コラム:虫たちのこと

プレクシャ・メディテーションの終わりに、「自分の内側に真実を探しましょう。そして全ての生きもの達と仲良くしましょう。」と毎回唱えている。全ての生きものには当然害虫も含まれる。果たして私は害虫と仲良く出来るのか考えてみた。

家内も子供たちもあまり虫が好きでない。嫌いなので見ることも触ることも嫌がる。私の家族は、子供が好きなカブトムシやトンボもあまり好きではないらしい。私は子供のころから虫に親しんでいるのでどんな虫でも特に嫌いではない。ヤンマやカブトムシ、玉虫、カミキリムシ、トノサマバッタなどは子供のころ良く捕まえて遊んだので好きな虫である。子供のころ稲田でイナゴの大群をみた思い出がある。沢山捕まえたイナゴをどうしたか覚えていないが佃煮にして食べたのかもしれない。

小学生のころ夏の終わりに、ある日突然、家の周りに無数の赤とんぼが飛び回っていた。母親に針に糸を通してもらって虫網で捕まえた赤とんぼを針糸に刺して、赤とんぼのレイを作ったことがある。なんて残酷なと今の若者は思うだろう。私が子供だった頃はおもちゃがない時代だったから、遊びも自分で工夫しなければならなかった、虫たちは良い遊び相手だったのである。虫にしてみれば人間の子供は天敵だっただろう。

昆虫と虫は厳密には違う。昆虫の定義は動物界に属し節足動物門、昆虫網に分類される。節足動物門とは外骨格、つまり鎧のような固い外皮でその中に筋肉が詰まっているものをいう。エビやカニやダンゴ虫のようなものを思い浮かべればよい。それに対し、脊椎動物は部分部分の中心に骨が通っていて、その周りに筋肉がついているので、体のつくりが全く違う。昆虫は大まかに頭部と胸部と腹部で
体が出来ている。頭部は食べ物をとるための機能が集まっている。そこには目(複眼と単眼)があり、触覚があり、咀嚼のための口や吸引器が付いている。胸部は三節になっていて、そこに1対ずつ計6本の脚がある。腹部は10節に分かれていて、消化器や生殖、産卵、排泄の機能が詰まっている。昆虫の胸部には2対の翅があって99パーセントの昆虫は飛ぶことができる。飛べない昆虫は少数派である。また、昆虫の80パーセント以上が変態する。変態とは幼虫から繭の時期を経て全く異なる成虫となる。完全変態(卵・幼虫・繭・成虫)繭(蛹)にならずに成虫になるものを不完全変態という。蝉やトンボ、カメムシなどは不完全変態である。蜘蛛は脚が8本で頭部と胸部が一体化しているので昆虫ではない。ムカデは各節に1対ずつ数十の足があるので昆虫ではない。その他にダンゴ虫、ヤスデ、ダニ、サソリが昆虫でない虫である。

私も昆虫に含まれない虫はあまり好きではない。昆虫も2、3匹と少なければ不快ではないけど大群になるととても不快感が起こる。季節感がはっきりしていて、自然環境が豊かな只見は当然昆虫が多い。只見で毎年、大量発生して暮らしに影響を与えているものにメジロアブとカメムシがいる。カメムシは卵から幼虫になり蛹や繭にならずにそのまま成虫になる。カメムシは夏に成虫になり、秋の晴れた日に越冬のために大挙して人家に入ってくる。壁や網戸の隙間から侵入して、さらに押入れの中、布団や毛布などの隙間に潜り込む。本を取り出そうとすると本棚の奥に数十匹のカメムシが身を寄せ合って潜んでいることもある。そのままにしておいても害を及ぼすことはないのだけれど、触ると臭いので、許せなくてつい外へ掃きだしてしまう。カメムシは10月中旬ごろ人家に入り、越冬して5月の中旬温かく晴れた日に戸外に飛び出していく生態をもっている。体力を使い切って越冬できなかったものはカラカラに乾燥してミイラになって、ちょっと触れるだけで粉々になる。カメムシは危険を感じるととても臭い体液を放出する。カメムシの体液がちょっとでもかかると食べ物はまずくなってとても食べられたものではない。メジロアブは8月の中旬に水のきれいな渓流に大量に出現して、人間をこまらせる。里にも出てきて噛みつかれるととても痛い。昆虫にたいして完全なる非暴力を実践するなら、やはり、人間生活に多大な影響を及ぼす昆虫の生息域に居住しないことである。また、害虫被害で困る農業にも従事しないことが良いこととなる。魂の輪廻転生を信じるジャイナ教徒は何が何でも絶対に非暴力を貫くことを義務づけられている。非暴力は不合理でも絶対的なものであり妥協は全く許されず完全に履行されなければならないのである。昆虫を殺すことなどもってのほか、いじめることすらしない。鳥インフルエンザに罹った鳥を全て殺処分することなどジャイナ教徒には考えられないことなのだ。

昆虫は子孫を残すことだけが生きる目的である。そのために生まれて死ぬ。人間のように脳が発達していないので、考えることなく、刺激と反応系が直接つながって行動している。体が小さいので重力の影響が少ないから、ハエなど敏捷なものや蚤などは跳躍能力に優れている。昆虫は生きている機械と言ってもよい存在に思える。これから人間はさまざまな用途で昆虫型ロボットを作るに違いない。

カメムシを愛することが出来るようにと、いろいろ観察しているうちに、ふとあることに気づいた。カメムシを上からよく見ると6角形の形に見える。そして昆虫の脚が6脚だということが、バクテリア・ファージと呼ばれる細菌ウイルスの姿に共通性があるのではないかと思った。

ウイルスは鉱物特有の結晶の側面があり、細胞がないので生物とはいいがたいが、自己増殖するので一応生物としてみなされている。ウイルスの一種、バクテリア・ファージは細菌に感染し菌体を溶かして増殖する。バクテリア・ファージは機械的な6角形構造をしていて6脚の足がある。カメムシに良く似ている。カメムシは植物の栄養素をストローのような口で吸引しているが、バクテリア・ファージは脚のような尾部からRNAを細胞に注入する。侵入したRNA(リボ核酸)は細胞内で自分のコピーをどんどん作り出す。作り出されたウイルスの構造物は外に飛び出し、また別の細胞に侵入する。細菌ウイルスの6角形構造物は昆虫の外骨格に極めて構造が似ているようにおもう。

ウイルスも昆虫も生きる目的は自分の遺伝子を存続させることだけである。ホモサピエンス・人類の歴史は16万年前からであるといわれる。人類は地上に栄し大都会を築き、今では地球は人類の惑星といった位置を占めているけれど、地球が人類の惑星となったのはたかだか近、数百年に過ぎない。昆虫の出現は4億年以上前のことである。植物が地上に進出した初期段階で昆虫が登場したのだと思う。その時、宇宙空間から生命と鉱物の中間であるウイルスが胞子のように地上に降り注ぎ昆虫誕生に影響を及ぼしたのではないかと私は考えている。鳥や翼竜よりもずっと以前、昆虫が地上の生き物として最初に空を飛行したのである。その飛行能力によって、広く生育域を拡大し、環境に適応して生き残るために様々に工夫、進化した結果、今では1000万種以上に分化している。たった一つの種である人類が滅亡しても地球はさまざまな昆虫の惑星であり続けるだろう。

日本のカメムシだけで55科に分類され1000種以上に上る。我々の遺伝子をさかのぼれば昆虫からさらに先まで、魂の輪廻転生を遡れば昆虫として過ごした時もあったのかもしれない。昆虫の生態を観察すれば、昆虫もかくありたいと意志をもって生きていることは間違いない。カメムシの身になっていろいろ考えれば、仲間のような親しい感情が起こってくるのである。

<著:坂本知忠>

(協会メールマガジン2017/1月第68号からの転載です)

