コラム:アートマン 魂 本当の自己とは何か

私達は皆、『なぜ自分という存在(肉体や意識)がここに居るのだろうか。』あるいは『生きているという自分の根本的な仕組みが、何処から来て何処へ行こうとしているのだろうか。』 と考えたことがあるのではないでしょうか。つまり魂は存在するのか、生命は輪廻転生するのか、という形而上的問題について考えたことがあると思います。私は長い間、魂の存在や輪廻転生について疑問に思っていましたが、身近にその問題を解りやすく教えてくれる人がいなかったので、まったくの手探り状態で一人で探求していくしか方法はありませんでした。

幸い現代は古今東西の宗教哲学や聖者の教えが書物になって沢山出版されているので、疑問に思ったことをいろいろ比較検討することが出来ます。私はそのような書物を数多く読んで、先人たちの教えを比較検討してきました。さらにジャイナ教僧侶の講話を聴き深く考察することを重ねて、だんだん魂について理解を深めてきました。

魂とはなんでしょうか。魂の定義は『永遠で不変の実在』であるということです。私たちの生きているこの3次元+時間の物質世界は全てのものは変化してしまうから、永遠で不変なものは存在しません。ですから魂はこの世の次元を超越した、非物質のものだと考えられます。物質世界だけを論じようとすれば、魂はどこにもないということが出来ます。BC8世紀ごろインドに現れた哲人・ヤージュニヤヴァルキヤは、目には見えなくとも、この世のあらゆるものの中にアートマン(魂)は浸透している。しかしアートマンである自己(認識主体)は自己(認識対象の魂)を認識することはできない、と説きました。ヤージュニヤヴァルキヤの説はその後のインド哲学思想の源流となったのです。

形而上的な論争を避けることの実用性と現実性を重視することから、仏教は非物質的な考え方や魂・アートマンについて、言及を避けてきました。仏教では魂を説明することもなく、魂についての定義もありません。しかし、仏教と同じく古代インドに起こった宗教のジャイナ教やヴェーダンタ哲学は魂について詳しく説明し定義しています。ヴェーダンタ哲学はヒンドウ教の拠り所となっている古代インドの哲学です。魂について深く知りたいと思うなら、ジャイナ教やヴェーダンタ哲学を勉強するしかありません。

魂を信ずる人達は、世界を物質だけの世界とは見ていません。私たちの存在を物質やエネルギーだけでなく、非物質的なものを含めて重層的な存在であると見ています。つまり身体とは肉体だけでなく、肉体よりも微細な物質の電磁気的なエネルギー体があり、その奥にデーターベースになっている最微細物質が関与した原因体があり、最奥に非物質の魂であるアートマンが存在していると見ています。

多重的な身体の見方はさまざまなバリエーションがありますが、概ね3つの身体と魂の4層構造になっているというのが、ジャイナ教とヴェーダンタ哲学で共通の見方です。

ヴェーダンタ哲学では1.肉体をストゥーラ・シャリーラ(粗雑な体)、2.生命エネルギーと感覚と心、知性、記憶で構成された精妙な体をスークシュマ・シャリーラ、3.自我意識の体であり原因の体であるカーラナ・シャリーラ、4.アートマン・魂、に分類します。

ジャイナ教では1.肉体 2.電磁気体であるテジャス・シャリーラ 3.原因体であるカルマ・シャリーラ(純粋なる魂にカルマ的物質が付着して構成された体)4.純粋なる魂・ドラビア・アートマン に分けて考えます。

このように比較してみると、身体の考え方や魂についての考えがジャイナ教哲学とヴェーダンタ哲学では共通していることがわかります。

魂は非物質であることが共通した概念です。非物質的なものの特徴として魂を定義付ければ、始まりもなければ終わりもない、無始無終である。成長もなければ衰退もない、永遠不変である。何時でも何処にでも有り、全てのものの中にあまねく充満していて、偏在遍満である。時間や空間、次元を越えていて無限のものであると言えます。

一方、魂でない物質的なものの特徴は、始まりがあり終わりがあって、変化するものである。成長もあり衰退もある、一時的で有限なものである。時間と空間に制限されていて、同じ時間に一つのものが別々の場所で存在することは出来ない。魂以外の3つの身体は一時的で変化してしまう無常なものであると言うことができます。諸行無常とは物質世界に適用される真理であって、魂には適用できません。

