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読むプレクシャ・メディテーションVol.12-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-

9月3日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.12-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-』を開催いたします。今回は18-19話を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」18-19話を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」(まつい ちえこ著)
18話 師に仕えること*従順な態度
19話 師匠と弟子*ゆるぎない敬愛・前編/後編



*書籍のご紹介(ご挨拶より抜粋)*
この小冊子は主にインドで仕入れた昔話が基本になっています。昔話だけでなくヒンズー教僧侶やシベリア抑留者の体験談、その他も載っていますが、日本ではあまり知られていない「ジャイナ教」の説話を多く選びました。

【日時】9月3日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、ご購入頂くための決済リンクをお送りいたします。書籍代1200円税込+送料340円税込+発送手数料100円となります。決済完了後、書籍をお送りいたします。

【読み解き人】:まつい ちえこ

プレクシャディアーナ協会・指導士
NPO沖ヨガ協会・講師・理事
OM楽ちんヨガ会・主催
動禅整体師
イギリス留学中にヨガに出会う。
帰国後1977年から沖ヨガ・三上浩二先生のアシスタント。
1979年 沖正弘導師のご縁で、6ケ月週末合宿の指導員研修を受ける。以後大手企業等で単独指導。
1985年 沖導師のご逝去と自身の転機が重なりヨガから離れる。
2006年 ヨガに復帰
2007年 ジャイナ教キャンプでヨガは瞑想であると改めて実感。
インド旅11回(ヒマラヤ巡礼・ジャイナ教研修)
他・国内外のヨガ・瞑想キャンプに参加・自らも合宿を開催。
カルチャスクール・小中学校コミュニティ・個人対応など学びながら指導中。

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-カーヤウサッグ-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
講義:内容当日発表
実習:カーヤウサッグ

日時:2022年7月1日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)
 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

ジャイナ教の昔話その8:Uである私たち(まつい ちえこ)

インドの神話では空(くう)の世界に最初の揺らぎ=バイブレーションOMが現れ、すかさず「それで?」を表す音(振動)が生まれたと言います。

聖なる振動OMは永遠に止むことなく「それで?」が永遠に続き、繰り返されます。

何かが終わっても、それは違うものの始まりであり、常に「それで?」あるいは「それから?」が続くのです。

最初の揺らぎ、バイブレーションは超微細次元の粒子U=無数の煌めきの素となり広がっていきます。

揺らぎは膨張を生み、無数の粒子Uはその一つ一つの内に宇宙(空)を含んだまま集まり、粗雑な世界の構成単位になっていきます。

Uの集合体がさらに集まり、物質世界が生まれました。

Uが宇宙のバイブレーションから発し、宇宙を含んでいるとすれば「全てがUでできていて、全てが宇宙そのものである」ということになります。

もちろん私たちもUの集合体で、なおかつ宇宙に満ちているUに囲まれています。

Uは純粋なものですが、各集合体(個我)は重ねた経験により性格を帯びてきます。

「水が砂糖で甘くなっても、苦いお茶になっても、コーヒーとして香りや色がついても水は水。

同じ水が違ってくるのは加えられたものの違いだけ。

純粋な魂は同じだが、様々なものが付いて個性別になった」とプレクシャ瞑想の坂本知忠先生は例をあげてジャイナ教で[ドラビア・アートマン]と呼ばれる純粋な魂、それに汚れが付いて個性別になった[パーバ・アートマン]の違いを説明されています。

