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2022年「瞑想の源流を探る旅」その2 瞑想キャンプでの生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

ピッカピカの新宿舎と食堂棟

 スマホのナビでラドヌーンの町の細い道に迷い込んだ私たちは、神業ドライバーのラムさんのおかげでそこを脱出することができ、無事に目的地へ到着しました。良かった、良かった。

因みに「ラム」というのは、「ラーマ神」という意味だそうです。やっぱりね神なのね・・・納得。

 ジャイナ教テーラパンタ派の瞑想センター(ジェインヴシュババーラティ)があるラドヌーンは、現アチャリア(最高指導者)のマハー シュラーマンの前の前の最高指導者であるアチャリア トゥルーシーの生誕地です。瞑想センターは訪れるたびに新たな建物が増えてましたが、9年ぶりに訪れたらまたまた見違えるようにあちこち整備され、新たな建物が建設されていました。

 

私たちが生活する宿泊棟はホテル並みの設備が整い、新しくてきれい♪

宿泊棟の正面玄関
エントランスホール


2階へ上がる階段踊り場から見たエントランスホール

部屋の入口ドア Room NO5

 部屋は全部で24部屋。ティールタンカラ(ジャイナ教の救済者・祖師)が24人おり、その数に因んでいるようです。

私たちの部屋は3人部屋でしたが、通常は2人部屋
如何にもぐっすり眠れそうでしょ? 寝心地よかったです
 
ベッド以外は椅子も机もなく、こんな小部屋があり、たぶん瞑想するスペースかな?
ベランダとバスルームへの扉

 右の木の扉はベランダへ出られ、ロープを張って洗濯物を干します。蓮の花が書かれた扉はバスルーム。しかもちゃんとお湯が出ます。

これって凄いことです。宮殿ホテルであろうとちゃんとお湯が出ることは保障されてないからね(苦笑)

宿泊棟に近い食堂棟も新しく、周囲は植樹などの整備が進行中



テーブルと椅子と・・・

 フードコートにはテーブルと椅子もありますが、ナント座卓に座椅子があるじゃありませんか! 日本人用にというだけでなく、インドの人たちは座って食事をすることに慣れているのかな?と思えます。日本人以外はやはりテーブルと椅子を使っていましたがね。

レストランでのイスとテーブル

 ランチで立ち寄ったお店では、現地の人が布を編んだような日本のボンボンベッドのようなものに板を渡してテーブルとし、胡坐をかいて座って食事をしていました。奈良から参加のNちゃんとまねっこしてみました。このボンボンベット風のものは、このお店しか見かけませんでした。きっと他にもあるのでしょう。

ひたすら黙食するKenちゃん
 

食事は食べることに専念し、お喋りしながら食べてはいけないのであります 。

食器類

 朝昼晩と食堂棟で食事をいただきますが、ステンレスのインド式カレー皿とカップやカラトリーを自分で取ります。

インドではホテルでもレストランでも殆どがそうであるようにバイキング方式です。

ランチはこんな感じ

 果物はバナナ、リンゴがほぼ毎日出て、たまにザクロ(ぜーたくです)が粒状で供されます。ランチが一番メニュー豊富で朝晩は軽いものでした。

ジャイナ教食はアヒムサー(非暴力・不殺生)の教義から根菜類、刺激物(ニンニクなど)、肉類、卵は一切口にせず、とっても優しい味なので胃が凭れるようなことはありません。

Mちゃんもせっせと食器類を洗っています

 食べ終わったら自分で洗剤と薄くて目の粗い食器洗いの硬いスポンジで洗って元へ戻します。

 

キャンプでの1日のスケジュール

 2013年の時は朝5時から夜9時過ぎまで、講義と瞑想の実践、yoga、etcと非常にタイトなスケジュールでしたが、参加の年毎に少しずつ緩やかにしてもらい、今回はCちゃんの提案もあり、インド式ハードスケジュールではなく、余裕の時間を設けてもらえたので、みんなで集まって話し合いをしたり、自由に瞑想したり、有効な時間の使い方ができました。

下記がキャンプ事務局から与えられた基本的なスケジュール

05.00 :        Wake up (起床)
05.30 to 06.15 : Preksha Meditation (瞑想)

06.20 to 06.40 : Gaman Yog (沈黙歩行瞑想)
06.45 to 07.45 : Exercise & Yoga (ヨガ)
07.45 to 08.45 : Breakfast(朝食)
08.45 to 09.30 : Preksha Meditation  (瞑想)