非物質である魂がどうして生命をもち身体を持つようになったのか、ジャイナ教は次のように説明しています。本来純粋なる魂であるドラヴィア・アートマンが、ここにも有る、あそこにも有ると偏在している微細な原因物質であるカルマと結びつくことで、汚染された魂・パーヴァ・アートマンになる。パーヴァ・アートマンは輪廻する魂であり、輪廻する魂のことを称してジーヴァという。地球だけでなく宇宙には沢山の生命体が存在していると考えられるが、その生命体の基礎は汚染された魂のパーヴァ・アートマンである。生命体が魂の汚れ(パーヴァアートマンについたカルマの汚れ)を払しょくして純粋になれば(ドラヴィア・アートマンに戻れば)輪廻転生しなくなる。それが解脱でありモークシャという。全ての生き物たちの長い旅路の最終目的地はモークシャになることであり、モークシャになることが人間として生まれた理想である。モークシャのことを全知全能、完全なる自由、無限の愛と至福の状態という。

仏教ではモークシャ・解脱・もう生まれない死なない、ことをニルバーナ・涅槃寂静という。ニルヴァーナーとは吹き消してなにも残らない深い沈黙の世界、無の状態である。全知全能とか至福の状態はないとする仏教の考え方は、虚無的で暗く無気力になる恐れがあるように私には思える。

ヴェーダンタ哲学では魂の2面性をシッダ・アートマンとジーヴァアートマンに分けて考えている。シッダ・アートマンは唯一の神であり普遍的な梵である。これをブラフマンという。シッダ・アートマンから分かれた小さな分身のような個我が迷いのうちに、自分の真実の姿を見失っている状態が我々生き物であり人間である。迷いの状態にあるジーヴァ・アートマン(個我)が迷いがなくなり、実は自分はシッダ・アートマン(真我)なのだと解ることが梵我一如で、神との合一であり、解脱であり、このことをカイヴァリアという。

輪廻転生、因果律、魂の法則を解りやすく合理的に説いているのはジャイナ教哲学だと思うようになってきた。魂にどうして汚れが付くのか、それは心に思い、考え、行為したからである。思い考え行為したことが魂に物質的な汚れのカルマ惹きつけて付着する。そのカルマが原因となって我々に様々な結果をもたらす。我々が今このような場所、このような姿、境遇に存在し幸不幸を受け取っている原因の根本は、魂に着いたカルマの汚れや、汚れによって傾向づけられたサンスカーラという力が作用しているのである。私たちはカルマに縛られ操られている限り真の自由はない。我々はカルマにコントロールされ奴隷になっているようなものだ。魂の汚れを取り除き、純粋なる魂になるのがジャイナ教の修行であり、プレクシャ・メディテーションの目指すところである。それが究極の自己コントロール法である。

魂の汚れとは、例えれば汚れた水のようなものである。水はH2Oで水素原子2個と酸素原子1個が結びついて出来ている。水素はこの世(宇宙)で一番質量の多い物質である。酸素は三番目に質量が多いことから宇宙には広く水が普遍的に存在していると考えられる。水は非常に優れた溶解力を持つので、いろいろな物質を取り込むことが出来る。地球の自然環境の中で水は完全に純粋な形でほとんど存在しない。雲や渓流も何らかの形でミネラルなどを含んでいる。純粋な水は工業的に人工で作り出すことが出来る。私たちが飲んでいる飲み物はさまざまな種類があるけれど、その飲み物は実は全て汚染された水なのである。お酒はお酒になる成分が汚染物質となって溶け込んだ水なのだ。牛乳も牛乳という汚染物質が溶け込んだ水であり、味噌汁も味噌や他の具材によって汚染された水である。コーヒーも爽健美茶もビールもオレンジジュースも皆、我々が飲み物として摂取しているものは汚染された水といってよい。水の中に溶け込んだ汚染物質が飲み物の個性になっている。同じように普遍的な魂の中にいろいろな種類のカルマの汚れがついて輪廻する生き物、人間一人一人の個性になっている。汚れが違うから違う形で存在しているのである。

飲み物から汚染物質を取り除けばH2O、純粋な水になる。同じように魂から汚染物質であるさまざまなカルマを取り除けば純粋なる魂・ドラヴィア・アートマンになる。それがモークシャであり全ての人間に課せられた最終目標である。魂を純粋にすることは大変な努力と困難を要するが、より良い魂、より良い個性と人格、より幸せになることは今日からできる。それには、プレクシャ・メディテーションを継続し、日常生活を通じて因果律を信じ、真のカルマヨガを行うことである。それが自由という事であり自己責任であり、自己の内に神を見ることであり愛という。

ヤージュニヤヴァルキヤや8世紀ごろインドで不二一元論を提唱したシャンカラは認識主体は認識対象にはなりえないと説いた。しかしジャイナ教では自己(魂)を知覚の対象としている。優れたメディテーターは深い瞑想の中で魂をじかに知ることが出来るとしている。これが、ジャイナ教哲学の神髄である。

プレクシャ・メディテーションの始めに 『サンピッカエー  アッパーガー マッパエー ナム』『魂を通して魂を見てください。そして本当の自分を見てください。』 と唱えるのは魂を認識、知覚の対象としているからである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2017/12月第76号からの転載です)

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