コラム[平等心と無差別]

ロシアのプーチン政権が特別軍事作戦と称してウクライナに侵攻してから、2か月近くになる。

強大な軍事力を持つロシアが独善的な理論で、隣国の弱小国ウクライナを力ずくで侵略しているように見える。戦争の大義は侵略しているロシアによって歪曲され欺瞞と妄想、相手の立場を完全に無視した一方的な理屈で始まった。ウクライナの都市は砲弾やミサイルによってぼろぼろに破壊され多くの難民や市民の死者も出ている。戦争は激化と長期化の様相をみせている。

侵略されているクライナ側は既存のメデアのほかSNSなどの情報サイトを駆使し、いかに理不尽な戦争を仕掛けられたか全世界に情報発信し、共感を得ようと努めている。相互に民族のアイデンティティや利害、主義主張が違うので停戦の合意が見いだせないでいる。

21世紀になってまさかこのような理不尽な戦争が起こるとは、多くの人が予想も出来なかったであろう。さらにコロナ禍による世界的なパンデミックも未だに収束を見せていないし、地球温暖化による急激な気候変動も深刻化してきている。また世界的な資源高と食料不足によるインフレの進行が後進国の治安や政治経済情勢を悪化させている。加えてテクノロジーの急発展にモラルが追いついていない負の側面の問題多発など、人類社会には次から次へと試練が襲いかかって来ている昨今に思える。

このような世界に起こってくる様々な問題というのは、実は私たち一人一人の内なる精神性の問題なのである。マハーヴィーラや仏陀が亡くなってから今日まで2500年程になる。その間に人類史上で大きな戦争が10000回あったとも言われている。小さな戦争も含めれば数え切りないほどの戦争が繰り返された。なぜ人間はこのように愚かで間違ったことをしてしまうのだろうか、それは人間が本当の自分を知らないからである。知っていても完全に理解していないからである。

人間だけでなく全ての生き物は利己的な存在なのであり、自分が一番大事で他は二の次なのである。なぜそうなっているのかというと、一人一人の人間の内側の奥深いレベルに、根本欲がインプットされているからである。根本欲は好きか嫌いかの感情であり、心地よいか不快かの感覚である。この根本欲は制御が極めて困難である。この欲があるから私たちは生存出来るのである。もしこの欲が生き物になかったら生命は存在できない。食欲と云う自己保存欲、性欲という自己拡大欲、そして無限自由を求める自由欲が人間の三大欲望となって金銭欲、名誉欲、権力欲などの派生的な欲望を生じさせている。利己的で自己中心的な人間は他人の利益より自分の利益を第一に考える、次に家族や仲間、そして民族や国家と親しみを感ずる順に利害を考える。生き物の心はそのように出来ている。他と利害がぶつかったとき争いはそのようにして起こる。

ホモサピエンスという一種類の生き物でありながら、地球上に80億人に近い人類が生存している。現在に生きている一人の人間と同じものは、過去にもまた未来にもただ一人として同じ人間はいない。似ている人がいても、一人一人はこのように極めて個性的なのである。個性的だから一人一人の命、人生は尊いけれども、個性別と考え小さな違いを強調しすぎるとそこに差別心が生まれる。差別心と利己心、欲望が結びついて競争や対立ができると、不安や恐怖が生まれてくる。恐怖によって暴力的になり、国家間では戦争になる。

人間の心理状態、精神性、アイデンティテイは住んでいる地理環境に大きく影響される。ロシアのような寒い地域では、人々が生活していくために衣食住を調えるには厳しい環境であった。数千年にわたって同族、民族が生き残るために地域で受け継がれた知恵が、国民性として癖ずいている。国民性とは一人一人が刺激に対して反応する癖が、国家レヴェルになったものである。ウクライナ戦争が相互の国民性にもとずいて起こってきたものであることが理解できるだろう。

欲望が行動となり行動が原因となってカルマを引き寄せる。カルマは癖づいた心と体のシステムになり、私たちはそれに縛られコントロールされている。自分は自由に考え自由に行動していると思っているが、カルマが背後でその人を操っているのだから本当の自由ではなく奴隷のように操られているのである。個人のカルマが集まって国家的なカルマも出来てくる。

差別心が消えない限り人類社会に平和が訪れることはないと私は考えている。だから平和のために私たちは一人一人の中に平等心を育てなけならないのである。平等心とは外見は違って見えても命のおおもとで全ての生き物は同じなのだとの哲学を信仰しなければ達成できない。

平等心とは魂レヴェルで平等だということが理解できないと解らない。又、アートマンとカルマの哲学、輪廻転生が理解できないと解らない。物質主義者、共産主義者は宗教を否定するので平等心が乏しい。私たちはカルマの絶対真実のもとで平等なのである。そしてカルマがあるから私たちは自由なのである。もし、カルマや輪廻転生、清らかなアートマンの理論が無かったら平等も自由も平和もあり得ないと思う。残念ながら西洋や中東に起こった宗教哲学、大乗仏教、祖師仏教にはアートマンと云う概念や論理的なカルマ論に言及がないので、完全なる平等と絶対非暴力の理想に到達していないようにおもえてならない。

カルマについて深く考察すれば、全てが自業自得で自分に全責任があることが解る。自分にとって善きことも悪しきことも自分が作り主であることが解る。神のような人間一人一人をコントロールし支配する存在は居ないとマハーヴィーラや仏陀は教えている。全ては自己責任だから自由なのである。起こってくることには必ず原因があって、偶然は無く必然的に起こっているのである。遇然にしか見えないことを神の仕業だと思うのは間違った考え方である。起こってくることの原因が時空のはるか彼方にあるような場合、私たちの能力では原因を見つけるのが極めて難しい。しかし、全てのものには起こってくる原因があり、それが自然法則である。

私たちの生存も生まれてくるのも死ぬのも原因があるのである。原因と結果の法則が因果律であり、カルマの法則である。私たちはカルマによって輪廻転生を繰り返す。ジャイナ教では天界の住人である神々でさえ老死があると教える。

私たちがアートマンとカルマの哲学を理解し、平等心を確立した時、そこに真の友好心が出来る。上座心にもとずく慈悲心や愛を超えた真の平等心が平和の基礎である。完全なる非暴力とはそのことを云う。友好が有れば恐怖が無くなる。恐怖が無くなれば暴力が無くなる。暴力や争いが無くなって平和になる。だから、私たちは常に平等心と友好心を育てなければならないのである。個人個人の平等心に基づく平和が、所属する団体や企業、地域の平和に繋がりそれが国レヴェル、地球レヴェルに広がらないと人類に起こってくる様々な困難な問題を解決することは難しい。

ジャイナ教のテーラパンタ派の僧、尼僧、在家信者は聖人達の教えを讃歌として朝に夕に合唱している。『バーヴァビーニー・ヴァンダナー』は平等心を育むことの大切さを高らかに謳いあげている。また、『アヌブラタ・ギータ』は個人個人の友好、共存、調和、平等を国家レヴェルに広げていくように謳っている。繰り返し繰り返し毎日詠唱することで、平等心と非暴力の心を養っている。私たちは戦争を無くすために、人類史上最も平和な宗教であるジャイナ教に学ぶ必要があるとおもっている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

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