09.30 to 11.00 : Interaction on theory of Leshya  (レーシャ・ディヤーナ)
11.15 to 12.00 : Kayotsarg  Samani Ji(カヨウッサグ)
12.00             Lunch(昼食)
12.40 to 01.10 : Rest(休憩)
01.15 to 02.00 : Move to Chapar(チャパールへ移動)
02.00 to 03.00 : Theory of KarmaSongs and Anand Bhavana – Muni Dinesh
03.05 to 04.00 : Songs and Anand Bhavana – Muni Kumarshraman
04.00 to 04.30 : Departure for Ladnun
05.00 to 05.45 : Dinner (夕食)
05.45 to 07.45 : Time to ponder (熟考する時間)
07.45 to 08.15 : Arham Chant
09.20 to 09.30 : Pratikraman Yog
09.30 to 04.30 : Yog Nidra(就寝)

 瞑想キャンプは毎年インド国内の各地(2015年はネパール大地震があったため、応援を兼ねて特別にネパールで開催しました)で開催されます。今回は本部のあるラドヌーンから22㎞離れたチャパールという町で開催されるため、日本人グループは午前中はラドヌーン、午後はチャパールヘ移動して夕方またラドヌーンヘ帰ってくるというスケジュールでした。

 この合間にアチャリア(最高指導者)とのダルシャン(謁見とご挨拶)や大会場でのイベント参加が突然あったりとあくまでも予定は予定。

 あ・・・ところで起床のお知らせは、毎朝5時に若い女性の清らかな声で「アラハン」のマントラ(私もこのCD持ってます)が流れるのですが、それが4:45だったり、5:20だったりと毎朝違うので、「明日の朝は何時に鳴ると思う?」と同室のMちゃんやHさんと予想しながら楽しんでました。ククク  期待を裏切らないインド式「Wake up music time」♪

次回はどのような学びを受けたのかを順にお話ししたいと思います。

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子

2022年「瞑想の源流を探る旅」その1 コロナ禍の中、インドへ(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子)

COVID‑19

 前回、ジャイナ教テーラパンタ派「国際瞑想キャンプ」に参加したのは、2019年バンガロールでした。その2ケ月後くらいに新型コロナウイルス感染症(COVID-19)がニュースに掲載されるようになったと思ったら、あっという間に世界中に蔓延してしまいました。

 世界各地で戦々恐々と新型コロナウイルスに怯え、すぐに収束するだろうと思われたがすでに3年。

今年になって一時収まったかのように見えたので、久しぶりにインドに行けるかな?と思っていたところ、 ジワジワとまた増えだしツアーの実施が危うくなりかけましたが、結果的に日本から初めてキャンプ参加する人が4名(内1名は男性)、坂本先生と私と2度目の参加のブッチー、そして先行インド入りの別の先生のヒマラヤに近いヒンズー教寺院のツアー参加者4名がラドヌーンで合流予定。計11名で第21回国際瞑想キャンプへ行くことになりました。めでたし、めでたし👏

 ワクチンを打ってない私は、果たして海外へ行けるのかと心配しましたが、飛行機の出発72時間内にPCR検査を受け、英文の陰性証明書をゲット。今回はJALで羽田発着。絶対的に楽ちんである。無事、陰性証明書のおかげで日本からの出国は思ったよりスムースで一安心。

 どのくらいインドへ行く人がいるのだろうかと思ったら、やはり往路の飛行機の乗客は疎らで、真ん中の4席を占領してのびのびと体を伸ばして寝ることができ、これまた楽ちんの二乗♡ これまでエア・インディアが多かったが、映画を見ようとしても画面が全く作動しない席もあり、まともに画面が観られる席に当たれば、ラッキー♪という感じだったが、さすがJALには最新機材が搭載され、映画を2本観られた。

 途中ヒマラヤらしき山を遠くに臨みながら、予定通り18:30近くにデリー空港に到着。陰性証明書のおかげで、入国も問題なし。いざインド入国へのドアが開いたら、そこには15年前からお馴染みの現地ガイドのサンジーブさんが私たちを待ち受けてくれていました。思わず懐かしく嬉しくてサンジーブさぁ~ん!と駆け寄る私でした。

