コラム「プレクシャな生活」一覧

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プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・山口みゆき)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャ メディテーションを始めたのは2015年11月です。

その年の10月、大好きだった父が他界し、人生の転機も重なり、心の置き場所が定まらなくなってしまった時期がありました。

偶然にもその年の11月に、公私共に良くしていただいていた沖ヨガの先輩・坂本知忠先生の『プレクシャ メディテーション養成講座』が、初めて開催される月でした。

その講座の事は、なぜか父が亡くなる前から気になっていていました。
そして、本当に亡くなってしまった時、『瞑想の事は、よく分からないけど行ってみよう』と、何かにすがりたい気持ちでを受講したのを覚えています。
1時間半のクラスは、講義と瞑想「カヨーウッサグ」でした。

静かな数十分間が終わった時、ゆらゆらと揺れていた心も、『私はもう大丈夫!』と、思う気持ちに変わっていました。

そんな嬉しい変化に、自分が一番驚いて、更に体にも心にもいいなぁ!と思いました。

あれから7年、日々の生活を落ち着いた気持ちで過ごせているのは、プレクシャ メディテーションのお陰です。

(2022年5月127号メルマガからの転載)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・山口みゆき)

2022年6月23日㈭に今期のプレクシャ・メディテーション指導士養成講座Level2の最終日を迎えました。

 この日の実習はプラナ・サンチャラニー・ムドラの応用でした。これはプレクシャ瞑想のテクニックを組み合わせた、長年研究し続けてこられた坂本先生の、独自の瞑想技法でした。それを先生は、わたくしたちに惜しげもなく教えてくださいます。もちろん年数も実践も勉強も全く足らない私には、先生の瞑想の深いレベルのかけらすら見つけることは難しいのですが、それでも今、坂本先生の講座を受講でき、同じ時間を過ごす魅力的な方々に出会えたという、この巡りあわせにとても感謝しています。

 コロナ禍はそれまでの生活を続けることを困難にしました。木曜日夜にあったヨガ講座が休講になり、しかしそのおかげさまで、この2年半は落ち着いて養成講座に参加することができました。じっと座って自分自身に意識を向け続けることの意味や気持ちよさを、理解することも体感することもほとんどなかった私にとり、じっくりと学ぶ時間がどうしても必要だったのだと思います。今では、特別なことが起こらなくても、ただ淡々と瞑想を続けていくことが、身に付きつつあります。

 コロナ禍、家族のステージ、自身の興味、東京にいること、そのほかのあらゆることのタイミングが合って、プレクシャ瞑想に出会い、そして講座を通して見聞きし体感したすべてのことが明日の私を作ります。自分では覚えていないはるか昔の小さな事柄や発言やいただいたものが、今日の私となって、たくさんの人との出会いや経験がまた重なっていきます。だから今日、今できることを最大限に純粋に楽しんで行っていきたいと思います。

(2022年7月129号メルマガからの転載)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・山口みゆき

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

自分で自分の医者になった一つの事例

私のプレクシャ・メディテーションとの出会いは、単なる勘違いから始まりました。心身の不調により仕事を退職して3年目の夏のこと、ヨガ教室の先生が紹介してくださった「みずなら只見ユイ道場」の合宿に参加した事に始まります。ヨガの合宿だと勝手に早とちりして参加したその合宿での早朝、二つの川の合流点で二行詩を作って瞑想した時、とても不思議な感覚があったのを覚えています。その事に魅かれたのでしょうか、二週間後の「楽ちんYOGA」合宿にも参加していました。そこでは、坂本先生に「プラーナ・サンチャラニー・ムドラー」の技法を教えていただきました。先生は「この技法はお医者さんが治せない殆どの病気が治るもので、自分で自分の医者になる事ができるんだよ。」とおっしゃいました。さらには「一年間毎日実践して病気が治らなかったら、頭を丸める。」とまでおっしったのです。

当時の私は心身共にとても疲れやすく、毎日をなかば自暴自棄の気持ちで過ごし、でも心の奥では、救われたくて楽になりたくてもがいていました。医師の処方薬に改善の期待を持てなくなっていた私は、半信半疑の気持ちで、また藁にも縋る思いで次の日から実践する事にしました。そして日付、時間、その感想などを記録に残しました。

プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを継続して半年経った日、試しに薬をやめてみましたが、三日しか続かず次の日からまた薬を飲みました。坂本先生が番所においでになった時に、一体薬はいつやめれば良いのか相談しました。先生は「よしっ、大丈夫って思った時にやめるんだよ。自分で決めるんだよ。」とおっしゃいました。それから1ヶ月後「よしっ!私は薬をやめる」と決心しました。とは言うものの、最初の1週間は「本当にやめられるのかな?」という気持ちと、「決心したんだからやめるんだ」という気持ちの葛藤はあり、惑いを断ち切るために薬を全部捨てました。そして、10年以上飲んでいた薬をやめる事が出来ました。その後検査した血液検査で、値は正常値になっていました。身体の中でどんな作用が起こったのかは目に見えないものなので、私にはわかりません。

私はこの体験を通して、「身体は、欲求や情報を発信している」という事に最初に気がつきました。そして、「身体が自分の状態を教えてくれていて、その声に耳を傾け信じて自分で実践し、諦めずコツコツと継続していけば道は開けていく」という事を学びました。

その後の第一歩はヨガのインストラクターになり、身体はみるみる健康になっていきました。

(2022年3月125号メルマガからの転載)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる