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坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-地水火風空~呼吸法、カーヤ・ウッサグのバリエーション、ビジュアライゼーション、心身分離~-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
実習・講義:-地水火風空~呼吸法、カーヤ・ウッサグのバリエーション、ビジュアライゼーション、心身分離~-

日時:2022年3月6日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)
 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

読むプレクシャ・メディテーションVol.7-「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」を読み解く-

2022年3月5日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.7-「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」を読み解く-』を開催いたします。今回は4章を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」4章を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」(坂本知忠著)
4章 非暴力・環境問題
4-1.エコ的生活は新しい非暴力運動です
4-2.地球温暖化の脅威
4-3.アヒンサー(非暴力主義)
4-4.活用する喜び
4-5.食の非暴力 俗なる立場から
4-6.自分の生活と幸福感を何と比較するのか
4-7.所有と無所有
4-8.忍耐と無執着
4-9.自己防衛の砦



【日時】2022年3月5日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、電子書籍をお送りいたします。申込フォームよりお願い致します。
*ドネーションの場合はイベント終了後1週間以内に協会へのお振込みをお願いしております

【読み解き人】:坂本知忠(指導ランク:教師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

ジャイナ教の昔話その5:トリビア&疑心暗鬼(まつい ちえこ)

人間以外が教えてくれるトリビア

広い海で自然生活をしている海洋生物にもそれなりに悩みはあるのでしょうか。

蛸はストレスが高じると自分の脚を齧ってしまうことがあるそうです。

タコの脚は敵に襲われるなどして失っても、再生するそうですが、自分で食べた脚は生えてこないそうです。

外部からの傷は癒されても、自ら作った損傷は残る・・・何かを教えてくれているように思います。

人間は他から受けた小さな傷を自分で大きくしてしまうことすらあります。

楽しくない気持ちを反芻している時は、自分で脚をかじっているのかもしれません。

酢蛸を食べながら自省しました・・・(美味しかったです)

 

