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コラム:活用する喜び

不殺生を積極的にすることが活用です。活用は殺すなではなく活かせという教えです。生き物だけではなく、人間が生きて行く上で必要な物についても粗末にするな、大事にしなさいと云う教えです。私は生き物だけでなく、物にも心が宿っていると思っています。その心というのはある種のエネルギーでネガティブなものとポジティブなものとして主観的に感じます。人間に粗末にされた物や打ち捨てられたものにはネガティブなエネルギーが宿っています。それらの物に対して愛の心、大事にする心、活用する心で接していくとポジティブな物に変化します。打ち捨てられたものや場所を愛し助けてあげると、今度は助けたものが私達を生かし助けてくれます。それが自然法則です。

大量生産・大量消費システムは一見、人類を幸せにするシステムに思えますが、沢山の物を粗末にし、殺すことなので長い目でみれば人類を幸福にするシステムではないと解ります。世の中は全てが変化の流れの中にあり、必要な物が出現し、不要な物が滅していきます。これも自然法則です。

しかし現代人類社会は変化の流れが加速しているので、沢山のものを創り沢山の不要物を破棄しています。私達はあまりにも日常多くの不要物を廃棄しているので、心が麻痺して生活の必要物をあまりにも粗末にしています。自転車が1万円で買えるなんて本当に考えたらおかしな事なのです。自分一人で作るとしたら、とても難しいことです。江戸時代に自転車を持っていたら、それこそ宝ものです。その宝ものが今や町中、至る所に破棄されていて厄介者、ゴミとして処理されています。これらの自転車を徒歩で生活しているマダガスカルの人々に届けられないかと思います。

大量につくられたものはどんなに価値を有していても、需給バランスが崩れて需要が無くなれば金銭価値は限りなくゼロに近づいてゆきます。近年の不況は社会が成熟化したからともとれますが、工業化、便利化、快適化のやりすぎに起因しているのではないかとも考えられます。全ての生き物達との共存、サステイナブルな社会システム構築の観点から、今の資本主義経済に対して人類の良心が許せなくなってきたのではないかと思っています。

最近、著名な作家・五木寛之氏の『下山の思想』と云う本が話題になっています。日本は世界史的に見て繁栄の時代が終焉し成熟後の活力の乏しい社会になるとの論調です。本の題名が時代にマッチしたせいかベストセラーになっています。本を読んでみて、何処に下山してゆくのか具体的に触れられていなかったのでとても物足りなく思いました。私なら下山してゆく場所を具体的に指し示すことが出来ます。それは彼が漠然と云っている経済指数とは別の物差しのことです。ブータン王国的幸福指数の事です。下山とは私達の生活から複雑な機械を手放して行くことです。身体の延長としての道具までの時代にもどることです。

昭和30年代食料増産のため、日本の米作道具が最高水準に達しました。道具ですがエンジンを持たないし電気を使わないから機械と定義しませんが、機械寸前まで高度化した道具が作られました。私はここが下山地点だと思います。電気で機械を動かさない、電気は照明器具に使うだけとします。車も化石燃料を使わないところまで、馬車、人力車、自転車、リヤカーを使うまでにします。そして住環境や町や村の景観を芸術的にまで美しく整えてゆくようにします。個人がそれぞれ美しい庭を競って作り、共同で石畳や石垣の美しい路地を作ってゆきます。それが大事な下山の道筋だと思います。下山とは揺り戻し、反動でありルネッサンスのことだと考えます。田舎から都市に流れた人口が都市から田舎に流れるようになることかもしれません。

日本は少子高齢化、人口減少がこれからどんどん進行し50年後は4000万人の人口が減るとの予測がなされています。東京、千葉、埼玉、神奈川以上の人口がなくなるのです。下山するとはこの事です。人口減少によって需要が減少し大量の物が余ってきます。余ったものは値が付きません。今でも、余った物が沢山出て来て、本来価値あるものが値崩れして悲惨な状態になっています。ネットオークション市場で、総欅のしっかりした茶箪笥がたったの5500円で落札されていました。本来の価値から云ったら20万円するでしょう。美術品の値下がりも甚だしく中堅の洋画作家の油絵が本来価格の20分の1、30分の1の値段になっています。これからの時代、中古住宅やリサイクル家具調度品なども余って来て考えられない安値になっていくでしょう。お金がかかるものと云えば食べ物位になるでしょう。食べ物は安全安心が求められるので、逆に高くなってゆくような気がします。多くの人が自分の食べ物や生活必需エネルギーを自分で作るということに、今よりずっと価値を見い出すようになるでしょう。

