2022年「瞑想の源流を探る旅」その4 愛らしいミーナ先生(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

Yoga Teacher Mis Meena

 教える情熱がマックス&高温度の通訳も全く追いつかず機関銃のように喋る「弾丸ランジット」先生は、2013年からおなじみの先生ですが、今回来れませんでした。残念でガッカリでしたが、代わりにMeena Sabadjaという女性の先生がムンバイから来てくれました。ランジット先生のお友達かな?

 朝の瞑想後は6:45からヨガ。ヨガは約4500年前のインドの インダス文明で誕生したもので「ヨガとは心の動きを抑制すること」 単に健康とか美容のためだけではなく、瞑想ができる体作りをするためのものでもあります。なのでキャンプのスケジュールの中には必ずヨガのクラスが組み込まれています。

 朝日を受けながら外でのアサナと呼吸法は、朝の清々しさに浸って気分すっきり気持ちいいですよ♪

すがすがしい朝の空気の中で。ヨガマットは貸してもらえます

 ミーナ先生は真面目一直線という感じで「ワン、ツー、スリー」とカウントしながらインド式ヨガ(ヨガ式体操)を教えてくれます。ぴょんぴょん跳ねたりすると先生はゼーゼー言って、大丈夫かな?と思ったりしました。(汗) そしてポーズの途中でバランスを崩してよろけたりすると、恥ずかしそうに苦笑いするのがすんごく可愛らしかったです。

 帰国してから私のクラスで、「キャンプで習ったインド式yogaやります」と言ったら、生徒さんが「えっ? これまでやってたヨガはインドのものじゃないんですか?」と目をまん丸くして言いました。これには私もゲラゲラ笑っちゃいましたが、ヨガのアサナはインドのものだけど、現地でヨガ大学を卒業したとかいう先生やインストラクターから教えてもらうのは、割に体操式のものが多いのです。

 朝一番の瞑想を初日は何故か私たちと同じキャンプ参加者のドイツ人のLadaが誘導してくれました。日本から来たメンバーと合流するまでは、先発隊の日本人4名と外国人グループと一緒にやっていたようです。午後からは日本人グループと外国人グループと分かれて受講しました。

 翌日からは毎回ラドヌーンでのキャンプはいつもそうするように、私たちはトゥルシードーム(2代前のアチャリア トゥルシーが涅槃に入った場所)で行うことにしました。

トゥルシードームの真ん中にある円筒の中に遺骨が祀ってあります。静かに瞑想するKyちゃん

 トゥルシードームでの瞑想は、夜空に星が瞬くまだ暗いうちにドームへ向かいます。移動中や瞑想を始める時間に、近所のイスラム寺院、ヒンズー寺院、ジャイナ教本部から、それぞれのマントラや祈り、楽器の音がスピーカーを通して競い合うように大音響でジャンジャカ聞こえてきます。ヒンズー教はベルが賑やかにチンチン、ジャンジャン、ガンガン鳴り、イスラムは「アッラーァ~!アァークバァール」とかね。(苦笑)

 でも瞑想に入ると3つの宗教が混在した音響はあまり気にならなくなります。瞑想初心者はそっちに気を取られますが、私は気にしないフリをします。アハハ

 東の空が明るくなってきました。

朝日を受けながら瞑想するNちゃんの後ろ姿 絵になります。

 トゥルシードームの中央にガラスに囲まれた丸い筒状の中に遺骨が祀ってありますが、ここで朝日を受けながらの瞑想は、とても深く清冽なエネルギーを授けてもらえます。

 あまりの心地よさで時間を忘れ、次のyogaの予定をすっかり忘れてしまいました。  

 「ん? もうyogaのスタート時間が過ぎている」と気づいた私は、ミーナ先生が一人でポツンと待っている姿が目に浮かび、居てもたってもいられず、一人その場を離れて急ぎ足でyogaの場所へ向かいました。