コラム:皮膚と触覚と意識について

人間は他から侵害されたくない境界を持っている。集団としての国は国境を設け、小集団では砦や城に堀をめぐらし、町村境を設けて自らの権益を守ってきた。家族として家を構え塀や外壁で外と内を区別している。生物の個体である自己と世界の境界は樹皮や皮膚である。皮膚の内側が自己で外側が他物すなわち世界である。人間は触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚の五感によって外側の世界を探っている。味覚、視覚、聴覚、嗅覚は特別につくられた特殊感覚器官と呼ぶべきもので、舌、目、耳、鼻がその役割を担っている。触覚は皮膚表面だけでなく内臓諸器官にもそのセンサー機能がある基本的な感覚神経である。舌、目、耳、鼻の感覚受容器にも触覚が備わっていることに注目したい。

植物は舌、目、耳、鼻を持っていないが、触られたことがわかる触覚を持っている。根や樹皮、葉に存在する特殊な感知器で光や温度、水の存在を感じることができる。植物は一感しか持っていないが、その一感が触覚であることは注目すべきところである。地球上に生息する全ての生き物(植物を含めて)には触覚が備わっている。触覚が受け取っている感覚こそ自己が外界を知り、自己を守り、生存し、子孫を残すための根源的な感覚なのだ。生まれて間もないころの人間の子供を観察してみると、主に触覚で環境や世界を把握しようとしていることがわかる。

人間でいえば、自己と世界の境界は皮膚である。皮膚の表面には外界(自己以外のもの)を探るセンサー機能が備えられている。皮膚は触覚の感覚器の役割を担っている。皮膚が感じることが出来る刺激は、触られている(触覚)、押される(圧覚)、痛み(痛覚)、かゆみ(痒覚)、温かさ(温覚)、冷たさ(冷覚)の6種の刺激である。それぞれを圧点、痛点、温点、冷点が対応している。皮膚表面の触覚は重さ軽さ、温かさ冷たさ、固さ柔らかさ、ザラザラ・つるつるなどであり、これらの感覚は好き嫌いの感情を招来し、心に影響を与えている。例えば、初対面の人を堅い椅子に座らせると相手は座らせた人を固い奴だとおもう。自動車の販売デーラーは顧客を固い椅子に座らせると値引きされないで済む。

PRESSURE(圧)、TOUCH(触)、VIBRATION(振動)、TICKLE(くすぐったさ)などの感覚を生理学用語で機械的感覚という。機械的感覚の受容器は指先と口唇に多数分布していて、上腕、大腿上部、背部には少ない。肌があう肌が合わないなどというように、触覚は人間にとって究極のコミュニケーションの手段でもあり、触ってみなければ解らないというように、美術品や骨董品など見た目の印象と実際触れて感じたものでは違うことが多い。インターネットで画像だけ見て商品を購入して失敗するのも実際手に取って触らなかったからだ。

人間の皮膚の総面積は約1.6平方メートルでおおよそ畳一畳分に相当する。皮膚の表面には1平方センチメートルあたり触点が25個、痛点が100~200個、温点が0~3個、冷点が6~23個分布している。全皮膚表面には200~300万の痛点があり、侵略刺激を受けて反応する。皮膚や粘膜に分布する3万点の温点が温度に反応している。触点や痛点などの下には各種の感覚受容器があって、それら受容器はそれぞれ固有の刺激に反応するようになっている。受容器が受けた反応・興奮は1次知覚神経によって伝達され脊髄を上行して視床で中継され頭頂葉の体性感覚野に到達する。体性感覚野には体の各部についての情報を取り扱うもののほかに触れる対象の特徴を取り出せるようなニューロンがある。それらは、硬いものに触れたときのみ反応したり、ザラザラしたものに触れたときのみ反応するもの、角のあるものに触れたときのみ反応するものがある。体性感覚野でこれらの情報が統合されて能動的に獲得する感覚をもっている。

意識とは考えることであり感じることも含んでいる。心を意識と言い換えてもよい。知覚とは考えることではなく感じることである。感覚と知覚の違いは感覚が観られる対象であり、知覚は観る主体者の意識的な心である。熱いものに触れたとき皮膚の温度受容体が作動し、電気信号として神経を通じて脊髄に到達する。その時パッと手を離す行為が脊髄反射として起こる。これが感覚である。このとき脳によって知覚されたわけではない。知覚とは情報が大脳皮質の皮膚の感覚に対応する場所にとどいて「熱いと」感じることをいう。知覚には脳による意識が必要である。脳のない生物は植物であれ、ゾウリムシやクラゲ、ウニなどは感覚機能は持っているが知覚機能をもっていない。熟睡しているときに、誰かに触られても感覚機能は作動しているが知覚されているわけではない。知覚には脳による意識の働きが必要である。睡眠は脳の働きの休眠状態なので、知覚することができなくなる。より良い瞑想は意識がはっきりしていなければならない。脳が感じようとして鋭敏に働いていなければならない。

人間には特殊感覚器官である舌、目、耳、鼻の他に触覚として身体の内側と外側からの刺激信号をとらえて、中枢神経系に伝える働きをもった受容器(感覚器)が皮膚の表面だけでなく、身体の全ての組織に存在している。これらの感覚系を生理学で体性・内臓感覚という。体性感覚は皮膚の表面で感じる感覚の他、皮下の筋肉や腱、関節などの受容器が内部感覚(深部感覚)としても感じている。それから胃、腸、肝臓、肺、心臓などの内臓は内臓感覚をもっている。

人間が生きているとは、「生体を成長させ維持し動かすために外部からエネルギーを取り込み、呼吸が継続し血液が流れ、神経系を電磁気的な信号が途切れなく伝わっていき、その流れによってさまざまな身体組織と臓器に感覚が起こっていて、生起している感覚の粗雑なものから精妙なものまで、意識的なレヴェルから無意識レヴェルまで」、中枢神経系がさまざまな身体感覚を感じとって、それに対応して命を守るために、身体が健全に動くように、適切な指令を身体各部に発信していることをいう。

粗雑な感覚から精妙な感覚まで、我々は瞬間瞬間に生起する全触覚情報の数千万分の一しか知覚できていない。知覚できない情報は全て無意識情報になっている。その無意識情報が潜在意識化して我々の思考や行動に莫大な影響を及ぼしているのである。プレクシャ・メディテーションは知覚することが難しいレヴェルの精妙な感覚を、訓練によって知覚できるようになることを目指している。その達成によって我々は深いレヴェルの自己認識に到達する。

皮膚の表面は自己と世界の境界になっているので、自己防衛のための兵士がたくさん存在する場所である。その兵士が触覚器である。皮膚はアンテナのようにセンサーとして働き、とても鋭敏である。そのような鋭敏な皮膚表面に感じようとする心を向けるとき、高い集中力によって見逃していた精妙な感覚を知覚することができる。最も高度なダラーナ(集中のテクニック)は身体内部の精妙な感覚の知覚である。これをヴィパッサナーといい、プレクシャという。好き嫌い、良い悪いの判断を手放してありのままに感じ観察することを意味する。

<著:坂本知忠>

(協会メールマガジン2016/12月第67号からの転載です)

コラム:カルマヨギ・二宮金次郎

自己探求に偏りしすぎると宗教は理想主義の傾向が強くなり、社会救済を重視すると宗教は現実主義、実用主義化する。宗教の理想は理想主義と現実主義がフィフティ、フィフティに調和されたものが私は望ましい宗教だと考えている。自己探求とは皮膚の内側に深く潜っていって真実の自己を見つけることである。それがメディテーション(瞑想)である。瞑想によって「自分だと思っていたことが自分ではないとわかる」。真実の自己は神であるとの悟りを得ることができる。社会救済は愛、慈悲、菩薩行の実践である。社会救済は皮膚の外側に自己を拡大していく行為であるということができる。社会救済、菩薩行、奉仕行によって「自分ではないと思っていたことが全て自分だとわかる」。菩薩行の実践によって、全てのものとの融合、宇宙との合一、神との合一が達成される。 沖正弘先生はそのことを真智聖愛と言った。真智が自己探求、聖愛が菩薩行、二つ合わせたものが沖ヨガ行法でそれを冥想行法と呼んだ。自己探求だけの意味の瞑想でなく、沖ヨガは社会救済を含む意味の冥想行法と表現して両者を区別したのである。