需給が有り余って金銭的に無価値になったものの中から、宝のような価値を見い出し、それを愛の心で活かすならば下山後の時代も悲惨になりません。むしろ今よりずっと精神的に豊かな時代となるでしょう。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/3/25からの転載です)

2024.5月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

2024年クラスから、プレクシャヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス、として開催してまいります。

内容)
ヨガ:瞑想できる体づくりヨガ
讃歌:「プレクシャ・メディテーション 讃歌・マントラ・スートラ集」から1-2歌
講義:当日告知
実習:当日告知

日時:2024年5月12日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。


会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催


講師:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

コラム:静と動

孫子に曰く、静かなること林の如く、動かざること山のごとし。武田信玄も風林火山の旗印にした。林は静かか、山は動かないかは別問題として、動くこと止まることは一つの事と云える。このことを古人は静動一如と云った。静動一如は名人、達人、悟りの境地である。それは静けさ、止まっていることのなかに、莫大なエネルギーが湛えられていて時が至れば激しく動くと云うことを意味する。また、激しく動いているのにそこに静けさをあわせ持っていることでもある。例えればダム湖の水は波静かであるが、甚大な位置のエネルギーを持っているし、地球は秒速900キロメートルで宇宙空間を移動しているが地上で生活している人間には静止しているとしか感じられない。

動くと云うのは一体なんなのか。

人間がこの世に生を受けるということは、一時も止まることが許されない躍動の中に放り出されることなのだ。人間は常に動かなければならない、人間は変化しなければならない。動かないことじっとしていることは肉体的に苦痛なので常に体勢姿勢を変え続けなければならないように出来ている。立ち続けることも苦痛、座り続けることも苦痛、寝続けることも大変な苦痛なのだ。古人は動くと云うことが心地よいにもかかわらずなぜ苦痛を承知で体の動きを止め、呼吸を限りなく鎮め、思考を止め、体内感覚の波を鎮めようとしたのか。それは、それらが止まり鎮まったときに動いているとき以上の至福感があるからだ。

我々は時間を止めることは出来ないし、地球や惑星の動きを止めることも出来ない。体の中で細胞レベルで起こっている変化の流れも止めることは出来ない。神経細胞の中を流れてゆく電磁気的な流れは継続している。その流れと共におこっている感覚を知覚しているとき、思考が止まって心が鎮まり、知覚が観じようとする対象の感覚と一つになって、粗雑な感覚から微細な感覚へ、希薄な感覚へ、さらに無限に広がる均一で透明な静かに静止した感覚になっていることがある。そんなときは時間も無くなってしまったような、自己と云う存在もなくなってしまって根源的なものだけが立ち現われている気がする。

過去と現在と未来が一瞬のなかにことごとくあって、知覚すべき動きがまったくない静止したような状態、三次元的な空間ではない広がり、観じようとする意識と観じられる対象が双方透きとおったようになる。

そんな体験が未熟な私にもときどき起こる。

私はもっと深く動と静について探求しなければならないと思っている。

私達は動いていること、生命が永遠なる過去現在未来に繋がっていることやもっと多くのことを川の流れに学ばなければならないし、止まっていることの意味、忍耐を大木老樹に学ばなければならないと思う。私は最近、川が先生であり、老樹が友達であり、それらと自分がなんら変わりなく同じものだとの気持ちが目覚めてきた。山や川や森を観察し自分の内部を観察することが万巻の書物を読むことより大事だと解ってきた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/1/25からの転載です)

2024.4月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

 

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

2024年クラスから、プレクシャヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス、として開催してまいります。

内容)
ヨガ:当日告知
讃歌:当日告知
講義:当日告知
実習:当日告知

日時:2024年4月7日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:神保町区民館 2階洋室B
(住所:東京都千代田区神田神保町2-40)
*リノリュームの床で座布団等はありません。ヨガマット、持ち運び用の簡易座布団など各自ご持参ください。

会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催


講師:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

2024年プレクシャ・メディテーション・キャンプ

【テーマ】
4ステップ瞑想の習得、ムドラ瞑想、讃歌の練習、タオ・ヨガの訓練

【概要】
伊豆・河津町、今井浜海岸から2キロほど山中に入ったいりあい村は佐藤松義先生が後世に沖道ヨガを伝え残すべく開設した道場で、ライフサイエンスYOGA道場と呼ばれています。今年のプレクシャ・メディテーション合宿は皆さまにこの素晴らしい施設を知っていただくために、いりあい村で行います。河津町は海あり山あり温泉ありの、伊豆半島東海岸の有名観光地です。

