宇宙素粒子Uを引き付ける力は繰り返される想念で強められていき
意識する、しない、にかかわらず、
「自業自得」といえますが、
「朱に交われば赤くなる」というのも自然の理です。
聖地巡礼や徳人との交流を願う人が多いのは自然なことです。
古より人は土地のバイブレ-ションを感じ、
神社仏閣も気の良い場所が選ばれ、
聖人の足に触れるインドの挨拶は尊敬を表すだけでなく、
マントラや祈りは繊細な力ですから、
祈ったことが成就したり、
気を付けたいのは自分以外の自然をゆがめる願いです。
具体的な目標を持つことは成功の秘訣でありますが自分の都合や欲
祈りの逆などはもってのほかです。
「他人を呪えば穴二つ」と言いますが、相手と自分に二つの穴(
他者への祈りは「往復切符付き」なので、
そうは言っても、祈りは人の理解を超えたところにあります。
真摯な祈りで重篤者が回復した奇跡も多々あるというのに、
自分の願いと反することや突然の災いに「なぜ?」
また、
九死に一生を得た方や成功者は単にラッキーだったのでしょうか。
善人が苦しむ理不尽があるのはなぜなのでしょう。
偶然に振り回されるなら、人の思いには意味がないのでしょうか。
そのような人生の悲哀を受け入れ、
すべて神仏の御心であると達観し、慈悲に自分をゆだねる他力と、
全ての中に救いがあるのだと達観した方には平安が訪れ、
そこへ至る道はいくつもあり、
優劣を論ずるより、自分に縁のあったものを正しく理解し、
「神の愛という海にたどり着く川はたくさんある」というスワミ・
祈りでは教義も形式もない素朴なものが成就し、
一方、
どちらにしても、
インドの神話には、ダルマ・
人間の善悪判断では理解できない宇宙の理があるようです。
それは法則的なもので、
今日は「祈り」が中心になった説話を紹介させていただきます。
インドで聞いた話ですが特定の宗教にだけでなく、
*お話・その4ー幸せな男(語り部:サマニ・ジャイアットさん)
海辺に幸せな男が引っ越してきました。
夕刻が近づいたころ、男は一人で浜辺を歩きました。
振り返ると無人の砂浜に二人分の足跡がありました。
片方は自分の足跡。
もう一人分は神様のものだと気付いた男は、
その日から浜辺の祈りが彼の日課になりました。
砂浜にはいつも二人分の足跡がありました。
ある時、大きな問題がおこり、男は海辺で神の助けを求めました。
振り返っても足跡は一人分しかありませんでした。
神の不在に落胆した男は、家族を残して街へ働きに出ました。
孤独で苦しい日々を過ごし、
昔を思い出して一人、砂浜を歩くと二人分の足跡が残りました。
今になって存在を示した神への不信が湧きました。
「あなたは、なぜ苦しい時に、
本音を吐露する男の眼に、突然、数年前の自分の姿が映りました。
白く輝く存在が、ぼろぼろになった彼を背負っていたのです。
「砂浜にあったのは私の足跡ではなく、
男は感涙と共に叫びました。
順調な時は共に歩き、
今までずっと神の愛に包まれていたこと、
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(自然は何も隠していない…