瞑想に深く入ってなかったというのがバレバレだね(汗)

 案の定、ミーナ先生は小柄な背を少し丸めて、一人でじっと座っている姿を見てちょっと胸がつまされる思いになりました。「遅れちゃったぁ。ごめんなさい」と(ちゃんと英語で言いましたよ。このくらいは私も言える)先生に駆け寄りました。

 先生は私の顔を見てホッとしたような笑顔を見せ、二人でYogaを始めたところ、少し遅れて来てくれたCちゃんやその他の人が徐々に増えたことに安堵し、とてもうれしかったです。

翌日からミーナ先生もトゥルシードームで一緒に瞑想することになり、めでたし、めでたし。

 

カヨウッサグで・・・落ちる

 朝のYogaだけでなく、ランチ前に行う恒例のカヨウッサグはプレクシャ・ディヤーナの第一段階で体の力を抜いてリラックスし、意識と体が別々だということを認識する瞑想法ですが、これもミーナ先生が担当してくれました。

2階は大きなホール、1回は広い講堂と教室があります。手前の歩道の縞模様は、歩く瞑想で足を交互に置くために色分けしたようです
道場の側面。奥に見えるピンク色の建物が宿泊棟

 カヨウッサグは仰向け、座位、椅子または熟練者は立ったまま(これ、かなり危険! 立ったままだとたまに意識が遠くなり、膝がガクッと折れると転倒の恐れあり)で行いますが、みんなリラックス目的なので殆んどの人が仰向けで行います。

 会場となる道場の2階の大きなホールは、音響効果が素晴らしく、マントラを唱えると素晴らしく響きわたり、ここでカラオケでもやったらめちゃくちゃうまく聞こえるだろうな・・・と余計なことをふと思う。 

 仰向けになってミーナ先生の優しい柔らかな誘導を聞きながら体の力を抜いていくと、自分では遠くに先生の声が聞こえているから「寝てない!」と思い込んでいても、いつしかスゥーッと引き込まれ、自分の「ウガッ」という鼾で気が付きます。

 先生の誘導は素晴らしく心地よく、自分が道場のホールに横たわっているという感覚は薄れていきます。周囲からは毎回のようにすぐに寝息や鼾が聞こえてきたのは否めません。

 キャンプ4日目、カヨウッサグの前に「チャイテ プルシャ」というマントラをミーナ先生に唱えてもらいましたが、その歌声は心に響きみんな感動し、その後のカヨウッサグはそこかしこから鼾が・・・。より深くリラックスできたという証拠ですね。でも本当は決して寝てはいけないんですけどね(苦笑) 

インド人的でない???

 キャンプの間、一緒に行動を共にすることが多かったミーナ先生と私は5歳違いで年齢も近く、とても親しみが湧きました。インドの人は往々にして自己主張が強く、押しが強い人が多いのですが、ミーナ先生はいつも穏やかで優しく、包み込んでくれるような柔らかさのある女性で大好きになりました。

毎日先生とハグしてました


ミーナ先生の爪の垢を私は飲んだ方が良いかな(苦笑)

次回はサマニー二人の楽しいレーシャの講義の模様をお伝えします。

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子

2022年「瞑想の源流を探る旅」その3 コロナと戦争(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

初日の目覚め

 新しい宿泊棟には館内放送設備が設置され、初日は5時ぴったりに麗しい女性(多分、ムムクシュ 尼さんになるために勉強している女学生)の歌声による「アラハン」で目を覚ましました。爽やかである♪

マ・・・翌日から5時ぴったりに起床マントラが流れるとは限らないけどね(笑)

 まずはまだ暗いうちに起きて、宿泊棟の向かいにある道場の2階ホールへ瞑想に向かいました。その時、瞑想の誘導をしてくれた人は、私たちが着ている参加者とわかる制服を着ているではありませんか! 