プレクシャ・メディテーションが初めての人、学び続けている古い生徒さん、指導士、講師の先生 皆が一堂に会し親睦を深め合うキャンプを開催します。皆さんお誘いの上参加ください。

【日時】2024年5月31日(金)~6月2日(日)

【会場】いりあい村 YOGA道場

【参加費】
1泊2日18,000円 宿泊費・食事3回・講習費含む
2泊3日30,000円 宿泊費・食事5回・講習費含む
*会員の方は2000円引き。申込時に会員になることも可能です。
*現地までの交通費及び温泉入浴料は別途になります。

【持ち物】
ヨガの出来る服装、散策用スニーカー、タオル、洗面化粧道具、パジャマ、筆記具、『ジャイナ教讃歌集』(お持ちでない方は当日500円で購入できます。)

【講師】坂本知忠、伊東真知子、高山知子、その他協会指導士

【集合時間】31日14:00(昼食は済ませてきてください)

【解散】2日12:00(昼食後解散となります)

【交通】熱海駅から伊豆急下田行きが便利です。
*電車で来られる方のご案内
熱海駅発:11:32(JR伊東線・伊豆急下田行き)
今井浜海岸着:12:58

熱海駅発:12:24(JR伊東線・伊豆急下田行き)
今井浜海岸着:13:49
 
*上記いずれかの列車に合わせて乗車下さい。今井浜海岸駅に出迎えます。
*上記以外の列車ご利用の方は今井浜海岸駅の隣駅・河津駅まで来てください。
*河津駅からはタクシーを利用ください。行先は「いりあい村」と言ってください。出迎えはありません。

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は、「問合先」まで氏名、携帯電話、交通手段をご明記の上、お申込みください。
*1泊2日でご参加希望の方は下記どちらかお書き沿いの上お申し込み下さい
①5/31~6/1参加  ②6/1~2参加

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

 

コラム:非対立主義について

私はジャイナ教の戒律アネカンタを今まで、不定主義とか非独善主義と訳してきた。今後は非対立主義の意味も含めたいと思う。世界には沢山の宗教哲学がある。なぜ沢山の宗教哲学があるかと言えば、それらがどれも完璧でないからだ。それぞれの宗教哲学が皆正しいと言えるし、同時に皆間違っているとも言える。

南伝仏教では神もなければ魂もない(無元論)と言い、北伝仏教では神も魂も認める宗派(二元論)がある。ジャイナ教では宇宙を創造した神はないが魂があり、それを純粋にすることを修行の第一としている(魂だけの一元論)。ヴェーダンタ派は唯一の神としてブラフマン(梵)を認め、真我であるアートマンと梵は本来一つのものだとする梵我一如(一元論)を唱えている。サーンキャ哲学はプルシャ(魂)とプラクリティ(現象)を説く二元論である。

また、世界には沢山の国々とそこの人々の政治と生活と文化、伝統、習慣がある。これもどれが正しくどれが間違っているという問題ではない。その時の必要性からそういうものが存在するのだ。韓国が竹島は韓国のものだと強引に既成事実を積み上げている。中国は尖閣諸島を中国領だと主張し始めた。お互いに領有権を主張しあえば争いになり戦争になる。このような場合アネカンタで解決するにはどうしたらよいか。国家間の重要問題である。

アネカンタの理想は、争わない、主義主張しない、抗議しない、要求しない、決めつけない、腹を立てない、自分から変わることだが、もう一つ大事なことはすぐに反応したり即答せずに、相手にゆっくり考えさせるということもある。どうしたら平和で双方の利益になるかを考える時間を相手に与える意味も含んでいる。

軍事的に強い国が周辺諸国に覇権の手を伸ばす事は、歴史上、沢山の実例がある。私見では、チベットは中国では絶対ないのに強引に中国にされてしまった。新疆ウイグル自治区も歴史的にみて中国ではないだろう。中国は本来大陸の国であり、また万里の長城の内側の国である。そういう観点からみれば台湾は島なので中国ではないし、南沙諸島の島々も中国領であるはずがない。中国が軍事的にも経済的にも強くなったため周辺諸国に触手を伸ばしているようにみえる。人類史も動物と同じで、弱肉強食がその真の姿である。平和を望むなら相手の要求を飲み忍耐するしかない。土地争いは人類史上、生存権を賭けた熾烈な争いであった。ロシアには北方領土を返す意思はないだろう。土地は実効支配した者の物になる。盗られたくなかったら打ち払うしかないが、そうすれば戦争になる。所有や領有を争うのではなく、人類の幸せの観点から条約をつくり平和に相互利用できたら一番良い。

