コラム:カルマヨギ・二宮金次郎

自己探求に偏りしすぎると宗教は理想主義の傾向が強くなり、社会救済を重視すると宗教は現実主義、実用主義化する。宗教の理想は理想主義と現実主義がフィフティ、フィフティに調和されたものが私は望ましい宗教だと考えている。自己探求とは皮膚の内側に深く潜っていって真実の自己を見つけることである。それがメディテーション(瞑想)である。瞑想によって「自分だと思っていたことが自分ではないとわかる」。真実の自己は神であるとの悟りを得ることができる。社会救済は愛、慈悲、菩薩行の実践である。社会救済は皮膚の外側に自己を拡大していく行為であるということができる。社会救済、菩薩行、奉仕行によって「自分ではないと思っていたことが全て自分だとわかる」。菩薩行の実践によって、全てのものとの融合、宇宙との合一、神との合一が達成される。 沖正弘先生はそのことを真智聖愛と言った。真智が自己探求、聖愛が菩薩行、二つ合わせたものが沖ヨガ行法でそれを冥想行法と呼んだ。自己探求だけの意味の瞑想でなく、沖ヨガは社会救済を含む意味の冥想行法と表現して両者を区別したのである。

2600年前のインドは多くの出家僧が瞑想と苦行に取り組んでいた。当時のシュラマナ系宗教は自己探求とカルマの解消、輪廻からの離脱にばかり目が向いて理想主義、厳格主義に傾いていた。そのシュラマナ系宗教に対し、実用主義、現実主義をとってシュラマナ系宗教を改革したのが仏陀だと私は考えている。仏陀が現実主義(中道の教え)をとったため、厳しかった戒律が、後に仏教徒によってだんだん戒律の数が増えていったのに反比例して安易なものになってしまった。古代のシュラマナ系宗教の姿を今にとどめるジャイナ教は、魂の存在を認め、非暴力、不殺生、無所有、無執着の戒律を、不合理でも現実離れしていても何が何でも変更せずに堅持した。ジャイナ教が理想主義で仏教が現実主義といってもよい。どちらが優れているかという問題ではなく、どちらをより重視しているかの違いなのだ。

ヨガの部門は72部門あると言われている。その中で主要なものはバガバッドギータに説かれているジュニヤーナヨガ、カルマヨガ、バクティヨガである。バクティヨガは信仰のヨガで全てに神を見ることで救い、救われを目指している。ジュニヤーナヨガは自己探求の瞑想ヨガであり、カルマヨガが生活や仕事を通じて社会救済をする菩薩行ヨガである。

カルマヨガとは何か、カルマとは日本語で業という意味である。業とは因縁果のことであり因果律のことをいう。全てのものごとには起こってくる原因があり、原因と縁なくして結果はおこらないという考え方のことをいう。幸せになりたかったら幸せになるための行為をしなさいという実践である。それが社会奉仕行、社会救済行である。仕事を通じ生活を通じて世のため人のためになる奉仕行の実践がカルマヨガである。カルマヨガを実践したカルマヨギを思うとき、私の頭に真っ先に思い浮かぶのは日本の偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎である。江戸時代後期から幕末にかけて日本はキラ星のごとく幾多の精神性の高い人々を輩出した。武士階級だけでなく庶民階級からも優れた人物が現れた。心学という道徳を教えた石田梅岩であり、船乗りの高田屋嘉兵衛や百姓出の二宮金次郎もその一人である。

キリストや仏陀、親鸞、道元などすぐれた宗教的指導者になった人は、子供のころ父や母を亡くした例が多い。江戸時代後期小田原藩の百姓として生まれた二宮金次郎も14歳で父を亡くし、16歳で母を亡くし、貧困という苦難に直面している。そうした困難の中から世のため人のためになるという覚悟が生じてきたのだから菩薩の出現と言ってもよい。金次郎は一般的に思想家、道徳家、農村指導者というイメージで見られているが、大実業家であり現実的な商人、大政治家、社会革命家などの側面をもっていて、一言では表現できない偉大な人物である。身分制度が厳しかった江戸時代、百姓から武士に取り立てられ、財政難に窮した各藩の改革を任せられ、それを見事にやり遂げていることに驚き
を禁じ得ない。

私が小学生だった時代、浦安小学校にも薪を背負って読書しながら歩く二宮金次郎の石像が校庭の片隅にあった。努力と勤勉という道徳を教えていたのである。二宮金次郎は理屈でなく実践で社会を向上させ多くの人々を幸せにした。金次郎は徹底的な現実主義者、実用主義者だった。自然を良く観察し自然から学び自分の体験を通して自分の思想を作り上げた人だった。私が金次郎を偉大なるカルマヨギであるとする根拠は、日々の生活と実践を通じて無私の立場で社会貢献をなした点を評価している。彼が亡くなった時、家も土地もお金も残さなかった。すべてを他に捧げたのである。他に譲ることを金次郎は推譲(スイジョウ)といった。金次郎の教えを要約すると、天地自然の恵み、社会の恩恵、父母祖先のおかげに報いるために徳行、報恩、感謝、積善をもってする実践の道であるといえる。人間が働くのは、ただ自分の為に働くのではなく、他の命のために働かねばならぬということであり、これを金次郎は「報徳」といった。私が金次郎を素晴らしいと思うのは、人間の道と天の道は違うと説いていることにある。「天の道は自然法則だから稲や雑草に善悪はない。自然法則だけに任せると荒地になってしまう。人の道は自然法則に従うけれども雑草を悪とし、稲や麦を善とする。人間にとって便利なものが善、不便なものが悪と考える。この点で天の道(自然法則)と人間の正しい生き方は少し違う。人の道は天の道に任せておくとたちまち廃れてしまう、行われなくなってしまう。」自然法則に従うだけの理想主義ではなく、あくまで人間の生き方を現実主義、実用主義としてとらえているのである。

金次郎は小さなことをこつこつ積み上げることを大事にした「積小為大の理法」。金次郎は善悪、強弱、遠近、貧富、苦楽、禍福、寒暑など互いに対立しているものを一つの円の中に入れ、常に総合的に物事を判断していた。因果律を重視して積善を唱えた。万物は一つも同じところに止まっておらず、四季が循環するのと同じで陰極まれば一陽来復、厳冬だからこそもうすぐ春がそこに来ているのだと苦難に悩んでいる人を鼓舞した。天地の間で万物の道理は皆同じである。善の種を撒いて悪の実がなることはない。悪の実がなったのは悪の種を撒いたからである。困窮はその人自身の因果の上に成り立っている。他から救助の手をさしのべる方法はない。本人の気づきが大事といった。本人がそのことに気づくようにして、それに気づけば惜しげもなく援助の手をさしのべたのである。

日本が生んだ偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎のことをもう少し知りたい人は、三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』(平成14年6月、栄光出版社刊)、及び現代語抄訳『二宮翁夜話』(2005年2月、PHP研究所刊)を読まれることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/11月第66号からの転載です)

コラム:日本文化の精髄・露天風呂

夏休みに上越国境に近い群馬県の山の中にある、二軒の秘湯温泉宿に泊まった。初日に泊まった宿は 「たんげ温泉美郷館」、この宿は5年前の正月休みに一度泊まったことがある。和風木造の日本情緒あふれる建物の雰囲気や露天風呂の作りにすっかり魅せられてしまった。そのときは外気温が寒くて、お湯の温度がぬるかったので、もう一度次回は夏に行きたいと思った。今夏、再訪して感じたのは、6か所ある浴場の作りがいずれも上手にできていて高い美意識と完ぺきな芸術性を感じた。地元の林業会社の社長が趣味で凝りに凝って作ったとしか言いようがない、手の込んだ作りになっている。渓流沿いに露天風呂は3か所あって、うち一番大きなものは、使われている石も大きく上手に石組みされている。このような形よく美しい大きな庭石をどのように集めたのだろう、さらに現地で庭園にするために石組みする技術にもすっかり感心してしまった。銘庭と呼ぶにふさわしい石組みの露天風呂に温泉が掛け流されている。露天風呂から望む渓谷の流れも美しい。客室は18室しかないのでウイークデイに泊まればすいていて、どの浴室も貸し切りのように入れる。自然の中に融合して、まったく違和感のない人の手でつくられたこの露天風呂に入るとき、日本人に生まれた幸せをつくづく感じた。美郷館は平成3年に開業した比較的新しい温泉宿である。露天風呂の設計や施工は多分群馬県内の業者が携わっていると思われるが、その技術力の高さは称賛すべきものである。

