新型コロナウイルスが次々変異してココロナ禍が長期化する様相を見せている。そんな中、ヨガの友人が「坂本先生はワクチン接種を受けるのですか?」と聞いてきた。そこで「私は高齢だし、罹患すると回復後も味覚や嗅覚異常の後遺症が長く続くようでもあるし、私はあちこち出かけることも多いので接種を受けるつもりだ」と答えた。彼女は「ワクチン接種は百害あって一利なしですよ」という。私は彼女がワクチンは毒だから打たない方が善いと強く言うので、もっと洞察力をもって現実を見た方が良いような気がするけどねと話した。
その彼女が、今度は私がワクチン接種を受けようとしていることを、別のヨガの友人に話した。別のヨガの友人Yさんから、SNSのメッセンジャー機能を使って様々な【ワクチン打つな】の情報が送られてきた。その中には海外の学者の見解動画や、日本の医師の研究動画、証拠だとする副作用の画像などが含まれていた。それだけ見ているとなるほどなー、もしそこで云われていることが事実だとしたら大変な事だなーと私も思った。Yさん曰く、「日本のテレビ報道やマスコミは権力者によって報道をコントロールされているので、真実の情報は出てこない。真実の情報はインターネット上にある」と云った。
その後、Yさんとは連絡をとらないまま、私は1回目のワクチン接種を受けて、そのことを、フェイスブックに載せた。すると、関西の著名なヨガ先生がYさんと同じように私に「先生2回目のワクチンは打っちゃダメです」と沢山の添付画像や動画の証拠資料を送ってきた。
その時、私はおかしいなー、ワクチン接種は賛否両論あることは知っているが、どうしてそこまで打たない方がいいと、自信をもって言い切れるのだろうかと思った。人それぞれ価値観や経験、立場、環境、年齢なども違うし、アレルギーを持つ人もるのだから、ワクチン打つ打たないは本人の自由意思に任せて、他人があーだこーだと言うべきものではないような気がした。アドバイスをくれたヨガの友人たちはどうしてそのように強い信念を持って自分は正しいと云っているのだろうか?それは興味深い心の問題だと深く感じた。
【ワクチン打つな】の話は昨年秋のアメリカ大統領選挙の不正があった、なかったの話に似ている気がする。選挙結果はバイデン氏が8100万票、トランプ氏の7400万票を上回ってバイデン氏が大統領に当選したのだけれど、この時アメリカ中が不正選挙だったとして大混乱に陥った。トランプ支持派はさまざまな証拠をあげ不正があったと主張し、バイデン派は不正はなかったと主張した。不正があったか無かったか事実は一つなのにアメリカが二つに分断しそれが今も続いている。
どうしてこのような事が起こるかといえば、それはインターネット社会がつくりだしているように思えてならない。
以前から云われていることであるが、同じ価値観、趣味や境遇の人が集まった閉ざされたコミュニテーの中にいると、仲間の中で権威ある尊敬される人が話す内容が仲間内で公式見解となる。仲間内ではその公式見解に疑問を挟む人はいない。仲間内だけで話していると、賛同意見しか返ってこないし、公式見解の正しさを証明する証拠が次から次へと出てくる。するとその中の人は自分の価値観や意見と同じなので、とても居心地が良く、いつの間にか真実が見えなくなって自己の信念が強化されてしまう。これと同じようにインターネットコミュニティが閉じられた空間となってしまうと、情報を求めて入っていったとしても、そこは同じ意見ばかりが返ってきて反復しているだけになる。そこでは、反対の見解や意見はなく、他のグループとは理解しあえない全く違う見解の世界になってしまうのである。
誰か権威ある人が自分に好ましい意見を言ったとする、次の人が同じような意見を云うときに「あの人の云うとおりだ」と反復すれば、情報が次から次へと広がっていく過程で、おもしろ可笑しく誇張され変化しながら広まっていく。話が誇張されると偽情報は拡散が早く伝わるものである。
インターネットで沢山の情報が証拠付きで送られてくるが、それがはたして本当か噓か誰にも解らない。もしかしたら嘘の話が、意図的に作られた動画とともに、偽情報として拡散しているのかもしれないからである。
インターネット検索で自分の意見や好みに合う情報を求めていくと、次から次へと自分が求めている情報が表示される。グーグルもヤフーもアマゾンもフェイスブックも検索すると検索する人それぞれに違った答えが出てくる。アルゴリズムで観測されているからである。インターネット上では私がどういう人間で、何を好んで何に興味を持ち、何を考え、何をしているか、次に何をしそうかとAIが分析しカスタマイズ(見込み客としての情報)されている。何か一つのことを検索すると自動的にその人の好みに合った情報を勝手に送ってくるようになっている。
ネットで見ている世界はその人だけの世界になっていると云っても過言でない。ユーチューブ動画も関連情報が次から次へと表示される。興味にひかれて動画を見ていると、最初に見た自分に合う印象や意見が増幅されて強くなってくる。最初ワクチン打たない方が善いのかなと軽く考えていたことが反復され増幅されて、いつの間にか偏った強い信念に変わってしまう。意見の違いが増幅されるのでお互いが理解できなくなって、事実が共有できなくなってしまう。
ちょうど中国共産党と欧米民主主義陣営が人権問題で理解しえないで分断しているように、韓国と日本が歴史問題や慰安婦・徴用工問題で分断しているような状態になる。それらは教育や言論弾圧によってもたらされた巨大なカルト教団みたいなものなのである。それと同じことが、インターネットでは情報を求めて自ら選択して学んでいるのだけれど、実は知らず知らずのうちに洗脳の罠にはまってしまうことになるのである。そのことをインターネット用語でフィルターバブルと云う。
フィルターバブルに入ると物事が客観視出来なくなる。自分の好みに合った方向のニュースがどんどん出てくるから、そちら側に染まってしまう。権威ある人が証拠をそろえて指摘しているからそのとおりだと思って、その人自身も同じような強い意見を持つようになり、他に対して譲らなくなる。さらに、その人の信念も増強されてその通りだと思って行動するようになるのだと思う。フィルターバブルの中に入り込んでしまうと、新しい洞察に出会うことは期待できないと思う。
現代人の多く、若い世代はほとんど新聞を読まないし、テレビも嘘の報道が多いなどと言って見ない。情報のほとんどをスマホやパソコンをとおしてネットで得ている。ネットには便利で有益な情報も多いが偽情報、デマ情報もあふれている。インターネットに入ってやりすぎると精神的な肥満・偏りになってくると私は思う。好きな情報だけ欲しがるから情報偏りになる。今や多くの人がネット情報によって極端に偏った妄想状態に陥っているのではないだろうか?。
そのように、誰でもがフィルターバブルに陥る危険性がある。もし、インターネット上にあった自分にとって都合の良い情報が、サイト運営会社側から削除されたとき、「反対意見を持つ裏組織側の証拠隠滅操作である」などと言い出したら、その人はかなりネット洗脳が進んでいると思う。独善主義に陥っているから他を理解することはできないし、世界を分断することになる。「コロナワクチンは毒で百害あって一利なし」と極端に主張したり、「ワクチン接種は詐欺や陰謀だ」などと叫ぶようならもう完全にネット洗脳を疑わなくてはならない。洗脳された心で物事を見ても、いわば色眼鏡で世界を見ているわけだから真実は見えない。本当か嘘かを信ずるな、疑うな、確かめよと云ったところで、体験のない情報や先入観に支配されていれば真実は見えないのである。適応性を広げ自由でなければ真実は見えてこなない。それには自分を守る鎧を脱がなければならないと思う。それを積極的なヨガという。
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2021/7/29からの転載です)