元は同じU であっても、個別の性格を帯びた私たち(Uの集合体)は自分の波動に似たUの粒を空中からひきつけています。

元気な人がより元気になり、そうでない人がより消極的になっていくことが多い理由の一つがここにあります。

確かに「類は友を呼ぶ」のです。

Uを直接語っているわけではありませんが「思い」が経験を引き寄せたお話をおひとつどうぞ。

****お話・その8・学者僧 (ジャイナ教の絵本から)****

あるところに賢い兄と愚鈍な弟がいました。 

二人はアチャリアのもとで出家しました。

兄は立派な学者僧になり、沢山の弟子に囲まれました。

弟子の教育の他、次から次へと訪問者が来るので休む暇もありません。

一方、弟のところには訪れる人もありません。

昼寝をしている弟を見て、兄は思いました。

「のんびり暮らせる弟は幸せだ。私はこんなに忙しくて幸せだと言えるのだろうか。勉学に励んだことは良かったのだろうか」。

ふと起こったこの気持ちは、繰り返し彼の心に湧きました。

その思いを重ねることで兄にカルマができていきました。

兄は学者僧としての人生を終えると天上界に転生しました。

天上界の後は人間に生まれ、再び出家して新しいアチャリアから聖典を教わるようになりました。

アチャリアは三つの聖典を覚えるように言いましたが、三つ目がどうしても覚えられません。

知識を阻害するカルマが働いていたのです。

彼は断食を始めました。

真摯な長い断食によってカルマが浄化されただけでなく、彼の内なる知識の力も表に出てきました。

覚えられなかった第三聖典だけでなく、他の多くの聖典を学ぶことができるようになりました。

単に学び、教えるだけでは、自尊心のもとになってしまう、悟りに向かうために学ぶのだと真から理解しました。

**

(思っていることがそれに「ふさわしいもの」を引き付けている、とこのお話は伝えているのだと思います。沖ヨガ行持集にも後天的な業とは「習慣、癖、記憶の内容」であると書かれています。胃袋の話でも出ましたが、他を羨む傾向のある私たちへの警鐘も含んでいるように思います。

   

コラム[平等心と無差別]

ロシアのプーチン政権が特別軍事作戦と称してウクライナに侵攻してから、2か月近くになる。

強大な軍事力を持つロシアが独善的な理論で、隣国の弱小国ウクライナを力ずくで侵略しているように見える。戦争の大義は侵略しているロシアによって歪曲され欺瞞と妄想、相手の立場を完全に無視した一方的な理屈で始まった。ウクライナの都市は砲弾やミサイルによってぼろぼろに破壊され多くの難民や市民の死者も出ている。戦争は激化と長期化の様相をみせている。

侵略されているクライナ側は既存のメデアのほかSNSなどの情報サイトを駆使し、いかに理不尽な戦争を仕掛けられたか全世界に情報発信し、共感を得ようと努めている。相互に民族のアイデンティティや利害、主義主張が違うので停戦の合意が見いだせないでいる。

21世紀になってまさかこのような理不尽な戦争が起こるとは、多くの人が予想も出来なかったであろう。さらにコロナ禍による世界的なパンデミックも未だに収束を見せていないし、地球温暖化による急激な気候変動も深刻化してきている。また世界的な資源高と食料不足によるインフレの進行が後進国の治安や政治経済情勢を悪化させている。加えてテクノロジーの急発展にモラルが追いついていない負の側面の問題多発など、人類社会には次から次へと試練が襲いかかって来ている昨今に思える。

このような世界に起こってくる様々な問題というのは、実は私たち一人一人の内なる精神性の問題なのである。マハーヴィーラや仏陀が亡くなってから今日まで2500年程になる。その間に人類史上で大きな戦争が10000回あったとも言われている。小さな戦争も含めれば数え切りないほどの戦争が繰り返された。なぜ人間はこのように愚かで間違ったことをしてしまうのだろうか、それは人間が本当の自分を知らないからである。知っていても完全に理解していないからである。

人間だけでなく全ての生き物は利己的な存在なのであり、自分が一番大事で他は二の次なのである。なぜそうなっているのかというと、一人一人の人間の内側の奥深いレベルに、根本欲がインプットされているからである。根本欲は好きか嫌いかの感情であり、心地よいか不快かの感覚である。この根本欲は制御が極めて困難である。この欲があるから私たちは生存出来るのである。もしこの欲が生き物になかったら生命は存在できない。食欲と云う自己保存欲、性欲という自己拡大欲、そして無限自由を求める自由欲が人間の三大欲望となって金銭欲、名誉欲、権力欲などの派生的な欲望を生じさせている。利己的で自己中心的な人間は他人の利益より自分の利益を第一に考える、次に家族や仲間、そして民族や国家と親しみを感ずる順に利害を考える。生き物の心はそのように出来ている。他と利害がぶつかったとき争いはそのようにして起こる。

ホモサピエンスという一種類の生き物でありながら、地球上に80億人に近い人類が生存している。現在に生きている一人の人間と同じものは、過去にもまた未来にもただ一人として同じ人間はいない。似ている人がいても、一人一人はこのように極めて個性的なのである。個性的だから一人一人の命、人生は尊いけれども、個性別と考え小さな違いを強調しすぎるとそこに差別心が生まれる。差別心と利己心、欲望が結びついて競争や対立ができると、不安や恐怖が生まれてくる。恐怖によって暴力的になり、国家間では戦争になる。