2600年前のインドは多くの出家僧が瞑想と苦行に取り組んでいた。当時のシュラマナ系宗教は自己探求とカルマの解消、輪廻からの離脱にばかり目が向いて理想主義、厳格主義に傾いていた。そのシュラマナ系宗教に対し、実用主義、現実主義をとってシュラマナ系宗教を改革したのが仏陀だと私は考えている。仏陀が現実主義(中道の教え)をとったため、厳しかった戒律が、後に仏教徒によってだんだん戒律の数が増えていったのに反比例して安易なものになってしまった。古代のシュラマナ系宗教の姿を今にとどめるジャイナ教は、魂の存在を認め、非暴力、不殺生、無所有、無執着の戒律を、不合理でも現実離れしていても何が何でも変更せずに堅持した。ジャイナ教が理想主義で仏教が現実主義といってもよい。どちらが優れているかという問題ではなく、どちらをより重視しているかの違いなのだ。

ヨガの部門は72部門あると言われている。その中で主要なものはバガバッドギータに説かれているジュニヤーナヨガ、カルマヨガ、バクティヨガである。バクティヨガは信仰のヨガで全てに神を見ることで救い、救われを目指している。ジュニヤーナヨガは自己探求の瞑想ヨガであり、カルマヨガが生活や仕事を通じて社会救済をする菩薩行ヨガである。

カルマヨガとは何か、カルマとは日本語で業という意味である。業とは因縁果のことであり因果律のことをいう。全てのものごとには起こってくる原因があり、原因と縁なくして結果はおこらないという考え方のことをいう。幸せになりたかったら幸せになるための行為をしなさいという実践である。それが社会奉仕行、社会救済行である。仕事を通じ生活を通じて世のため人のためになる奉仕行の実践がカルマヨガである。カルマヨガを実践したカルマヨギを思うとき、私の頭に真っ先に思い浮かぶのは日本の偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎である。江戸時代後期から幕末にかけて日本はキラ星のごとく幾多の精神性の高い人々を輩出した。武士階級だけでなく庶民階級からも優れた人物が現れた。心学という道徳を教えた石田梅岩であり、船乗りの高田屋嘉兵衛や百姓出の二宮金次郎もその一人である。

キリストや仏陀、親鸞、道元などすぐれた宗教的指導者になった人は、子供のころ父や母を亡くした例が多い。江戸時代後期小田原藩の百姓として生まれた二宮金次郎も14歳で父を亡くし、16歳で母を亡くし、貧困という苦難に直面している。そうした困難の中から世のため人のためになるという覚悟が生じてきたのだから菩薩の出現と言ってもよい。金次郎は一般的に思想家、道徳家、農村指導者というイメージで見られているが、大実業家であり現実的な商人、大政治家、社会革命家などの側面をもっていて、一言では表現できない偉大な人物である。身分制度が厳しかった江戸時代、百姓から武士に取り立てられ、財政難に窮した各藩の改革を任せられ、それを見事にやり遂げていることに驚き
を禁じ得ない。

私が小学生だった時代、浦安小学校にも薪を背負って読書しながら歩く二宮金次郎の石像が校庭の片隅にあった。努力と勤勉という道徳を教えていたのである。二宮金次郎は理屈でなく実践で社会を向上させ多くの人々を幸せにした。金次郎は徹底的な現実主義者、実用主義者だった。自然を良く観察し自然から学び自分の体験を通して自分の思想を作り上げた人だった。私が金次郎を偉大なるカルマヨギであるとする根拠は、日々の生活と実践を通じて無私の立場で社会貢献をなした点を評価している。彼が亡くなった時、家も土地もお金も残さなかった。すべてを他に捧げたのである。他に譲ることを金次郎は推譲(スイジョウ)といった。金次郎の教えを要約すると、天地自然の恵み、社会の恩恵、父母祖先のおかげに報いるために徳行、報恩、感謝、積善をもってする実践の道であるといえる。人間が働くのは、ただ自分の為に働くのではなく、他の命のために働かねばならぬということであり、これを金次郎は「報徳」といった。私が金次郎を素晴らしいと思うのは、人間の道と天の道は違うと説いていることにある。「天の道は自然法則だから稲や雑草に善悪はない。自然法則だけに任せると荒地になってしまう。人の道は自然法則に従うけれども雑草を悪とし、稲や麦を善とする。人間にとって便利なものが善、不便なものが悪と考える。この点で天の道(自然法則)と人間の正しい生き方は少し違う。人の道は天の道に任せておくとたちまち廃れてしまう、行われなくなってしまう。」自然法則に従うだけの理想主義ではなく、あくまで人間の生き方を現実主義、実用主義としてとらえているのである。

金次郎は小さなことをこつこつ積み上げることを大事にした「積小為大の理法」。金次郎は善悪、強弱、遠近、貧富、苦楽、禍福、寒暑など互いに対立しているものを一つの円の中に入れ、常に総合的に物事を判断していた。因果律を重視して積善を唱えた。万物は一つも同じところに止まっておらず、四季が循環するのと同じで陰極まれば一陽来復、厳冬だからこそもうすぐ春がそこに来ているのだと苦難に悩んでいる人を鼓舞した。天地の間で万物の道理は皆同じである。善の種を撒いて悪の実がなることはない。悪の実がなったのは悪の種を撒いたからである。困窮はその人自身の因果の上に成り立っている。他から救助の手をさしのべる方法はない。本人の気づきが大事といった。本人がそのことに気づくようにして、それに気づけば惜しげもなく援助の手をさしのべたのである。

日本が生んだ偉大なるカルマヨギ・二宮金次郎のことをもう少し知りたい人は、三戸岡道夫著『二宮金次郎の一生』(平成14年6月、栄光出版社刊)、及び現代語抄訳『二宮翁夜話』(2005年2月、PHP研究所刊)を読まれることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/11月第66号からの転載です)

コラム:日本文化の精髄・露天風呂

夏休みに上越国境に近い群馬県の山の中にある、二軒の秘湯温泉宿に泊まった。初日に泊まった宿は 「たんげ温泉美郷館」、この宿は5年前の正月休みに一度泊まったことがある。和風木造の日本情緒あふれる建物の雰囲気や露天風呂の作りにすっかり魅せられてしまった。そのときは外気温が寒くて、お湯の温度がぬるかったので、もう一度次回は夏に行きたいと思った。今夏、再訪して感じたのは、6か所ある浴場の作りがいずれも上手にできていて高い美意識と完ぺきな芸術性を感じた。地元の林業会社の社長が趣味で凝りに凝って作ったとしか言いようがない、手の込んだ作りになっている。渓流沿いに露天風呂は3か所あって、うち一番大きなものは、使われている石も大きく上手に石組みされている。このような形よく美しい大きな庭石をどのように集めたのだろう、さらに現地で庭園にするために石組みする技術にもすっかり感心してしまった。銘庭と呼ぶにふさわしい石組みの露天風呂に温泉が掛け流されている。露天風呂から望む渓谷の流れも美しい。客室は18室しかないのでウイークデイに泊まればすいていて、どの浴室も貸し切りのように入れる。自然の中に融合して、まったく違和感のない人の手でつくられたこの露天風呂に入るとき、日本人に生まれた幸せをつくづく感じた。美郷館は平成3年に開業した比較的新しい温泉宿である。露天風呂の設計や施工は多分群馬県内の業者が携わっていると思われるが、その技術力の高さは称賛すべきものである。

二日目に泊まったのが法師温泉長寿館、新潟県境の三国峠に近い山中の秘湯だ。長寿館は40年前、50年前の若いころに2度泊まっている。昔ながらの鄙びた風情を感じさせる「法師の湯」は、湯船が4つに仕切られた大きな木造の浴場である。湯船は川底につくられているので足元は卵大の大きさの川原石が敷き詰められている。湯船の底の丸石の隙間から新鮮な温泉がふつふつと湧き上がってくる。印象深いこの温泉にもう一度入りたくなって二日目の宿に選んだ。40年ぶりに訪れた法師温泉は新館が増設されて旅館の規模が大きくなっていた。旅館の玄関や囲炉裏の間は全く昔のままだった。昔の雰囲気を壊さずに守り残そうとしている旅館の経営方針に共感を覚える。建物も浴場も綺麗に掃除され磨きこまれて清らかである。前回は本館に泊まったが今回は法隆殿に泊まった。混浴の時間帯だったが家内を誘って、法師の湯に入った。湯船を仕切るように置かれた丸太を枕にして体を湯に横たえると全ての筋肉から緊張が抜け出ていった。はじめ我々二人だけだったが、一人二人と男性が入ってきた。昼間でも薄暗い、広い浴場に数人だけしか入浴していないので、のんびりとした気分になる。丸太を枕にあお向けになって浴場の太い丸太の小屋組みを見ていると、身も心もリラックスしていった。