****お話・5・疑心暗鬼 (ジャイナ教の絵本より編集) ****

藩王ウダアイはシンデユ(SindhuSauveer)を治めていました。

妃のプラブハヴァティは亡くなりましたが、生前の深い信仰のおかげで女神に転生していました。 

女神は、王がジャイナ教の学びを深めるように見守っていました。

王の最大の願いはマハビーラ様の説法にあずかることでしたが、その願いが叶いました。

尊師がシンデユを訪れ、教えを説いて下さったのです。

深く心を動かされた王は出家することに決めました。

ウダアイの出家に当たり、王子・アブヒッチが王位を継ぐと思われていました。

ところが「王権のような世俗的力を持つことは地獄への入り口だ」とウダアイは思っていました。

王妃の忘れ形見である王子を地獄に送り込むに忍びないと考えた王は、甥のケシを跡継ぎに指名しました。

それに納得のいかない者たちが、王子をけしかけて反旗を翻すように勧めました。

お家騒動?も危ぶまれましたが、アブヒッチは、父王の決定に納得しないまでも争う気持ちを持ちませんでした。

彼はケシの臣下になることも嫌だったので、シンデユを去り、遠くの街チャムパプリに家族と共に移り住みました。

一方、僧になったウダアイは瞑想と平安の日々を過ごし、修行も深まっていきました。

そして彼の心に、精神世界の喜びを故郷の人々にも伝えたいという願いが生まれました。

ウダアイは尊師の許しを受けて、一人旅を始め、シンデユにたどり着くと、郊外の公園に滞在しはじめました。

すると、その徳を慕って沢山の人が公園に集まりました。

その僧がウダアイだと知ったケシは、彼が王位を取り戻しに来たのではないかと疑いを持ちました。

王の権力に酔いしれたケシは宗教心を忘れてしまったのです。

彼は

「ウダアイを公園に滞在させてはいけない」

「ウダアイに食事を施してはいけない」

「ウダアイに宿を提供してはいけない。」とお触れを出し、

「違反した者は財産没収の上、追放する」と付け加えました。

ウダアイは公園を出て街を彷徨いましたが、ケシ王を恐れた人々は布施をしません。

疲れきった僧が街はずれの陶工の家の前に立っていると、女が出てきて

「ここで待っていてください。夫に頼んできますから」と言いました。

女は仕事場に走っていき、夫に僧を供養したいと頼みました。

彼はケシ王を恐ろしく思いましたが、妻の願いを無下にはしませんでした。

陶工夫妻はウダアイに宿と食事を捧げました。

それを知ったケシ王は、もはやウダアイを殺す以外にないと考えました。

ケシは策を練り、供養を装って毒入りの食事を施しました。

ウダアイはそれが毒であると知っていましたが、平常心をもって僧として戒律通りに食し、肉体を去ると同時に永遠の存在になりました。

その出来事は女神プラブハヴァティの知るところとなり、女神の怒りは炎となって、ケシの城下に下りました。

火は大いなる猛火となり、街中が崩れ落ちる勢いとなりました。

その中で、ウダアイを滞在させた家だけは少しの被害を受けることなく陶工夫妻は無事でありました。

***************

王の猜疑心が国に壊滅的なダメージを与えたお話です。

ケシ王は実際には無いことへのストレスに押しつぶされてしまったのです。

妄想に負けて自分の脚を食べつくしたと言えるでしょう。

ジャイナ教の昔話ではやたら詳しく地名が出てきたり、お話の流れに関係ない登場人物の出自まで説明されたりしています。

昔話というより実際に有った出来事や、実在人物の伝記と捉えられているのかも知れません。

地名や人名を全てご紹介してはいませんし、表記に誤りがあったとしたら私の責任です。

ちなみに、タコが自分をかじるのは空腹からだけではないようです。

水槽が狭かったり不快刺激を与えられたりしたタコは、十分な餌を貰っていても齧るといいます。

人間も不安感が多い時には注意が必要でしょう。

ウイルスという見えないモノに不安を掻き立てられながらの巣ごもり生活は動く物としての命、社会性を持つという人間としての自然の制限とも見えます。

それが漠然としたストレスとなっている時こそ

「外に行けないときは、自分の内を観るチャンス」という「瞑想の勧め」が光ります。

お話の紹介が、拙いながら何かのお役に立つことを願っています。

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-ケーンドラ・プレクシャ-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
実習・講義:ケーンドラ・プレクシャ

日時:2022年2月6日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員・講師
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

NPO法人沖ヨガ協会 東日本連合会 令和3年度 第3回 沖ヨガセミナー in 阿佐ヶ谷セレスタ「迷走、瞑想、明想」

*こちらのセミナーは日本プレクシャディヤーナ協会主催の会ではございません*

テーマ:「迷走、瞑想、明想」

講義内容:
■なぜ瞑想が必要なの?
■瞑想ってどうやるの?という疑問に二人の講師がお答えしていきます。
■マインド・フルネスから本当の自分を探っていくプレクシャ瞑想を体験していただきます。
■より良い瞑想の為には体を整えることも大切。沖ヨガ歴40年の真知子が瞑想できる体なる道にあなたをご案内します。
■ヒマラヤの語り部・ちえこが昔話に込められたヨガの知恵を紐解きます。
■自由討議・質疑応答を通してお互いの学びを深めていく時間をもちます。

タイムテーブル:
(1)なぜ瞑想が必要なの? 講義
(2)瞑想できる体になろう 実習 
(3)プレクシャ瞑想とは? その基本理念 講義
(4)プレクシャ瞑想の基本テクニック 講義
(5)プレクシャ瞑想 をしてみよう 実習
(6)プレクシャ瞑想+ヒマラヤ式 実習    
   インド昔話に学ぶ知恵 講和
(7)質疑応答

開催日時:令和4年2月20日(日)13:00~17:00

お申し込み期日:令和4年2月18日(金)まで

講師:まついちえこ

1975年…ロンドン郊外でヨガにご縁を頂く
1978年…沖ヨガ・三上光治先生のアシスタントになる 同時に三島の沖ヨガ道場に年数回・受講生として学ぶ
1979年…沖ヨガ道場にて半年間の週末合宿・指導員研修を受ける ~大手企業・カルチャースクール等で指導
1985年…沖正弘導師のご逝去と自身の転機が重なりヨガ活動から離れる
1998年~ヨガに戻り始め、2006年~国際総合ヨガ(NPO/沖ヨガ協会)のメンバーになる
2007年…プレクシャ瞑想の国際キャンプに参加 ~インド旅11回(主にシバナンダ・アシュラムをはじめ各地ヨガ道場・プレクシャ瞑想キャンプ・内7回はヒマラヤ巡礼から各地へ)

