プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャ メディテーションを始めたのは2015年11月です。

その年の10月、大好きだった父が他界し、人生の転機も重なり、心の置き場所が定まらなくなってしまった時期がありました。

偶然にもその年の11月に、公私共に良くしていただいていた沖ヨガの先輩・坂本知忠先生の『プレクシャ メディテーション養成講座』が、初めて開催される月でした。

その講座の事は、なぜか父が亡くなる前から気になっていていました。
そして、本当に亡くなってしまった時、『瞑想の事は、よく分からないけど行ってみよう』と、何かにすがりたい気持ちでを受講したのを覚えています。
1時間半のクラスは、講義と瞑想「カヨーウッサグ」でした。

静かな数十分間が終わった時、ゆらゆらと揺れていた心も、『私はもう大丈夫!』と、思う気持ちに変わっていました。

そんな嬉しい変化に、自分が一番驚いて、更に体にも心にもいいなぁ!と思いました。

あれから7年、日々の生活を落ち着いた気持ちで過ごせているのは、プレクシャ メディテーションのお陰です。

(2022年5月127号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

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自分だけの自分になる時間

ただ静かに座っているだけ

先生の誘導通りに意識的に

体の中に心を向けていく

体の部分だったり

呼吸だったり

皮膚と空気の境目だったり

体の中に、外に何かをイメージしたり

自分の意識と無意識下の出来事に意識を向ける時間

意識して、とことん意識して、その先に見えた私を素直に認めてあげる時間

プレクシャ・メディテーション

私は、この時間を過ごすことで自分の体が何を感じていて、何をしたいのか?!どうしたいのか?!を知る手がかりが見つかったりしています。

瞑想は、心を無にすることばかりが目的ではないじゃないかと思ってます。

良くも悪くも情報に溢れた今

私は、どう感じてどうしたいのか?!

自分にとってのチャンス

自分にとってのワクワク

本当の事、本物を見抜く感覚力

違和感を感じとれる感覚力

自分にとっての幸せを掴む為の心の声を聴く時間

それが私にとってのプレクシャ・メディテーション

(2022年10月131号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

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瞑想で一番基本的なことは考えを止めて、感じる心になりきることです。これがなかなか難しいですね。瞑想している時もあれこれ考えてしまいます。

プレクシャとは考えを止め、善悪、好き嫌いの判断を手放し純粋に知覚することを意味します。

シャリーラ・プレクシャは臓器まで観察するに留まらずもっと、もっと奥深いレヴェルがあります。シャリーラ・プレクシャは身体の観察を意味しますが、身体とは肉体だけでなく電磁気体(テジャス・ボデイ、幽体)やカルマ体(原因体、霊体)の観察も含んでいます。

私たちが生きているとは、そこに呼吸とともに命の働きが起こっています。命は生命エネルギーとなって肉体レヴェルでは神経系統を流れて行き、同時に電磁気体のレヴェルでも一つ一つの細胞に生命力を吹き込んでいます。生命エネルギーが身体内部を流れるとき、そこにさまざまな感覚が起こっては消えていきます。その感覚を観察、知覚するテクニックがシャリーラ・プレクシャです。

カルマ体で生起する感覚も知覚することが出来ます。身体内部の感覚を知覚する練習を継続することで、命の声に耳を傾ける能力が高まります。それによっていつも自分の呼吸に気づくようになり、感情の動きや自己の欲求に敏感になり、行動も意識的になります。自己コントロールの本当の第一歩はシャリーラ・プレクシャからスタートすると言っても過言ではありません。それは自分で自分の医者になる方法であり、健康法の奥義です。

レーシャとは魂から出た純粋な霊的光が霊体(カルマ体、原因体)にある汚染物質によって色付くことをいいます。言わば汚染され、色付いた霊的色彩光が電磁気体に広がり更に肉体レヴェルに広がり、肉体外部に放射され私たちのオーラになります。カルマ体とレーシャの哲学は古代からのジャイナ教哲学です。ジャイナ教ではオーラを明るく輝く白い光にしてゆくことが修行の目的になっています。それがアカルマ、無業の道です。幸せになる道です。それらを総合的に行う瞑想法がプレクシャ・メディテーションです。

(2023年6月139号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

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