時間制で男女別の入浴時間をもうけている「玉城の湯」は近年、新しく作られた法師温泉の名物風呂である。内湯と露天風呂に分かれている。内風呂から望む露天風呂の景色が実に美しいが、さらに外の露天風呂に出てみて驚嘆した。この露天風呂に使われている石が形も色も模様も銘石ばかりで、大きく存在感があり、実に巧みに石組みされていたのを見たからだ。どうやってここまで運んだのだろうかと思うほど巨大な石の上から温泉の湯が滝になって落ちてくる。玉城の湯の露天風呂に入って、使われている石を触ったり石組みを見ていると日本人はなんて素晴らしいのだろうと思う。翌朝、滝となっている石組みの大石を後ろから見てみたいと思って散歩に出た。背後から大石の石組みは良く見えなかったが、小さな石碑があって「法師温泉 長寿館 玉城の湯 露天風呂造園工事一式施工 平成12年7月設計・濵名造園設計研究室 施工・群馬庚申園株式会社」 と彫られてあった。

法師温泉に向かう途中時間があったので、旧三国街道の宿場だった須川宿にいった。須川宿は宿場町全域を「たくみの里」というコンセプトでテーマパークのような町づくりをしていることで知られている。その町はずれに桃山時代創建と伝わる曹洞宗の古刹泰寧寺がある。山門と本堂の須弥檀が県の重要文化財になっている。泰寧寺はアジサイと蛍の名所で、地元にも人気の寺らしい。山門の前には小さな川が流れている。村道から川に降りて砂防堰堤と一体に作られた橋をわたって対岸に作られた石段を登っていくと立派な山門が現れる。山門をくぐりさらに少し上ると本堂の立つ境内にでる。鐘楼もあり趣ある山寺である。ここで私が興味惹かれたのは山門でもなければ、石段や山門の石垣でもない。堰堤と橋を中心にした回遊式庭園の石組みである。寺に向かう橋は砂防堰堤の落ち口に堰堤と一体的にコンクリートで作られている。コンクリートであるが太鼓橋のように優美に緩やかに中央を膨らませて作られている。シンプルなデザインであるが趣がある。コンクリートの橋は苔むして古びた良い雰囲気を出している。橋の下が堰堤の落ち口になっていてそこから流が滝となって落ちている。堰堤の上流は池になっていて池の水際から上手に石組みされている。人間が作ったとは感じさせないほど自然と同化している。堰堤の下流の巨岩の石組みは驚嘆すべき巧みさである。堰堤を落ちる滝はどう見ても自然に落下している滝に見える。庭園なのだがどう見ても自然風景になっている。神の手が加わったかのように自然風景を超越した完璧な調和の石組みとなっている。こんな巨大な石をどうやって運び入れ、どうやって組み立てたのだろうか本当に素晴らしい。指摘されなければ人工物とは気づかない。そのような、石組みの中に座禅に手ごろな平らな大石がいくつも配置されている。その一つに座ってみた。私の心の奥深くから、深い感動が湧き起ってきた。この庭園を設計した名もない造園家、施工した名もない職人の美的感覚の凄さがわかった。泰寧寺はこのような立派な庭園を造れるほど裕福な寺には到底思えない。多分街づくりの公共工事の一環としてなされたものであろう。寺の住職か公共工事にかかわる誰かが発案したのであろう。真相がわからないのでどのような経緯でいつ頃、この庭園が造られたか調べてみたいと思う。

自宅に戻って泰寧寺のことをいろいろネットで調べてみた。沢山の記述投稿があったが、この庭園を称える記述や、誰がいつ作ったかについて触れた文章は皆無だった。評価されないのか、忘れられてしまったのか私には解からないが、この庭園こそ真に価値ある文化財である。思い起こせば自然に流れていた川に庭師が手をいれて、庭園のようにしてしまった川を私は過去にも見ている。一番印象に残っているのは厳島神社の側を流れる「紅葉谷公園」である。谷の石組みは庭師が組んで調和した理想形に作られている。もみじ谷はよく観察しないと人間が作ったものと感じさせないほど自然に溶け込み、人工的な不自然さを感じさせない素晴らしい渓谷になっている。

奥多摩の御岳山近くのロックガーデンも自然の谷に人工的な手を加え、さらに自然美を整えたものである。大型建築機械が入れないような場所で自然の雰囲気を損なわないように大きな石をたくみに組み合わせ人が歩きやすいように整えている。大きな石を適材適所に配置した技術に驚嘆する。

伊豆半島の湯ヶ島温泉に白壁荘という温泉宿がある。宿の敷地から掘り出された巨石をくりぬいて露天風呂の湯船にしている。この巨石の湯船がユニークでみごとである。石庭の美しさ、敷地内の巨石の石組みや、露天風呂の石組み、銘石など日本の石の文化を堪能したかったら山梨県石和温泉「銘石の宿・かげつ」に行くと良い。石庭が好きな人にとって「銘石の宿かげつ」はたまらない魅力の宿である。

私は石庭や露天風呂の石組みだけでなく、城の石垣が好きである。石垣を見ていると古く忘れられた記憶は過去生まで辿れるような気がする。私が興味惹かれるものは石や石で作られたものである。石灯籠や石仏なども大好きだ。河原の石が私に話しかけてくる。路傍の石が私に話しかけてくる。石とだったら私はいろいろ話ができる。20歳のころ造園家になりたいと思ったことがあった。自分の中に熾火のように残っている「かくありたい」を探るとき来世で私は造園家を仕事に選択するような気がする。近いうち、静かな時を選んで再び泰寧寺の渓流庭園の坐禅石に坐って瞑想してみたい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/9月第65号からの転載です)

コラム:カラーセラピー・色彩療法

プレクシャ・メディテーションの第六段階はレーシャ・ディヤーナである。レーシャとはジャイナ教哲学でいう魂から放射される「霊的な色彩光」のことである。レーシャは本来、魂から発せられた純粋無垢な光であるが、魂の周りに付着したカシャーイと呼ばれる汚染物質の影響で色が付着する。着色したレーシャは魂よりも外側のレヴェルにある電磁気体や肉体に影響を与え、肉体の外側に広がって人それぞれのオーラの色になると考えられている。

オーラとは仏教で云う後光であり光背のことである。キリスト教ではオーレオールと言い、古代から人間の周囲には不思議な色彩をもつ何かがあると知られていた。

身体を取り巻くオーラは特殊能力を持つ人にははっきり見えるらしい。現代ではオーラを映像に写せるオーラカメラが開発されている。マハーヴィーラは長期間の断食や瞑想修行により、オーラを見ることができ、その色の持つ意味を極めて正確に解釈できたと考えられる。古代ジャイナ教聖典にはレーシャに関す記述が多い。

ジャイナ教瞑想修行のレーシャ・ディヤーナというテクニックは、肉体の外側にポジティブな色彩をイメージして、その色彩を魂の外側を雲のように取り囲んでいるカルマ体レベルに流入させ、ネガティブな色とされる黒や灰色、その他くすんだ色と置き換えることにより、カルマ(業)の浄化を目指すものである。色彩は私たちの精神状態に影響を与えているが同時に、精神状態によって霊的色彩光(レーシャ)が影響を受けていると考えられる。

色彩とは一体何なのだろうか。物理学的な解釈では「色彩とは電磁波における可視光線のことである。」と定義する。私たちの周囲には光や電波など波の性質をもった電磁波に溢れている。ガンマ線やX線、紫外線といった電磁波は可視光線より波長が短く、赤外線やテレビ電波、ラジオ電波は可視光線より波長が長い。赤の波長は700nm(ナノメートル)前後で、青は460nm前後、紫は380nmである。