 通常、サマニー(順尼僧)か、在家信者の人が担当しますが、その時は、キャンプ参加者の女性でした。彼女はLada Guzeeva。ドイツ人でキャンプの参加は4回目だとか。先発隊の日本人4名は 後発隊の私たちが到着するまで 、外国人グループと一緒に行動を共にしていたようです。私たちが合流してからは、グループに分かれて講義を受けました。

憧れのムニ

 今回日本からは11名が参加。まずは率いてくださる坂本先生を筆頭に、羽田から出発したのは7名。現地で合流したのが4名。

 この4名はナント10月2日からすでに日本を発ち、九州のJ先生が毎年開催しているヒマラヤの方のヒンズー教寺院でのツアーに参加していました。その寺院は標高3000mにあり、そこへ行くまでリシケシに寄った際に、ナント私が一番会いたい僧のムニ ジャイ クマールジが巡礼中で偶然滞在中だと知って会いに行ったそうです。

 このムニ ジャイ クマールジは、素晴らしく体が柔軟でとても人技とは思えないアサナを軽々とやってのける達人です。

2013年の時に見せてくれました。信じられます?
リシケシにてCちゃん、SYちゃんとムニ ジャイクマールジ
くぅ~会いたいなぁ!
 

 でもどう考えてもラドヌーンとリシケシは遠く、前回の2019年のキャンプでも会えなかったので残念で残念で仕方がありませんでした。ヒマラヤ組4名はウッタラカシのシバナンダアシュラムの分院で学び、そこから続けてラドヌーンへ移動。彼女らはすでに1ヶ月インドに滞在しており、ラドヌーンで第2ラウンドが始まります。兵ぞろい!

コロナと戦争の影響


 11月3日に 無事ラドヌーンで私たちが合流した時、SYちゃんが私にこう言ったのです。

「まちこさん 私たち勝ったわよ!」んんん? 

何に勝ったんだろう?と思ったら、私たち以外には、ロシア人とその他の外人グループが10名!

「え゛~っ????? マジっすか!」と言いたくなる人数です。

 15年前は世界各国から170名以上の人たちがキャンプに集い、2019年のバンガロールでもロシア約80名、ウクライナ約30名、その他から毎回130名以上の参加があり、ロシアグループは毎回一番の多人数で、120名以上のこともありました。

 戦争によって今回はどのくらいの人が参加するのだろうかと案じていたら、ロシア、ドイツ、ネパール、台湾、日本人11名、全員で21名という驚きの人数で、さすがにちょっとショックでした。コロナも影響してこんなにも参加者が少ないのかなぁとも思いました。

ロシアの名物通訳 Maria

 ロシアグループの7名は半数以上が初参加の人が多く、通訳の女性がいつものメイクばっちりド派手名物通訳のMariaではありませんでした。彼女はキャンプではチョー有名人。初めて会ったときは度肝を抜かれました。

派手な装い、メイクの濃さ、体格の良さ、ド迫力ダイナマイト!

 ロシアグループと日本グループや英語圏グループとの通訳合戦になると、こちらの通訳が終わってないのにちょっとした間があると、すかさずロシア語の通訳が機関銃のように話しだし攻撃してくるため、こちら側の通訳は乱射を防ぐために息をつくこともできず気が許せない。まさに通訳中は決戦そのもの!

日本人グループの通訳の方々ご苦労様です。

 でも、今回のナチュラルメイクのほっそりした若い通訳の女性は如何に?と思ったら、やっぱりMaria譲りで、通訳中は同じように気が許せませんでしたね(苦笑)

 Facebookで10月半ばにMariaがインドにいたのを見て、キャンプで再会しましょうとメッセンジャーで送ったら返事はきたものの、キャンプにはなぜ来なかったのか?という疑問が残りました。Facebookを見る限り、Mariaは自由に国内、海外を訪ねているようです。案外、ロシアの一般人には戦争の影響がないのかもしれません。 