二日目に泊まったのが法師温泉長寿館、新潟県境の三国峠に近い山中の秘湯だ。長寿館は40年前、50年前の若いころに2度泊まっている。昔ながらの鄙びた風情を感じさせる「法師の湯」は、湯船が4つに仕切られた大きな木造の浴場である。湯船は川底につくられているので足元は卵大の大きさの川原石が敷き詰められている。湯船の底の丸石の隙間から新鮮な温泉がふつふつと湧き上がってくる。印象深いこの温泉にもう一度入りたくなって二日目の宿に選んだ。40年ぶりに訪れた法師温泉は新館が増設されて旅館の規模が大きくなっていた。旅館の玄関や囲炉裏の間は全く昔のままだった。昔の雰囲気を壊さずに守り残そうとしている旅館の経営方針に共感を覚える。建物も浴場も綺麗に掃除され磨きこまれて清らかである。前回は本館に泊まったが今回は法隆殿に泊まった。混浴の時間帯だったが家内を誘って、法師の湯に入った。湯船を仕切るように置かれた丸太を枕にして体を湯に横たえると全ての筋肉から緊張が抜け出ていった。はじめ我々二人だけだったが、一人二人と男性が入ってきた。昼間でも薄暗い、広い浴場に数人だけしか入浴していないので、のんびりとした気分になる。丸太を枕にあお向けになって浴場の太い丸太の小屋組みを見ていると、身も心もリラックスしていった。

時間制で男女別の入浴時間をもうけている「玉城の湯」は近年、新しく作られた法師温泉の名物風呂である。内湯と露天風呂に分かれている。内風呂から望む露天風呂の景色が実に美しいが、さらに外の露天風呂に出てみて驚嘆した。この露天風呂に使われている石が形も色も模様も銘石ばかりで、大きく存在感があり、実に巧みに石組みされていたのを見たからだ。どうやってここまで運んだのだろうかと思うほど巨大な石の上から温泉の湯が滝になって落ちてくる。玉城の湯の露天風呂に入って、使われている石を触ったり石組みを見ていると日本人はなんて素晴らしいのだろうと思う。翌朝、滝となっている石組みの大石を後ろから見てみたいと思って散歩に出た。背後から大石の石組みは良く見えなかったが、小さな石碑があって「法師温泉 長寿館 玉城の湯 露天風呂造園工事一式施工 平成12年7月設計・濵名造園設計研究室 施工・群馬庚申園株式会社」 と彫られてあった。

法師温泉に向かう途中時間があったので、旧三国街道の宿場だった須川宿にいった。須川宿は宿場町全域を「たくみの里」というコンセプトでテーマパークのような町づくりをしていることで知られている。その町はずれに桃山時代創建と伝わる曹洞宗の古刹泰寧寺がある。山門と本堂の須弥檀が県の重要文化財になっている。泰寧寺はアジサイと蛍の名所で、地元にも人気の寺らしい。山門の前には小さな川が流れている。村道から川に降りて砂防堰堤と一体に作られた橋をわたって対岸に作られた石段を登っていくと立派な山門が現れる。山門をくぐりさらに少し上ると本堂の立つ境内にでる。鐘楼もあり趣ある山寺である。ここで私が興味惹かれたのは山門でもなければ、石段や山門の石垣でもない。堰堤と橋を中心にした回遊式庭園の石組みである。寺に向かう橋は砂防堰堤の落ち口に堰堤と一体的にコンクリートで作られている。コンクリートであるが太鼓橋のように優美に緩やかに中央を膨らませて作られている。シンプルなデザインであるが趣がある。コンクリートの橋は苔むして古びた良い雰囲気を出している。橋の下が堰堤の落ち口になっていてそこから流が滝となって落ちている。堰堤の上流は池になっていて池の水際から上手に石組みされている。人間が作ったとは感じさせないほど自然と同化している。堰堤の下流の巨岩の石組みは驚嘆すべき巧みさである。堰堤を落ちる滝はどう見ても自然に落下している滝に見える。庭園なのだがどう見ても自然風景になっている。神の手が加わったかのように自然風景を超越した完璧な調和の石組みとなっている。こんな巨大な石をどうやって運び入れ、どうやって組み立てたのだろうか本当に素晴らしい。指摘されなければ人工物とは気づかない。そのような、石組みの中に座禅に手ごろな平らな大石がいくつも配置されている。その一つに座ってみた。私の心の奥深くから、深い感動が湧き起ってきた。この庭園を設計した名もない造園家、施工した名もない職人の美的感覚の凄さがわかった。泰寧寺はこのような立派な庭園を造れるほど裕福な寺には到底思えない。多分街づくりの公共工事の一環としてなされたものであろう。寺の住職か公共工事にかかわる誰かが発案したのであろう。真相がわからないのでどのような経緯でいつ頃、この庭園が造られたか調べてみたいと思う。

自宅に戻って泰寧寺のことをいろいろネットで調べてみた。沢山の記述投稿があったが、この庭園を称える記述や、誰がいつ作ったかについて触れた文章は皆無だった。評価されないのか、忘れられてしまったのか私には解からないが、この庭園こそ真に価値ある文化財である。思い起こせば自然に流れていた川に庭師が手をいれて、庭園のようにしてしまった川を私は過去にも見ている。一番印象に残っているのは厳島神社の側を流れる「紅葉谷公園」である。谷の石組みは庭師が組んで調和した理想形に作られている。もみじ谷はよく観察しないと人間が作ったものと感じさせないほど自然に溶け込み、人工的な不自然さを感じさせない素晴らしい渓谷になっている。

奥多摩の御岳山近くのロックガーデンも自然の谷に人工的な手を加え、さらに自然美を整えたものである。大型建築機械が入れないような場所で自然の雰囲気を損なわないように大きな石をたくみに組み合わせ人が歩きやすいように整えている。大きな石を適材適所に配置した技術に驚嘆する。

伊豆半島の湯ヶ島温泉に白壁荘という温泉宿がある。宿の敷地から掘り出された巨石をくりぬいて露天風呂の湯船にしている。この巨石の湯船がユニークでみごとである。石庭の美しさ、敷地内の巨石の石組みや、露天風呂の石組み、銘石など日本の石の文化を堪能したかったら山梨県石和温泉「銘石の宿・かげつ」に行くと良い。石庭が好きな人にとって「銘石の宿かげつ」はたまらない魅力の宿である。

私は石庭や露天風呂の石組みだけでなく、城の石垣が好きである。石垣を見ていると古く忘れられた記憶は過去生まで辿れるような気がする。私が興味惹かれるものは石や石で作られたものである。石灯籠や石仏なども大好きだ。河原の石が私に話しかけてくる。路傍の石が私に話しかけてくる。石とだったら私はいろいろ話ができる。20歳のころ造園家になりたいと思ったことがあった。自分の中に熾火のように残っている「かくありたい」を探るとき来世で私は造園家を仕事に選択するような気がする。近いうち、静かな時を選んで再び泰寧寺の渓流庭園の坐禅石に坐って瞑想してみたい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/9月第65号からの転載です)

コラム:カラーセラピー・色彩療法

プレクシャ・メディテーションの第六段階はレーシャ・ディヤーナである。レーシャとはジャイナ教哲学でいう魂から放射される「霊的な色彩光」のことである。レーシャは本来、魂から発せられた純粋無垢な光であるが、魂の周りに付着したカシャーイと呼ばれる汚染物質の影響で色が付着する。着色したレーシャは魂よりも外側のレヴェルにある電磁気体や肉体に影響を与え、肉体の外側に広がって人それぞれのオーラの色になると考えられている。

