コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その1 ラドヌーン編

私にとって今度のインド旅行は16回目になる。初めてインドを訪れたのが43年前になる。その頃のインドを思い出して現在と比べてみると、あまりにも変化が激しすぎて、一体何が起こったのかと戸惑いを感じてしまう。経済発展と国民所得の向上が爆発的に自動車普及の増加と建築ブームをもたらし、インドの大都市の景観を一変させてしまった。靄のように立ち込める排気ガスのスモッグと交通渋滞は、蜂の巣をつついたようなデリーの大混乱の中でも逞しくエネルギッシュに生きるインドの庶民の象徴だと思った。

 居心地の悪いそんなデリーから早く昔の雰囲気の残る地方に行きたかった。目指すはプレクシャ・メディテーションの聖地ラジャスターン州のラドヌーン、そこはジャイナ教スエタンバラ(白衣派)に属するテーラパンタ派の本拠地になっている。テーラパンタ派は1761年に白衣派のスターナックヴァーシ派からアチャリヤ・ビーカンジが12名の同志と共に分離して起こったジャイナ教復古主義者のグループである。テーラパンタ派は偶像崇拝しない、寺院を作らず参拝もしない、一か所に定住せず常に遍歴しながら修行しているなどの特徴があり、古代のジャイナ教の厳格主義、純粋主義に一番近い白衣派集団であると位置づけられている。

 テーラパンタ派9代目のアチャリヤ(宗派の最高指導者)がアチャリヤ・トウルシー師でトウルシー師がラドヌーンに生まれたことから、トウルシー師が女子の地位向上と教育の重要性を大事にしてラドヌーンに教育センターを作った。それがジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティ(ジャイナ教学院)の始まりである。トウルシー師と6歳年下だった10代目アリャリアが、マハープラギャ師で、トウルシー師と共にプレクシャ・メディテーションを完成させた大哲学者であり優れたメディテーターである。プレクシャ・メディテーションは古代から伝わるジャイナ教の瞑想法に仏教の瞑想法やタントラヨガの瞑想法を加え、さらに現代医学や心理学の科学性を加えて論理的に理性的に再編された世界で最も高く評価されている優れた瞑想法の一つである。アチャリヤ・トウルシー師もアチャリヤ・マハープラギャ師もすでにこの世を去り、今は11代目のアチャリヤ・マハー・シュラマン師の時代になっている。マハー・シュラマン師はテーラパンタ派を特徴づける一か所に定住しない行のアヒンサー・ヤートラ(非暴力の旅)を、2014年にラドヌーンを出発して7年がかりで、インド中を遍歴する徒歩の旅を現在続行中である。次にラドヌーン戻ってくるのは2021年になる。 

 現在は南インドのチエンナイ近郊に居られるとのことでした。旅の後半に訪れるポンデチェリーはチエンナイに近かったので日程に余裕があればアチャリア師に接見できるかと考えたが、滞在場所が私たちの旅のルートと離れていたために実現できませんでした。2019年は南インドのバンガロールでプレクシャ・メディテーションの国際キャンプが開かれる予定です。その時に、アチャリヤ・マハープラギャ師生誕100年祭も行われるということです。キャンプの参加費を無料招待するので日本からも大勢で来てほしいと召請が来ています。

 瞑想巡礼の旅に参加した私を含めた10人と通訳兼現地ガイドのサンジーブ・バンダリさんを載せたバスは高速道路をデリーから北西を目指して走ります。高速道路も10年程でだいぶ整備が進み走りやすくなっています。以前は高速道路上を干し草を満載させてノロノロ道をふさいでいたおんぼろ車もなくなり、ノラ牛が歩き回っているようなことも無くなりました。私たちの乗ったマイクロバスは現地生産の日本のいすゞ製で新車です。砂漠に近い荒野地帯になるとドライブインもなくなり、トイレも野外ですることになります。トイレの為に枯れた草地に入った時のこと、足に虫に刺されたような激痛が走った。よく見ると無数の草の実が付いている。手で取り除こうとすると指先に小さな針のような毬が刺さってとても痛い。ちょうど栗の毬を2mmぐらいの大きさにした草の実でズボンの裾に沢山ついている。それを取り除こうとして大騒ぎになった。生き物たちは子孫を増やそうとさまざまに工夫してこんな荒地でもしたたかに逞しく生きているのだなーと実感した。

デリーからおよそ8時間かけてやっとラドヌーンに着いた。日本なら8時間あれば車で東京から青森まで行ってしまう。遥かなラドヌーンに日の暮れる前に到着できた。ジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティの敷地内はいつもと違ってやけに静かで閑散としている。それもそのはず今日と明日はディワリの祝日なのだ。ディワリとは印度最大のお祭りで日本の正月のようなものと考えれば良い。街中はイルミネーションで飾り立て数日にわたって昼夜関係なく爆竹を鳴らし、花火を競ってガンガン上げまくる誠ににぎやかな祭りである。ヒンドウ教では伝説の神様ラーマが魔王と戦って勝利してその凱旋を祝うものである。ジャイナ教徒はこの日をマハヴィーラがモークシャ(悟り)を得た日として一緒に祝っている。大学も休みなので構内は閑散としている。今日は日本で言えば大晦日のような日なのだ。そのように忙しい中、研修センターの責任者アショカ・ジェイン氏と奥さんのマンジュウラ・ジェインさんが我々を優しく迎えてくれた。