「プレクシャ・メディテーション国際教師」
「日本プレクシャ・デイヤーナ協会・役員」
「OMヨガ会・楽ちんヨガ会主催」
「NPO沖ヨガ協会・講師・役員」
カルチャースクール・学校コミュニティ・自主クラス・海外指導・他、活動しながら学ばせていただいています。

著書「迷走・瞑想・名僧」

 

講師:伊東真知子

子供の頃から虚弱体質で20代の頃に自律神経失調症になり、薬ではなく自分自身を変えるしかないと1980年に沖ヨガに入門。
池袋東部カルチャークラブで武藤誠四郎先生に師事し、現在も同先生に教えをいただく。
アイアンガーヨガ、台湾の洪ヨガ、その他様々なヨガと先生に学ぶ。
自分が変わることにより、心と身体の健康をつかむことができることを伝えたいと、1982年にヨガ指導を始め、マタニティヨガをラマーズ法 助産院にて23年間指導
2007年にインド・ジャイナ教のプレクシャー・メディテーション(知覚瞑想)に出会い、坂本知忠先生に師事。2007年から2019年まで6度の渡印で国際瞑想キャンプとセミナーに参加。
ジャイナ教テーラパンタ派の最高僧 故アチャリア・マハプラギャ師よりHoly name「DYVIA」を授かる。
「ライフアップヨガ学院 指導者認定 第1号 」
「洪ヨガ研行会メンバー」
「日本プレクシャー・ディヤーナ協会 指導士、役員」
「沖ヨガ協会 賛助会員」
「日本マタニティヨーガ協会会員」
スキー、水泳、スキューバダイビング、登山、ヒップホップダンス、バーベルを音楽に合わせて動く筋トレ「グループパワー」を始めて20年。

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コラム[哲学論争]

人は誰しも「なぜ自分はここにいるのか、どこから来たのか、そしてどこに行くのか」という疑問を持っていることと思う。それは、現代人に限らず古代の人も同じ疑問を持っていた。その真実を知りたいと欲する気持ちから、心の働きや意識の状態と現象及び行動によってとらえられる心的過程を追究することが始まった。それを哲学という。

仏陀の唱えた教えも哲学であり、当時の六師外道の思想も哲学である。古来様々な哲学が論じられて来た。すでに哲学は出尽くした感があり新しい哲学もすでにあるものの変形でしかない。宗教が人間としての正しい生き方や倫理道徳観にかかわるものなので哲学をぬきにした宗教はあり得ない。

古代より哲学的に最大の論争になってきた問題は、宇宙は神が創造したかそうでないか、魂はあるかないか、生き物は輪廻転生するかしないかに要約される。

マハーヴィーラや仏陀と同時代、古代ギリシャ哲学が起こった。BC4世紀ごろプラトンもその師であったソクラテスも魂を認め魂は不死であるとして、魂に重点を置く生き方を説いた。近代では17世紀フランスのパスカルも魂は永遠と説いた。20世紀フランスの哲学者サルトルは「神は存在しない、神が自分を作ったのではない。自分の行為と選択が自分を作る」としてマハーヴィーラや仏陀が唱えたカルマ論と同じことを唱えた。

ジャイナ教と仏教は兄弟宗教と言われている。インド古代から続いてきたシュラマナ系の宗教が共通する母体になっているからである。その核心的な哲学は因縁果の法則、カルマ論の共通性であり、輪廻転生論である。違っているのはジャイナ教が仏陀以前からインドにあった「自己・我・魂は輪廻転生を貫く主体であり、認識の主体であり、常住にして不変、不生不滅である」との哲学を踏襲しているのに対して、仏教では魂は無いという考えが主流となっている。仏陀が無記として論じなかった魂が有るか無いかという問題を、後世の仏教徒が仏陀ともあろう人がそんなあいまいなことを言うはずがないとして、魂は無いと仏陀は言ったに違いないと結論づけてしまった。「ミリンダ王の問」。しかし魂は無いとしてしまうと、輪廻転生やカルマ論が論理的に破たんしてしまう。そこで、論理の破たんを繕うために様々な理論を考え出し仏教哲学が難解になってしまった。