オーラとは仏教で云う後光であり光背のことである。キリスト教ではオーレオールと言い、古代から人間の周囲には不思議な色彩をもつ何かがあると知られていた。

身体を取り巻くオーラは特殊能力を持つ人にははっきり見えるらしい。現代ではオーラを映像に写せるオーラカメラが開発されている。マハーヴィーラは長期間の断食や瞑想修行により、オーラを見ることができ、その色の持つ意味を極めて正確に解釈できたと考えられる。古代ジャイナ教聖典にはレーシャに関す記述が多い。

ジャイナ教瞑想修行のレーシャ・ディヤーナというテクニックは、肉体の外側にポジティブな色彩をイメージして、その色彩を魂の外側を雲のように取り囲んでいるカルマ体レベルに流入させ、ネガティブな色とされる黒や灰色、その他くすんだ色と置き換えることにより、カルマ(業)の浄化を目指すものである。色彩は私たちの精神状態に影響を与えているが同時に、精神状態によって霊的色彩光(レーシャ)が影響を受けていると考えられる。

色彩とは一体何なのだろうか。物理学的な解釈では「色彩とは電磁波における可視光線のことである。」と定義する。私たちの周囲には光や電波など波の性質をもった電磁波に溢れている。ガンマ線やX線、紫外線といった電磁波は可視光線より波長が短く、赤外線やテレビ電波、ラジオ電波は可視光線より波長が長い。赤の波長は700nm(ナノメートル)前後で、青は460nm前後、紫は380nmである。

可視光線の波長が長いと赤に近づき短いと紫に近づく。可視光線をプリズムで分解すると、彩度の一番高い純色の虹の七色となる。その色彩を波長の短い順に並べると紫、藍、青、緑、黄、橙、赤になる。色彩の彩度は電磁波の振幅が高く(大きく)なると明るくなり、振幅が低くなると暗くなる。光である電磁波は物質のない真空中でも伝わっていくが、音は空気や鉄の棒などの伝える物質がないと伝わらない。

我々は光の無い所では何も見ることが出来ない。光源から放たれた光が物体に当たり反射され、それが人間の目の視細胞を刺激し脳によって変換され、はじめて私達は形や色を知覚することが出来る。物体色は物体そのものに色が備わっているわけではない。あくまで光のどの部分の波長を反射するかが、その物体の色を決定する。物体が全ての光を反射すると白く見え、全ての光を吸収すると黒く見える。

色の見え方には2種類あって、反射の結果として見える色と、光が物体を通過することで見える色がある。この場合透過した色だけが見え他の色は吸収されてしまう。ステンドグラスの場合赤い波長だけを通すと赤く見え、他の色はガラスに吸収されてしまう。色彩照射療法はその原理を使っている。レオナルド・ダビンチは教会で紫色のステンドグラスを透過した色彩を浴びて瞑想することを好んだ。

古代ギリシャでは太陽神が信仰されていた。その中心地になっていたのがヘリオポリスの癒しの神殿である。癒しの神殿では太陽光を色に分けて、それぞれの色によって特定の治療を行っていた。そのヘリオセラピー(太陽色彩療法)の父が有名なヘロドトスである。色彩療法は古代ギリシャや古代インドに起源がある。

光線療法やカラーセラピーは本質的には自己の内的空間を探求することを意味する。それは色彩を観るビジュアライゼーション(瞑想)によっても可能である。瞑想によって魂の汚れを取り除いていけば魂の純粋性が立ち現れる。自己の本質である魂からの純粋な光によって自己を深いレヴェルで癒すことが出来る。自分で自分の医者になる方法の一つである。人間の悟りや人格の向上は身体的にも精神的にも外部から上手に光や色彩を取り入れてそれを活用することができるかどうかにかかっていると言っても過言でない。

光は色の本質(親)であり、又、光は生命の根源・本質である。光はエネルギーそのものである。全ての物質はエネルギーが形を変えたものである。人間もエネルギーのかたまりによって出来ている。138億年前のビックバンの光エネルギーが人間という形のエネルギーに変わって存在しているのである。私達は光である。私たちの本質つまり親が光である。生き物の生命エネルギーの根元は太陽光である。人間だけでなく地球上の生き物が食べている全ての食物の源は太陽光である。光が神であるとはそのことを云う。光なくして人間は生存できない。又、色彩の本質も光である。だから人間の生命は色彩の影響を強く受けていると言える。目を有する生物は皆何らかの色覚がある。昆虫、魚、鳥、両生類、爬虫類は色彩を感じている。世界は色彩にあふれている。自然界の多彩な色彩を見ていると、この世はなんと美しい世界なのだろうといつも思う。そして色彩は形とともに個別のものに個性を付与して、個性の情報元となっている。

人間は目だけでなく皮膚でも色を感じ取っている。皮膚には色を識別する特殊なセンサーが備わっている。だから、皮膚に光線を照射する療法が生み出された。光線療法に照射する色彩は 赤、オレンジ、黄色、レモン、緑、青緑、青、藍、スミレ、紫、マゼンダ、深紅である。レモン色は慢性病、青緑は急性病に。紫色、深紅色、マゼンダは心臓病、循環器系、生殖器系をはじめとして全ての症状に良い。活動過多の人に紫色を照射し、活動不活発の人には深紅色を使う。マゼンダは両者のバランスをとる時に使用する。無気力の人に対してレモン色とオレンジ色を合わせて使う。感覚麻痺の時にはこれに赤を加える。藍色は鎮痛、出血、膿傷のある症状に使う。緑色とそれに近いレモン色や青緑は体のバランスと関係しているので必ず照射(トネイション)に含めるようにする。1979年マルティクとベレンジは酵素の反応速度を増やして活性化させる、あるいは不活性化させる色彩や、細胞膜を通る物質の移動に関与する色彩があることを発見した。

赤は生命力を高める色で交感神経を刺激する色である。青は副交感神経を刺激する。赤い色は瞬発力が高まり青い色は持久力を高める。不眠症の人は青い敷布や毛布を使うと良い。赤やピンクでは寝つきにくい。ベージュ色はリラックスさせる色、一番筋肉の緊張をほぐす色である。白い色が健康に一番良い。黒い服ばかり着ているとシワが増えるし早く老け込む。明色の橙色をピーチというが皮膚に不思議な効果があり、ピンクとともに若返りの色である。

色彩は私たちの精神性にも深く関係している。色彩は意識や感情に深い影響を与える力がある。プレクシャ・メディテーションのレーシャ・ディヤーナはそうした理論を基にした瞑想法である。一例を挙げれば、頭頂に黄色をイメージすることで知性が高まる。眉間の奥にオレンジと深紅の中間色をイメージすることで直感力が高まる。胸の中央でピンク色を観ることで友愛の情を育てることができる。色彩と精神性の関係については いまなお不統一で未知なることも多く、更に研究の上、瞑想体験を深めて別の機会に詳述したいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/7月第64号からの転載です)

コラム:生命が病気を創る

身体の中で生命力は私たちを生かそう生かそう、長生きさせよう、効率よく元気に身体が動くようにと働いている。それが生命のバランス維持回復運動としての働きである。身体の病気や痛み、心の悩みは生命が命を存続するために起こしている現象と言っても良い。病気や痛みがなかったら生命は命を維持し存続させることは出来ない。病気は悪いものではなく生命のバランス回復運動として起こってきていると言える。原因がなくなりアンバランスが是正されればバランスを取るために必要だった重石としての病気は不要になる。重石としての病気を取るためには、一時的に極端なアンバランスを身体内部に招来させて、アンバランスの上にもっとアンバランスを起こさせて、命の働きが更に高まるように誘導する必要がある。動には静を静には動を加える反対刺激が必要であり、それが病気治しのコツである。