人間の心理状態、精神性、アイデンティテイは住んでいる地理環境に大きく影響される。ロシアのような寒い地域では、人々が生活していくために衣食住を調えるには厳しい環境であった。数千年にわたって同族、民族が生き残るために地域で受け継がれた知恵が、国民性として癖ずいている。国民性とは一人一人が刺激に対して反応する癖が、国家レヴェルになったものである。ウクライナ戦争が相互の国民性にもとずいて起こってきたものであることが理解できるだろう。

欲望が行動となり行動が原因となってカルマを引き寄せる。カルマは癖づいた心と体のシステムになり、私たちはそれに縛られコントロールされている。自分は自由に考え自由に行動していると思っているが、カルマが背後でその人を操っているのだから本当の自由ではなく奴隷のように操られているのである。個人のカルマが集まって国家的なカルマも出来てくる。

差別心が消えない限り人類社会に平和が訪れることはないと私は考えている。だから平和のために私たちは一人一人の中に平等心を育てなけならないのである。平等心とは外見は違って見えても命のおおもとで全ての生き物は同じなのだとの哲学を信仰しなければ達成できない。

平等心とは魂レヴェルで平等だということが理解できないと解らない。又、アートマンとカルマの哲学、輪廻転生が理解できないと解らない。物質主義者、共産主義者は宗教を否定するので平等心が乏しい。私たちはカルマの絶対真実のもとで平等なのである。そしてカルマがあるから私たちは自由なのである。もし、カルマや輪廻転生、清らかなアートマンの理論が無かったら平等も自由も平和もあり得ないと思う。残念ながら西洋や中東に起こった宗教哲学、大乗仏教、祖師仏教にはアートマンと云う概念や論理的なカルマ論に言及がないので、完全なる平等と絶対非暴力の理想に到達していないようにおもえてならない。

カルマについて深く考察すれば、全てが自業自得で自分に全責任があることが解る。自分にとって善きことも悪しきことも自分が作り主であることが解る。神のような人間一人一人をコントロールし支配する存在は居ないとマハーヴィーラや仏陀は教えている。全ては自己責任だから自由なのである。起こってくることには必ず原因があって、偶然は無く必然的に起こっているのである。遇然にしか見えないことを神の仕業だと思うのは間違った考え方である。起こってくることの原因が時空のはるか彼方にあるような場合、私たちの能力では原因を見つけるのが極めて難しい。しかし、全てのものには起こってくる原因があり、それが自然法則である。

私たちの生存も生まれてくるのも死ぬのも原因があるのである。原因と結果の法則が因果律であり、カルマの法則である。私たちはカルマによって輪廻転生を繰り返す。ジャイナ教では天界の住人である神々でさえ老死があると教える。

私たちがアートマンとカルマの哲学を理解し、平等心を確立した時、そこに真の友好心が出来る。上座心にもとずく慈悲心や愛を超えた真の平等心が平和の基礎である。完全なる非暴力とはそのことを云う。友好が有れば恐怖が無くなる。恐怖が無くなれば暴力が無くなる。暴力や争いが無くなって平和になる。だから、私たちは常に平等心と友好心を育てなければならないのである。個人個人の平等心に基づく平和が、所属する団体や企業、地域の平和に繋がりそれが国レヴェル、地球レヴェルに広がらないと人類に起こってくる様々な困難な問題を解決することは難しい。

ジャイナ教のテーラパンタ派の僧、尼僧、在家信者は聖人達の教えを讃歌として朝に夕に合唱している。『バーヴァビーニー・ヴァンダナー』は平等心を育むことの大切さを高らかに謳いあげている。また、『アヌブラタ・ギータ』は個人個人の友好、共存、調和、平等を国家レヴェルに広げていくように謳っている。繰り返し繰り返し毎日詠唱することで、平等心と非暴力の心を養っている。私たちは戦争を無くすために、人類史上最も平和な宗教であるジャイナ教に学ぶ必要があるとおもっている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

読むプレクシャ・メディテーションVol.11-「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」を読み解く-

2022年7月2日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.11-「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」を読み解く-』を開催いたします。今回は1章を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

———————————————
プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」1章を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」(坂本知忠著)

序文・瞑想とは何か
1章自分を観る
1-1.過去と現在と未来をつなぐ出会い
1-2.沖先生との出会いが私の生き方を変えた
1-3.自己コントロールの道
1-4.美しき日本刀と非暴力
1-5.欲望とは何か



