コラム:生 カルマ 死 カルマ 生

ありとあらゆる物が自分のカルマと縁によって、やって来て次の瞬間去って行く。

まるで流れる川の中に立っているようだ。
その流れはまさに宇宙のエネルギーそのものだ。
体の外側も流れている。
体の内側も流れている。
それは高速の流れだ。

動いている身体をもって、僕は動いている世界に飛び込んで行く。
生きている世界は僕が立ち止まっても、押し寄せてくる。
それが生と云うものだ。

今日一日、いろいろな物や出来事が、僕の所へ引き寄せられ押し寄せて来て、超スピードで去って行った。

死とは自分の中の流れが止まって、別次元の止まっている外界を、意識だけが流れて行く状態だ。その時、世界は押し寄せて来ない。意識が動くので世界が動いているように想えるのだ。

純化できていない意識はやがてある特定の振動を持ったエネルギー(音、匂い、光、色彩)に強く引きつけられる。

鮭が故郷の川の水を知っているように、自分を思い出し、帰るべき世界、生まれるべき所に強く惹きつけられる。

そして人間は生まれてくるのだ。

純化出来ていない意識はどうしても成し遂げたい願を持っている。
それが良いカルマ仏性だ。

仏性発現を阻害するものが悪いカルマだ。

陰陽二つのエネルギーが人間の潜在意識から放射される。
一つの人生で遭遇するあらゆる出来事の源泉はそこにある。

カルマに対する洞察、カルマのコントロール、アカルマへの道が全ての人間の遠い旅路なのだ。

プレクシャ・ディヤーナはその旅の道しるべであり、地図でもある。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2011/10/25からの転載です)

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