コラム[雰囲気と人格]

私達の潜在意識はコンピューターのハードディスクのような機能を持っている。私達の体験や日常生活でどの様に反応したかが潜在意識にインプットされている。インプットされているものは知識や記憶ではない。出来事に対してどの様に反応したかが性格や人格となって根付いている。それらは外部情報に対してのどの様に反応するかという心の癖のようなものだ。知識や記憶は身体機能としての脳が行っていて、それは例えれば取り外しできるパソコンのメモリーのようなものである。身体の死とともに知識や記憶は消滅する。

しかし、性格や人格、嗜好は潜在意識にインプットされていて肉体が死滅した後、次の生に引き継がれていくものと云える。同時に性格や人格、嗜好は次の生を引き寄せる原動力になっている。それがカルマである。人はカルマによってそこに生まれ、そのような身体を持ち、そのように生活し、奴隷のように操られ、カルマによって死ぬ。カルマは肉体の死によって終わるものでもない。カルマは命や魂に付いて変化しながら継続する。

カルマは因縁とも云い、原因である種が、縁である土や水、気温、光によって発芽し成長し実を結ぶと例えられる。リンゴの種にはリンゴが稔り、かぼちゃの種にはかぼちゃが稔る。リンゴの種にかぼちゃは成らないという自然法則の事である。さらにカルマは意志であり行為でもある。意志や行為によって結果が変わるからだ。又、結果(受業)の事をカルマという。その結果が潜在意識にインプットされると原因としてのカルマ(因業)になる。カルマは輪廻転生の原動力であり、私達に自業自得と自己責任、全肯定の生き方を教えてくれている。自然界や人間社会を良く観察するとカルマの法則があらゆるところに浸透していることが理解できる。

全ての人間は個性的である。まったく同じ人は過去にも現在も未来も存在しない。人生は一度だけというのがそういう意味だ。人間は個別で大変ユニークな存在である。つまり、全ての人のカルマは違うということである。人それぞれに雰囲気や人格が異なるのもカルマがあるからだ。いやしく愚鈍な雰囲気、清らかで崇高な雰囲気、それらは肉体レベルを超えた内部からのカルマの放射であるところのある種のエネルギーである。カルマとしてのエネルギー放射は身体を繭のように取り囲むオーラになる。近年、オーラカメラによってそのエネルギーを写真に映すことが不完全ながら出来るようになった。

オーラは肉眼では見ることが出来ない霊的な色彩光である。私達の叡智はその霊的な色彩光を感知して人格や人の雰囲気として解釈している。人の印象、雰囲気、気が合う合わないは、叡智が知覚しているだ。類は類を呼ぶの喩えではないが、同質なものの中では居心地が良い。一方、カルマは条件が整うと解消されるべく現れてくる。解消されるために、都合の悪い人と出会わなければならないし、時には好きでない条件や嫌いな環境が与えられるのだ。条件や環境は誰かによって与えられるのではなく、自らがカルマの解消のために叡智が選択しているのである。時が来て条件が整えば、受け止めなければならないことは受け止めざるを得ないし、やらなければならないことはやらざるを得ないのです。

ジャイナ教哲学では魂をカルマ体が覆っていて、魂からの霊的放射はカルマ体を通過するときに善い悪いの霊的な色彩が付いて、それが電磁気的な身体、そして肉体へと広がってゆき肉体外部への霊的エネルギー放射となると考えられている。そのエネルギーには霊的色彩がついている。この内部から外部への霊的色彩光の放射をレーシャという。レーシャと云う概念を使うとカルマや人格、雰囲気など矛盾なく説明できる。又、外部から内部へと向かう反対のレーシャを使えば、その人の雰囲気と共に性格やカルマ云った潜在意識下のインプットを書き換えることが出来る。これを応用したのがレーシャ・ディヤーナであ
り、アヌプレクシャである。

カルマの改善、コントロールこそ仏教とジャイナ教が目指す修行であり、それが解脱への道である。仏陀は一瞬一瞬変化しつつ継続していく命はあるが、不変の魂は無いといった。命がカルマによって輪廻転生すると説明した。心を観ている叡智が命であるなら、命と魂は言葉の定義の問題で同じことを云っているのではないだろうか。瞑想している時に自分の身体や心、意識を観じているのは心ではなく叡智である。心で心を観ることは出来ない。カルマで汚れた不純な心を、叡智である純粋意識が観ることは出来る。叡智を命といえば命になるし魂といえば魂になる。カルマが清められて変化する不純な心が純粋になって消滅したとき魂の理想状態が現れる。「アカルマの道」は金鉱石を精錬して純金にする過程にも似ている。心を清らかにする方法の事を、「魂の汚れをとる」と表現したほうが多くの人々に解りやすい。不滅の魂があるかないかは古代から続く未決着の論争だ。正しい間違いの問題ではない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/6/25からの転載です)

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