コラム[病気の宗教哲学的な受け止め方]

 人はなぜ病気(肉体的に精神的に)になるのだろうか、それはその人のカルマ(原因と結果の法則・因縁果)によって起こってくる。原因無くして病気は起こらない。世の中に起こっていること全て、そして自分自身に起こってくることの全てが原因と結果の法則に基づいているのである。もし偶然に起こってくるとしたら、完全なる自由も平等も無差別も有り得ない。

 人間として生きているということは、全員が物質的なレベルではに肉体の病に罹っていて、精神障害者なのである。ただし、非物質レベルでは全員が完璧に健康であり無病で、悟りを開いた聖者なのである。このことを疾患無病一如、疾患無病不二という。主客不二の事である。

 魂は一つだけれどもコインの裏表のように主観の純粋なる魂と客観の汚れた魂がある。魂の汚れが疾病や精神障害の原因である。

 どうして全ての人間が病気で精神障害者なのだろうか。完全に健康そうに見えるアスリートであっても、今と云う時空間でそのように見えるだけである。時空間を過去や未来に動かせば完全な肉体の健康など有り得ないことが解る。現象世界は一時的で、全て変化してしまう。これを無常と云い空無と云う。無垢に思える赤ちゃんでさえ既に病と悩みの種を宿している。ヨガのエキササイズや各種ヒーリング技法、食事療法、スポーツ、瞑想などを通じて健康を求めても、モグラ叩きゲームのように次から次に肉体には疾病が出てくる。人間にとっての最大の病は輪廻転生病を患っていることにある。この病気を治さないかぎり、肉体の病気が無くなることはない。ヨガの聖人・沖正弘師でさえ、次から次へと肉体の不具合や病が生じたのである。逆説的だが、だからこそヨガや瞑想、スポーツ、各種ヒーリング技法の実践が必要なのである。このことを、「煩悩を断ぜずして涅槃に入る。」と云う。「煩悩即菩提」とも云う。悩みがあるから悟りを求める。不健康だから健康を求めるのである。

 全ての人間が同じ病気に罹るわけではない。どんなに望んでも資格がなければ、特定の病気は発症することはない。新型コロナのような病気でさえ、罹る人もいれば罹らない人もいる。また、罹ったとしても重症化する人や死に至る人、軽症だったり無症状の人もいる。それは資格の問題であり、カルマの違いに由るのである。病気にならないように努力しても病気に罹る時は罹ってしまう。病気は厭うべきものではない。むしろ病気に罹ることが善い事なのである。そこに教えと気づきと過去のカルマの一部消滅が起こるからだ。

 私は20歳の時、肺結核に罹り1年間隔離病院での療養生活を体験した。高校1年生から山岳部に入り、登山に熱中して健康には自信があった。それなのに罹病して、原因が解らず、一時は絶望し精神的に混乱した。健康を回復した後、再発の不安を払拭するために私はヨガに出会った。さらに沖正弘先生に出会い、ジャイナ教とプレクシャ・メディテーションに出会った。今にして思えば私の肺結核は神様からのプレゼントだったのだと思える。人生の中でエポック的に起こってくる出来事を繋いでいくと、私のカルマやヴァーサナーがハッキリと浮かび上がってくることが解る。

 昨年8月、15日間の日程でインドヒマラヤ、ガンジス川源流の本流、バドリナートやヘムクンド、花の谷、コーテシュワラ、ウッタラカーシー等を旅した。不思議なことに旅の間は元気で、帰国の飛行機の中でも異常なく、空港からのリムジンバスもタクシーも問題はなかった。ところが、自宅に着いて荷物を降ろし30分もしないうちに、体がだるくなり高熱が出始めた。旅の疲れが出たのだろうと考え、2~3日休めば回復するだろうと思った。

 39度以上の高熱と37度台の熱が交互に出て食欲は全くなく、飲み物も喉を通らなかった。コロナ感染も疑って救急車を呼んだ。搬送された浦安の順天堂病院では「 コロナでもなくインフルエンザでもない 」と云われた。抗生部質の投与を希望したが「 今は抗生部質はあまり使わない。2~3日自宅で様子を見てください。」と云われて帰された。さらに4~5日自宅で様子を見たが症状は改善されなかった。不安が増大して再度、緊急搬送してもらった行徳総合病院でも、同じ対応で帰された。この時点では私は病気を感じていたので有るだが、病院では病気は無いと云っていることになる。食事も摂れない、飲み物も飲めない、高熱と少し熱が下がる状態が、発症から2週間続いた。ついに心臓の動悸がバクバクと感じられるようになり再び緊急搬送を要請した。運ばれた先が東京ベイ市川浦安医療センターだった。そこでは、状況の深刻さを察して入院を受け入れてくれた。この時点で私の病気は私にとって有、病院にとっても有になった。抗生部質が点滴で投与されると、熱も下がり、急に食欲も出て元気回復していくのが感じられた。病院では病気の原因を探るために様々な検査が行われ、インド旅行で立ち寄った場所など詳しく尋ねられた。なんと、梅毒やエイズも疑われたが、ウイルスによる感染ではなく、特定はできなかったが細菌感染症による肺炎と診断された。入院1週間、症状発生から3週間ほどで回復し退院した。病気は私も病院も共に無になった。