 世界中に新型コロナウイルス感染症(COVID19)が蔓延し、その脅威とロシアのウクライナ侵攻という戦争の影響で、驚くほどに人が集まらなかった事実になんとも言えない思いが胸をよぎりました。

 この世は常ではなく無常(むじょう、巴: aniccaアニッチャ、梵: anitya, アニトヤ)。

坂本先生もいつも教えてくれます「アニッチャ(変化)、アニッチャ(変化)」

 ロシアの人もウクライナの人もこれまで毎回一緒にキャンプで学んできた仲間です。 コロナも戦争も早く終息し、世界中が健やかで平和な日々が一日も早く訪れることを祈るばかりです。

 次回はキャンプでの様子などを書こうと思います。

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子

2022年「瞑想の源流を探る旅」その2 瞑想キャンプでの生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

ピッカピカの新宿舎と食堂棟

 スマホのナビでラドヌーンの町の細い道に迷い込んだ私たちは、神業ドライバーのラムさんのおかげでそこを脱出することができ、無事に目的地へ到着しました。良かった、良かった。

因みに「ラム」というのは、「ラーマ神」という意味だそうです。やっぱりね神なのね・・・納得。

 ジャイナ教テーラパンタ派の瞑想センター(ジェインヴシュババーラティ)があるラドヌーンは、現アチャリア(最高指導者)のマハー シュラーマンの前の前の最高指導者であるアチャリア トゥルーシーの生誕地です。瞑想センターは訪れるたびに新たな建物が増えてましたが、9年ぶりに訪れたらまたまた見違えるようにあちこち整備され、新たな建物が建設されていました。

 

私たちが生活する宿泊棟はホテル並みの設備が整い、新しくてきれい♪

宿泊棟の正面玄関
エントランスホール


2階へ上がる階段踊り場から見たエントランスホール

部屋の入口ドア Room NO5

 部屋は全部で24部屋。ティールタンカラ(ジャイナ教の救済者・祖師)が24人おり、その数に因んでいるようです。

私たちの部屋は3人部屋でしたが、通常は2人部屋
如何にもぐっすり眠れそうでしょ? 寝心地よかったです
 
ベッド以外は椅子も机もなく、こんな小部屋があり、たぶん瞑想するスペースかな?
ベランダとバスルームへの扉

 右の木の扉はベランダへ出られ、ロープを張って洗濯物を干します。蓮の花が書かれた扉はバスルーム。しかもちゃんとお湯が出ます。

これって凄いことです。宮殿ホテルであろうとちゃんとお湯が出ることは保障されてないからね(苦笑)

宿泊棟に近い食堂棟も新しく、周囲は植樹などの整備が進行中



テーブルと椅子と・・・

 フードコートにはテーブルと椅子もありますが、ナント座卓に座椅子があるじゃありませんか! 日本人用にというだけでなく、インドの人たちは座って食事をすることに慣れているのかな?と思えます。日本人以外はやはりテーブルと椅子を使っていましたがね。

レストランでのイスとテーブル

 ランチで立ち寄ったお店では、現地の人が布を編んだような日本のボンボンベッドのようなものに板を渡してテーブルとし、胡坐をかいて座って食事をしていました。奈良から参加のNちゃんとまねっこしてみました。このボンボンベット風のものは、このお店しか見かけませんでした。きっと他にもあるのでしょう。

ひたすら黙食するKenちゃん
 

食事は食べることに専念し、お喋りしながら食べてはいけないのであります 。

食器類

 朝昼晩と食堂棟で食事をいただきますが、ステンレスのインド式カレー皿とカップやカラトリーを自分で取ります。

インドではホテルでもレストランでも殆どがそうであるようにバイキング方式です。

ランチはこんな感じ

 果物はバナナ、リンゴがほぼ毎日出て、たまにザクロ(ぜーたくです)が粒状で供されます。ランチが一番メニュー豊富で朝晩は軽いものでした。

ジャイナ教食はアヒムサー(非暴力・不殺生)の教義から根菜類、刺激物(ニンニクなど)、肉類、卵は一切口にせず、とっても優しい味なので胃が凭れるようなことはありません。