かって韓国は日本の植民地だった。中国は日本と戦争をしていた。日本は太平洋戦争でアメリカに敗れたが、中国や韓国と戦争して敗れたわけではない。中国や韓国の国民が日本に対して複雑な感情を持っているのは事実である。中国や韓国の国民生活が豊かになり、日本と同等意識・ライバル意識を持ち始めたことが、竹島問題であり、尖閣諸島問題であると私は見ている。竹島は取り返すのが大変だと思う。尖閣諸島は早急に日本が施設を造り防人を置かなければ難しいことになる。付け入る隙を与えないこと、油断しないことが大事である。相手に考える時間を与える方法がこの事である。

自分から変わる方法として、戦国時代、江戸時代はどうだったかと考えることだ。江戸時代は幕府が全国統治していたが沢山の旛に国が分断されていた。その頃、会津旛の人に隠岐や対馬の問題は関係なかっただろう。琉球の話をしてもピントこなかっただろう。今、世界人類が国境を無くし、人類が相互に混じり合い、混血を繰り返す方向に動いている。世界中、好きなところに自由に住めると考えてみる。すると民族主義もなくなり、領土問題も解決することだろう。民族主義、国家エゴは平和の敵である。グローバリゼーションは経済の分野で、金融の分野で、情報の分野で急速に進展しているが、世界が一つの国になるまで越えなければならない壁がまだいくつもあるだろう。世界が一つの国、一つの人類になれば、このような領土問題は存在しなくなる。それを可能にするのがアネカンタの哲学だ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/8/25からの転載です)

2024.3月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

2024年クラスから、プレクシャヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス、として開催してまいります。

内容)
ヨガ:背骨の調整と脊柱起立筋を鍛える
讃歌:当日告知
講義:当日告知
実習:当日告知

日時:2024年3月3日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。

会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催


講師:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

コラム「プレクシャな生活」一覧

*各指導士名・コラムから各記事へ遷移します*

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木 薫)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤 真紀子)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

 

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

はじめまして、谷内健太郎と申します。

この度は自己紹介の機会を頂き誠にありがとうございます。

坂本先生に指導士の認定を頂きましたのでこれまでの経緯をお伝えさせて頂きます。

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大学に入った当初は心や脳の研究をしたかったのですが、現代科学でその本質を研究することはとても難しいと思い進路にとても悩んでおりました。その時に新しい道を探そうと思い、自己啓発の本や占いの本をよく読んでいました。その中に輪廻転生を解説したエドガーケイシーやシュタイナーの本があり、かなり影響を受けました。カルマへの理解はそこから始まりました。

シュタイナーが菜食の方が欲望を克服しやすいと解説していたのでその時から菜食を徐々に試すようになりました。どうやら私の体には動物性の物は重たかったようで消化が軽くなって動きやすくなったため、菜食を続けることになりました。

それだけでなくスピリチャルなことを科学的に研究した本山博先生の本を読みクンダリーニヨガの会にも出たりしました。そこから徐々に霊気などのエネルギーワークやTM系の瞑想を習い始め、繊細なエネルギーへの体感が徐々に深まっていきました。

当時の瞑想の先生の紹介でインドのヒンドゥー教の聖者に会いに南インドのアシュラムに行くことになりました。はじめてのインドはかなり衝撃でしたがカオスで自由な雰囲気に魅了されてしまいました。その聖者はマントラ行やインド風水が得意で私もその当時はマントラ行のために本格的に菜食をしたり、風水で家を整えました。

ところが、突然その聖者が亡くなってしまってインドへの道が一時中断してしまいました。

そのころ私の研究室の友達がインド占星術を習っていてその関係で私も見てもらいたいと思い彼の先生のインド占星術の鑑定を受けることになりました。

実はこのインド占星術の先生がジャイナ教の聖者に師事をしており私のジャイナ教への道のきっかけとなります。

インド占星術に感銘を受けた私はその先生と仲良くなり、インドツアーに参加することになりました。そこでジャイナ教のムルティプジャカ派のアーチャリーに初めて出会うことになります。そのアーチャリーに祝福をしてもらった後一日中体の熱が冷めずに法当たりと呼ばれる現象が起きたのです。お寺を持ったり、プージャをするという点でテーラパンタ派とは違いますが、ジャイナ教の純粋性を感じ衝撃を受けました。

