コラム[徹底的に考える智慧の瞑想]



 般若心経の冒頭は、観自在菩薩が般若波羅蜜多を 修行して、全ての物事は『空』なんだよ、との悟りに達した。との説明から始まる。空というのは、全てのものの存在は、自分自身を含めて、それ自身が自己完結的に独立して存在することはできない。ものごとは相対的に成り立っているのであり、様々な原因、環境、条件がなければ成り立たないとする哲学である。般若心経は空の説明であるが、諸行無常ということの補足説明でもある。空を説き無常を説明し執着するなと教えているのである。

 プレクシャ・メディテーションに出会い、その技法の一つアヌ・プレクシャを学んだ時、アヌ・プレクシャこそ失われた古代の瞑想法『般若波羅蜜多の修行法』なのだと解った。

 波羅蜜多というのはサンスクリット語でパーラミータという。意味は物事を徹底的に行うと云うことである。般若とはパーンニャであり意味は智慧の瞑想ということで、物事を客観的に論理的に理性的に考えることを意味する。

 シャカムニ仏陀の悟りは無思考型の瞑想ではなく、考える瞑想であったと伝わっている。仏陀は何を考えたのか。ブッタは因果律、原因と結果の法則を考えたのである。仏陀以前の哲学では原因があれば必ず結果が起ると考えていたが、仏陀は原因だけでは結果は起こらない、結果が起るためには環境や条件として『縁』が必要なのだと考えた。それが仏陀の悟りなのである。

 瞑想と云うのは一つには考えることを止めて、感じる心になりきることを意味する。心は働きであり機能であるが、その機能は二つに分けて説明できる。一つは企画することと思考することである。もう一つが知覚すること感じることである。知覚すること、無思考型の瞑想が本来の瞑想であるが、一つのものごとを一生懸命考えれば、それは瞑想になる。それが智慧の瞑想であり仏陀を悟りに導いた瞑想である。

 アヌ・プレクシャには二通りの方法がある。一つは本当のこと・真実とは何かと考えることである。この方法を沈思黙考と言い、考える瞑想である。もう一つが繰り返し、繰り返し自己暗示の善い言葉を潜在意識にしみ込ませることである。目的は共にアートマンを純粋にすること、潜在意識下に根付いた悪癖を取り除くこと、心と生活の清めを目指している。私たちは潜在意識下に根付いた癖によって思考や行動が支配されている。その支配の縛りを解くには、私たち自身が潜在意識をコントロールしなくてはならない。その方法がアヌ・プレクシャなのである。アヌ・プレクシャによって自分が自分の主人公になれる。

 アヌ・プレクシャは潜在意識の汚れ・カルマを無くす基礎的な方法であり、恐れや怒りの感情を少なくし心の状態を平和にする方法である。心の自由と平和の先にアカルマ(無業)になったモークシャ(解脱)がある。目的地に向けて道を歩くように、モークシャへの道を歩くことはアヌ・プレクシャを実践することを意味する。

 真実について考える・沈思黙考をする場合、何について考えるか、先ず考察しなければならないことは、諸行無常について徹底的に考え理解を深めることである。無常が解ると何事にも執着できない、何も所有することが出来ないと解る。無所有と無執着が解ると強欲がなくなり、欲望が減少する。欲望が減少すれば苦楽の感覚からの支配が少なくなる。他との争いが少なくなって、恐怖心が無くなる。恐怖が無くなって心が平和になる。心の平和がモークシャに続く道である。

 無常が解ると因果律や輪廻転生、アートマンに付いた汚れであるカルマが理解できるようになる。因果律やカルマ、輪廻転生が解ってくると、変化するものと変化しないものの理解が生じ、洞察力を得ることが出来る。洞察力が得られれば時空を超えたものの見方が出来るようになる。物事を時空を超えて観ることが出来れば自他の差別心が完全に消えて真の友好が得られる。友好な心の状態によって恐怖が無くなる。

 また、無常が解れば忍耐することができる。カルマが解れば忍耐できる。忍耐できればアヒンサー、非暴力と不殺生ができる。非暴力と不殺生の実践で悪いカルマが減少する。そして心が平和になる。

 無常やカルマ、因果律、輪廻転生、真実の自己、無執着、不都合なことの忍耐などは沈思黙考で対応し、無所有、無執着、非暴力、不殺生、あらゆる生き物との友好、恐怖心の克服、忍耐力の涵養、病気の克服、肉体の健康などは自己暗示の言葉の繰り返しが適している。

 全ての宗教が教える自己啓発の修行が、アヌ・プレクシャで出来る。プレクシャ・メディテーションの六通りの瞑想法にアヌ・プレクシャを加えることで、全体が上手に組み合わされた瞑想法システムとなっているのである。

 般若心経の最後の部分はマントラについての解説です。このマントラは偉大なるマントラである。叡智のマントラである。これ以上ないマントラである。世に比類なきマントラである。全ての苦しみを除くマントラである。それは真実で疑いのないことである。このマントラによっても智慧の瞑想と同じ悟りが開ける。そのマントラは次のようなものである。

ガテー  ガテー  パーラ  ・  ガテー  パーラ ・ サンガテー  ボーディ  スヴァーハー

歩こう歩こう悟りの道を  悟りの世界を目指そう  解脱に幸あれ   (坂本知忠の意訳)

 善い言葉やマントラを繰り返し唱えて潜在意識を変革する方法がアヌ・プレクの自己暗示法であるが、般若心経の最後の部分はこの自己暗示法を説いているのである。従来の般若心経の解説本はほとんどこの最後の部分の解説を省いている。中には最後の部分は付け足し部分であるから本来要らないものだとしている学者もいる。

 私はプレクシャ・メディテーションのアヌ・プレクシャを学んで般若心経の本当の意味がよく解った。そして、大乗仏教がどのようなものなのかの根本的な理解が得られたのである。ジャイナ教と仏教が本当に兄弟宗教なのだということも深く理解できたのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2021/1/5からの転載です)

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