Mちゃんもせっせと食器類を洗っています

 食べ終わったら自分で洗剤と薄くて目の粗い食器洗いの硬いスポンジで洗って元へ戻します。

 

キャンプでの1日のスケジュール

 2013年の時は朝5時から夜9時過ぎまで、講義と瞑想の実践、yoga、etcと非常にタイトなスケジュールでしたが、参加の年毎に少しずつ緩やかにしてもらい、今回はCちゃんの提案もあり、インド式ハードスケジュールではなく、余裕の時間を設けてもらえたので、みんなで集まって話し合いをしたり、自由に瞑想したり、有効な時間の使い方ができました。

下記がキャンプ事務局から与えられた基本的なスケジュール

05.00 :        Wake up (起床)
05.30 to 06.15 : Preksha Meditation (瞑想)

06.20 to 06.40 : Gaman Yog (沈黙歩行瞑想)
06.45 to 07.45 : Exercise & Yoga (ヨガ)
07.45 to 08.45 : Breakfast(朝食)
08.45 to 09.30 : Preksha Meditation  (瞑想)

09.30 to 11.00 : Interaction on theory of Leshya  (レーシャ・ディヤーナ)
11.15 to 12.00 : Kayotsarg  Samani Ji(カヨウッサグ)
12.00             Lunch(昼食)
12.40 to 01.10 : Rest(休憩)
01.15 to 02.00 : Move to Chapar(チャパールへ移動)
02.00 to 03.00 : Theory of KarmaSongs and Anand Bhavana – Muni Dinesh
03.05 to 04.00 : Songs and Anand Bhavana – Muni Kumarshraman
04.00 to 04.30 : Departure for Ladnun
05.00 to 05.45 : Dinner (夕食)
05.45 to 07.45 : Time to ponder (熟考する時間)
07.45 to 08.15 : Arham Chant
09.20 to 09.30 : Pratikraman Yog
09.30 to 04.30 : Yog Nidra(就寝)

 瞑想キャンプは毎年インド国内の各地(2015年はネパール大地震があったため、応援を兼ねて特別にネパールで開催しました)で開催されます。今回は本部のあるラドヌーンから22㎞離れたチャパールという町で開催されるため、日本人グループは午前中はラドヌーン、午後はチャパールヘ移動して夕方またラドヌーンヘ帰ってくるというスケジュールでした。

 この合間にアチャリア(最高指導者)とのダルシャン(謁見とご挨拶)や大会場でのイベント参加が突然あったりとあくまでも予定は予定。

 あ・・・ところで起床のお知らせは、毎朝5時に若い女性の清らかな声で「アラハン」のマントラ(私もこのCD持ってます)が流れるのですが、それが4:45だったり、5:20だったりと毎朝違うので、「明日の朝は何時に鳴ると思う?」と同室のMちゃんやHさんと予想しながら楽しんでました。ククク  期待を裏切らないインド式「Wake up music time」♪

次回はどのような学びを受けたのかを順にお話ししたいと思います。

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子

2022年「瞑想の源流を探る旅」その1 コロナ禍の中、インドへ(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

COVID‑19

 前回、ジャイナ教テーラパンタ派「国際瞑想キャンプ」に参加したのは、2019年バンガロールでした。その2ケ月後くらいに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がニュースに掲載されるようになったと思ったら、あっという間に世界中に蔓延してしまいました。