帰国してからも私の純粋性を求める思いはどんどん募り、神戸のジャイナ教寺院が実家の近くにあったので毎週通うことにしました。ジャイナ教のことをさらに知りたいと思い、様々なジャイナ教のお勉強を進めていく中で坂本先生の「勝利者の瞑想法」と出会うことになります。ただプレクシャー瞑想を習うのに東京だと遠くて通えなかったのでいつか習えればよいな~、という風にあきらめておりました。

しかし、2021年にパートナーの都合で横浜に住むことになり、これはチャンスだと思い、指導士養成講座に通い始めました。それまでは本を読んで見よう見まねで少しやってみましたが、実際のプレクシャー瞑想は全然違うもので、やはりこういったものは習熟した先生から直接習うのがとても大切だと痛感しました。もちろん瞑想法が体系立っているだけでなく先生の瞑想への思いや深さ、純粋さを体感として得たのでこれは素晴らしいと思ったのです。

そんな中、坂本先生の講義の中で中途半端な非暴力は暴力となる、というのがとても胸に突き刺さりました。自分が非暴力を頑張ってやっているつもりが人に正論を振りかざして押し付けている時点で全然非暴力的でないということに気づいたのです。

瞑想やマントラで修行をしている自分は偉くて、してない人は偉くないという差別的な見方をしていたのです。ジャイナ教の平等心からはほど遠いなと、その時、痛感しました。

そして去年、インドキャンプに行くチャンスを得て本場でプレクシャー瞑想を体験しましたがやはり本場というだけあって瞑想体験はさらに深かったです。それだけでなくお坊さんたちの托鉢の様子や段ボールで寝ている様子を身近に見れてとてもその純粋さに衝撃を受けました。

そしてアチャリアに質問した時に非暴力は殺すだけでなく、人を傷つけることを言ったり考えたりすることもよくない、ということを聴き、まだまだ自分はできていないな~、と実感できました。それと同時にアーナンダという至福が本質的に大切なのだということが賛歌を歌う中で実感できたのも良かったです。僧侶たちと一緒に歌っている時にハートが暖かくなるのがわかりました。魂の本質は喜びなのであり、自分を罰することではないと改めて理解しました。

その後、帰国してからオンラインで受けた本部のティーチャーズトレーニングではジョーティーケンドラの瞑想の重要性を再認識しました。瞑想をするとエネルギーが高まってくるので、それを最後に鎮めないと他人に良くない影響を及ぼしてしまうとのことでした。

それはインドの行者が瞑想の邪魔をされ、キレるということが昔から気になっていたので、なぜ聖者がキレるのか?というのがジョーティーケンドラの瞑想をしていないからだとわかってかなり腑に落ちたのです。

逆にプレクシャー瞑想で最後にジョーティーケンドラに意識を持っていくことで、できる限り平和な気持ちで瞑想を終えられるという流れが、とても素晴らしいと思いました。

日々、瞑想を行い賛歌を詠唱し、マントラを唱えることで人生がどんどん軽くなっている実感があります。

プレクシャー瞑想に出会えたことがとてもありがたいと思っております。

このような機会を与えてくださった坂本先生を含め、プレクシャー瞑想を支えて来られた

スタッフの方々には大変感謝申し上げます。

(2023年9月142号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

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指導士の谷内健太郎です。

 前回は2023年9月に投稿させていただきましたが、それ以降もますます瞑想の体験が深まってきましたのでお話をシェアさせていただきます。

 前回のインドツアーで坂本先生より繋いでいただいたインド人整体師&ヨガ講師のバッティー氏からのご縁で去年の7月に突然サマンジ(ジャイナ教の準出家の僧侶)から連絡がありました。最初は智恵子さんが来日企画を仲介する予定だったのですがヒマラヤ巡礼の直前ということでなかなか会場の手配などが難しいため、智恵子さんから私にバトンタッチしてサマンジの来日準備を進めていくことになりました。坂本先生より頂きました貴重なご縁に感謝するとともにこのよきご縁を次に繋いでいきたいと思います!

