プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

はじめまして、谷内健太郎と申します。

この度は自己紹介の機会を頂き誠にありがとうございます。

坂本先生に指導士の認定を頂きましたのでこれまでの経緯をお伝えさせて頂きます。

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大学に入った当初は心や脳の研究をしたかったのですが、現代科学でその本質を研究することはとても難しいと思い進路にとても悩んでおりました。その時に新しい道を探そうと思い、自己啓発の本や占いの本をよく読んでいました。その中に輪廻転生を解説したエドガーケイシーやシュタイナーの本があり、かなり影響を受けました。カルマへの理解はそこから始まりました。

シュタイナーが菜食の方が欲望を克服しやすいと解説していたのでその時から菜食を徐々に試すようになりました。どうやら私の体には動物性の物は重たかったようで消化が軽くなって動きやすくなったため、菜食を続けることになりました。

それだけでなくスピリチャルなことを科学的に研究した本山博先生の本を読みクンダリーニヨガの会にも出たりしました。そこから徐々に霊気などのエネルギーワークやTM系の瞑想を習い始め、繊細なエネルギーへの体感が徐々に深まっていきました。

当時の瞑想の先生の紹介でインドのヒンドゥー教の聖者に会いに南インドのアシュラムに行くことになりました。はじめてのインドはかなり衝撃でしたがカオスで自由な雰囲気に魅了されてしまいました。その聖者はマントラ行やインド風水が得意で私もその当時はマントラ行のために本格的に菜食をしたり、風水で家を整えました。

ところが、突然その聖者が亡くなってしまってインドへの道が一時中断してしまいました。

そのころ私の研究室の友達がインド占星術を習っていてその関係で私も見てもらいたいと思い彼の先生のインド占星術の鑑定を受けることになりました。

実はこのインド占星術の先生がジャイナ教の聖者に師事をしており私のジャイナ教への道のきっかけとなります。

インド占星術に感銘を受けた私はその先生と仲良くなり、インドツアーに参加することになりました。そこでジャイナ教のムルティプジャカ派のアーチャリーに初めて出会うことになります。そのアーチャリーに祝福をしてもらった後一日中体の熱が冷めずに法当たりと呼ばれる現象が起きたのです。お寺を持ったり、プージャをするという点でテーラパンタ派とは違いますが、ジャイナ教の純粋性を感じ衝撃を受けました。

帰国してからも私の純粋性を求める思いはどんどん募り、神戸のジャイナ教寺院が実家の近くにあったので毎週通うことにしました。ジャイナ教のことをさらに知りたいと思い、様々なジャイナ教のお勉強を進めていく中で坂本先生の「勝利者の瞑想法」と出会うことになります。ただプレクシャー瞑想を習うのに東京だと遠くて通えなかったのでいつか習えればよいな~、という風にあきらめておりました。

しかし、2021年にパートナーの都合で横浜に住むことになり、これはチャンスだと思い、指導士養成講座に通い始めました。それまでは本を読んで見よう見まねで少しやってみましたが、実際のプレクシャー瞑想は全然違うもので、やはりこういったものは習熟した先生から直接習うのがとても大切だと痛感しました。もちろん瞑想法が体系立っているだけでなく先生の瞑想への思いや深さ、純粋さを体感として得たのでこれは素晴らしいと思ったのです。

そんな中、坂本先生の講義の中で中途半端な非暴力は暴力となる、というのがとても胸に突き刺さりました。自分が非暴力を頑張ってやっているつもりが人に正論を振りかざして押し付けている時点で全然非暴力的でないということに気づいたのです。

瞑想やマントラで修行をしている自分は偉くて、してない人は偉くないという差別的な見方をしていたのです。ジャイナ教の平等心からはほど遠いなと、その時、痛感しました。

そして去年、インドキャンプに行くチャンスを得て本場でプレクシャー瞑想を体験しましたがやはり本場というだけあって瞑想体験はさらに深かったです。それだけでなくお坊さんたちの托鉢の様子や段ボールで寝ている様子を身近に見れてとてもその純粋さに衝撃を受けました。

そしてアチャリアに質問した時に非暴力は殺すだけでなく、人を傷つけることを言ったり考えたりすることもよくない、ということを聴き、まだまだ自分はできていないな~、と実感できました。それと同時にアーナンダという至福が本質的に大切なのだということが賛歌を歌う中で実感できたのも良かったです。僧侶たちと一緒に歌っている時にハートが暖かくなるのがわかりました。魂の本質は喜びなのであり、自分を罰することではないと改めて理解しました。

その後、帰国してからオンラインで受けた本部のティーチャーズトレーニングではジョーティーケンドラの瞑想の重要性を再認識しました。瞑想をするとエネルギーが高まってくるので、それを最後に鎮めないと他人に良くない影響を及ぼしてしまうとのことでした。

それはインドの行者が瞑想の邪魔をされ、キレるということが昔から気になっていたので、なぜ聖者がキレるのか?というのがジョーティーケンドラの瞑想をしていないからだとわかってかなり腑に落ちたのです。

逆にプレクシャー瞑想で最後にジョーティーケンドラに意識を持っていくことで、できる限り平和な気持ちで瞑想を終えられるという流れが、とても素晴らしいと思いました。

日々、瞑想を行い賛歌を詠唱し、マントラを唱えることで人生がどんどん軽くなっている実感があります。

プレクシャー瞑想に出会えたことがとてもありがたいと思っております。

このような機会を与えてくださった坂本先生を含め、プレクシャー瞑想を支えて来られた

スタッフの方々には大変感謝申し上げます。

(2023年9月142号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

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