身体存続維持の働きは、身体内部に流れていく生命エネルギーと、流れに伴って生起する感覚と、その感覚を受け取とって適切な対処法を指示する意識である中枢神経系、末梢神経系の連携で起こっている。身体内部では生命エネルギーとしての電磁気的な流れが神経系を通して一つ一つの細胞に生命力を吹き込んでいる。血液が細胞に必要な燃料(栄養と酸素)を供給しているだけでは命は働かない。生命に感覚と意識がそなわっているから、命を守り存続させる働きが起こるのである。その自覚意識で身体内部に生起している感覚を観じることが、プレクシャ・メディテーションの原理である。

今から5億2000万年前、地球上でエビやカニ、昆虫の先祖である節足動物が繁栄していた。その頃、魚が誕生した。魚はそれまでの生物が持っていなかった中枢神経としての脳を持つようになった。魚の脳には外敵から身を守る装置としての扁桃体も備わっていた。

扁桃体は脳が危険を察知すると活動を始める。扁桃体が働いてストレスホルモンが分泌され、全身の筋肉が活性化されて運動能力がたかまり、天敵から素早く逃げられる。危険が去るとストレスホルモンの分泌は収まる。

2億2000万年前に哺乳類が誕生すると扁桃体は外敵以外にも反応するようになった。人類は更に身体機能を発展させて複雑な自己防衛、自己保存維持機能を持つようになった。天敵ばかりでなく孤独になると不安や恐怖を感じて扁桃体が激しく活動する。過去のつらい記憶が呼び起こされたり、他からの言葉の暴力によっても扁桃体が働き内分秘腺に働きかけてストレスホルモンが分泌される。

その代表的なホルモンとして副腎皮質から分泌されるコレチゾールやアドレナリンがある。コレチゾールやアドレナリンは本来悪いものではなく、身体を守るために生命が適切適量に分泌しているのである。

人間が生きていくとき心身にとって不快なこと嫌なことが身辺に沢山起こってくる。それがストレスである。ストレスとなる刺激のことをストレッサーと言うが、ストレッサーには様々なものがあり物理的なストレッサーとして気温、湿度、騒音などがあり、化学的なストレッサーとしては栄養の過不足、カフェイン、薬物等がある。生物的ストレッサーとしては感染、痛み、炎症があり、心理的ストレッサーとして不安、恐怖、怒り等がある。現代人特有のストレッサーとして、人間関係や仕事のプレッシャーや不規則な生活リズムが挙げられる。

人間にはストレッサーに応じて生命の働きとしての適応性、バランス維持能力が備わっている。過剰なストレスや慢性的なストレスが加えられると心身のバランスが崩れる。バランスが崩れるとその反応として身体はストレスホルモンを分泌し血圧を上げ血流を増やす。また体温を調整して心身のバランスを回復させようとする。強いストレスや継続的なストレスでこの反応が過剰になったときバランスが崩れて病気が起こる。体に現れれば目まい、頭痛、吐き気などの自律神経失調症、胃や十二指腸潰瘍など過敏性腸症候群となる。心に現れれば不眠症や欝となる。

心理的ストレスを長期間受け続けるとコレチゾールの分泌によって脳の一部、海馬の神経細胞が破壊され海馬が萎縮してしまう。海馬は脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官であり、これが萎縮することで記憶喪失や認知症が起こってくる。鬱病患者には海馬が萎縮していることが知られている。

強い不安や恐怖を感じると扁桃体が過剰に働く。すると全身にストレスホルモンが大量に分泌され脳にまで及ぶ。このとき、脳の神経細胞に必要な栄養物質が減少するので栄養不足で縮んでしまう。脳の萎縮が意欲や行動の低下を招来する。それが欝状態である。

心の病である鬱病に対して近年の研究で瞑想や「マインドフルネス認知療法MBCT」が有効であることが解ってきた。マインドフルネスは自分の身体や気分の状態に気づく力を育む「心のエクササイズ」である。マインドフルネスとは自覚的な心であり、深い気づきの心であり、強い心の集中力であり、覚醒された意識のことである。マインドフルネスの反対のことが集中力欠如の状態である。瞑想を実践すれば集中力が増し、創造性が高まり、幸福感、リラックス感が高まる。瞑想することによってストレスが軽減され、免疫力が向上し心身の健康に極めて有効である。瞑想することによって物事をいろいろな面から捉えられ、不要物を有用物に変える能力も高まる。

ストレスを軽減する極めて有効な方法としてプレクシャ・メディテーションのカーヨウッサグがある。古代インドから伝わる瞑想法で「完全なる心身のリラックス法」である。完全に心身がリラックスすると心身分離が起こる。この時ストレスは完全除去される。

ストレスを軽減する方法としてコーピングという気晴らし法も有効であることが知られている。好きな音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったりする。ストレッチや散歩など軽い運動をする。バランスの良い食事をとり、たっぷり睡眠をとり、休む。動画や漫画などを見ておもいっきり笑う。海や山、森や川、木々や草花、石や鉱物等の自然物には癒しの力が備わっている。自然の情景の中に身を置くことで深い癒やしが起こる。自分が楽しいと思うこと気晴らしになるなら何でもしてみる。ストレスに応じて気晴らしをいろいろ工夫する。そうすることで現代人の最大の問題になっている心の病、欝の予防と欝からの回帰ができる。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/6月第63号からの転載です)

コラム:無限の自由とは

地球に生きる全ての生き物たちに生命力が宿っている。生命力の根源は宇宙が始まった時に生じた電磁気的な+と-の流れである。この電磁気的な+と-の流れが生じたとき情報としてのカルマが同時に発生した。カルマとは陰と陽、拡散と収縮、苦と楽、快と不快、善と悪のように存在している物の質の捉え方であり、また、カルマとは測定の仕方や、判断の基準によって結果が動く物事の相対的性質であり、不二一如のことである。生命が宇宙に生じたときそこに『個性・性質』としてのカルマが結びついた。情報としてのカルマが形を変えて、生き物たちに命の願いとして根本的な欲望が備わっているのである。その欲望が身体に備わった苦・楽、快・不快の感覚とともに、命を守り、命を進化させる原動力、働きになっているのである。

その根本的な欲望とは命を長らえたいとする自己保存本能 (食欲・外部から身体を持続成長させるためにエネルギーを摂り入れること)、 子孫や種族を増やしたい自己拡大本能 (性欲・繁殖の仕組み)、あらゆる束縛から自由になりたい自由獲得本能の三つである。全ての生き物の願い、最終目的は永遠の生命、生命の無限拡大、生命の無限自由の獲得と言える。

生き物たちにはその三大欲望が生命の深いレベルで情報としてインプットされている。完全なる自由を獲得するために、時には食欲や性欲が妨げになる。完全なる自由の獲得を目指そうとする古代のジャイナ教や仏教の出家修行者達は食欲や性欲のコントロールが重要と考えた。そうした考え方が戒律の中に入っている。仏教やジャイナ教の理想は輪廻転生しないこと、もう生き物として生まれないこと、解脱が理想である。無限の自由とはカルマの束縛、つまり電磁気的エネルギーの流れやもっと精妙な霊的エネルギーからも離れてその束縛から自由になることである。

無限の自由とは生き物たちの最終目的地で、無限の愛、宇宙との合一 (梵我一如) と同義語であり、全ての宗教の目標である。宗教とは無限の自由を個人的に達成しようと起こってきたものである。

一方、無限の自由を集団的に達成しようとして人類全体が努力しているのが政治であり、経済であり、科学の進歩発展である。経済の発展や科学技術の発達は人間が無限の自由を求めて活動している結果の現れである。飛行機や自動車、鉄道機関車などの交通機関、冷蔵庫、洗濯機などの家電、テレビ、スマホ、パソコンなどの情報通信機器の登場は人間が自由を追求している集団的な活動の結果として出現したと言える。

テクノロジーの高度な発達は生き物としての人間が集団的に求めている進化の現れであり、必然的な方向性でもある。コンピューターの発明は今や高度に改良発展して人工頭脳が作られるようになった。人工頭脳と各種センサーが結びつき、車の自動運転がまさに始まろうとしている。近未来、人工頭脳が自ら学習し判断までするようになるので、車の運転走行に運転手としての人間は必要なくなるだろう。

