コラム:虫たちのこと

プレクシャ・メディテーションの終わりに、「自分の内側に真実を探しましょう。そして全ての生きもの達と仲良くしましょう。」と毎回唱えている。全ての生きものには当然害虫も含まれる。果たして私は害虫と仲良く出来るのか考えてみた。

家内も子供たちもあまり虫が好きでない。嫌いなので見ることも触ることも嫌がる。私の家族は、子供が好きなカブトムシやトンボもあまり好きではないらしい。私は子供のころから虫に親しんでいるのでどんな虫でも特に嫌いではない。ヤンマやカブトムシ、玉虫、カミキリムシ、トノサマバッタなどは子供のころ良く捕まえて遊んだので好きな虫である。子供のころ稲田でイナゴの大群をみた思い出がある。沢山捕まえたイナゴをどうしたか覚えていないが佃煮にして食べたのかもしれない。

小学生のころ夏の終わりに、ある日突然、家の周りに無数の赤とんぼが飛び回っていた。母親に針に糸を通してもらって虫網で捕まえた赤とんぼを針糸に刺して、赤とんぼのレイを作ったことがある。なんて残酷なと今の若者は思うだろう。私が子供だった頃はおもちゃがない時代だったから、遊びも自分で工夫しなければならなかった、虫たちは良い遊び相手だったのである。虫にしてみれば人間の子供は天敵だっただろう。

昆虫と虫は厳密には違う。昆虫の定義は動物界に属し節足動物門、昆虫網に分類される。節足動物門とは外骨格、つまり鎧のような固い外皮でその中に筋肉が詰まっているものをいう。エビやカニやダンゴ虫のようなものを思い浮かべればよい。それに対し、脊椎動物は部分部分の中心に骨が通っていて、その周りに筋肉がついているので、体のつくりが全く違う。昆虫は大まかに頭部と胸部と腹部で
体が出来ている。頭部は食べ物をとるための機能が集まっている。そこには目(複眼と単眼)があり、触覚があり、咀嚼のための口や吸引器が付いている。胸部は三節になっていて、そこに1対ずつ計6本の脚がある。腹部は10節に分かれていて、消化器や生殖、産卵、排泄の機能が詰まっている。昆虫の胸部には2対の翅があって99パーセントの昆虫は飛ぶことができる。飛べない昆虫は少数派である。また、昆虫の80パーセント以上が変態する。変態とは幼虫から繭の時期を経て全く異なる成虫となる。完全変態(卵・幼虫・繭・成虫)繭(蛹)にならずに成虫になるものを不完全変態という。蝉やトンボ、カメムシなどは不完全変態である。蜘蛛は脚が8本で頭部と胸部が一体化しているので昆虫ではない。ムカデは各節に1対ずつ数十の足があるので昆虫ではない。その他にダンゴ虫、ヤスデ、ダニ、サソリが昆虫でない虫である。

私も昆虫に含まれない虫はあまり好きではない。昆虫も2、3匹と少なければ不快ではないけど大群になるととても不快感が起こる。季節感がはっきりしていて、自然環境が豊かな只見は当然昆虫が多い。只見で毎年、大量発生して暮らしに影響を与えているものにメジロアブとカメムシがいる。カメムシは卵から幼虫になり蛹や繭にならずにそのまま成虫になる。カメムシは夏に成虫になり、秋の晴れた日に越冬のために大挙して人家に入ってくる。壁や網戸の隙間から侵入して、さらに押入れの中、布団や毛布などの隙間に潜り込む。本を取り出そうとすると本棚の奥に数十匹のカメムシが身を寄せ合って潜んでいることもある。そのままにしておいても害を及ぼすことはないのだけれど、触ると臭いので、許せなくてつい外へ掃きだしてしまう。カメムシは10月中旬ごろ人家に入り、越冬して5月の中旬温かく晴れた日に戸外に飛び出していく生態をもっている。体力を使い切って越冬できなかったものはカラカラに乾燥してミイラになって、ちょっと触れるだけで粉々になる。カメムシは危険を感じるととても臭い体液を放出する。カメムシの体液がちょっとでもかかると食べ物はまずくなってとても食べられたものではない。メジロアブは8月の中旬に水のきれいな渓流に大量に出現して、人間をこまらせる。里にも出てきて噛みつかれるととても痛い。昆虫にたいして完全なる非暴力を実践するなら、やはり、人間生活に多大な影響を及ぼす昆虫の生息域に居住しないことである。また、害虫被害で困る農業にも従事しないことが良いこととなる。魂の輪廻転生を信じるジャイナ教徒は何が何でも絶対に非暴力を貫くことを義務づけられている。非暴力は不合理でも絶対的なものであり妥協は全く許されず完全に履行されなければならないのである。昆虫を殺すことなどもってのほか、いじめることすらしない。鳥インフルエンザに罹った鳥を全て殺処分することなどジャイナ教徒には考えられないことなのだ。