 11月に退院後の再検査のため病院を訪れると、循環器内科の浅野先生の診断を受けるように云われた。浅野先生に面談すると「僧帽弁閉鎖不全症の中等以上である」と告げられた。「放置すると進行して心不全になる恐れもある。」と言われた。青天の霹靂だった。何の自覚症状もないので「様子を見ます。」と答えた。1月は秩父の城峰山に登り、2月は御坂の黒岳に登った。息切れすることもなく体調は普段と全く変わらなかった。肉体の病気はこの時点で病院では有ても、私には感じることが出来ないので無と云える。

 2月24日夜のこと、竹馬会の会合で飲み過ぎたせいか、心臓に異常を感じた。自分で脈をとてみると不整脈だった。病院の浅野先生を訪ねると手術を勧められ胸骨を切開する等と説明を受けたこの時点では双方、病が有ることになる。私が不納得顔でいると外科部長の伊藤先生の話も聞くように云われた。5月のさまざまな行事が一段落して伊藤先生を訪ねると、カテーテルを使った最新治療、パスカル治療を提案された。私はこれなら手術の肉体的な負担も少ないのでそれで手術をすることにした。なぜ、手術を選択したのかと問われれば、自覚症状のない幻(画像で見せられただけだから)のような病ではあるが、ヨガのエキササイズや瞑想、各種のエネルギーワークでは対応できるものではないと理解しているからである。この先すっと幻に悩み幻に執着するのは嫌だった。幻を手離し執着を離れるには手術を受けることが最良に思えたからである。

 手術の為、入院した私は何の不安もなく心は穏やかだった。私は以前から病院や医師にネガテブな印象を抱いていたが、ここに入院してその考えが誤りだった事が良く解った。沢山の患者が訪れる病院であるが、そこにある雰囲気は極めて明るく秩序整然として好ましく感じられた。検査技師、男女の看護師、掃除婦、栄養士、医師の先生達、皆さん昼夜を問わず生き生きと責任感に満ちてテキパキと仕事していた。チームワークも良く、相互の意志疎通・コミニケーションもよく取れて素晴らしかった。この人たちの働く様子を見て私はほれぼれ感動した。近年の社会現象や若者たちの行動から、日本人の精神性が衰えてきたと感じていたが、この病院で働く人々は違っていた。私は嬉しくて仕方がなかった。この病院は地上の天国だと感じた。

 7月8日午前9時に手術室に入って驚いた。そこに備えられた大型モニターなど最新式の機器は宇宙船内部のようだった。全身麻酔が施された瞬間私は深い眠りに入った。その間、右の鼠径部から大静脈にカテーテルが入れられ、心臓の左心房と左心室を繫ぐ僧帽弁の閉鎖不具合による血液逆流の治療、微細で難しいマイクロクリップによる挟み付けが行われた。手術を開始して麻酔が切れるころまで4時間が経過していた。耳元で「 坂本さん手術、何の問題もなく上手く行きましたよ。早期に退院出来ますよ。」と声が聞こえた。気づくと体が寒さでガタガタ震えていた。何処にも痛みが無かった。看護師さんが体に掛物をしてくれたので30分ほどで震えは収まった。

 手術を終えた後も容体急変に備えて手術室にそのまま2時間ほど残置された。手術室では様々な機器が警報のための異様な音を響かせていた。その異様な音が全く気にならず音楽のように感じられた。

 8日午後3時になって手術室からICU・重症者集中治療室に移された。両足首には血栓を防ぐ目的でマッサージ器が取り付けられ、交互の空気圧刺激が一晩中続けられた。オムツを当てられ小便は管を通して排泄された。右手中指は血中酸素濃度を測る機器、胸とおなかには心電図測定の為の電極コード、左上腕には血圧と血糖値を測定する機器とコード、左腕には点滴用の針がそのまま付けられていた。夢うつつのように過ごしていると、麻酔の影響か脳裏に幻覚として巨大で精密な木造建築物がリアルに出現した。【巨大な柱、巨大な梁それら全てが立体幾何学文様と神仏の彫刻で満たされていた。彫刻された木肌の極微の木目がありありと実感できた。木造の巨大な家具や建具などの木目も渋い味を出し、極微細で美しかった。】ICUに入ってから24時間後、9日午後3時、心電図測定のための機器以外全てが体から離されて自由になった。

 10日午後、家内と娘と共に手術の経過報告を、担当医から詳しくパソコンの画像を見ながら、説明を受けた。画像は実に詳細に微細なところまで鮮明な画像だった。驚くべき現代医療テクノロジーと医師の技量だと思った。私は今回の肉体の病気によって沢山の体験をし、貴重な学びを得たと感じた。

 世界と私は一如、同じもの。世界があるから私は存在している。世界が無ければ私は存在できない。又、肉体を含めて私が有るから現象世界が有る。私が無ければ現象世界は感じることが出来ないので、有っても無いことになる。梵我一如。

 全身麻酔が効いている時、私は何も感じることが出来なかった。顕在意識は消滅していた。その時、痛みもなく感覚も全て消えていた。客観と主観が共に無になっていた。主客一如、主客不二だった。完全に分別、好き嫌いが無くなっていた。私は初めて悟りと云う概念を言葉や知識でなく体験とし理解することができた。

 12日午後、私は9日間の入院を終えて退院した。体調は入院前も退院後もほとんど変わりなく無症状である。私の精神は浄化されて、螺旋を一段上昇したように気力が溢れてくるのを感じた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2024/7/31からの転載です)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です