 その当時は私はプライベートで喧嘩がなかなか止まらなかったのでサマンジに怒りのコントロールの仕方に関してレクチャーをお願いしました。そこでは、期待をするから怒りが発生するということを学びました。なので期待を辞めることがすごく大切で、期待の代わりにお願いをするとよいということで、現在も実践し徐々に怒り自体が減ってきているように思います。他の感情のコントロールに関してもとても素晴らしい内容でかなり有効で実践的なものでした。

 次にジャイナ教を深く知るためにジャイナ教のダルマのレクチャーをしていただき、理想的なライフスタイルを改めて知りました。断食とオートファジー(自浄作用)の関連性の話はとても面白かったです。夕食を早めに食べて、朝ごはんを抜き、夕食から次の食まで16時間あけるのは確かに胃腸を休ませるにはとてもよいと思いました。

 2023年12月に1か月ほどインド巡礼に行ってまいりました。インド占星術のカンファレンスがメインイベントでしたが、それ以外にもサマンジに招待して頂き、サマンジの監修する学校の見学させていただきました。とても奉仕的な子供ばかりで愛と好奇心にあふれていました。たくさんの愛を頂きました~。日本の学生と交換留学して様々なことを経験してもらうのも今後はよいかなと思いました。

 サマンジの好意で前々から行きたかった念願の天空都市パリタナの初代ティルタンカーラ(アディナータ)寺院に連れて行ってもらいました。幸運にも現地のジャイナ教のお坊さんに案内してもらい特別な場所も回ることができました。とても大きなジナ像の前でマントラを唱え、パワーを注入!とてもつよいバイブレーションを感じました。多くの方に体験してほしい場所だな~と思いました。

 帰国後、日の出前に起きる習慣ができ、日の出とともにマントラとプレクシャ瞑想を毎日行っております。朝起きの良さを実感中です。夜のエネルギーは静かで創作活動にはよいですが、早朝のエネルギーもとても静かで仕事がはかどるだけでなく、健康面でもとてもよいですね~。

 これまで仕事が忙しく、それにかまけて甘いものやカフェインなど身体の緊張を増やすような食事が多かったですが、健康診断での肝臓の数値が悪かったため、食事を見直し改めて瞑想用の身体づくりを心がけています。すると肉体の流れがよくなって、カーヤ・ウッサグがとてもやりやすくなりました。何を食べるかもやはり大切ですね~。

 徹底的に身体の緊張を解くために呼吸と緊張している筋肉を観察していると効果的にリラックスできることに気づきました。身体全体を意識することで筋肉が葛藤状態にある部位以外の別の筋肉にもエネルギーが注がれ、意識的に緊張状態を解くことができるようになってきました。より肉体への感覚が繊細になっているため呼吸と筋肉の連動を強く感じ取れるようになっているように思います。

 緊張した筋肉はすぐには柔らかくはならず、ある程度時間をかけて呼吸とともに徐々にほぐれていくのを実感中です。

 祈り(マントラ)と瞑想はセットであると改めて思います。今まではマントラを通して行為への集中を特に心がけてきましたが、最近はシャリーラプレクシャなどで観察することに意識を強く持っていくことで、瞑想中だけでなく日常での気付きも深まっています。

 プレクシャ瞑想を通して以前よりも注意深さが育って来ているように思います。このような素晴らしい瞑想のご縁を頂けたことに改めて感謝申し上げます。今後とも皆様と一緒に成長していければ幸いです。

(2024年5月150号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

私の最近の“マイ・プレクシャライフ”をひとことで言うと、「このコロナ禍を活用して『集中的な研究・学び』にシフトしたここ数年」です。これまでの経験で『集中的な取り組み』は私にとって転機や進化の大きなカギをにぎっているので、「コロナ禍で何ができるだろう?」ということを家庭の状況も考慮してまとめたときに、自然と今の状況になりました。そのほかにもいろいろと目的がありますし、オンライン中心のプレクシャ瞑想クラスに力を入れているのにも目的があります。

〈はじめての瞑想体験〉
「そうか、感じ・観じることがポイントなんだ!」
そう気づかせてくれたのがヴィパッサナー瞑想10日間研修でした。あれから約10年が経ったと思います。これが私の“ちゃんとした”初の瞑想体験でした。最終日の一本通った何とも言えないととのった感じは、今でも覚えています。それまで教えてきたヨガのスタイルがガラッと変わりました。感じ・観じることが中心になりました。私にとっての大きな転機でした。