それでは仏陀は魂についてどのように考えていたのであろうか。仏陀は魂(我)が有るといえば固定不変な身体と心があると錯覚し、固定不変な自己が永遠に続くという迷いに陥るであろう。無いといえば死んだら無になって自己は断絶するという迷いを深めると言った。

仏陀は現世の私の心身と来世に私が受け取る心身は同一でもなければ、別物でもないと言った。常見(魂は有る)でもなければ、断見(魂は無い)でもない、不常不断を説いた。また、同一でも別異でもない、不一不異といった。つまり、仏陀は心と体は私ではないと非我を説いたが無我(魂は無い)と断言しなかった。仏陀は私とは只、原因と縁(条件)によって成り立っている、だから、因縁がなくなれば私は存在できなくなり滅する(輪廻転生しない)と説いた。この世の全てのものは因縁が揃っている時だけ一時的に存在しているに過ぎないと説いた。迷いの根本原因である無明とは因果律を知らないことである。

仏陀の言う「この世の全てのもので常住不変なものはない」というのは、確かにその通りである。しかし、魂が物質でなくこの世の外側にあると仮定すれば魂は常住にして不変、不生不滅という考えも成立するのではないかと思える。我(魂)が無いなら生前の行為の結果としてのカルマを何が受けるのか受ける主体が無くなってしまう。主体が無ければ輪廻転生論は成り立たない。仏陀はたとえ今生で業の報い(結果)を受けなくとも次生かもっと先の生に必ず結果が現れると説いているのだから、カルマ論と輪廻転生は仏教哲学の根本思想と考えてもよい。仏陀は真実の自己は業の相続者であるとして本当の自己は目に見えない業の流れであると説いた。仏陀はアートマン(魂)という言葉を使わず生命エネルギー(生命力)という特殊な流れでカルマの結実を受ける主体を説いた。

仏陀時代の哲学論争は宇宙とは何か、魂は有るか無いか、神のような他をコントロールするような存在が存在するかしないかなどであった。仏陀は現実実用主義の立場で、考えても結論を得られないような問題に対しては時に、無記として明確に答えなかった。だから、魂の問題もそのように考えるべきであり、魂は無いといったのではないと思う。このことに関して國學院大學哲学科の教授宮元啓一先生は「仏陀は無我(魂は無い)を説いたのではなく非我(心身は私ではない)と説いたのである。」と言っている。私もその解釈に賛同している。テーラワーダ仏教のある長老は「魂は無い、魂を信ずるのは邪教であり妄想にとり付かれている」と自分だけが正しく他は間違っていると極めて傲慢で矛盾だらけの哲学理論を展開している。

当時の宗教哲学にあって仏陀の哲学の革新性はなんだったのだろうか。それは仏陀の「中道」という言葉の中に隠されているのではないかと私は考える。厳しい修行や戒律にたいして、こだわらない、とらわれない、ひっかからないという無執着の考えを取り入れたのだと思う。仏陀の悟りの核心は無執着になること、完全に心が無執着になればそれが解脱であると説いた。従来の解脱の状態のハードルが下がったから仏陀の教団から解脱者が続出したのだとおもう。仏陀は厳しい戒律を意味がないとして立派な衣を纏、建物の中に寝起きし、食事の接待を受けるようになった。中道と無執着をそのように解釈していた。

一方、ジャイナ教は無執着を無所有と同義語に解釈し、出家僧ばかりでなく在家信者も含めて苦行に近い厳しい戒律を完全に守ることを実践していった。戒律(ブラタ)は妥協を許さぬものと解釈され厳しく実践された。

私はジャイナ教と仏教の違いを強調するのではなく、ジャイナ教と仏教は兄弟であり本店、支店であり同じものだと訴え続けたいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/11/30からの転載です)

ジャイナ教の昔話その4:祈りについて(まつい ちえこ)