可視光線の波長が長いと赤に近づき短いと紫に近づく。可視光線をプリズムで分解すると、彩度の一番高い純色の虹の七色となる。その色彩を波長の短い順に並べると紫、藍、青、緑、黄、橙、赤になる。色彩の彩度は電磁波の振幅が高く(大きく)なると明るくなり、振幅が低くなると暗くなる。光である電磁波は物質のない真空中でも伝わっていくが、音は空気や鉄の棒などの伝える物質がないと伝わらない。

我々は光の無い所では何も見ることが出来ない。光源から放たれた光が物体に当たり反射され、それが人間の目の視細胞を刺激し脳によって変換され、はじめて私達は形や色を知覚することが出来る。物体色は物体そのものに色が備わっているわけではない。あくまで光のどの部分の波長を反射するかが、その物体の色を決定する。物体が全ての光を反射すると白く見え、全ての光を吸収すると黒く見える。

色の見え方には2種類あって、反射の結果として見える色と、光が物体を通過することで見える色がある。この場合透過した色だけが見え他の色は吸収されてしまう。ステンドグラスの場合赤い波長だけを通すと赤く見え、他の色はガラスに吸収されてしまう。色彩照射療法はその原理を使っている。レオナルド・ダビンチは教会で紫色のステンドグラスを透過した色彩を浴びて瞑想することを好んだ。

古代ギリシャでは太陽神が信仰されていた。その中心地になっていたのがヘリオポリスの癒しの神殿である。癒しの神殿では太陽光を色に分けて、それぞれの色によって特定の治療を行っていた。そのヘリオセラピー(太陽色彩療法)の父が有名なヘロドトスである。色彩療法は古代ギリシャや古代インドに起源がある。

光線療法やカラーセラピーは本質的には自己の内的空間を探求することを意味する。それは色彩を観るビジュアライゼーション(瞑想)によっても可能である。瞑想によって魂の汚れを取り除いていけば魂の純粋性が立ち現れる。自己の本質である魂からの純粋な光によって自己を深いレヴェルで癒すことが出来る。自分で自分の医者になる方法の一つである。人間の悟りや人格の向上は身体的にも精神的にも外部から上手に光や色彩を取り入れてそれを活用することができるかどうかにかかっていると言っても過言でない。

光は色の本質(親)であり、又、光は生命の根源・本質である。光はエネルギーそのものである。全ての物質はエネルギーが形を変えたものである。人間もエネルギーのかたまりによって出来ている。138億年前のビックバンの光エネルギーが人間という形のエネルギーに変わって存在しているのである。私達は光である。私たちの本質つまり親が光である。生き物の生命エネルギーの根元は太陽光である。人間だけでなく地球上の生き物が食べている全ての食物の源は太陽光である。光が神であるとはそのことを云う。光なくして人間は生存できない。又、色彩の本質も光である。だから人間の生命は色彩の影響を強く受けていると言える。目を有する生物は皆何らかの色覚がある。昆虫、魚、鳥、両生類、爬虫類は色彩を感じている。世界は色彩にあふれている。自然界の多彩な色彩を見ていると、この世はなんと美しい世界なのだろうといつも思う。そして色彩は形とともに個別のものに個性を付与して、個性の情報元となっている。

人間は目だけでなく皮膚でも色を感じ取っている。皮膚には色を識別する特殊なセンサーが備わっている。だから、皮膚に光線を照射する療法が生み出された。光線療法に照射する色彩は 赤、オレンジ、黄色、レモン、緑、青緑、青、藍、スミレ、紫、マゼンダ、深紅である。レモン色は慢性病、青緑は急性病に。紫色、深紅色、マゼンダは心臓病、循環器系、生殖器系をはじめとして全ての症状に良い。活動過多の人に紫色を照射し、活動不活発の人には深紅色を使う。マゼンダは両者のバランスをとる時に使用する。無気力の人に対してレモン色とオレンジ色を合わせて使う。感覚麻痺の時にはこれに赤を加える。藍色は鎮痛、出血、膿傷のある症状に使う。緑色とそれに近いレモン色や青緑は体のバランスと関係しているので必ず照射(トネイション)に含めるようにする。1979年マルティクとベレンジは酵素の反応速度を増やして活性化させる、あるいは不活性化させる色彩や、細胞膜を通る物質の移動に関与する色彩があることを発見した。

赤は生命力を高める色で交感神経を刺激する色である。青は副交感神経を刺激する。赤い色は瞬発力が高まり青い色は持久力を高める。不眠症の人は青い敷布や毛布を使うと良い。赤やピンクでは寝つきにくい。ベージュ色はリラックスさせる色、一番筋肉の緊張をほぐす色である。白い色が健康に一番良い。黒い服ばかり着ているとシワが増えるし早く老け込む。明色の橙色をピーチというが皮膚に不思議な効果があり、ピンクとともに若返りの色である。

色彩は私たちの精神性にも深く関係している。色彩は意識や感情に深い影響を与える力がある。プレクシャ・メディテーションのレーシャ・ディヤーナはそうした理論を基にした瞑想法である。一例を挙げれば、頭頂に黄色をイメージすることで知性が高まる。眉間の奥にオレンジと深紅の中間色をイメージすることで直感力が高まる。胸の中央でピンク色を観ることで友愛の情を育てることができる。色彩と精神性の関係については いまなお不統一で未知なることも多く、更に研究の上、瞑想体験を深めて別の機会に詳述したいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/7月第64号からの転載です)

コラム:生命が病気を創る

身体の中で生命力は私たちを生かそう生かそう、長生きさせよう、効率よく元気に身体が動くようにと働いている。それが生命のバランス維持回復運動としての働きである。身体の病気や痛み、心の悩みは生命が命を存続するために起こしている現象と言っても良い。病気や痛みがなかったら生命は命を維持し存続させることは出来ない。病気は悪いものではなく生命のバランス回復運動として起こってきていると言える。原因がなくなりアンバランスが是正されればバランスを取るために必要だった重石としての病気は不要になる。重石としての病気を取るためには、一時的に極端なアンバランスを身体内部に招来させて、アンバランスの上にもっとアンバランスを起こさせて、命の働きが更に高まるように誘導する必要がある。動には静を静には動を加える反対刺激が必要であり、それが病気治しのコツである。

身体存続維持の働きは、身体内部に流れていく生命エネルギーと、流れに伴って生起する感覚と、その感覚を受け取とって適切な対処法を指示する意識である中枢神経系、末梢神経系の連携で起こっている。身体内部では生命エネルギーとしての電磁気的な流れが神経系を通して一つ一つの細胞に生命力を吹き込んでいる。血液が細胞に必要な燃料(栄養と酸素)を供給しているだけでは命は働かない。生命に感覚と意識がそなわっているから、命を守り存続させる働きが起こるのである。その自覚意識で身体内部に生起している感覚を観じることが、プレクシャ・メディテーションの原理である。

今から5億2000万年前、地球上でエビやカニ、昆虫の先祖である節足動物が繁栄していた。その頃、魚が誕生した。魚はそれまでの生物が持っていなかった中枢神経としての脳を持つようになった。魚の脳には外敵から身を守る装置としての扁桃体も備わっていた。

扁桃体は脳が危険を察知すると活動を始める。扁桃体が働いてストレスホルモンが分泌され、全身の筋肉が活性化されて運動能力がたかまり、天敵から素早く逃げられる。危険が去るとストレスホルモンの分泌は収まる。

2億2000万年前に哺乳類が誕生すると扁桃体は外敵以外にも反応するようになった。人類は更に身体機能を発展させて複雑な自己防衛、自己保存維持機能を持つようになった。天敵ばかりでなく孤独になると不安や恐怖を感じて扁桃体が激しく活動する。過去のつらい記憶が呼び起こされたり、他からの言葉の暴力によっても扁桃体が働き内分秘腺に働きかけてストレスホルモンが分泌される。

その代表的なホルモンとして副腎皮質から分泌されるコレチゾールやアドレナリンがある。コレチゾールやアドレナリンは本来悪いものではなく、身体を守るために生命が適切適量に分泌しているのである。