〈プレクシャ瞑想には興味がわかず…〉
もうひとつの瞑想に関する大きな出会いはプレクシャ瞑想です。正直言うと、はじめは講義の内容も実習もしっくりときませんでした。一応ひととおり受講しましたが、「心ここにあらず」みたいな感じであまり身が入らなかったのです。とにかくイマイチよくわからなかったです。今振り返ると、「なぜ瞑想をするのか?」に対する自分の答えが不明確で、自分自身の活動とその答えが一致していなかったのが大きな要因だったと思っています。自分の活動は『ふくヨガ~Holistic Health for Peace & Happiness~』って掲げているんですけどね(「幸福と平和のため」)。。。
 そんな私でも、身が入らないなりに続けていくうちに講義が頭に入るようになり、それなりに体調等が良くなる体験もしていたので実技も少しづつ進展していきました。やっぱり「継続は力なり」ですし、芽は出ずともしっかりと水やりをする期間は大切ですね。そうこうしているうちに瞑想に関する大きな転機その2がやってきます。

〈プレクシャ瞑想にハマる①〉
幸運なことに、インド瞑想研修旅行に参加できたのです。ヴィパッサナー瞑想研修もそうですが、『瞑想漬け』、つまり集中的に瞑想を学ぶ効果は大きいですね。しかも現地で直接体験できるのはとても幸せなことです。厳格な修行を重ねているお坊さんたちの人格に直接触れることのできる体験はそれ自体が何よりの教えでした。インドでは『サマイク』という48分間カルマを流入させない時間をつくる、というのを教わり体験しました。このサマイクからも集中的に学ぶことの意義みたいなものを教わりました。優れたお坊さんたち、ともにプレクシャ瞑想を学びあう各国からの参加者、信者の方々など、そこにいる人や食事、雰囲気などが私の学ぶ意欲をインスパイアしてくれました(もう1週間そこにいたいくらいでした)。日本で学んだ『アヒㇺサー(非暴力・不殺生)』『アパリグラハ(無所有)』『アネカーンタ(非独善)』や『バーバクリヤ(マインドフル)』『プラティクリヤ・ヴィラティ(反応しない)』『マイトゥリ(友好)』『ミット・アハー(食の自制)』『ミット・バㇵーシャン(発話の自制)』など、幸福や平和という目的地へ至るための指針が肌感覚でそこでの生活から学べた気がします(食事がおいしかったのでちょっと食べすぎちゃいましたが)。

〈プレクシャ瞑想にハマる②〉
数年前に、月に一度日曜日に開催している坂本師の講座の復習会をオンラインで開催していました。担当が私になり、坂本師からは「実技だけでいいんじゃない」とアドヴァイスを受けましたが、講義の内容を要約しそれをレクチャーして実習もやるのを1時間程度にまとめる、という自分の納得できるスタイルでやらせていただきました。実はそれまでスライドなんてほとんど作ったことがありませんでした。この約1年間は、スライドをはじめ要約することや短時間で講座を進めていく技術を身につけさせていただきました。毎日録音した講義を繰り返し繰り返し聴いて、「あ~まとまんねぇ~」とぼやきながらも、やはり集中的な学びの機会だと自覚しながら楽しめました。特に『無常についてのアヌ・プレクシャ(沈思黙考の瞑想法)』の回は感動もので、以前の私なら意味不明なアヌ・プレクシャの講義と実習が身に染み入り感動できました。「そうか!そうだよな!!」って感じでした。継続の効果もそうですが、インドに行ったからこそのアヌ・プレクシャの理解だったと思います。この時点で、「あとは自分で研究・実践していくんだなぁ~」と悟りました。

〈まだコロナ禍が続く現在〉
コロナ禍に入ってから時間がたつにつれ「幸福と平和のためにプレクシャ瞑想を広めよう」との思いが強くなりました。SNSで頻繁に発信しているのはそのためです。もちろん自分の認知度を高め、より広めやすくする目的もあります。ここ数年はプレクシャ瞑想の講座をオンラインで開催していますが、これも多くの人に広めるためであり、その試みです。オンライン講座用のプラットフォームを構築できれば、ネット環境さえあればどこにいても学びあえます。いつなんどき我が家も引っ越すかもしれないですしね。私もいいオジサンですし、今後出てくるかもしれない若手に何か良いものを提供したいですし。インドのプレクシャインターナショナルはその点力を入れていて進んでいるようですし、そこは大いに見習っています。

オンライン講座用のテキスト作りが今や私の月間の大きな仕事となっていますが、これもプラットフォームづくりの一環です。また、プレクシャ瞑想の研究にもなっています。毎日ジャイナ教哲学と格闘し(=理解実践できていない自分自身と格闘し)触れあう、これも集中的な学びになっています。こうしてテキスト作りや研究に集中できるのは、いつも講座に参加し講座を待ってくださっている方のお陰です。いつもありがとうございます!

