コラム:日本文化の精髄・露天風呂

夏休みに上越国境に近い群馬県の山の中にある、二軒の秘湯温泉宿に泊まった。初日に泊まった宿は 「たんげ温泉美郷館」、この宿は5年前の正月休みに一度泊まったことがある。和風木造の日本情緒あふれる建物の雰囲気や露天風呂の作りにすっかり魅せられてしまった。そのときは外気温が寒くて、お湯の温度がぬるかったので、もう一度次回は夏に行きたいと思った。今夏、再訪して感じたのは、6か所ある浴場の作りがいずれも上手にできていて高い美意識と完ぺきな芸術性を感じた。地元の林業会社の社長が趣味で凝りに凝って作ったとしか言いようがない、手の込んだ作りになっている。渓流沿いに露天風呂は3か所あって、うち一番大きなものは、使われている石も大きく上手に石組みされている。このような形よく美しい大きな庭石をどのように集めたのだろう、さらに現地で庭園にするために石組みする技術にもすっかり感心してしまった。銘庭と呼ぶにふさわしい石組みの露天風呂に温泉が掛け流されている。露天風呂から望む渓谷の流れも美しい。客室は18室しかないのでウイークデイに泊まればすいていて、どの浴室も貸し切りのように入れる。自然の中に融合して、まったく違和感のない人の手でつくられたこの露天風呂に入るとき、日本人に生まれた幸せをつくづく感じた。美郷館は平成3年に開業した比較的新しい温泉宿である。露天風呂の設計や施工は多分群馬県内の業者が携わっていると思われるが、その技術力の高さは称賛すべきものである。

二日目に泊まったのが法師温泉長寿館、新潟県境の三国峠に近い山中の秘湯だ。長寿館は40年前、50年前の若いころに2度泊まっている。昔ながらの鄙びた風情を感じさせる「法師の湯」は、湯船が4つに仕切られた大きな木造の浴場である。湯船は川底につくられているので足元は卵大の大きさの川原石が敷き詰められている。湯船の底の丸石の隙間から新鮮な温泉がふつふつと湧き上がってくる。印象深いこの温泉にもう一度入りたくなって二日目の宿に選んだ。40年ぶりに訪れた法師温泉は新館が増設されて旅館の規模が大きくなっていた。旅館の玄関や囲炉裏の間は全く昔のままだった。昔の雰囲気を壊さずに守り残そうとしている旅館の経営方針に共感を覚える。建物も浴場も綺麗に掃除され磨きこまれて清らかである。前回は本館に泊まったが今回は法隆殿に泊まった。混浴の時間帯だったが家内を誘って、法師の湯に入った。湯船を仕切るように置かれた丸太を枕にして体を湯に横たえると全ての筋肉から緊張が抜け出ていった。はじめ我々二人だけだったが、一人二人と男性が入ってきた。昼間でも薄暗い、広い浴場に数人だけしか入浴していないので、のんびりとした気分になる。丸太を枕にあお向けになって浴場の太い丸太の小屋組みを見ていると、身も心もリラックスしていった。

時間制で男女別の入浴時間をもうけている「玉城の湯」は近年、新しく作られた法師温泉の名物風呂である。内湯と露天風呂に分かれている。内風呂から望む露天風呂の景色が実に美しいが、さらに外の露天風呂に出てみて驚嘆した。この露天風呂に使われている石が形も色も模様も銘石ばかりで、大きく存在感があり、実に巧みに石組みされていたのを見たからだ。どうやってここまで運んだのだろうかと思うほど巨大な石の上から温泉の湯が滝になって落ちてくる。玉城の湯の露天風呂に入って、使われている石を触ったり石組みを見ていると日本人はなんて素晴らしいのだろうと思う。翌朝、滝となっている石組みの大石を後ろから見てみたいと思って散歩に出た。背後から大石の石組みは良く見えなかったが、小さな石碑があって「法師温泉 長寿館 玉城の湯 露天風呂造園工事一式施工 平成12年7月設計・濵名造園設計研究室 施工・群馬庚申園株式会社」 と彫られてあった。