私は自動車道路の必要性は物質輸送のためのトラックだけになってしまうと想像している。人間の移動手段はヘリコプターを小型化した一人乗りのトブコプター、つまり、ドローンを大型に発展させた飛行物体になると思っている。トブコプターの人工頭脳が目的地と気象条件や飛行高度、経路を最適に判断し、障害物や進入禁止地を避け、トブコプター同士の空中衝突を避けて我々を安全に早く目的地に運んでくれる。東京と只見間の移動所要時間は江戸時代には一週間を要した。車が登場した初期の頃60年前は只見まで一日がかりだった。そして今や高速道路が整備され自動車の性能が良くなって4、5時間で行けるようになった。そして、トブコプターが登場し実用化されると2時間程度に短縮される。

友達が「只見も良いところだけど、東京から遠いからねー」と今は言う。トブコプターの登場で夜、友達とお酒を飲んで10時頃東京に居ても、その日の深夜には只見の自宅に戻れるようになる。このようなことが実現されると文明は全く新しい局面を迎える。自然災害の少ない所、風景の美しい所、水の清らかな所、森や耕地が豊かな所が、人が住む適地として一番の価値を持つようになってくる。只見のような見捨てられた所に人が集まってくるだろう。

2016年頃、自動車の燃費性能偽装問題を起こして業績低迷にあったスリーダイヤモンドがトブコプターの研究にいち早く着手して自動車の生産からトブコプターの生産に業態を切り替える。スリーダイヤモンド社は将来トブコプター生産で世界一の企業になるかも知れない。

農業はアンドロイドが野菜工場で作るようになっている。気象条件に影響されないので、雪の降る冬の只見でマンゴーやパパイアなど南国のくだものが作られている。地球温暖化、気候変動によって露地栽培での農業が難しくなるが、アンドロイドが工場で農産物を生産することで食糧問題は解決している。エネルギー問題は自然エネルギーから電気分解によって作られた水素による燃料電池発電が主役となっている。エネルギーは個人が自前でつくるので送電線や電柱がなくなり村や町の景観も美しくなっている。

月や火星では人間に先駆けてアンドロイド達が都市や町、文明を作っている。アンドロイドが作った宇宙都市に人間は宇宙旅行するようになる。地球の引力の束縛から解放されて人間活動は宇宙に広がっていくだろう。50年後の世界は今からは想像すらできない世の中となっているだろう。

沿海部に発展した大都会は気候変動による海面上昇があるとき急激に起こって、対応ができず居住地を放棄せざるをえなくなるかもしれない。大都市住民が2016年頃のシリア難民のようになって、過疎地の中間山間地に移住することになるなど、50年前の現在には誰も想像できなかったことが起こるかも知れない。

どんなにテクノロジーが発展しようとも人間の動物的な身体の仕組みはすぐには変えようがない。高度にテクノロジーが発達した社会が出現すれば、動物的身体を持つ人類にますます不自然生活を強いられることになる。不自然生活による適応障害が起こってさまざまな心身の病気が人類を苦しめることになるだろう。そんな時代が到来したとき、人間にとって免疫系や内分泌系、神経系のコントロールは今よりづっと重要なテーマとなる。そのためにヨガの身体的訓練や瞑想の実践が欠かせないものになる。プレクシャ・メディテーションを伝え遺すことは未来の孫達へのメッセージであり贈り物でもあるのだ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/5月第62号からの転載です)

コラム:アンベードカルと仏教改宗

アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年光文社新書 山際素男訳)を再読した。

近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中西部の大カースト)に1891年に生まれた。

不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与える存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。

その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアンベードカルである。

アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバローダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学させてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻ったアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学した。

このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてまた社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥーと戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アンベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カースト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたからである。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。アンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。

彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17条に不可触民制廃止が謳われている。

憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決心をした。

デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。アンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもっていた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去った。享年65歳。

アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダとそのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を通しつつこの世を去ったのである。

『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。

アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている。『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するための入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとして、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すことは初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教とは何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。

『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さんに読んでいただきたい一冊である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/4月第61号からの転載です)

コラム:美しき日本刀と非暴力

あるヨガの先生から質問された。「坂本先生は刀をどうおもいますか?」「実は夫の兄が刀剣収集が趣味で、先日、その方から夫に刀が送られてきて、お前も刀の趣味を持ってはどうかと勧められた。」というのである。彼女は刀に対して怖いもの、武器としてのイメージが強く、身近におきたくないらしい。その時私は「刀ほど美しいものはなく、絵画や陶器と同じく素晴らしい鉄の芸術品として鑑賞すべきものであり、決して武器ではない。」「刀は折り返し鍛錬されて火に熱し水に冷却し鍛え上げられたものであり、素材の玉鋼から不純物を取り除いて純粋な鉄の芸術として造られたものである。刀は気高い人格と魂を象徴するものである。」「日本刀にはそれを制作した刀匠が、刀が武器として使われることのないように、平和への祈りがマントラになって込められているのだ。」と答えた。

私の刀への憧れは、少年時代まで遡る。私は団塊の世代の先駆けとなる、昭和21年9月に千葉県東葛飾郡浦安町に生まれた。小学校2,3年生の時NHKラジオ放送で「笛吹童子」や「紅孔雀」などがラジオドラマとして放送されていた。ラジオから流れる主題歌「笛吹童子:ひゃらーり ひゃらりっこ ひゃりーこ ひゃられーど 誰が吹くのか 不思議な笛だ・・・・。紅孔雀:まだ見ぬ国に住むという 赤い翼の孔雀鳥 秘めし願いを知るという 秘めし宝を知るという」や物語に熱中した。その後、「笛吹童子」も「紅孔雀」も東映で映画化され、娯楽が少なかった時代、私はそんな時代劇映画の虜になった。中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗、高千穂ひづる、月形龍之助等の映画スターのファンになったのもこの頃である。

この頃の子供たちの遊びと言えば、男の子ではメンコ、ビー玉、ベーゴマ、そしてチャンバラごっこであった。「俺は那智の小天狗だ。俺は浮寝丸だ。」などと言いなから手作りの木剣を振り回していた。隣の家の木の枝が木剣に恰好だったので、木剣を作りたいという気持ちが抑えられなくて、その枝を切って木剣を作り、隣のオヤジに大いに怒られた。隣のオヤジに怒られたけれど、悪ガキの知ちゃんは小刀を上手に使って、反りのある刀身は木を削り出し、柄の部分に樹皮を残した自慢の木剣を作った。

小学校低学年で時代劇の立ち回りや刀、侍に憧れた知ちゃんは中学校に入ると、剣道部に入部した。中学高校を一貫教育する私立中学校だったので、高校生の先輩から厳しい稽古をさせられた。

ヨガを始めた頃、自宅の近所に居合道を教える道場が出来た。道場主は私の父の小学校時代の同級生だった。榎本富夫先生が自宅に遊びに来て、先生から居合道の話を聞いたご縁で私はヨガと並んで居合の稽古を始めた。ヨガの稽古は三上光治先生について週1回だったが居合は週二回練習した。昭和57年居合道初段に合格した。私は初段に合格したら、稽古の刀を模擬刀から真剣に変えようと思っていた。

古い刀は従前の持ち主の念やネガテブなエネルギーが宿っていることもあるので、現代刀匠の作刀を求めた。その頃、名高かった岐阜県関の刀匠、藤原兼房、兼氏親子が合作で作ったものを実際手に持ち振ってみたところ、長さと手になじむバランスの良さが気に入って、それを買い求めた。真剣身とは良く言ったもので、真剣を使うようになって模擬刀で練習している時とは全く違って真剣身になった。