 ディワリは10月の下旬から11月上旬にかけての新月に行う。今年は11月7日がその日だった。私たちはその日、瞑想ドームで瞑想したり、アショカ氏の講話を聞いたり、ジェイン・ヴィシュヴァ・バーラティ内の今は廃墟同然になって使われていない旧道場の二ダムや国際ホールを見学するなどのんびりと過ごした。外では一日中花火の音が砲撃のように響き渡っていた。 その夜、ムニ・ジャイクマール師に会った。ジャイクマール師とは2005年のビワニでの国際キャンプ以来づーと教えを受けている。テーラパンタ派のムニの中で私が一番親しい知己のムニである。ヨガの達人であり、体を横にしないで瞑想の座法のまま眠る修行を長年継続している。ムニはこの日私たちに会うまで数日間モウナ(沈黙の行)をしていた。私たちが接見したとき、沈黙の行は終わったと言って「マントラとは何か」という素晴らしい講話をしてくれた。ジャイクマール師は3年前ネパールのビルトナガールでお会いした時より一層パワフルで清らかで平和な雰囲気になられていた。まさに聖者である。徳が高く威厳に満ちた聖者でありながら友好的な親しみをも感じさせてくれる。

 ラドヌーンでの今回の収穫は毎朝6:30分、毎夜8:30分からムニと在家信徒によるお祈りのマントラや讃歌の斉唱を聞くことが出来たことにある。ラドヌーンに着いた初日はモウナ中のジャイクマール師に代わってお弟子さんの若い出家僧モデッタ・ムニが中心になって讃歌を唱えてくれた。次の日の夜からはジャイクマール師が中心になり一層パワフルな讃歌の斉唱になった。

 ジャイナ教の讃歌を聞いていると細胞の深い深いレヴェルで魂がゆすぶられる。楽器のない音声だけの合唱讃歌がものすごいバイブレーションを生み出し、音の粒子が身体深くに浸透する。本当に素晴らしい響きだ。魂の深いレヴェルから得も言われぬ感動が起ってくる。同時に心身が清らかに軽くなっていくのが良くわかる。魂が音のバイブレーションで浄化されているのだ。私は本当に感動し打ちのめされた。今までラドヌーンであるいはプレクシャ・メディテーションの国際キャンプで何度もジャイナ教の讃歌を聞いて素晴らしいと思っていたが、今回は格別だった。私はジャイナ教の讃歌への恋に落ちたと感じた。

 日本に帰ったらCDや録音機に録音された音声をよく聞いて讃歌を覚えよう。以前、プレクシャ・メディテーションの国際キャンプで頂いた讃歌集から意味を日本語に翻訳し、意味が解ったうえで、日本のプレクシャ同志と共に、瞑想する前にジャイナ教讃歌唱えることにしようと思った。

 ラドヌーンでのもう一つ感動的な出来事は、ジャイナ教のデガンバラ派の偶像崇拝するグループに属する二人の裸形僧に出会ったことである。ラドヌーンの旧市内にはテーラパンタ派とは全く別のデガンバラ・マンデールがある。この寺は相当古い寺らしく、かつては廃墟になっていたらしい。遺跡のような古い寺の上に新しい寺が作られていた。古い寺は地下室のようになっていて、地下に降りていくと、ジナを祀る祭壇があった。その祭壇の中で二人の裸形僧が横座りになって背中をみせていた。「あ、裸形僧だ」と思ったけれどどのように接して良いかわからなかったので、静かに祭壇を右回りに一周した。裸形僧一人が我々日本人の訪問を珍しく思ったのか、突然に英語で話しかけてきた。地下室になっている古いお寺のことをいろいろ説明してくれた。二人の裸形僧は極めて友好的で明るくよく笑った。デガンバラの裸形僧に対して厳格で気難しい、とっつきにくいイメージを持っていたが、この二人は全く違っていた。英語を話すムニの名前はムニ・サンブット・サーガジーという。彼は我々に興味を持ったらしく、いろいろ興奮気味に話してくれる。同行の武田さんや飯島さんはこの機会とばかりにムニに質問する。瞑想の時の立ち方はどうすれば良いか?ジナムドラの手の組み方と位置は正しくはどうするのか?目は半眼が良いか、閉じた方が良いかなどについて質問したところ詳しく教えてくれた。話には聞いていた私にとってデガンバラの僧侶との出会いは初めてだったのでとても感動した。彼らは非暴力、不殺生のシンボルの箒しか持っていなかった。全くの裸でスッポンポンだった。完全なる無所有、無執着の実践者だ。食事は乞食して両手で受けて立って食べるだけで食器は使わない。命を繋ぐぎりぎりの飲食である。それでも健康に溢れていた。このようなムニはインドにどれくらいいるのだろう。宗教の国印度、その奥は深いと実感した。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/11からの転載です)

 

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