宇宙素粒子Uを引き付ける力は繰り返される想念で強められていきます。

意識する、しない、にかかわらず、集まってくるUの数や種類を決めているのは自分自身の生き方です
 
「自業自得」といえますが、人々や場所に影響を受けることもありましょう。

「朱に交われば赤くなる」というのも自然の理です。
 
聖地巡礼や徳人との交流を願う人が多いのは自然なことです。

古より人は土地のバイブレ-ションを感じ、Uの力が強い場所を選んで祈りや祭りを捧げてきました。

神社仏閣も気の良い場所が選ばれ、そこに祈りの力が加わったことで聖地となりました。
 
聖人の足に触れるインドの挨拶は尊敬を表すだけでなく、良いUをいただくという意味もあるように思えます。
 
マントラや祈りは繊細な力ですから、Uを集める方法として有効であり、想念を引き上げるだけでなく肉体にも影響を与えます。

祈ったことが成就したり、しなかったりするように思えても結果的には(真我にとって)良い結果が引き寄せられます。
 
気を付けたいのは自分以外の自然をゆがめる願いです。

具体的な目標を持つことは成功の秘訣でありますが自分の都合や欲望によって他者の自由を脅かすものだとしたら、それは祈りとは呼べないでしょう。
 
祈りの逆などはもってのほかです。

「他人を呪えば穴二つ」と言いますが、相手と自分に二つの穴(災い)を掘ることになり、その業・カルマは自分が引き受けるのです。
 
他者への祈りは「往復切符付き」なので、良いこともそうでないことも自分に戻ってくるのです。
 
そうは言っても、祈りは人の理解を超えたところにあります。

真摯な祈りで重篤者が回復した奇跡も多々あるというのに、届かぬ祈りに悲嘆する方もいます。

自分の願いと反することや突然の災いに「なぜ?」と嘆くのは万人共通でありましょう。

また、同じ出来事でまるっきり違う体験があるのはどうしてでしょう。

九死に一生を得た方や成功者は単にラッキーだったのでしょうか。

善人が苦しむ理不尽があるのはなぜなのでしょう。
 
偶然に振り回されるなら、人の思いには意味がないのでしょうか。

そのような人生の悲哀を受け入れ、疑問に答えようと信仰や哲学が出番を待っています。
 
すべて神仏の御心であると達観し、慈悲に自分をゆだねる他力と、自らの努力で道を究めていく自力のゴールはきっと同じでありましょう。

全ての中に救いがあるのだと達観した方には平安が訪れ、出来事を真に理解した方には悟りへの道が開かれる、どちらも最終的には至福に包まれる、とえられています。
 
そこへ至る道はいくつもあり、宗派によって違うマントラや祈りの儀式もあります。

優劣を論ずるより、自分に縁のあったものを正しく理解し、実践していくことが大切ではないかと思います。
 
「神の愛という海にたどり着く川はたくさんある」というスワミ・ヴィベカナンダの言葉は、宗的な諍いへの戒めになりましょう。
 
祈りでは義も形式もない素朴なものが成就し、貧者の一燈が輝くことがあります。

一方、者の儀式や真言に祖師の真や伝承の時間で熟成された力があることも確かです。
 
どちらにしても、宇宙の力と繋がったときに特別な力が働くのでしょう。

インドの神話には、ダルマ・法に則ることで力を得ている魔族までいます。

人間の善悪判断では理解できない宇宙の理があるようです。

それは法則的なもので、祈りは起動スイッチの一つであるのだと思っています。

今日は「祈り」が中心になった説話を紹介させていただきます。

インドで聞いた話ですが特定の宗にだけでなく、いくつかのバリエーションがありそうです。
 
*お話・その4ー幸せな男(語り部:サマニ・ジャイアットさん)
 
海辺に幸せな男が引っ越してきました。
夕刻が近づいたころ、男は一人で浜辺を歩きました。
振り返ると無人の砂浜に二人分の足跡がありました。
 
片方は自分の足跡。
もう一人分は神様のものだと気付いた男は、共に歩いてくださる至高の存在への感謝で心がいっぱいになりました。
その日から浜辺の祈りが彼の日課になりました。
砂浜にはいつも二人分の足跡がありました。
 
ある時、大きな問題がおこり、男は海辺で神の助けを求めました。
振り返っても足跡は一人分しかありませんでした。
神の不在に落胆した男は、家族を残して街へ働きに出ました。
 
孤独で苦しい日々を過ごし、やっと問題を解決した男は海辺の家に戻ってきました。
 
昔を思い出して一人、砂浜を歩くと二人分の足跡が残りました。
 
今になって存在を示した神への不信が湧きました。
「あなたは、なぜ苦しい時に、私の傍にいてくださらなかったのですか?」
 
本音を吐露する男の眼に、突然、数年前の自分の姿が映りました。
白く輝く存在が、ぼろぼろになった彼を背負っていたのです。
 
「砂浜にあったのは私の足跡ではなく、あなたのものだったのですね!」
男は感涙と共に叫びました。
 
順調な時は共に歩き、苦難の時は背負って進ませてくださるのが神だということ。
今までずっと神の愛に包まれていたこと、そして今も包まれていることを幸せな男は知りました。
 