人間が生きていくとき心身にとって不快なこと嫌なことが身辺に沢山起こってくる。それがストレスである。ストレスとなる刺激のことをストレッサーと言うが、ストレッサーには様々なものがあり物理的なストレッサーとして気温、湿度、騒音などがあり、化学的なストレッサーとしては栄養の過不足、カフェイン、薬物等がある。生物的ストレッサーとしては感染、痛み、炎症があり、心理的ストレッサーとして不安、恐怖、怒り等がある。現代人特有のストレッサーとして、人間関係や仕事のプレッシャーや不規則な生活リズムが挙げられる。

人間にはストレッサーに応じて生命の働きとしての適応性、バランス維持能力が備わっている。過剰なストレスや慢性的なストレスが加えられると心身のバランスが崩れる。バランスが崩れるとその反応として身体はストレスホルモンを分泌し血圧を上げ血流を増やす。また体温を調整して心身のバランスを回復させようとする。強いストレスや継続的なストレスでこの反応が過剰になったときバランスが崩れて病気が起こる。体に現れれば目まい、頭痛、吐き気などの自律神経失調症、胃や十二指腸潰瘍など過敏性腸症候群となる。心に現れれば不眠症や欝となる。

心理的ストレスを長期間受け続けるとコレチゾールの分泌によって脳の一部、海馬の神経細胞が破壊され海馬が萎縮してしまう。海馬は脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官であり、これが萎縮することで記憶喪失や認知症が起こってくる。鬱病患者には海馬が萎縮していることが知られている。

強い不安や恐怖を感じると扁桃体が過剰に働く。すると全身にストレスホルモンが大量に分泌され脳にまで及ぶ。このとき、脳の神経細胞に必要な栄養物質が減少するので栄養不足で縮んでしまう。脳の萎縮が意欲や行動の低下を招来する。それが欝状態である。

心の病である鬱病に対して近年の研究で瞑想や「マインドフルネス認知療法MBCT」が有効であることが解ってきた。マインドフルネスは自分の身体や気分の状態に気づく力を育む「心のエクササイズ」である。マインドフルネスとは自覚的な心であり、深い気づきの心であり、強い心の集中力であり、覚醒された意識のことである。マインドフルネスの反対のことが集中力欠如の状態である。瞑想を実践すれば集中力が増し、創造性が高まり、幸福感、リラックス感が高まる。瞑想することによってストレスが軽減され、免疫力が向上し心身の健康に極めて有効である。瞑想することによって物事をいろいろな面から捉えられ、不要物を有用物に変える能力も高まる。

ストレスを軽減する極めて有効な方法としてプレクシャ・メディテーションのカーヨウッサグがある。古代インドから伝わる瞑想法で「完全なる心身のリラックス法」である。完全に心身がリラックスすると心身分離が起こる。この時ストレスは完全除去される。

ストレスを軽減する方法としてコーピングという気晴らし法も有効であることが知られている。好きな音楽を聴いたり、歌ったり、踊ったりする。ストレッチや散歩など軽い運動をする。バランスの良い食事をとり、たっぷり睡眠をとり、休む。動画や漫画などを見ておもいっきり笑う。海や山、森や川、木々や草花、石や鉱物等の自然物には癒しの力が備わっている。自然の情景の中に身を置くことで深い癒やしが起こる。自分が楽しいと思うこと気晴らしになるなら何でもしてみる。ストレスに応じて気晴らしをいろいろ工夫する。そうすることで現代人の最大の問題になっている心の病、欝の予防と欝からの回帰ができる。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/6月第63号からの転載です)

コラム:無限の自由とは

地球に生きる全ての生き物たちに生命力が宿っている。生命力の根源は宇宙が始まった時に生じた電磁気的な+と-の流れである。この電磁気的な+と-の流れが生じたとき情報としてのカルマが同時に発生した。カルマとは陰と陽、拡散と収縮、苦と楽、快と不快、善と悪のように存在している物の質の捉え方であり、また、カルマとは測定の仕方や、判断の基準によって結果が動く物事の相対的性質であり、不二一如のことである。生命が宇宙に生じたときそこに『個性・性質』としてのカルマが結びついた。情報としてのカルマが形を変えて、生き物たちに命の願いとして根本的な欲望が備わっているのである。その欲望が身体に備わった苦・楽、快・不快の感覚とともに、命を守り、命を進化させる原動力、働きになっているのである。

その根本的な欲望とは命を長らえたいとする自己保存本能 (食欲・外部から身体を持続成長させるためにエネルギーを摂り入れること)、 子孫や種族を増やしたい自己拡大本能 (性欲・繁殖の仕組み)、あらゆる束縛から自由になりたい自由獲得本能の三つである。全ての生き物の願い、最終目的は永遠の生命、生命の無限拡大、生命の無限自由の獲得と言える。

生き物たちにはその三大欲望が生命の深いレベルで情報としてインプットされている。完全なる自由を獲得するために、時には食欲や性欲が妨げになる。完全なる自由の獲得を目指そうとする古代のジャイナ教や仏教の出家修行者達は食欲や性欲のコントロールが重要と考えた。そうした考え方が戒律の中に入っている。仏教やジャイナ教の理想は輪廻転生しないこと、もう生き物として生まれないこと、解脱が理想である。無限の自由とはカルマの束縛、つまり電磁気的エネルギーの流れやもっと精妙な霊的エネルギーからも離れてその束縛から自由になることである。

無限の自由とは生き物たちの最終目的地で、無限の愛、宇宙との合一 (梵我一如) と同義語であり、全ての宗教の目標である。宗教とは無限の自由を個人的に達成しようと起こってきたものである。

一方、無限の自由を集団的に達成しようとして人類全体が努力しているのが政治であり、経済であり、科学の進歩発展である。経済の発展や科学技術の発達は人間が無限の自由を求めて活動している結果の現れである。飛行機や自動車、鉄道機関車などの交通機関、冷蔵庫、洗濯機などの家電、テレビ、スマホ、パソコンなどの情報通信機器の登場は人間が自由を追求している集団的な活動の結果として出現したと言える。

テクノロジーの高度な発達は生き物としての人間が集団的に求めている進化の現れであり、必然的な方向性でもある。コンピューターの発明は今や高度に改良発展して人工頭脳が作られるようになった。人工頭脳と各種センサーが結びつき、車の自動運転がまさに始まろうとしている。近未来、人工頭脳が自ら学習し判断までするようになるので、車の運転走行に運転手としての人間は必要なくなるだろう。

私は自動車道路の必要性は物質輸送のためのトラックだけになってしまうと想像している。人間の移動手段はヘリコプターを小型化した一人乗りのトブコプター、つまり、ドローンを大型に発展させた飛行物体になると思っている。トブコプターの人工頭脳が目的地と気象条件や飛行高度、経路を最適に判断し、障害物や進入禁止地を避け、トブコプター同士の空中衝突を避けて我々を安全に早く目的地に運んでくれる。東京と只見間の移動所要時間は江戸時代には一週間を要した。車が登場した初期の頃60年前は只見まで一日がかりだった。そして今や高速道路が整備され自動車の性能が良くなって4、5時間で行けるようになった。そして、トブコプターが登場し実用化されると2時間程度に短縮される。

友達が「只見も良いところだけど、東京から遠いからねー」と今は言う。トブコプターの登場で夜、友達とお酒を飲んで10時頃東京に居ても、その日の深夜には只見の自宅に戻れるようになる。このようなことが実現されると文明は全く新しい局面を迎える。自然災害の少ない所、風景の美しい所、水の清らかな所、森や耕地が豊かな所が、人が住む適地として一番の価値を持つようになってくる。只見のような見捨てられた所に人が集まってくるだろう。

2016年頃、自動車の燃費性能偽装問題を起こして業績低迷にあったスリーダイヤモンドがトブコプターの研究にいち早く着手して自動車の生産からトブコプターの生産に業態を切り替える。スリーダイヤモンド社は将来トブコプター生産で世界一の企業になるかも知れない。