 いよいよその日から16日間にわたる国際瞑想キャンプと世界遺産の寺院を巡る「瞑想の源流を探る旅」の幕が切って落とされました。

それにしても空港職員以外どこへ行っても、だーれもマスクはしてませんでしたよ。

インド道路事情

 飛行場からその夜泊まるデリーのホテルへ向かいます。

 相変わらずクラクションがそこら中から鳴らされ、帰宅時間も重なり、先を急ぐ車とバイクがブーブー、ピーピーと賑やかである。さすが首都のデリーには、信号機があるところもあるが大体が・・・無いね。

 合流地点などほんの少しの隙間さえあれば我先に割り込んでくる。よく事故が起こらないなと不思議だが、旅の間、事故現場には遭遇しなかったし、それほどボコボコに傷ついた車も見当たらない。みんな運転がうまいのであろうか・・・不思議だ! 

 インドではスピードを出さないようにと、道路に定間隔でかまぼこの様なでっぱりがある。そのかまぼこ状のものを越すには、否が応でもスピードを落とさないといけないようになっており、徐行してガックンと乗り越えるのであります。旅行会社のバスのドライバーさんは、乗客の安全を図りスピードを抑えゆっくりと越えてくれたが、バスの窓から眺めていると、慣れっこの現地の人たちは、一応スピードは緩めるものの、下手するとジャンプして通っているような気がした。空飛ぶ車?!? 遊園地並みだね(汗)

 バイクは二人乗り、三人乗りはトーゼン! 下手すると四人なんてことがあるからビックリ。しかもノーヘル。ヘルメットも被らず、バイクの運転手と後ろ座席の間に子供を挟んで、しかも赤ちゃんをおんぶしている姿を見ると、本当に危険極まりないと思うが、仲良し4人家族はそれでOKなのであろう。スゴイに尽きる。

 インドで運転できれば、世界中どこでもOKといった感じですね。運転技術の腕に覚えがある人は、ぜひインドの都会でやってみてください。ただし、信号機は都会と言われるところでも滅多にない!

 だから道を横断しようとするなら命がけである。私たちは左右の車やバイクの往来を見極め、隙あらばと思うが・・・ひっきりなしに往来が激しく、そんな隙なんかナイ! 外国人はオロオロするばかりである。ところが現地のでっぷりと太った初老のおばさんなど「私が道を通るのよ。お退き!」と言わんばかりにサリーを翻しながら悠然と混雑した道路を渡っていく。さすがである👏

いざ、ラドヌーンへ

 これまでジャイナ教テーラパンタ派の本部があるラドヌーンまでは9時間かかったが、前回訪れたのは2013年で9年前。その頃に比べると格段の差で道路が整備され良くなっていました。15年前の2007年は自転車とオートバイが多く、ドアやバンパーが外れ落ちかけたボロ車がヨタヨタと走っていました。建設途中の高速道路には牛やラクダや犬と下手すると象が悠然と歩いていたし・・・。

 2009年、2011年、2013年とラドヌーンを訪れるたびに少しずつ車が増え、2022年の今ではインドの経済成長著しく新車が道路を埋め尽くすほどに走っていることにビックリ。前はヒュンダイが多かったのが、最近は日本車がたくさんみられ、スズキが多いような気がしました。(坂本先生情報によると「マルチ・スズキ」 というスズキインドにおける乗用車生産販売子会社があるため、スズキの車が多いようです )

 一応、高速道路かな?と思われる白黒のだんだらの低いフェンスも設置され、これならスピード出してスイスイと思いきや、高速道路に牛は以前のように悠然と歩いているのである。やっぱりそう来なくちゃネ。だってインドだもん(苦笑) 

翌日、朝8:00にバスに乗り込み、いざラドヌーンへ向けて出発go、go!!!  

凄腕ドライバー

 日本でインド人にラドヌーンというところを知ってる?と聞いても、ほぼ誰も知らない。そこはデリーからやや南西に下ったパキスタン寄りのラジャスタン州の真ん中。周囲は砂漠に囲まれた土地です。

 ドライバーのラムさんと助手のビクラムさんも、ラドヌーンへいくのは初めて。道もよくなってスイスイと行く…はずだった。

 途中渋滞もあり、朝8時にデリーを出発したけれど、だんだんとうす暗くなってきました。時折、車を止めて人に道を聞きながら、ナビを頼りに車を進めていくと、狭い道が入り組んだ村に入っていく。こんな道だったかなぁ???と思っていたら、車の幅と道の幅がほぼ同じくらいのとても狭い道に入り込んでしまい、何度か人に道を聞いたら、どうやら反対方向らしい。ギョギョ!!!!!

 人に道を聞いても、みんな違うことをいう人が多いんだよね。インドって(苦笑) 

 狭い道に立ち往生してしまい、この先へ進むのも困難、ましてやこの狭い道でどう切り返せるのか。どう考えても無理、無理、無理! 

 バスをバックするにも、切り返すにも、にっちもさっちもいかず、だんだんと近所の人たちのやじ馬が増え、親切に誘導をしてくれたのだが、この困難をどう切り抜けるのか!と全員がこのままバスは道の真ん中で夜通し立ち往生したままなのかと絶望的になってしまいました。

 ところが! ラムさんはとても無理と思われた狭い道を細かく細かく切り返し、私たちは手に汗握りながら、ラムさん頑張れ!と心の中で声援をおくりつつ祈った。そして・・・ナントその道からバスを脱出させたのです。

おお~神業だぁ👏👏👏👏👏

バスの中は大歓声と拍手の嵐。近所の野次馬の人たちも拍手。

 2015年にネパールのビラトナガールやダージリングで、曲がりくねった山の急坂をジープで行った時も、その運転技に度肝を抜いたが、それを上回る神業である。ラムさんバンザーイ🙌 その日からラムさんはヒーローになったのであります。

 さて、次回はいよいよ瞑想キャンプのお話です。
1週間の禁酒、禁煙、完全菜食、朝から晩までどっぷり瞑想の学びの日々を送り、身も心も清らかに ・・・なるはずです(汗)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・伊東 真知子

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-レーシャディヤーナ-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
講義・実習:レーシャディヤーナ

日時:2022年12月4日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は後楽園駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。
*いつもの茗荷谷ではございませんのでご注意ください。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)
 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

コラム[清らかな心]

清らかな心とか、心を清らかにするとは、どういうことなのでしょう。それは宗教家や道徳を語る人が良く使う言葉です。そのような人が語る話を聞いても、書物で読んでも、清らかな心というものが理解できませんでした。なぜ、解らなかったかと云えば、心と云う言葉の意味する範囲が広すぎたからです。心という言葉を定義づければ、『心とは人間の生体内部で働く機能の総称である。また、人間の精神作用の基になるものと、その作用である。』となり、その意味するところが余りにも広範囲に亘っているからです。

 清らかな心と云う言葉で、若かった私が真っ先に思い描いたのは、神に使える巫女さんのような人でした。若くて容姿端麗で処女であり、両親からの愛に恵まれた幸せな家庭に育ち、人生上の困難な経験に乏しく、素直で従順な人を思い浮かべました。そんな、状態だったから清らかな心、清らかな人と云う概念が全く解らなかったのです。

 プレクシャ・メデティションを学び実践していくなかで、自分とは一体何かと云うことが、肉体の中で働く機能を含めて総合的に理解出来るようになってきたとき、やっと心の清らかさと云うものが解ってきました。

 心と云う言葉の範囲が広すぎて、心の清らかさが理解できないのだから、心の核心に迫るために、その意味する心の範囲を狭めれば良いのです。心を潜在意識と置き換えてみましょう。すると心の清らかな人は潜在意識が清らかな人だと云うことになります。

 潜在意識はジャイナ教哲学で云うドラビア・アートマン(純粋なる魂)に汚れが着いたパーヴァ・アートマン(汚染された魂)のことです。汚れた魂は、その人の個性であり、人格であり、精神性であり、癖づいた心でもあります。この汚れた心、つまり汚れである癖のことをカルマと云い、そのカルマが今、ある私たち全ての人間の人それぞれの現実を創っているのです。私たちの潜在意識であり、存在の大元である精妙な体のことをジャイナ教ではカルマ体、原因体と呼称します。日本語では霊体と呼称し精神性のことです。

 清らかな心と云う表現は本当は適切ではありません。清らかな魂と云うべきです。ジャイナ教の理想は魂に付着した汚れを振り払い、魂が純粋になることを目指しています。ジャイナ教では魂が純粋になった状態をモークシャと云い、それがもう生まれないもう死なないことで解脱と云います。解脱は全ての生き物に課されている課題であり最終目的地です。魂を完全に純粋にすることは、かなり難しいことなので、解脱の域に到達するのはほとんど不可能と云っても過言ではありません。解脱出来なくとも幸せになることは出来ます。それが潜在意識、カルマの浄化コントロールです。