 世界各地で戦々恐々と新型コロナウイルスに怯え、すぐに収束するだろうと思われたがすでに3年。

今年になって一時収まったかのように見えたので、久しぶりにインドに行けるかな?と思っていたところ、 ジワジワとまた増えだしツアーの実施が危うくなりかけましたが、結果的に日本から初めてキャンプ参加する人が4名(内1名は男性)、坂本先生と私と2度目の参加のブッチー、そして先行インド入りの別の先生のヒマラヤに近いヒンズー教寺院のツアー参加者4名がラドヌーンで合流予定。計11名で第21回国際瞑想キャンプへ行くことになりました。めでたし、めでたし👏

 ワクチンを打ってない私は、果たして海外へ行けるのかと心配しましたが、飛行機の出発72時間内にPCR検査を受け、英文の陰性証明書をゲット。今回はJALで羽田発着。絶対的に楽ちんである。無事、陰性証明書のおかげで日本からの出国は思ったよりスムースで一安心。

 どのくらいインドへ行く人がいるのだろうかと思ったら、やはり往路の飛行機の乗客は疎らで、真ん中の4席を占領してのびのびと体を伸ばして寝ることができ、これまた楽ちんの二乗♡ これまでエア・インディアが多かったが、映画を見ようとしても画面が全く作動しない席もあり、まともに画面が観られる席に当たれば、ラッキー♪という感じだったが、さすがJALには最新機材が搭載され、映画を2本観られた。

 途中ヒマラヤらしき山を遠くに臨みながら、予定通り18:30近くにデリー空港に到着。陰性証明書のおかげで、入国も問題なし。いざインド入国へのドアが開いたら、そこには15年前からお馴染みの現地ガイドのサンジーブさんが私たちを待ち受けてくれていました。思わず懐かしく嬉しくてサンジーブさぁ~ん!と駆け寄る私でした。

 いよいよその日から16日間にわたる国際瞑想キャンプと世界遺産の寺院を巡る「瞑想の源流を探る旅」の幕が切って落とされました。

それにしても空港職員以外どこへ行っても、だーれもマスクはしてませんでしたよ。

インド道路事情

 飛行場からその夜泊まるデリーのホテルへ向かいます。

 相変わらずクラクションがそこら中から鳴らされ、帰宅時間も重なり、先を急ぐ車とバイクがブーブー、ピーピーと賑やかである。さすが首都のデリーには、信号機があるところもあるが大体が・・・無いね。

 合流地点などほんの少しの隙間さえあれば我先に割り込んでくる。よく事故が起こらないなと不思議だが、旅の間、事故現場には遭遇しなかったし、それほどボコボコに傷ついた車も見当たらない。みんな運転がうまいのであろうか・・・不思議だ! 

 インドではスピードを出さないようにと、道路に定間隔でかまぼこの様なでっぱりがある。そのかまぼこ状のものを越すには、否が応でもスピードを落とさないといけないようになっており、徐行してガックンと乗り越えるのであります。旅行会社のバスのドライバーさんは、乗客の安全を図りスピードを抑えゆっくりと越えてくれたが、バスの窓から眺めていると、慣れっこの現地の人たちは、一応スピードは緩めるものの、下手するとジャンプして通っているような気がした。空飛ぶ車?!? 遊園地並みだね(汗)

 バイクは二人乗り、三人乗りはトーゼン! 下手すると四人なんてことがあるからビックリ。しかもノーヘル。ヘルメットも被らず、バイクの運転手と後ろ座席の間に子供を挟んで、しかも赤ちゃんをおんぶしている姿を見ると、本当に危険極まりないと思うが、仲良し4人家族はそれでOKなのであろう。スゴイに尽きる。

 インドで運転できれば、世界中どこでもOKといった感じですね。運転技術の腕に覚えがある人は、ぜひインドの都会でやってみてください。ただし、信号機は都会と言われるところでも滅多にない!