「関の兼房」は私の愛刀となりその後の5年間、あらゆる刀の使い方に練習を重ねた。1984年春(昭和59年)居合道の2段になっていた。静岡県三島市の沖ヨガ修道場には沖正弘先生がおられて世界中から参加者が集まり「ライフ・エンカウンター・セミナー」が行われた。大勢の外国人の前で、ビール瓶に刺し立てた2メートルほどの篠竹を、瓶を倒さずに「関の兼房」で切り払い、それから、皆が静まり返って見守る中、居合の型を演舞した。1987年(昭和62年)私は居合道の4段になっていた。沖先生が亡き後、私は成瀬雅春先生からもヨガを習っていた。その年、成瀬ヨガの10周年記念祭が品川区の体育館で行われたとき、私は壇上で連続早抜き居合を演舞した。私はこの頃、あらゆる手の内で刀を使えるようになっていた。

1988年沖ヨ修道場主催の第2回プレクシャ・メディテーション研修旅行でインドへ行った。国際親善と日本文化や武道を紹介する目的で私は日本から羽織袴と模擬刀を持っていった。交流会の機会に私は居合の演舞をした。それを見ていたジェイン・ヴィシュバ・バーラティの道場長メータ師から居合はバイオレンスだといわれた。私はそのことを日本に帰って深く考えた。型を演舞しているといっても、一つ一つの型で実際に人を切っているようにイメージする。イメージが強烈すぎて実際に人を切っているような気がすることがあった。相手の血潮が吹き出すイメージが起こることもあった。練習したあとで、その日の練習のイメージで30人から40人の人を殺してしまったと感じる日もあった。瞑想の世界ではイメージしたことは実際に起こったことといえる。そう考えたときに私は居合が出来なくなった。そして現代の居合が実践的でなく、室内だけの型の演舞だけに終始していることに物足りなさを感じたからでもある。非暴力と日本人としてのアイデンティテイ・武士道精神文化の整合性がとれなくなってしまったのである。

居合道から離れてしまったが、私は今も日本刀が好きである。ウィキペディアによれば「日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類の総称である。それは平安時代末に出現し、反りがあり片刃の刀剣をさす。」世界史的に見ても日本刀はユニークなものであり、日本人の物づくりと芸術、文化、精神性を象徴したものと言える。日本刀は外装(拵え)とは別に刀身自体が美しい鉄の美術品である。その姿、形は極限まで機能を追求した結果、一切の無駄がなく美しい。刀の外装である刀身を納める鞘、防御のための鍔、手持ちを良くするための柄、その他刀の外装に使われる部品(ハバキ、目貫、頭)の一つ一つがいにしえの職人が丹精込めてつくった美術品として美しい。

私は室町時代の「備州長船住盛光」と江戸時代初期の「陸奥大掾三善長道」を美術的にも価値ある外装付きで所持している。数百年を経て全く錆びずよく手入れされたこの刀を見るとき、刀が日本人とは何かと語り始めるのを聴くことができる。

先ごろ、東中野の沖ヨガスタジオで「知心流」の宗家を継ぐ大野雅司師の武術演舞を見た。それはかって、私が求めていた実践的な刀操法であった。大野師は真剣を抜くと同時に峯返しした。抜刀と峰打ちが一体になった技である。手の内が理想的に柔らかくなければすることが出来ない技である。戦わずして勝つことが居合であるが、たとえ刀を抜いたとしても相手を殺さないで屈服させる。これが抜き峰打ちである。それはまさに非暴力の居合であった。私はそこに到達できないで居合から離れた。若い頃に「知心流」に出会っていればもう少し居合を続けることが出来たのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/3月第60号からの転載です)

コラム[『シッダールタ』を読んで]

10年ぶりに岡田朝雄訳『シッダールタ』(2006年草思社刊)を再読した。今回、10年前には理解出来なかったこの小説の内容の濃さ、ストーリー構成の完璧さがよく解った。『シッダールタ』はヘルマン・ヘッセによって大正11年10月ヘッセ45歳の時に初版出版された。内容はゴータマ・ブッダの悟りとは別の悟りを開いた小説の主人公シッダールタの思索を通じて、真我とは何か、輪廻転生とは何か、瞑想とは何か、解脱とは何か、梵我一如とは何かなど、インド宗教哲学の精髄を語りきり、描ききり、説明しきっている。

私が30歳頃から今日まで40年間探求してきたインド哲学全般、そしてヨガや瞑想の奥義を、この小説ほどわかりやすく解き明かした著作を他に知らない。今や『シッダールタ』は私が今までに読んだ小説及び精神世界本の中で最も感動し、その哲学的内容の深さを高く評価するベストワンに位置づけるものとなった。

この小説を読みながらドイツ人のヘッセが45歳の年齢でなぜここまで深く仏教やインドの宗教思想を理解できたのだろうかとの疑問が起こった。このようにインド宗教思想を理解し洞察できるまでには相当の勉強と思索と体験が必要だったと思うが、それをヘッセはどのように行ったのだろう。ヘッセはキリスト教文化圏に生まれながら若い頃からインドや中国の宗教思想を探求し続けたようであるが、小説を書く動機としてヘッセ自身が梵我一如を体験したのかもしれない。

物語はバラモン教司祭の世襲後継者として育ったシッダールタがヴェーダーンタ哲学を習得しても心の渇きが癒されず、刎頚の友ゴーヴィンダとともに輪廻からの解脱を求めて沙門に出家するところからはじまる。岡田朝雄の翻訳は誠に素晴らしく一字一句無駄なく完璧な原文を美しい日本語に訳しきっている。

朗読すると、同じような表現がリズミカルに三度繰り返されるこの小説の、詩のような独特な文体を日本語で感じることができる。また文章を読んでいくと物語の情景が鮮やかにイメージとなって脳裏に浮かんでくる。出家の決心を、長らく自分を慈しみ育ててくれた父親に告げた時、父と子の心情が絵のように美しく描き出されていた。

この小説は登場人物が極めて少ない。まず一番目にあげられるのが主人公シッダールタを敬愛する幼馴染で、沙門修行を共にし、後にシッダールタと袂をわけてブッダの弟子になった親友のゴーヴィンダである。ゴーヴィンダはシッダールタの生涯全般に常に関わっていて、この小説の最初から最まで登場する脇役である。ゴーヴィンダは我々読者の視点であり、シッダールタがゴーヴィンダに語るのを通して我々はヘッセの思想を聞くこととなる。

遊女カマラーからシッダールタは性的快楽を通して、現実に生きることを学び、この世にあるものは全て良きものだということを学んだ。そして聖なるものと俗なるもの、賢いことと愚かなること、良いことと悪いことの対極を、経験を通して学んだ。聖から俗のどん底を体験することで、シッダールタは性格的欠点だった自惚れがなくなり謙虚になった。

河の渡し守ヴァースデーヴァは自然から真実を読み解くことができる、名も無い貧しい賢者である。老子の思想にも通じるヴァースデーヴァはシッダールタの本当の師匠であり、影になりシッダールタを見守り、究極の悟りに至るのを助ける。古代インドのシュラマナ系宗教では彼岸に渡して悟りに導く聖者をテールタンカラと言った。まさにヴァースデーヴァはテールタンカラ(渡し場を渡す人)であった。

登場人物ではないが、この小説で重要な役割を演じているのが「流れる河」である。流れる河はシッダールタにさまざまなことを話す。聞く耳をもったシッダールタに河はさまざまな真理、自然法則、宗教哲学を語る。河がシッダールタのもうひとりの師匠だった。シッダールタは河からさまざまなことを学んだ。仏教用語に山川草木悉皆成仏というのがあるが、その意味は自然を深く観察すると真理に到達するということである。河の流れを観察することで、シッダールタは過去現在未来がひとつにつながっていることがわかった。それは仏陀の無我とは別の、無時間という新しい悟りであった。時が実在しないという悟りによって、無常と永遠、苦悩と歓喜、善と悪の間に見える隔たりも一つの迷いであることに気づいた。「世界は不完全なものではない、徐々に完全なものになりつつあるのでもない、世界はあらゆる瞬間に完全だ。」ということがシッダールタにわかった。「罪人の中に、今そして今日、すでに未来の仏陀がいるのだ。あらゆる子供は自らの中にすでに老人を持ち、あらゆる乳飲み子は自らのうちに死をもっている。ずべての瀕死のものは自らのうちに永遠の生をもっている。」とわかった。この世のあらゆるものは相互に関連性を持ち、苦悩と歓喜の叫びとともに、河のように流れてすべてが一如につながっていることがわかった。12章に分けられた小説の最後の2章「オーム」とゴーヴィンダで語られる哲学的内容は圧巻であった。まさに悟りを開いた聖者にしか語れない内容を作者であるヘッセは私たちにわかりやすく示してくれる。最終章を読み終えたとき、私に深い感動が訪れた。