 なぜ、生き物にカルマが付着するのか、それは宇宙全体に同じものごとの別の側面として、プラスとマイナス、陰と陽のエネルギー、バイブレーションが満ち満ちているからです。暖かい冷たい、好き嫌い、正しい間違いと云うのは同じことのレヴェルの差のことなのです。私たちは生きていたいという欲求を満たすために、自己中心的に行動しがちなので、それによって行動も考え方も癖づいてしいます。顕在的な意識は癖づきませんが、潜在意識は癖づきやすいのです。無自覚であれば誰でも癖づいた行動思考によって、同じようなものを引き寄せる悪循環に陥ってしまいます。

 善いものを引き寄せれば善いものが出てきます。悪いものを引き寄せれば悪いものが出てきます。生まれながらの天才的な才能も身体的な障害も病や悩みも潜在意識下の癖が原因となっているのです。この癖のことをカルマと云い業のことです。自ら創ったカルマによって我々は縛られて不自由になっています。カルマは人間の輪廻転生がわからないと理解できません。私たちが自由になりたかったら、幸せになりたかったら、このカルマの縛りをほどき、自分で自分をコントロールすればよいのです。

 カルマの法則とは、私たちが自ら幸、不幸を創っているのだから、全ては自己責任だということになります。カルマ論は外側から私たちをコントロールしている宇宙創造神のような賞罰を与える存在はいない事を示しています。そうで無ければ自由も平等もありません。カルマの法則の中で私たちは自由で平等で無差別なのです。私たちが日常的に繰り返す行動と思考の癖が潜在意識的にちょうどコンピユーターのハードデスクに打ち込まれたデーターのように機能して、私たちを操っているのです。ですから私たちはそのことを理解して、そのことを自己コントロールする必要があるのです。

 ジャイナ教ではカルマは超微細な物質であると考えています。これが素材としてのカルマです。素材である物質的なカルマの影響で、様々な感情や欲望が起こってきます。それらは善いものも有れば悪いものもあります。問題なのは悪い感情と欲望です。

 それは大きく分けると4つあります。一つは怒りです。不平不満 非難、嫉妬、羨望も怒りの一種と考えてよいでしょう。二つ目がプライドであり、傲慢さ、利己心です。三つ目が強欲です。強欲とは他人の物まで自分の物にしてしまう強い欲望です。四つ目が嘘、偽りを語る虚偽の心です。この4つの潜在意識下に癖づいている心であるところの怒り、自己中心的な心、強欲、欺瞞を取り除いていけば、かなりの部分私たちの潜在意識は健全で清らかになります。清らかな心とは潜在意識の清らかさであり、怒らない心、謙虚で利他心に満ちた心であり、足るを知る心であり、嘘、偽りのない正直な心だと云えます。

 今、起こっているウクライナ戦争の事を考えてみましょう。その真の原因がその国を指導する指導者達の心の汚れに起因していることがわかるでしょう。その指導者を選び出した国民一人一人の心の汚れの総和に起因していることが解るでしょう。だから、私たち一人一人の心の持ち方をコントロールことが大事なのです。潜在意識下に根付いた心の癖を善いものに替える事が心を清らかにする道です。

 潜在意識下の癖を知らないこと、日常生活が無自覚であること、それを無知と云うのです。唯物論では無知は治らない。宗教を否定する思想では無知は治りません。無知によって私たちに不幸がやってくると知るべきです。

 潜在意識下の心を清らかにする方法は、日常生活で求める心を止める事です。いろいろな物事を欲しい欲しいと求める心を止めて、他に捧げる心に切り替えることに尽きます。自分の持てる力や才能を他の人の喜びと幸せと友好、共存共栄のために使うのです。その実践こそが怒りを無くし、傲慢さが無くなり、欲望を少なくし、欺瞞に満ちた心を、友好と無条件の愛に溢れた清らかな心にしてくれるのです。一人一人の心の平和が国の平和になり世界の平和に繋がっています。

 魂(アートマン)を理解しカルマの法則が解り、生き物の輪廻転生が真実として確信出来るようになれば、私たちの自己認識は一変するでしょう。宇宙始まって以来の全てのご縁に感謝できるようになるでしょう。その全てのご縁に感謝できる心のことを清らかな心と言います。全ての人間の心が清らかになった時、地上がそのまま天国になるでしょう。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2022/10/31からの転載です)