 だから道を横断しようとするなら命がけである。私たちは左右の車やバイクの往来を見極め、隙あらばと思うが・・・ひっきりなしに往来が激しく、そんな隙なんかナイ! 外国人はオロオロするばかりである。ところが現地のでっぷりと太った初老のおばさんなど「私が道を通るのよ。お退き!」と言わんばかりにサリーを翻しながら悠然と混雑した道路を渡っていく。さすがである👏

いざ、ラドヌーンへ

 これまでジャイナ教テーラパンタ派の本部があるラドヌーンまでは9時間かかったが、前回訪れたのは2013年で9年前。その頃に比べると格段の差で道路が整備され良くなっていました。15年前の2007年は自転車とオートバイが多く、ドアやバンパーが外れ落ちかけたボロ車がヨタヨタと走っていました。建設途中の高速道路には牛やラクダや犬と下手すると象が悠然と歩いていたし・・・。

 2009年、2011年、2013年とラドヌーンを訪れるたびに少しずつ車が増え、2022年の今ではインドの経済成長著しく新車が道路を埋め尽くすほどに走っていることにビックリ。前はヒュンダイが多かったのが、最近は日本車がたくさんみられ、スズキが多いような気がしました。(坂本先生情報によると「マルチ・スズキ」 というスズキインドにおける乗用車生産販売子会社があるため、スズキの車が多いようです )

 一応、高速道路かな?と思われる白黒のだんだらの低いフェンスも設置され、これならスピード出してスイスイと思いきや、高速道路に牛は以前のように悠然と歩いているのである。やっぱりそう来なくちゃネ。だってインドだもん(苦笑) 

翌日、朝8:00にバスに乗り込み、いざラドヌーンへ向けて出発go、go!!!  

凄腕ドライバー

 日本でインド人にラドヌーンというところを知ってる?と聞いても、ほぼ誰も知らない。そこはデリーからやや南西に下ったパキスタン寄りのラジャスタン州の真ん中。周囲は砂漠に囲まれた土地です。

 ドライバーのラムさんと助手のビクラムさんも、ラドヌーンへいくのは初めて。道もよくなってスイスイと行く…はずだった。

 途中渋滞もあり、朝8時にデリーを出発したけれど、だんだんとうす暗くなってきました。時折、車を止めて人に道を聞きながら、ナビを頼りに車を進めていくと、狭い道が入り組んだ村に入っていく。こんな道だったかなぁ???と思っていたら、車の幅と道の幅がほぼ同じくらいのとても狭い道に入り込んでしまい、何度か人に道を聞いたら、どうやら反対方向らしい。ギョギョ!!!!!

 人に道を聞いても、みんな違うことをいう人が多いんだよね。インドって(苦笑) 

 狭い道に立ち往生してしまい、この先へ進むのも困難、ましてやこの狭い道でどう切り返せるのか。どう考えても無理、無理、無理! 

 バスをバックするにも、切り返すにも、にっちもさっちもいかず、だんだんと近所の人たちのやじ馬が増え、親切に誘導をしてくれたのだが、この困難をどう切り抜けるのか!と全員がこのままバスは道の真ん中で夜通し立ち往生したままなのかと絶望的になってしまいました。

 ところが! ラムさんはとても無理と思われた狭い道を細かく細かく切り返し、私たちは手に汗握りながら、ラムさん頑張れ!と心の中で声援をおくりつつ祈った。そして・・・ナントその道からバスを脱出させたのです。

おお~神業だぁ👏👏👏👏👏

バスの中は大歓声と拍手の嵐。近所の野次馬の人たちも拍手。

 2015年にネパールのビラトナガールやダージリングで、曲がりくねった山の急坂をジープで行った時も、その運転技に度肝を抜いたが、それを上回る神業である。ラムさんバンザーイ🙌 その日からラムさんはヒーローになったのであります。

 さて、次回はいよいよ瞑想キャンプのお話です。
1週間の禁酒、禁煙、完全菜食、朝から晩までどっぷり瞑想の学びの日々を送り、身も心も清らかに ・・・なるはずです(汗)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子