたイメージを凌駕していた。このときになって、やっとアルナチャラに来られて良かったという感情が湧き起った。今回の人生でやり残していたことの一つを為し終えたという気がした。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/12からの転載です)

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