法師温泉に向かう途中時間があったので、旧三国街道の宿場だった須川宿にいった。須川宿は宿場町全域を「たくみの里」というコンセプトでテーマパークのような町づくりをしていることで知られている。その町はずれに桃山時代創建と伝わる曹洞宗の古刹泰寧寺がある。山門と本堂の須弥檀が県の重要文化財になっている。泰寧寺はアジサイと蛍の名所で、地元にも人気の寺らしい。山門の前には小さな川が流れている。村道から川に降りて砂防堰堤と一体に作られた橋をわたって対岸に作られた石段を登っていくと立派な山門が現れる。山門をくぐりさらに少し上ると本堂の立つ境内にでる。鐘楼もあり趣ある山寺である。ここで私が興味惹かれたのは山門でもなければ、石段や山門の石垣でもない。堰堤と橋を中心にした回遊式庭園の石組みである。寺に向かう橋は砂防堰堤の落ち口に堰堤と一体的にコンクリートで作られている。コンクリートであるが太鼓橋のように優美に緩やかに中央を膨らませて作られている。シンプルなデザインであるが趣がある。コンクリートの橋は苔むして古びた良い雰囲気を出している。橋の下が堰堤の落ち口になっていてそこから流が滝となって落ちている。堰堤の上流は池になっていて池の水際から上手に石組みされている。人間が作ったとは感じさせないほど自然と同化している。堰堤の下流の巨岩の石組みは驚嘆すべき巧みさである。堰堤を落ちる滝はどう見ても自然に落下している滝に見える。庭園なのだがどう見ても自然風景になっている。神の手が加わったかのように自然風景を超越した完璧な調和の石組みとなっている。こんな巨大な石をどうやって運び入れ、どうやって組み立てたのだろうか本当に素晴らしい。指摘されなければ人工物とは気づかない。そのような、石組みの中に座禅に手ごろな平らな大石がいくつも配置されている。その一つに座ってみた。私の心の奥深くから、深い感動が湧き起ってきた。この庭園を設計した名もない造園家、施工した名もない職人の美的感覚の凄さがわかった。泰寧寺はこのような立派な庭園を造れるほど裕福な寺には到底思えない。多分街づくりの公共工事の一環としてなされたものであろう。寺の住職か公共工事にかかわる誰かが発案したのであろう。真相がわからないのでどのような経緯でいつ頃、この庭園が造られたか調べてみたいと思う。

自宅に戻って泰寧寺のことをいろいろネットで調べてみた。沢山の記述投稿があったが、この庭園を称える記述や、誰がいつ作ったかについて触れた文章は皆無だった。評価されないのか、忘れられてしまったのか私には解からないが、この庭園こそ真に価値ある文化財である。思い起こせば自然に流れていた川に庭師が手をいれて、庭園のようにしてしまった川を私は過去にも見ている。一番印象に残っているのは厳島神社の側を流れる「紅葉谷公園」である。谷の石組みは庭師が組んで調和した理想形に作られている。もみじ谷はよく観察しないと人間が作ったものと感じさせないほど自然に溶け込み、人工的な不自然さを感じさせない素晴らしい渓谷になっている。

奥多摩の御岳山近くのロックガーデンも自然の谷に人工的な手を加え、さらに自然美を整えたものである。大型建築機械が入れないような場所で自然の雰囲気を損なわないように大きな石をたくみに組み合わせ人が歩きやすいように整えている。大きな石を適材適所に配置した技術に驚嘆する。

伊豆半島の湯ヶ島温泉に白壁荘という温泉宿がある。宿の敷地から掘り出された巨石をくりぬいて露天風呂の湯船にしている。この巨石の湯船がユニークでみごとである。石庭の美しさ、敷地内の巨石の石組みや、露天風呂の石組み、銘石など日本の石の文化を堪能したかったら山梨県石和温泉「銘石の宿・かげつ」に行くと良い。石庭が好きな人にとって「銘石の宿かげつ」はたまらない魅力の宿である。

私は石庭や露天風呂の石組みだけでなく、城の石垣が好きである。石垣を見ていると古く忘れられた記憶は過去生まで辿れるような気がする。私が興味惹かれるものは石や石で作られたものである。石灯籠や石仏なども大好きだ。河原の石が私に話しかけてくる。路傍の石が私に話しかけてくる。石とだったら私はいろいろ話ができる。20歳のころ造園家になりたいと思ったことがあった。自分の中に熾火のように残っている「かくありたい」を探るとき来世で私は造園家を仕事に選択するような気がする。近いうち、静かな時を選んで再び泰寧寺の渓流庭園の坐禅石に坐って瞑想してみたい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/9月第65号からの転載です)

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