農業はアンドロイドが野菜工場で作るようになっている。気象条件に影響されないので、雪の降る冬の只見でマンゴーやパパイアなど南国のくだものが作られている。地球温暖化、気候変動によって露地栽培での農業が難しくなるが、アンドロイドが工場で農産物を生産することで食糧問題は解決している。エネルギー問題は自然エネルギーから電気分解によって作られた水素による燃料電池発電が主役となっている。エネルギーは個人が自前でつくるので送電線や電柱がなくなり村や町の景観も美しくなっている。

月や火星では人間に先駆けてアンドロイド達が都市や町、文明を作っている。アンドロイドが作った宇宙都市に人間は宇宙旅行するようになる。地球の引力の束縛から解放されて人間活動は宇宙に広がっていくだろう。50年後の世界は今からは想像すらできない世の中となっているだろう。

沿海部に発展した大都会は気候変動による海面上昇があるとき急激に起こって、対応ができず居住地を放棄せざるをえなくなるかもしれない。大都市住民が2016年頃のシリア難民のようになって、過疎地の中間山間地に移住することになるなど、50年前の現在には誰も想像できなかったことが起こるかも知れない。

どんなにテクノロジーが発展しようとも人間の動物的な身体の仕組みはすぐには変えようがない。高度にテクノロジーが発達した社会が出現すれば、動物的身体を持つ人類にますます不自然生活を強いられることになる。不自然生活による適応障害が起こってさまざまな心身の病気が人類を苦しめることになるだろう。そんな時代が到来したとき、人間にとって免疫系や内分泌系、神経系のコントロールは今よりづっと重要なテーマとなる。そのためにヨガの身体的訓練や瞑想の実践が欠かせないものになる。プレクシャ・メディテーションを伝え遺すことは未来の孫達へのメッセージであり贈り物でもあるのだ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/5月第62号からの転載です)

コラム:アンベードカルと仏教改宗

アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年光文社新書 山際素男訳)を再読した。

近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中西部の大カースト)に1891年に生まれた。

不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与える存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。

その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアンベードカルである。

アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバローダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学させてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻ったアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学した。

このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてまた社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥーと戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アンベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カースト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたからである。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。アンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。

彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17条に不可触民制廃止が謳われている。

憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決心をした。

デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。アンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもっていた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去った。享年65歳。

アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダとそのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を通しつつこの世を去ったのである。

『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。

アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている。『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するための入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとして、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すことは初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教とは何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。

『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さんに読んでいただきたい一冊である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/4月第61号からの転載です)

コラム:美しき日本刀と非暴力

あるヨガの先生から質問された。「坂本先生は刀をどうおもいますか?」「実は夫の兄が刀剣収集が趣味で、先日、その方から夫に刀が送られてきて、お前も刀の趣味を持ってはどうかと勧められた。」というのである。彼女は刀に対して怖いもの、武器としてのイメージが強く、身近におきたくないらしい。その時私は「刀ほど美しいものはなく、絵画や陶器と同じく素晴らしい鉄の芸術品として鑑賞すべきものであり、決して武器ではない。」「刀は折り返し鍛錬されて火に熱し水に冷却し鍛え上げられたものであり、素材の玉鋼から不純物を取り除いて純粋な鉄の芸術として造られたものである。刀は気高い人格と魂を象徴するものである。」「日本刀にはそれを制作した刀匠が、刀が武器として使われることのないように、平和への祈りがマントラになって込められているのだ。」と答えた。

私の刀への憧れは、少年時代まで遡る。私は団塊の世代の先駆けとなる、昭和21年9月に千葉県東葛飾郡浦安町に生まれた。小学校2,3年生の時NHKラジオ放送で「笛吹童子」や「紅孔雀」などがラジオドラマとして放送されていた。ラジオから流れる主題歌「笛吹童子:ひゃらーり ひゃらりっこ ひゃりーこ ひゃられーど 誰が吹くのか 不思議な笛だ・・・・。紅孔雀:まだ見ぬ国に住むという 赤い翼の孔雀鳥 秘めし願いを知るという 秘めし宝を知るという」や物語に熱中した。その後、「笛吹童子」も「紅孔雀」も東映で映画化され、娯楽が少なかった時代、私はそんな時代劇映画の虜になった。中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗、高千穂ひづる、月形龍之助等の映画スターのファンになったのもこの頃である。

この頃の子供たちの遊びと言えば、男の子ではメンコ、ビー玉、ベーゴマ、そしてチャンバラごっこであった。「俺は那智の小天狗だ。俺は浮寝丸だ。」などと言いなから手作りの木剣を振り回していた。隣の家の木の枝が木剣に恰好だったので、木剣を作りたいという気持ちが抑えられなくて、その枝を切って木剣を作り、隣のオヤジに大いに怒られた。隣のオヤジに怒られたけれど、悪ガキの知ちゃんは小刀を上手に使って、反りのある刀身は木を削り出し、柄の部分に樹皮を残した自慢の木剣を作った。

小学校低学年で時代劇の立ち回りや刀、侍に憧れた知ちゃんは中学校に入ると、剣道部に入部した。中学高校を一貫教育する私立中学校だったので、高校生の先輩から厳しい稽古をさせられた。

ヨガを始めた頃、自宅の近所に居合道を教える道場が出来た。道場主は私の父の小学校時代の同級生だった。榎本富夫先生が自宅に遊びに来て、先生から居合道の話を聞いたご縁で私はヨガと並んで居合の稽古を始めた。ヨガの稽古は三上光治先生について週1回だったが居合は週二回練習した。昭和57年居合道初段に合格した。私は初段に合格したら、稽古の刀を模擬刀から真剣に変えようと思っていた。

古い刀は従前の持ち主の念やネガテブなエネルギーが宿っていることもあるので、現代刀匠の作刀を求めた。その頃、名高かった岐阜県関の刀匠、藤原兼房、兼氏親子が合作で作ったものを実際手に持ち振ってみたところ、長さと手になじむバランスの良さが気に入って、それを買い求めた。真剣身とは良く言ったもので、真剣を使うようになって模擬刀で練習している時とは全く違って真剣身になった。

「関の兼房」は私の愛刀となりその後の5年間、あらゆる刀の使い方に練習を重ねた。1984年春(昭和59年)居合道の2段になっていた。静岡県三島市の沖ヨガ修道場には沖正弘先生がおられて世界中から参加者が集まり「ライフ・エンカウンター・セミナー」が行われた。大勢の外国人の前で、ビール瓶に刺し立てた2メートルほどの篠竹を、瓶を倒さずに「関の兼房」で切り払い、それから、皆が静まり返って見守る中、居合の型を演舞した。1987年(昭和62年)私は居合道の4段になっていた。沖先生が亡き後、私は成瀬雅春先生からもヨガを習っていた。その年、成瀬ヨガの10周年記念祭が品川区の体育館で行われたとき、私は壇上で連続早抜き居合を演舞した。私はこの頃、あらゆる手の内で刀を使えるようになっていた。

1988年沖ヨ修道場主催の第2回プレクシャ・メディテーション研修旅行でインドへ行った。国際親善と日本文化や武道を紹介する目的で私は日本から羽織袴と模擬刀を持っていった。交流会の機会に私は居合の演舞をした。それを見ていたジェイン・ヴィシュバ・バーラティの道場長メータ師から居合はバイオレンスだといわれた。私はそのことを日本に帰って深く考えた。型を演舞しているといっても、一つ一つの型で実際に人を切っているようにイメージする。イメージが強烈すぎて実際に人を切っているような気がすることがあった。相手の血潮が吹き出すイメージが起こることもあった。練習したあとで、その日の練習のイメージで30人から40人の人を殺してしまったと感じる日もあった。瞑想の世界ではイメージしたことは実際に起こったことといえる。そう考えたときに私は居合が出来なくなった。そして現代の居合が実践的でなく、室内だけの型の演舞だけに終始していることに物足りなさを感じたからでもある。非暴力と日本人としてのアイデンティテイ・武士道精神文化の整合性がとれなくなってしまったのである。