 

読むプレクシャ・メディテーションVol.13-「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」を読み解く-

2022年12月2日(土)18-19時に『読むプレクシャ・メディテーションVol.13-「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」を読み解く-』を開催いたします。今回は2章を読み解いていきます。

良い食べ物を食べると肉体が満足するように、良い学びを摂り入れることで心が満足します。頭が整理され、瞑想の理解が深まります。知的な理解は実践へと繋がります。知行合一の循環はより高い充足感をもたらしてくれます。

オンラインでの会になりますので、ご自宅問わず、どこからでもご参加頂けます。

Zoomオンラインでの参加で読み解き人との質疑応答にご参加頂けます。

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プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。
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【当日の流れ】
1「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」2章を読んで参加(読まなくても参加できますが効果が減少します)
2参加者からの読後感
3著者からのポイント解説
4フリートーク
5終了

【読み解く書籍紹介】
「自分で自分の医者になる~プレクシャ・メディテーション随想録Vol.2~」(坂本知忠著)

2章 自分で自分の医者になる 
2-1.水晶を使って心身を整える
2-2.身体とは何か
2-3.生命が病気を創る
2-4.カラーセラピー・色彩療法
2-5.自分が自分の主人公になる
2-6.自分で自分の医者になる・無病の道



【日時】2022年12月3日(土)18-19時(受付開始:17:45)

【会場】オンライン

【受講料】なし(手元に書籍がある場合)orドネーション(手元に書籍がない場合)
*書籍希望の方は、お申し込み後、電子書籍をお送りいたします。申込フォームよりお願い致します。
*ドネーションの場合はイベント終了後1週間以内に協会へのお振込みをお願いしております

【読み解き人】:坂本知忠(指導ランク:教師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。

コラム[ジャイナ教僧侶がしているマスクの意味]

ジャイナ教白衣派の出家僧がしているマスクは我々日本人には馴染みがないので少し不気味に感じるかもしれません。今回はなぜ僧侶がマスクをしているか説明します。

私達が求めているのは幸福になることです。不幸になりたい人はいません。なのにどうして不幸になるのでしょう。私達が無知だからです。最大の無知は怒る事です。幸福になるには私達は怒りの心を無くさなくてはなりません。

何かに対して嫌だなぁと思う心が怒りの心です。怒りを言葉に出せば自分自身が傷つくし、相手をも不幸にします。誰かをけなす、脅す、陰口をきく、相手を怒る、非難する、侮辱するなどの言葉は言葉による暴力です。暴力を振るえば他の人や生き物達と仲良く出来ません。暴力を振るえば相手の心に怒りが起こります。それが争いです。

怒りの心は自分の方が正しいと思うエゴの心から起こってきます。執着することや適応性の欠如からも起こってきます。ジャイナ教ではアネカンタといって他の主張も否定しません。自分だけが正しいのではない、立場を変えて相手も正しいと思うことそれが非独善主義です。アネカンタの考えが争いを無くします。勝ち負けではなく、平和と幸福の為に他と争いません。

全ての生き物達と仲良くするというのがジャイナ教の一番大事な教えです。非暴力、絶対平和主義です。自分が殺されても相手を絶対に傷つけません。他に対して肉体的な暴力だけでなく言葉による精神的な暴力も決して振るいません。嫌だなぁと相手に思わせる言葉は全て暴力的な言葉です。

ジャイナ教の僧侶は一瞬一瞬の言葉と思考に、他に対する思いやりと友好の気持ちを育み、決して言葉による暴力を犯さないと実践しているのです。口先だけの理論でなく実行実践を重視しています。マスクをする事で言葉による暴力がなくなり、マスクがその実践を助けているのです。

マスクは「アヒンサー(非暴力)」、「アパリグラハ(無執着)」、「アネカンタ(非独善主義)」、「マイトゥリ(全生命との友好)」のシンボルなのです。マスクはジャイナ教の心であり、教え(哲学)であり、ジャイナ教そのものです。マスクを取ってしまえば、形態的にもゴータマ仏陀時代の仏教と区別できません。ジャイナ教は世界一全ての生き物達に優しい平和宗教です。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/4/25からの転載です)

福元朗忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-基本技法のおさらいとシェアリング-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
講義・実習:基本技法のおさらいとシェアリング