小説の序章「バラモンの子」ではヴェーダーンタ哲学が、2章ではジャイナ教を思わせる沙門の苦行や修行が語られ、3章ゴウタマでは仏陀と仏教哲学が語られる。シッダールタは教えによって学ぶことは出来ないとの考えから仏陀に帰依することなく、体験によって真実をつかもうと遍歴する。求めても得られない我が子への溺愛に苦しみ、故郷を、父母を捨てたことを悩んだ。

そして、シッダールタはついに完全なる悟りに達した。仏陀の悟りは自分を知ること、世界を苦と見て、もう生まれないこと輪廻転生からの解脱を理想として涅槃寂静を目指すものであった。一方、シッダールタの悟りは世界を知ること、世界を苦と見ないで、ありのまま真実として受け入れ、すべて良きもの善として解釈して他と融合し、自然法則と完全一体一如になったのである。

瞑想には内なる方向性と外なる方向性がある。外なる方向性の悟りは教えによっては学ぶことができず、生活を通して体験によって掴むことしかできないのである。ヘッセはこの小説で外なる方向性の完全なる悟り、梵我一如、聖愛を語った。全く素晴らしい小説としか言いようがない。

この小説『シッダールタ』は読めば読むほど味わい深い。私は小説を深く味わうためにインド宗教哲学の幅広い理解が欠かせないと思う。インド宗教哲学の全般を理解するために宮元啓一著『インド人の考えたこと』(2008年、春秋社刊)を熟読されることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[生かされて生きている]

メディテーションとは皮膚よりも内側の内部深くに本当の自分を探求することである。人間は物質的な身体と非物質的な心や意識との結合によって存在している。私たちが生まれて生き続けることが出来るのは、身体内部に生命エネルギーが流れているからである。生命エネルギーは一つ一つの細胞に浸透して活力を与えている。生命エネルギーは呼吸と伴にあり、意識と伴にある。呼吸が止まれば生命エネルギーの流れは止まる。生命エネルギーの流れが止まると身体内部で生起していた感覚も止まる。感覚が止まれば意識は身体と伴にある必然性がなくなって身体から離れる。意識の本性は純粋性であり完全性である。

しかし私たちの個々の意識は過去の行為によって色が付き純粋でなくなっている。意識の性質である完全性と純粋性を求める衝動によって輪廻転生が起こる。私たちの身体や心は死によって滅するが、意識だけは生き通しである。長い時が流れて過ぎれば、意識は今とは全く違った場所で違ったもの(人間、生命)と結びついている。

生き物は身体外部から食物やエネルギーを身体内部に取り込み内部エネルギーに変換し、それを身体の維持や成長、活動のために使っている。その一連のエネルギー変換作用を統括するものが意識である。私たち人間は生きている間は身体内部に生命エネルギーが流れている。生命エネルギーが流れているから身体内部にさまざまな感覚が起こってくる。粗雑なものから微細なものまでさまざまな身体感覚は深いレベルのほとんど自覚できないレベルの意識によってキャッチされる。意識によって捉えられた感覚としての情報が神経系を通して瞬間瞬間脳に伝わっている。脳は感覚を感じて身体に適切な指示をする。空腹を感じれば食べ、疲れれば休み、眠たくなれば眠る。身体を守り命を継続させるために、時には心が悩み身体そのものが不調になって病気になることもある。病気や悩みは身体を継続させる働きとして起こってくるものだ。だから本来、悩みや病気は悪いものではなく原因があって起こっているだけである。私たちの生き方が間違っていると深いレベルの意識が教えてくれているのだと理解しなければならない。

脳は物質的な身体機能そのものであるが、中枢神経の中で機能して命の働きを統括しているのは非物質的な意識である。脳そのものの働きも深いレベルで意識が統括していると言える。物質的な脳の機能と非物質的な意識が結びついて命を守る働きとして感情が発生し、さまざまな心の働きが起こってくる。私たちの意識は誕生前からすでに色付いていて純粋でないから、感情も影響を受けて、さらに意思や行動にも影響を与えている。私たちが正しく生きようと思っても間違ったことをしてしまう原因は身体内部の深い意識レベルにある。意識の働きというものを想定しないと、脳の機能だけでは、なぜ我々は間違った選択をしてしまうか説明がつかない。

私たちの身体も心も、そしてこの世の森羅万象すべてが刻一刻、時間とともに変化している。すべては変化するエネルギーの流れである。二度と同じ川の流れの中に足を浸せないと同じように、私たちの身体も心も変化してしまうので、1秒前の私と今の私は違ったものだし、今の私と1秒後の私は違ったものである。1秒間に人間の小腸栄養吸収細胞は170万個生まれ変わり、24時間で1500億個ある小腸の栄養吸収細胞はすべて生まれ変わってしまう。身体内部は激しく一瞬一瞬変化している。身体と心を捉えようとしても変化してしまうので、そこに恒常的な私を見つけることはできない。

私とは観ている者、感じている主体であり、客体ではない。意識についた色や汚れは客体であるが意識そのものは主体である。主体的な意識が純粋性と完全性を取り戻した時、私たちは長い旅を終えて普遍的なものになる。普遍的になった意識はもう生き物に生まれることはない。それが解脱だと思う。

宇宙の草創期、宇宙全体に均一に広がった温度の中に、ほんの少しだけ温度差が起こった。その温度差によってプラスとマイナスの電磁気的な流れが起こった。その電磁気的な流れがあらゆる物質的なものを生み出す根本的な力となった。陰と陽、拡散と収縮、引き合う力と反発する力があらゆる場所に起こった。宇宙という物質変化の流れそのものが目に見えない宇宙の意識・カルマによって出現したというのがジャイナ教や仏教の基本的な宇宙観である。宇宙は神の創造によるものではなく、始めのない始めから、終わりのない終わりまでカルマによって輪廻しているというものだ。

今、なぜ自分はここに存在しているのかと問えば、原因と結果の法則が連綿と遠い過去まで続き宇宙の始めまで続いていることがわかる。宇宙の始めが始めでなく、もっと前まで繋がっていることもわかる。反発する力と引き合う力が姿形を変えてさまざまな場所で起こった。原因と条件の組み合わせによっていろいろなことが継続的におこった。偶然のように奇跡のように思える確率の低い出来事も、必ず由ってくる原因があるのである。しかし、宇宙が始まって以来、継続的に起こってきたことのどれか一つでも起こらなかったら今の自分は存在しなかった。星星を含めて森羅万象すべてのものは相互に関連しあって存在しているのであり、孤立して存在できるものなど何一つない。私たちは引き合う力と反発する力である無数無限の縁によって存在しているのである。私たちは存在していて存在させられている。生きていて生かされている。あなたが生まれたから私が生まれたのであり、私がいるからあなたがいるのである。私たちは全体として一つであり、生かされて生きているのである。

地球の周りに月がなかったと仮定してみよう。月がなければ地球の自転速度が早まると科学的に推察されている、月がブレーキの役割を果たし地球の自転が遅くなっている。もし月が地球の周りになければ、一日は8時間になる。潮の満ち引きも起こらない。地上は今よりも強い風が吹き、植物や動物が存在できても今の生き物と全く違った生き物の姿になるだろう。月を生み出した原因となったグレートインパクト、小惑星による地球との衝突がなかったら、地軸の傾きがなくなり、季節の変化が起こらなくなる。地球環境は厳しくて今ある地球上の生き物は全く別の形態になっている。

少なくとも私たちは太陽に感謝しなければならない。グレートインパクトが起こったことに感謝しなくてはならない。月の存在に感謝しなければならない。そしてすべすべてのご縁に感謝しなければならない。