【日時】2022年7月2日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、電子書籍をお送りいたします。申込フォームよりお願い致します。
*ドネーションの場合はイベント終了後1週間以内に協会へのお振込みをお願いしております

【読み解き人】:坂本知忠(指導ランク:教師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

第123回 / 令和4年度第5回 関西連合会沖ヨガセミナー:誰でも出来て、毎日が楽しくなる「プレクシャ瞑想の実践」

*こちらは協会主催のイベントではございません。お申込みは直接主催者までお願いいたします。

 

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-レーシャ・ディヤーナのバリエーション~マントラを使って~-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
講義・実習:レーシャ・ディヤーナのバリエーション~マントラを使って~

日時:2022年6月5日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)
 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

読むプレクシャ・メディテーションVol.10-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-

6月4日(土)20-21時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.10-「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」を読み解く-』を開催いたします。今回は16-17話を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」16-17話を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「迷走・瞑想・名僧 東大に入るYoga」(まつい ちえこ著)
16話 個人的だけど全体的*ホームレスの神様
17話 神の目・人の目*すべては善いこと



*書籍のご紹介(ご挨拶より抜粋)*
この小冊子は主にインドで仕入れた昔話が基本になっています。昔話だけでなくヒンズー教僧侶やシベリア抑留者の体験談、その他も載っていますが、日本ではあまり知られていない「ジャイナ教」の説話を多く選びました。

【日時】6月4日(土)20-21時(受付開始:19:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、ご購入頂くための決済リンクをお送りいたします。書籍代1200円税込+送料340円税込+発送手数料100円となります。決済完了後、書籍をお送りいたします。

【読み解き人】:まつい ちえこ

プレクシャディアーナ協会・指導士
NPO沖ヨガ協会・講師・理事
OM楽ちんヨガ会・主催
動禅整体師
イギリス留学中にヨガに出会う。
帰国後1977年から沖ヨガ・三上浩二先生のアシスタント。
1979年 沖正弘導師のご縁で、6ケ月週末合宿の指導員研修を受ける。以後大手企業等で単独指導。
1985年 沖導師のご逝去と自身の転機が重なりヨガから離れる。
2006年 ヨガに復帰
2007年 ジャイナ教キャンプでヨガは瞑想であると改めて実感。
インド旅11回(ヒマラヤ巡礼・ジャイナ教研修)
他・国内外のヨガ・瞑想キャンプに参加・自らも合宿を開催。
カルチャスクール・小中学校コミュニティ・個人対応など学びながら指導中。

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

ジャイナ教の昔話その7:包まれている本当の自分・輪廻するのはだれ?(まつい ちえこ)

「肉体を自分だと感じ、大切にすること」は生物として命を守るために必要でありましょう。 
その肉体に包まれているものがいわゆる魂で、肉体は儚いが魂は死なないというのが輪廻転生観のもとになっています。
肉体は食物鞘と呼ばれたりしますが、肉体と魂は鞘と刀身のようにスッパっと別れているわけではないといいます。

前世の身体的特徴が転生後に表れている例をエドガー・ケ-シーも報告しています。
肉体的意識の強さ、潜在意識まで染めた愛憎、強烈な体験の印象などは、転生後の身体&精神的傾向にも影響するようです。

肉体から魂に戻る為には人生を生き切らなくてはいけません。

「心が自分だと思うこと」も自然なことで精神的成長に役立つ概念です。
しかし、魂は転生の度に違う感性を味わったことも知っています。
一生においても心はコロコロ変わります。
どれが私の心なのでしょう。

ともかく、私の、とついたモノは私ではないのです。
私の家族も私の友も私ではありません。
私の体も私の心すら私ではないのです。

私たちは肉体を脱いだ時に自分は魂であったこと、肉体は本当の自分では無かった事を知り、肉体に縛られている間には味わえなかった自由を満喫します。
そして心ですら本当の自分ではないことを理解した魂は、その魂を超えた大きな自由があることを知り、本当の自分=真我に戻りたいと願います。

真我に戻る為には魂として生き切らなくてはなりません。

魂は自らを成熟させて真我に戻りたいのです。
そのために転生していくのです。
自分を個我とならしめている迷いから抜け出す道を魂は歩んでいきます。

地球は宇宙の中では小学校だという例えもあります。
卒業したら中学星に進学するのでしょうか。
その見方で行くと、大学院星を卒業して、地球に教師として赴任されたのが聖人なのかもしれません。