日時:2022年11月6日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:福元朗(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
龍村ヨガ研究所指導者養成コース修了
龍村ヨガホリスティックヘルスコンサルタント養成講座2級修了
龍村式指ヨガマスターインストラクター
龍村式眼ヨガコンサルタント
動禅式療術師
セロトニン道場ヨガ講師
介護をする人のためのサークル『チャオ』ヨガ講師(主に昭和大学にて)
やまゆり生協ヨガ講師
『永井式体にやさしいマッサージ入門 骨ゆらし健康法』(日貿出版社 永井幹人著)原稿整理担当
『脳からストレスをスッキリ消す事典』(PHPビジュアル実用BOOKS 有田秀穂著)
ヨガ指導協力

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み

坂本知忠先生と行く瞑想の源流を探る旅世界一平和なジャイナ教(2022年11月)

PDFはこちらよりダウンロードください

申込締切:2022年8月31日(水)→延長(9月15日申込分迄)
*定員となり次第締切となりますのでお早目の申込をお願い致します

申込先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)
*件名を「2022年インドツアー」としていただき、上記PDFチラシ内の「参加申込書」に必要事項をご記入いただき、お申込みをお願いいたします。
 

旅行企画:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(会長:坂本知忠)

2022年プレクシャ・メディテーション・キャンプ

【テーマ】
ジャイナ教讃歌・プレクシャ・ギータの練習 
今後の協会発展及びプレクシャ・メディテーション普及に向けて意見交換

伊豆・河津町、今井浜海岸から2キロほど山中に入ったいりあい村は佐藤松義先生が後世に沖道ヨガを伝え残すべく開設した道場で、ライフサイエンスYOGA道場と呼ばれています。今年のプレクシャ・メディテーション合宿は皆さまにこの素晴らしい施設を知っていただくために、いりあい村で行います。河津町は海あり山あり温泉ありの、伊豆半島東海岸の有名観光地です。

プレクシャ・メディテーションが初めての人、学び続けている古い生徒さん、指導士、講師の先生 皆が一堂に会し親睦を深め合うキャンプを開催します。皆さんお誘いの上参加ください。

【日時】2022年9月30日(金)~10月2日(日)
【会場】いりあい村 YOGA道場

【参加費】2泊3日27000円 宿泊費・食事5回・講習費含む(年会費済みの方は2000円引き。現地までの交通費及び温泉入浴料は別途になります。)
【持ち物】ヨガのできる服装、散策用スニーカー、タオル、洗面化粧道具、パジャマ、筆記具、テキストとして『勝利者の瞑想法』(持っていない方は当日購入可)

【講師】坂本知忠、伊東真知子、その他協会指導士 

【集合時間】30日14:00(昼食は済ませてきてください)
【解散】2日12:00(昼食後解散となります)

【交通】熱海駅から伊豆急下田行きが便利です。
*電車で来られる方のご案内
熱海駅発:11:32(JR伊東線・伊豆急下田行き)
今井浜海岸着:12:58

熱海駅発:12:24(JR伊東線・伊豆急下田行き)
今井浜海岸着:13:49
 
*上記いずれかの列車に合わせて乗車下さい。今井浜海岸駅に出迎えます。列車に乗ったら坂本まで携帯にメール下さい。
*上記以外の列車ご利用の方は今井浜海岸駅の隣駅・河津駅まで来てください。
*河津駅からはタクシーを利用ください。行先は「いりあい村」と言ってください。出迎えはありません。

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は、「問合先」まで氏名、携帯電話、交通手段をご明記の上、お申込みください。

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

 

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-4ステップ瞑想(ジョーテイ・ケーンドラ・プレクシャ)-

*従来開催してまいりました「はじめてのプレクシャ・メディテーション」のクラス名を2022年から変更して開催してまいります*

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
講義:内容当日発表
実習:4ステップ瞑想(ジョーテイ・ケーンドラ・プレクシャ)

日時:2022年9月4日(日)10-12時(開場:9時半)
*伊東真知子先生による瞑想のための身体ほぐしのためのプレクシャヨガを30分行います

会場:最寄り駅は茗荷谷駅となります。場所の詳細はお申込者様へご連絡させて頂きます。

注意:マスク着用、最低1mのソーシャルディスタンス、定員18名、換気実施

会場参加受講料:2000円
オンライン参加受講料:1000円
*オンライン参加の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)
 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み