昆虫は子孫を残すことだけが生きる目的である。そのために生まれて死ぬ。人間のように脳が発達していないので、考えることなく、刺激と反応系が直接つながって行動している。体が小さいので重力の影響が少ないから、ハエなど敏捷なものや蚤などは跳躍能力に優れている。昆虫は生きている機械と言ってもよい存在に思える。これから人間はさまざまな用途で昆虫型ロボットを作るに違いない。

カメムシを愛することが出来るようにと、いろいろ観察しているうちに、ふとあることに気づいた。カメムシを上からよく見ると6角形の形に見える。そして昆虫の脚が6脚だということが、バクテリア・ファージと呼ばれる細菌ウイルスの姿に共通性があるのではないかと思った。

ウイルスは鉱物特有の結晶の側面があり、細胞がないので生物とはいいがたいが、自己増殖するので一応生物としてみなされている。ウイルスの一種、バクテリア・ファージは細菌に感染し菌体を溶かして増殖する。バクテリア・ファージは機械的な6角形構造をしていて6脚の足がある。カメムシに良く似ている。カメムシは植物の栄養素をストローのような口で吸引しているが、バクテリア・ファージは脚のような尾部からRNAを細胞に注入する。侵入したRNA(リボ核酸)は細胞内で自分のコピーをどんどん作り出す。作り出されたウイルスの構造物は外に飛び出し、また別の細胞に侵入する。細菌ウイルスの6角形構造物は昆虫の外骨格に極めて構造が似ているようにおもう。

ウイルスも昆虫も生きる目的は自分の遺伝子を存続させることだけである。ホモサピエンス・人類の歴史は16万年前からであるといわれる。人類は地上に栄し大都会を築き、今では地球は人類の惑星といった位置を占めているけれど、地球が人類の惑星となったのはたかだか近、数百年に過ぎない。昆虫の出現は4億年以上前のことである。植物が地上に進出した初期段階で昆虫が登場したのだと思う。その時、宇宙空間から生命と鉱物の中間であるウイルスが胞子のように地上に降り注ぎ昆虫誕生に影響を及ぼしたのではないかと私は考えている。鳥や翼竜よりもずっと以前、昆虫が地上の生き物として最初に空を飛行したのである。その飛行能力によって、広く生育域を拡大し、環境に適応して生き残るために様々に工夫、進化した結果、今では1000万種以上に分化している。たった一つの種である人類が滅亡しても地球はさまざまな昆虫の惑星であり続けるだろう。

日本のカメムシだけで55科に分類され1000種以上に上る。我々の遺伝子をさかのぼれば昆虫からさらに先まで、魂の輪廻転生を遡れば昆虫として過ごした時もあったのかもしれない。昆虫の生態を観察すれば、昆虫もかくありたいと意志をもって生きていることは間違いない。カメムシの身になっていろいろ考えれば、仲間のような親しい感情が起こってくるのである。

<著:坂本知忠>

(協会メールマガジン2017/1月第68号からの転載です)

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