SNSでの発信を続けているうちに、インドの方が色々と情報を送ってくださるようになりました。ジャイナ教のことやインドの祭典や観光地、遺産のこと、イギリスの大学でジャイナ教のことが取り上げられていることや、おすすめのジャイナ教研究者のことなど、ありがたい限りです。今年プレクシャ瞑想の研修でインドに行った女子お2人からはプレクシャ瞑想に関する本をお土産でいただきました。早速活用させていただいています。ありがとうございます!

良いものを丁寧に作っていきたいという自分の信条は子供のころから変わらないようです。時間はかかりますが、いずれ良いものをお返しできればと思っています。

(2023年4月137号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗

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【フェスティーナー・レンテー】
「リラ~ックス・リラ~ックス・リラ~ックス。。。ぜんぜんリラックスしないじゃん」

これまでほとんど言ってきませんでしたが、これがカヨーッツアルグ(自己暗示による身体の完全リラクゼーション)をやったときの初めの感想でした。私にとってカヨーッツアルグという技法はず~っととても難解な技法で、「あ、リラックスしてきたなぁ~」と感じられるようになってきたのは、実は最近になってのことです、ってことをここに懺悔いたします。プレークシャー瞑想を教える立場にいながら大変お恥ずかしいのですが。。。

学生の頃に精神的に病んだのがきっかけでヨガや瞑想の道に入りましたが、ヨガや瞑想の道に入る前には心理学や心理療法の本を読み漁っていたのもあって、自己暗示を使った心理療法の自律訓練法なんかも試したことがありました。当時は八幡洋氏の『立ち直るための心理療法』(ちくま新書)を繰り返し読んでは試していました。お察しの通り、まったく効果というか反応はなく、その他の本にも自律訓練法はよく出てきていましたがスルーするようになりました。

その昔、私のヨガクラスから開脚のポーズが消えた時期がありました。これもお恥ずかしいのですが、開脚の練習が楽しくて調子に乗って脚を痛めてしまったのです。そういうことで私のクラスから一時期開脚のポーズが消えていたわけですが、約1年後に再登場することとなります。しかも痛める前よりも脚は開くし腰は立つし前屈も深くなってるしと、いいことずくめ!約1年間開脚のポーズを封印していましたが、その間に取り組んでいたこと(ポーズだけではない)が私を総合的に高めてくれたのだと理解しています。

さて、お話が飛び飛びになりましたが、何が言いたいのかというと、一見遠回りに見えるかもしれないけれど、できるだけ総合的に取り組んでいくと、上手くいかなかったことが上手くいくようになったり想像以上に進歩・進化していったりするんじゃないかなぁということです。(欲望のまま手あたり次第やっていけばいいってのとはちょっと違うかなとは思いますが)

ご存じの通りプレークシャー瞑想は基本的に7つの段階というか技法があり(マントラメディテーションを入れると8つ)、単独でも取り組めますが、やはりチャイタニヤケーンドラ・プレークシャーあたりからは毛色というかレベルが違ってくるところに『段階』を感じます。ですが、わからないなりにもまんべんなく技法に触れたり、ある時には一つの技法に没頭したり、それに付随する哲学を学んだり、それらを日常で適用・応用したりするプロセスで、その人にとってのペースや順序で進歩・進化していくのだと今では感じています。とりあえず続けて進めてみる。

プレークシャー瞑想のサブコンポーネントにはヨガのポーズや呼吸法なども含まれていて、プレークシャー瞑想は総合的なパッケージとして構成されているのがわかります。学びを進めていくと、プレークシャー瞑想が安心して安全に取り組めるのはこの総合性に起因しているというのがうかがえます。特に哲学はものの見方やとらえ方を変容してくれるので、たとえわからなくてもとりあえず触れておくことがものすごく重要かと。

幸いにも再び投稿の機会をいただいたのでこれまでをあらためて振り返ってきましたが、「やっぱり続けるもんだなぁ~」とつくづく感じる今日この頃です。

「フェスティーナー・レンテー」、20年以上前の18歳の時に出会ったこの言葉。時には忘れることもありますが大切にしている言葉のひとつです。せっかちだけどマイペースで探求していきたい自分にはぴったりのこのラテン語は「ゆっくり急げ」という意味です。

(2023年10月143号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