ジャイナ教白衣派の出家僧がしているマスクは我々日本人には馴染みがないので少し不気味に感じるかもしれません。今回はなぜ僧侶がマスクをしているか説明します。
私達が求めているのは幸福になることです。不幸になりたい人はいません。なのにどうして不幸になるのでしょう。私達が無知だからです。最大の無知は怒る事です。幸福になるには私達は怒りの心を無くさなくてはなりません。
何かに対して嫌だなぁと思う心が怒りの心です。怒りを言葉に出せば自分自身が傷つくし、相手をも不幸にします。誰かをけなす、脅す、陰口をきく、相手を怒る、非難する、侮辱するなどの言葉は言葉による暴力です。暴力を振るえば他の人や生き物達と仲良く出来ません。暴力を振るえば相手の心に怒りが起こります。それが争いです。
怒りの心は自分の方が正しいと思うエゴの心から起こってきます。執着することや適応性の欠如からも起こってきます。ジャイナ教ではアネカンタといって他の主張も否定しません。自分だけが正しいのではない、立場を変えて相手も正しいと思うことそれが非独善主義です。アネカンタの考えが争いを無くします。勝ち負けではなく、平和と幸福の為に他と争いません。
全ての生き物達と仲良くするというのがジャイナ教の一番大事な教えです。非暴力、絶対平和主義です。自分が殺されても相手を絶対に傷つけません。他に対して肉体的な暴力だけでなく言葉による精神的な暴力も決して振るいません。嫌だなぁと相手に思わせる言葉は全て暴力的な言葉です。
ジャイナ教の僧侶は一瞬一瞬の言葉と思考に、他に対する思いやりと友好の気持ちを育み、決して言葉による暴力を犯さないと実践しているのです。口先だけの理論でなく実行実践を重視しています。マスクをする事で言葉による暴力がなくなり、マスクがその実践を助けているのです。
マスクは「アヒンサー(非暴力)」、「アパリグラハ(無執着)」、「アネカンタ(非独善主義)」、「マイトゥリ(全生命との友好)」のシンボルなのです。マスクはジャイナ教の心であり、教え(哲学)であり、ジャイナ教そのものです。マスクを取ってしまえば、形態的にもゴータマ仏陀時代の仏教と区別できません。ジャイナ教は世界一全ての生き物達に優しい平和宗教です。
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/4/25からの転載です)