「すべてのものと繋がっている、すべてのご縁によって生かされている。」と考えて、生きている瞬間瞬間にすべてがその思いで満たされればそれがサマージーである。宇宙があって私が存在できている。尊いご縁によって深くつながっている。私の身体を作っているすべての元素はかって宇宙のどこかで他物が使っていたものだ。宇宙の始めから在ったものと、そのものの形を変えたものの再利用である。私が呼吸している空気も地球上にかって存在した植物、動物、生き物、マハーヴィーラ、ブッダ達が呼吸に使った空気の再利用である。私達は好きな人の吐いた息だけでなく嫌いな人の吐いた息をも使っている。すべては循環して繋がっている。空気だけでなく私たちが飲む水もかって誰かが飲んで使ったものの分子を含んでいる。私たちは一人一人過去にも繋がり未来にも繋がり、同時に空間的に全方向に繋がっているのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[ラーナクプールのジャイナ教寺院]

ジャイナ教は一世紀頃、大きく裸形派と白衣派に分かれ、さらに偶像崇拝す派と寺院を持たず偶像崇拝しない派に分かれている。白衣派の中から17世紀に偶像崇拝を否定し寺院を持たない、スターナックヴァーシン派が出現した。それに対して寺院に参拝しジナ像を崇拝する派はムールティプージャカと呼んでいる。私たちがプレクシャ・メディテーションを学んでいるテーラパンタ派はスターナックヴァーシンから分派して1761年にアチャリヤ・ビークシュによって始められた。現在のアチャリヤ・マハーシュラマン師は11代目のアチャリヤ(ダライラマのような宗派の最高指導者)である。テーラパンタ派は古代のジャイナ教への復帰を目指す復古主義グループであり、教団と在家信者の関係及び宗教的形態や活動が古代ジャイナ教の姿を今にとどめている。

ジャイナ教の戒律であるアヒンサー(非暴力、不殺生)とアパリグラハ(無所有、無執着)の実践は徹底したものであり、一切の妥協を許さぬ厳しいものである。これに対して同じ戒律を持ち兄弟宗教とされる仏教各派の非暴力、無所有の実践は中道といって中途半端で生ぬるい。ジャイナ教は魂を清らかにするための実践宗教と言える。輪廻転生の原動力になっている魂の汚れであるカルマの浄化が修行の基本となっている。全ての生き物に魂を認めているので、他の命を奪うことを厳しく諌めている。世界一平和な宗教であるといえる。

アチャリヤ・マハーシュラマン師は、世界平和のために2014年、テーラパンタ派の根拠地ラジャスタン州のラドヌーンを出発してアヒンサー・ヤートラ(非暴力の旅)に出られた。古代の伝統に基づく布教伝道の旅である。車や鉄道、飛行機に乗れないので完全に徒歩による巡行である。5月にアチャリヤ一行はネパールのカトマンズで地震に遭遇したが、幸い一行の中から怪我人は出なかった。さらに一行は巡行を重ね、11月15日から22日までの間、ネパールの4番目に大きな街ビルトナガールで、プレクシャ・メディテーション国際キャンプが開かれた。この国際キャンプに私を含めて11名が日本から部分参加した。

テーラパンタ派は1年に一回、各地で活動している出家僧、尼僧、在家信徒が一堂に会し家族的な団結を確認しあうという伝統守ってきた。2002年からは海外に普及したプレクシャ・メディテーションの仲間もその会合に合わせて参加し学ぶという国際キャンプが始まった。

会場がネパールだったということもあり、今年の国際キャンプはインド国内からの参加者は少なく、また海外からの参加者も極めて少なく盛り上がりに欠けていた。

ビルトナガールはインド国境に近いネパール東部の街で、インド系ネパール人が多い。ネパールというイメージではなく、観光地でないインドの埃っぽい普通の田舎町といった風情だった。ビルトナガールにはネパールでも有数な富豪の実家があり、その富豪一族が有力なスポンサーになって今回の国際キャンプは開かれた。街全体がお祭りのような歓迎ムードに包まれていた。アチャリヤ一行は、ネパールの後、再びインドに入り、ブータンを巡幸し、さらにインド各地を7年間かけて15000キロを歩いて旅をされるという。

アヒンサー・ヤートラの巡行を終えれば、偉業を成し遂げたアチャリヤ・マハーシュラマン師は9代目アチャリヤ・トウルシー師のように全信徒から心より尊敬される偉大なる指導者になるに違いない。

私はお寺を持たない偶像崇拝しないというジャイナ教復古主義グループのテーラパンタ派で瞑想を学んでいるが、ジャイナ教の寺院やジナ像にも多大な感心を持っている。初めて(1989年)ラーナクプールのアディナータ寺院やグジャラート州のシャトルンジャヤ山の山岳寺院群に参拝したとき、白大理石で作られたジャイナ教寺院に強く魅せられた。シャトルンジャヤ山は宇宙都市のような異彩を放っており、ラーナクプールの寺院は瞑想空間として、その独創的な立体的構成に驚嘆した。その後、ラーナクプールのアディナータ寺院やシャトルンジャヤ山にもう一度行きたいという思いが強まり、2000年に再訪する機会を得た。

今も私の心の中にはラーナクプールのアディナータ寺院がある。神谷武夫著『インド建築案内』(TOTO出版、1996年刊)は、全インドの古代から現代に至るあらゆる様式の主だった建築について調査論考した労作で、甚大な労力と時間を費やして著された大変優れた著作である。神谷武夫がその著書の中で「これこそがインド建築の最高傑作というべきものである」と述べているのが、ラーナクプールのアディナータ寺院である。「世界で一番好きな建築物はなんですか」と問われれば、迷わず私はラーナクプールのアディナータ寺院をあげる。伝承によると寺院は天才的な建築家であるデパーカという人物が瞑想によって啓示を受け、1439年に建てられた。

寺院は基壇となっている床部分を除いてすべて白大理石で造られている。建築材料に使われている高品質の白大理石の産地が比較的近いところにあった。この白大理石を使ったことで寺院の内部が清浄で荘厳な雰囲気になった。白大理石で作られた柱や梁、壁やドーム型の天井全てが微細なまでに緻密な彫刻をびっしりと彫り込んである。全く妥協を許さない完璧度である。寺院全体に使われている大理石の柱が1444本、ドーム型天井は大小24作られている。24はマハーヴィーラを含めて24人のテールタンカラ(救済者であり解脱者)を表している。アディナータとはジャイナ教の最初のテールタンカラで始祖のリシャバのことである。

ドーム天井は極めて音の響きが良く、ドームの下でマントラを唱えたり、賛歌を歌えば身体内部にパワフルなバイブレーションが起こる。回廊を取り巻くように沢山の瞑想のための小祀祠が作られてある。どの小祀祠も一坪ほどの空間で、中に3体のジナ像を祀っている。寺院全体が立体的な変化に富んだ構成となっていて、内部を回遊するように出来ている。寺院の屋上に上がってみたら、そこにさらに驚くべき風景が広がっていた。屋上は屋根を構成する塔やドームによって、変化に富んだ魅力的な立体空間となっていて、そこかしこに瞑想のための理想的な場所があった。寺院を取り巻く丘のような山々も木々に覆われて美しかった。私が追い求めていた全ての理想がここにあった。今でこそ、この寺院はあまり実際的に使われていないようであるが、600年前の創建当時、ジャイナ教徒が寺院に参詣し賛歌を歌い、瞑想に使われていた光景を想像してみると、これこそ地上に出現した天国だったのではないかと思う。しかし長い年月の間にソフトとしての教団や瞑想の実践が失われてしまった。もしこの寺院が往時のように修行の場として生きて使われたら、どんなにか素晴らしかったことだろう。

私は今もこのアディナータ寺院を思い出すと胸が熱くなる。もう一度あの場所に行って、今度は長く滞在してじっくり瞑想したいと思う。私の来世はラーナクプールのアディナータ寺院に関係したものになるのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)