コラム:自分で自分の医者になる・無病の道

現代人は一般的に病気になると先ず身近な医療施設に出かけて診療を受ける。そして、医師の診断を受け、処方箋に従って薬を飲むことで病気を治している。癌などの重度の病では医師による手術を受けて病の原因を除去する方法をとっている。現代では医学技術は目覚ましい発展をとげて、従来治療が難しいとされてきた多くの難病も治療出来るようになってきた。医療に対しての信頼感が増してきたので、ほとんど全ての人が病気になると、病院や医療施設を頼りにしている。

現代のように医療技術や医療施設が発展し、整っていなかった時代、人々はどのように病気に対峙していたのであろうか。多くは薬草などを使う民間療法であったり、祈祷やさまざまなヒーリング技法に頼っていた。近年の食事療法、色彩療法、指圧、霊気、ホメオパシー、整体、カイロプラクティック等のような代替医療として知られている方法を使っていたのである。

もっと古代においては、自分の体調不調や病気は他に頼る方法がなかったので自分で自分を治すしかなかったのである。その場合、古代人は自分の身体の内部を観察した。身体内部の痛みや不快な感覚を注意深く知覚した。内部感覚を知覚することで自然に痛みや不快感がなくなっていくことを体験した。それが瞑想の起源であると思う。

私たち現代人は痛みや病を悪いものと捉えている。しかし、痛みや病は決しては悪いものではない。それは自然法則が現れたものであり、命の働きが命を守るために痛みや病を起こしているのである。もし痛みや病が無かったら我々は命を長らく存続できないだろう。そう考えれば病は悪いものではなく、むしろ善いものであると言える。痛みと病は原因と結果の法則に従って起ってくる。痛みと病は原因と縁である条件が整わないと現れてこないし起こらない。例え遺伝子の中に弱点として病気の原因を抱えていても、魂のレベルで条件が整わなければ病気は現れない。

ジャイナ教僧侶は自分に起こってくることの原因を自分の内側にある魂の汚れに見ているので、病に対しても自業自得とみている。自業自得であるから他に頼らない、自分で問題を解決するしか方法はない。病気になっても薬を飲んだり手術することもない。同僚による手助けで代替医療などを受けるのみである。戒律によって医師にもかかれないので、自己の病に対して一番の治療手段が断食と瞑想である。断食と瞑想によって命の働きを高め、整えて、病を治癒する方法をとっている。

プレクシャ・メディテーションは本当の自分を見つけるために皮膚の内側に深く観じようとする意識を向ける内なる瞑想法である。それによって、真我つまり魂を知ることが出来る。魂に到達するまでに私たちは身体内部のあらゆる感覚、粗雑なものから超微細なものまで観察し調べつくさなくてはならない。その過程で私たちは自分とは何かということがわかってくる。自分とは何かが解ること、そして自己コントロールが実は自分の病に対する最も優れた治療法なのである。

現代医学は肉体レベル、物質レベルで起こっていることしか治療出来ない。検知器で検知できないようなもっと微細なことが原因になっていることに対して根本的な治療は不可能なのである。人間という存在は物質的な肉体だけで出来ているのではない。目に見えない検知器にかからないような微細なレベルの物質で出来た身体や物質ではない魂の結合によってできているのである。ジャイナ教哲学では肉体の内側に微細な物質による電磁気体があり、更にその内側に超微細物質によってできた原因体があり、更にその内側に物質ではない魂があると観ている。そのように自分の身体が重層的になっていることを理解できなければ、本当の自分を知ることも出来ないし、自分をコントロールすることも難しい。自分で自分の医者になるとはそのように、深いレベルの自己コントロールのことである。

プレクシャ・メディテーションは深いレベルの自己認識法である。それによって、自分自身を知ることが出来るし、自己コントロールが出来るようになる。肉体よりももっと内側の電磁気体のレベルで、原因体のレベルで自己コントロール出来なければ本当の意味での自分で自分の医者になることは出来ない。アカルマの道、自己解放の道が無病への道である。悟りへの道、解脱への道すなわち精神性が高まらなければ無病は無い。カルマが原因となって輪廻する魂に様々な苦しみと病がついてまわるのである。

知恵ある人というのは自己コントロールできる人のことをいう。プレクシャ・メディテーションの技法は身体内部の感覚を知覚する技法と言ってもよいが、その実践よって身体内部に調和がもたらされ、生命エネルギーの流れがスムーズになり生命力、自然治癒力、免疫力を高めることが出来る。その意味で瞑想とは自己ヒーリングと同義語なのである。

カーヤ・ウッサグは心身の完全なるリラックス法であり、もっとも優れたストレス軽減方でもある。ストレスに対応できなくて発症する病を発病前にコントロールできる方法であり、同時に生と死の意味が理解できるようになる。カーヤ・ウッサグによって身体内部の調和が達成されて精神世界への扉が開かれる。カーヤとはインドの言葉で身体という意味であり、ウッサグは去る・分離するという意味である。つまり、カーヤ・ウッサグとは心身分離ということで、意識が肉体から離れることを意味する。最も深いリラックス状態では身体があってないような感覚が起る。身体感覚が消滅して意識だけがはっきり目覚めている、そんな感覚が起る。その時、内なる完全性が達成されて痛みも無ければ病も無い、悩みもない平和な完全性がその人の内側に立ち現れている。カーヤ・ウッサグを継続的に実習すればストレスによる悩みや病と無縁になる。

アンタール・ヤートラ(内なる旅)は電磁気的な体の流れをスムーズにして生命力を高めることが出来る。

シュヴァーサ・プレクシャ(呼吸の観察)は深い呼吸を通じて万病に効く特効薬の代わりになり得る。

シャリーラ・プレクシャ(身体の観察瞑想)は身体内部に深い調和が起こり電磁気体のレベルで完璧な健康がもたらされる。そして身体の観察によって自分とは何かが解ってくる。自分を知ることが自分をコントロールすることであり、自分を自分で癒す方法である。

チャイタニヤ・ケーンドラ・プレクシャは生命力が集中している中心点を知覚することで特に内分泌線が活性化され、ホルモン分泌を正常化させることが出来る。そのことで感情が調和安定する。感情が安定すれば心も安定し正しい生き方、正しい行動が出来るようになる。

霊的色彩光の知覚瞑想は潜在意識に働きかけ、消極的態度を積極的なものに改善することが出来る。

アヌ・プレクシャでは言葉によるアーファメーションを通じ潜在意識を積極的なものに変えることが出来るし、考える瞑想がもたらす直観力によって、真実を知ることが出来るようになる。

プレクシャ・メディテーションは精神性の向上、人格の向上を目的にしているものであるが、その効果だけでなく、同時に私たちの健康を身体の深いレベルから達成できる技法でもある。プレクシャ・メディテーションはインドで古代から現代まで続いてきた宗教であるジャイナ教のセンターや大学で研究しつくされ、体系化された優れた瞑想法であると同時に、自分で自分の医者になる最も優れたテクニックであると言える。

プレクシャ・メディテーションこそ人類の宝である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/3月第79号からの転載です)

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