居合道から離れてしまったが、私は今も日本刀が好きである。ウィキペディアによれば「日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類の総称である。それは平安時代末に出現し、反りがあり片刃の刀剣をさす。」世界史的に見ても日本刀はユニークなものであり、日本人の物づくりと芸術、文化、精神性を象徴したものと言える。日本刀は外装(拵え)とは別に刀身自体が美しい鉄の美術品である。その姿、形は極限まで機能を追求した結果、一切の無駄がなく美しい。刀の外装である刀身を納める鞘、防御のための鍔、手持ちを良くするための柄、その他刀の外装に使われる部品(ハバキ、目貫、頭)の一つ一つがいにしえの職人が丹精込めてつくった美術品として美しい。

私は室町時代の「備州長船住盛光」と江戸時代初期の「陸奥大掾三善長道」を美術的にも価値ある外装付きで所持している。数百年を経て全く錆びずよく手入れされたこの刀を見るとき、刀が日本人とは何かと語り始めるのを聴くことができる。

先ごろ、東中野の沖ヨガスタジオで「知心流」の宗家を継ぐ大野雅司師の武術演舞を見た。それはかって、私が求めていた実践的な刀操法であった。大野師は真剣を抜くと同時に峯返しした。抜刀と峰打ちが一体になった技である。手の内が理想的に柔らかくなければすることが出来ない技である。戦わずして勝つことが居合であるが、たとえ刀を抜いたとしても相手を殺さないで屈服させる。これが抜き峰打ちである。それはまさに非暴力の居合であった。私はそこに到達できないで居合から離れた。若い頃に「知心流」に出会っていればもう少し居合を続けることが出来たのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/3月第60号からの転載です)

コラム[『シッダールタ』を読んで]

10年ぶりに岡田朝雄訳『シッダールタ』(2006年草思社刊)を再読した。今回、10年前には理解出来なかったこの小説の内容の濃さ、ストーリー構成の完璧さがよく解った。『シッダールタ』はヘルマン・ヘッセによって大正11年10月ヘッセ45歳の時に初版出版された。内容はゴータマ・ブッダの悟りとは別の悟りを開いた小説の主人公シッダールタの思索を通じて、真我とは何か、輪廻転生とは何か、瞑想とは何か、解脱とは何か、梵我一如とは何かなど、インド宗教哲学の精髄を語りきり、描ききり、説明しきっている。

私が30歳頃から今日まで40年間探求してきたインド哲学全般、そしてヨガや瞑想の奥義を、この小説ほどわかりやすく解き明かした著作を他に知らない。今や『シッダールタ』は私が今までに読んだ小説及び精神世界本の中で最も感動し、その哲学的内容の深さを高く評価するベストワンに位置づけるものとなった。

この小説を読みながらドイツ人のヘッセが45歳の年齢でなぜここまで深く仏教やインドの宗教思想を理解できたのだろうかとの疑問が起こった。このようにインド宗教思想を理解し洞察できるまでには相当の勉強と思索と体験が必要だったと思うが、それをヘッセはどのように行ったのだろう。ヘッセはキリスト教文化圏に生まれながら若い頃からインドや中国の宗教思想を探求し続けたようであるが、小説を書く動機としてヘッセ自身が梵我一如を体験したのかもしれない。

物語はバラモン教司祭の世襲後継者として育ったシッダールタがヴェーダーンタ哲学を習得しても心の渇きが癒されず、刎頚の友ゴーヴィンダとともに輪廻からの解脱を求めて沙門に出家するところからはじまる。岡田朝雄の翻訳は誠に素晴らしく一字一句無駄なく完璧な原文を美しい日本語に訳しきっている。

朗読すると、同じような表現がリズミカルに三度繰り返されるこの小説の、詩のような独特な文体を日本語で感じることができる。また文章を読んでいくと物語の情景が鮮やかにイメージとなって脳裏に浮かんでくる。出家の決心を、長らく自分を慈しみ育ててくれた父親に告げた時、父と子の心情が絵のように美しく描き出されていた。

この小説は登場人物が極めて少ない。まず一番目にあげられるのが主人公シッダールタを敬愛する幼馴染で、沙門修行を共にし、後にシッダールタと袂をわけてブッダの弟子になった親友のゴーヴィンダである。ゴーヴィンダはシッダールタの生涯全般に常に関わっていて、この小説の最初から最まで登場する脇役である。ゴーヴィンダは我々読者の視点であり、シッダールタがゴーヴィンダに語るのを通して我々はヘッセの思想を聞くこととなる。

遊女カマラーからシッダールタは性的快楽を通して、現実に生きることを学び、この世にあるものは全て良きものだということを学んだ。そして聖なるものと俗なるもの、賢いことと愚かなること、良いことと悪いことの対極を、経験を通して学んだ。聖から俗のどん底を体験することで、シッダールタは性格的欠点だった自惚れがなくなり謙虚になった。

河の渡し守ヴァースデーヴァは自然から真実を読み解くことができる、名も無い貧しい賢者である。老子の思想にも通じるヴァースデーヴァはシッダールタの本当の師匠であり、影になりシッダールタを見守り、究極の悟りに至るのを助ける。古代インドのシュラマナ系宗教では彼岸に渡して悟りに導く聖者をテールタンカラと言った。まさにヴァースデーヴァはテールタンカラ(渡し場を渡す人)であった。

登場人物ではないが、この小説で重要な役割を演じているのが「流れる河」である。流れる河はシッダールタにさまざまなことを話す。聞く耳をもったシッダールタに河はさまざまな真理、自然法則、宗教哲学を語る。河がシッダールタのもうひとりの師匠だった。シッダールタは河からさまざまなことを学んだ。仏教用語に山川草木悉皆成仏というのがあるが、その意味は自然を深く観察すると真理に到達するということである。河の流れを観察することで、シッダールタは過去現在未来がひとつにつながっていることがわかった。それは仏陀の無我とは別の、無時間という新しい悟りであった。時が実在しないという悟りによって、無常と永遠、苦悩と歓喜、善と悪の間に見える隔たりも一つの迷いであることに気づいた。「世界は不完全なものではない、徐々に完全なものになりつつあるのでもない、世界はあらゆる瞬間に完全だ。」ということがシッダールタにわかった。「罪人の中に、今そして今日、すでに未来の仏陀がいるのだ。あらゆる子供は自らの中にすでに老人を持ち、あらゆる乳飲み子は自らのうちに死をもっている。ずべての瀕死のものは自らのうちに永遠の生をもっている。」とわかった。この世のあらゆるものは相互に関連性を持ち、苦悩と歓喜の叫びとともに、河のように流れてすべてが一如につながっていることがわかった。12章に分けられた小説の最後の2章「オーム」とゴーヴィンダで語られる哲学的内容は圧巻であった。まさに悟りを開いた聖者にしか語れない内容を作者であるヘッセは私たちにわかりやすく示してくれる。最終章を読み終えたとき、私に深い感動が訪れた。

小説の序章「バラモンの子」ではヴェーダーンタ哲学が、2章ではジャイナ教を思わせる沙門の苦行や修行が語られ、3章ゴウタマでは仏陀と仏教哲学が語られる。シッダールタは教えによって学ぶことは出来ないとの考えから仏陀に帰依することなく、体験によって真実をつかもうと遍歴する。求めても得られない我が子への溺愛に苦しみ、故郷を、父母を捨てたことを悩んだ。

そして、シッダールタはついに完全なる悟りに達した。仏陀の悟りは自分を知ること、世界を苦と見て、もう生まれないこと輪廻転生からの解脱を理想として涅槃寂静を目指すものであった。一方、シッダールタの悟りは世界を知ること、世界を苦と見ないで、ありのまま真実として受け入れ、すべて良きもの善として解釈して他と融合し、自然法則と完全一体一如になったのである。

瞑想には内なる方向性と外なる方向性がある。外なる方向性の悟りは教えによっては学ぶことができず、生活を通して体験によって掴むことしかできないのである。ヘッセはこの小説で外なる方向性の完全なる悟り、梵我一如、聖愛を語った。全く素晴らしい小説としか言いようがない。

この小説『シッダールタ』は読めば読むほど味わい深い。私は小説を深く味わうためにインド宗教哲学の幅広い理解が欠かせないと思う。インド宗教哲学の全般を理解するために宮元啓一著『インド人の考えたこと』(2008年、春秋社刊)を熟読されることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)