********
(自然は何も隠していない…神を知る者はどこにでも愛を見ると言われています。同行二人…頭ではわかっていても…自分の幸福を本当に知っている人は少ないのかもしれませんね)

読むプレクシャ・メディテーションVol.6-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-

2月5日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.6-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-』を開催いたします。今回は9-12話を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
———————————————

【当日の流れ】
1「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」9-12話を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」(まつい ちえこ著)
9話 個性別だから面白い
10話 三という数
11話 四という数
12話 遊行期



*書籍のご紹介(ご挨拶より抜粋)*
この小冊子は主にインドで仕入れた昔話が基本になっています。昔話だけでなくヒンズー教僧侶やシベリア抑留者の体験談、その他も載っていますが、日本ではあまり知られていない「ジャイナ教」の説話を多く選びました。

【日時】2月5日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、ご購入頂くための決済リンクをお送りいたします。書籍代1200円税込+送料340円税込+発送手数料100円となります。決済完了後、書籍をお送りいたします。

【読み解き人】:まつい ちえこ

プレクシャディアーナ協会・指導士
NPO沖ヨガ協会・講師・理事
OM楽ちんヨガ会・主催
動禅整体師
イギリス留学中にヨガに出会う。
帰国後1977年から沖ヨガ・三上浩二先生のアシスタント。
1979年 沖正弘導師のご縁で、6ケ月週末合宿の指導員研修を受ける。以後大手企業等で単独指導。
1985年 沖導師のご逝去と自身の転機が重なりヨガから離れる。
2006年 ヨガに復帰
2007年 ジャイナ教キャンプでヨガは瞑想であると改めて実感。
インド旅11回(ヒマラヤ巡礼・ジャイナ教研修)
他・国内外のヨガ・瞑想キャンプに参加・自らも合宿を開催。
カルチャスクール・小中学校コミュニティ・個人対応など学びながら指導中。

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

プレクシャ・メディテーション研究会in千葉・本八幡

*プレクシャ・ディヤーナ協会会員が代表を務めるクラスになります。お問い合わせ、お申込みは直接研究会代表迄お願い致します。*

講師に坂本知忠先生をお迎えし、千葉県本八幡でのプレクシャ・メディテーション研究会を開催しています。お近くの方で、瞑想、ヨガを学びたい方がいらっしゃいましたら、ご参加頂けますと幸いです。ご参加お待ちしています。

2025年日程(直近クラス):1/8(終了)、2/5(終了)、3/5(終了)、4/2、5/7、6/4、7/2、8/6、9/3、10/1、11/5、12/3
 *基本は第1水曜日に開催

時間:10~12時

会場:圓スタジオ(住所詳細は申込者の方のみお伝えいたします)
受講料:2,500円
講師:坂本知忠


日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

研究会代表:佐々木小夜子(プレクシャ・ディヤーナ協会 会員)
問合兼申込先:sayo.j.dance728@docomo.ne.jp
*お問い合わせ、お申し込みは直接研究会代表までご連絡ください

 

 

 

 











読むプレクシャ・メディテーションVol.5-「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」を読み解く-

2022年1月8日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.5-「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」を読み解く-』を開催いたします。今回は3章を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」3章(仏教とジャイナ教)を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「坐禅の源流印度へ~プレクシャ・メディテーション随想録~」(坂本知忠著)
3章 仏教とジャイナ教
3-1.ジャイナ教と仏教は兄弟宗教
3-2.ジャイナ教僧侶がしているマスクの意味
3-3.自殺を無くす道
3-4.非対立主義
3-5.利己心と依頼心
3-6.仏教の源流・初期仏教の問題点
3-7.魂を観る瞑想
3-8.魂について
3-9.言葉の力
3-10.プレクシャ賛歌の魅力




【日時】2022年1月8日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、電子書籍をお送りいたします。申込フォームよりお願い致します。
*ドネーションの場合はイベント終了後1週間以内に協会へのお振込みをお願いしております

【読み解き人】:坂本知忠

日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。