地球は他の星の天国(地獄)だと観るのも面白いです。
「昇天(昇地球)したい」と徳を積む下位星人にとって地球は天上界です。
「悪いことをすると地球に落ちますよ」と諭される上位星人がいるかもしれません。
多次元世界に全てがパラレルで存在するとしたら可能性はありそうです。

地球上に天国と地獄が既にあるとみることもできます。
豊かで安楽に暮らしながら疑獄の苦しみを味わう方、地獄のような環境で天国の愛を体現する方もいます。

今ここ、この一瞬に全てがあるとも言えます。

そして小学生の命と大学生のそれが同等なように、熟成度が違っても夫々が大切な命なのです。

私たちはどの段階にいるのかわかりませんが、全ての魂は卒業して宇宙に還るのです。
何時どのようにしてかの説明は多種にわたりますが「人は悟り(真我)に戻る」と多くの聖典にあります。

「神のもとに集う」「人は神(仏)の似姿である」を意味する表現も多くの聖典に共通してみられます。
「何かを知るということは、思い出すということなのだ」とプラトンも言っていますが、
真我に戻ったとき自分は宇宙と一体であることを思い出すのでしょう。

ここで一休み。短いお話です


****お話・その7・誰かがズルしている?(出典不明)****

ある日、目が言いました「私が見つけた食べ物を手が取ってしまうのはずるいのではないか?」。
手が言いました「私が運んだものを、口が取ってしまうのはずるいのではないか?」。
口が言いました「私が噛んだものを胃が取ってしまう。一番ずるいのは胃だ」。
皆は、食べ物を独り占めしている胃のために働くのをやめようと決めました。

暫くのんびりと過ごしていましたが、目がしょぼしょぼしてきました。
手にも力が入りません。口もおしゃべりが面倒です。
それまで黙っていた胃が言いました「断食してくれてありがとう。
皆さんの栄養のためにずっと働いてきたので、良いお休みをいただきました」と。

色々な解釈ができるお話ではあります。

コラム[自分の生活と幸福感を何と比較するのか]

人は皆不幸を厭い幸福を求めている。

そして、私達は自分が他と比べて幸福なのか不幸なのかをいつも気にしている。私は多くの人が比べている対象が間違っているので、自分を不幸な存在に感じてしまうのではないかと思っている。比べる対象を現代の身近なところを対象にするのではなく、もっと時間も空間も広げて対象を探して今の自分と比べたら、いかに自分が物質的に恵まれて幸せかが解る。物質に恵まれた分だけ、逆に精神的に脆弱になり、心が不幸になっていることも解る。

日常的に感じて捉えている自分を取り巻く世界を瞑想的に広く深い視点で見てみよう。視点を替えて自分が江戸時代の人間で時空を超えて現代に迷い込んだと仮定してみる。

場所は只見の叶津番所

叶津番所の外観を見るとほとんど江戸時代と変わっていない。建物内に入ってまずびっくりしたのは、電気という仕組みだ。指で押すだけで行灯やロウソクの100倍も明るい光が天井から吊り下げられたギヤマンの玉から発せられることだ。又、この電気は目で見る事が出来ないが、紐のような中を通って炬燵の中の箱型の装置の中で炭の代わりに熱を出して暖かくしている。この便利な装置は温度を自在に調整できるので暖かく大変気持ち良い。テレビという驚くべき箱芝居があった。これも電気によって情景が映し出されるのだという。世の中で起こっていることの全ての瓦版が廻り灯篭のように紙芝居のように映し出されるのだ。テレビという装置はとても面白く、あたかもその場所にいるように事件や芝居や祭りが見れるし旅行まで出来る。だから何時間見ていても飽きない。この家には水屋(台所)があるが、とても便利に出来ている。水が水道という金属で出来た筒を通って来て簡単に出したり止めたりすることが出来るし、大雨の後でもとても水が綺麗なのには驚いた。

この家には竈がなく、不思議なガスというものを使って煮炊きしている。ガスは煙もでず、火加減も調整出来るようになっている。点火には付木を使わず、火花を散らすことで一瞬のうちに火が付いてしまう。風呂場に行ってみると、水道とガスをうまく組み合わせて簡単に風呂が沸かせるようになっている。厠に行って驚いた。全然臭くない、便槽がなくて、出した便が全部水で流されてしまう。驚くべきことに便を出すための腰掛けから水鉄砲のように水が出て紙を使うことなく尻を洗うようになっている。

石油ストーブというものがあって油を燃やして暖を取るようになっている。どこにでも簡単に持ち運べるので、暖かくしたい部屋に持っていけば良い。着物は我々の時代と全く違う形で動きやすいし丈夫で暖かい。糸は砿油から作るらしい。それにとても安く手に入る。一日か二日働いた給金で一揃いの衣服が手に入る。草鞋を履いている人は誰もいない。ゴム長靴という便利な履物があった、外から水が染み込まないので、雪の中を歩いても冷たくない。布団はとても軽くて暖かい、綿でなく砿油から作られた軽い糸が中綿の代わりになっている。中綿が軽い羽毛で作られた布団も多く出回っているらしい。羽毛が中綿になった袢纏のような衣類があったが、暖かく軽く水も通さない驚くべきものだ。遠くの人と話す事ができる手のひらに乗る程の大きさの道具は本当に不思議なものだ。どうなっているのかさっぱり見当もつかない。この小さな道具で手紙のやり取りもできるとのことだ。江戸や京、長州で起こっていることが遠く離れていても互いに話すことができるし、驚くべきことに手のひらの大きさなのにテレビのように実際にそこにいるように見ることが出来る。

建物の中で驚いたが外にはもっと驚くべきものがあった。道が3倍も広いのだ。そして、石と油を固めたようなアスファルトというもので敷き詰めてあって、凸凹がなく真平なのだ。その道を鉄で出来た篭のような物が勝手に動いていく。車が前後に四つ付いていて、篭のような中には人が腰掛けられるようになっているのだ。鉄篭を動かす人が一人中にいてこの人が巧みに鉄篭を動かしている。鉄篭は4人乗りが多く中には50人も乗れる家ぐらい大きい鉄篭まである。鉄篭は砿油を燃やして動かしているらしくとても巧妙に緻密に出来ている。只見から江戸まで平らな道は繋がっていて、僅か4時間で江戸に行けるとは本当に驚きだ。鉄篭は殿様の乗り物ではなく百姓、町人、下々の者誰もが普通に持っている。叶津村のどの家にも鉄篭があって、冬雪が降っても、とんでもない形の鉄篭が雪を吹き飛ばし道を除雪して、冬でも江戸まで出かけることが出来る。家々の屋根は茅葺きではなく、只見のような雪の降るところでは薄い鉄の板で葺かれている。鉄板の表面は錆びないように加工されていて滑らかである。雪が降っても屋根から簡単に落ちるように工夫されている。村人は落ちた雪だけ片付ければ良いのでとても楽だ。

役所や寺子屋のような多勢人が集まる大きな建物は、漆喰のようなセメントという石の粉を砂利と水で混ぜ合わせて作られている。石で出来た粉(セメント)を水と砂や小石で混ぜ合わせると、最初は田んぼの泥のようだが数日で固まって叩いても引いても壊れないコンクリートという大変丈夫な物が出来上がる。地震でもビクともしないこの石の建物はとても多く作られている。今や江戸の町ではほとんどがこのコンクリートと鉄の組合せで出来ていて、お城の天守閣よりはるかに高く大きい建物が隙間なくぎっしり建っている。高さは70階建て80階建てなのでびっくりだ。

百姓が米を作りたがらない。米は異国から安く買えるし、油で動かす鉄製の巧みな道具で田植えしたり刈り取りするので、楽に沢山できて国じゅうで余って処理に困っている。貧しい百姓には年貢がないので暮らしは楽だ。稼ぎが少ない人や体の不自由な人、年寄りには年貢免除だけでなく、お上からお助け金が貰える。誠に羨ましい。

食べ物は不思議なものが沢山ありどう説明したらいいのか解らない。酒の種類も豊富でどこでどう作られているのかさっぱりわからない。私が神隠しにあって迷い込んだ世の中は孫の孫が暮らしている世界だったらしいが年号で言うと平成26年ということだった。元の時代に戻っても誰も私のいう事を信じないので、神様から許可をもらってひとつだけ宝物を未来から持ち帰って来た。これがほらゴム長靴だよ。

叶津番所の役人だった保左衛門は、村人から夢物語を語るホラ役人、ホラ役と呼ばれて当時の人々に愛され親しまれた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2014/7/31からの転載です)