コラム「プレクシャな生活」一覧

*各指導士名・コラムから各記事へ遷移します*

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木 薫)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤 真紀子)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

 

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

はじめまして、谷内健太郎と申します。

この度は自己紹介の機会を頂き誠にありがとうございます。

坂本先生に指導士の認定を頂きましたのでこれまでの経緯をお伝えさせて頂きます。

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大学に入った当初は心や脳の研究をしたかったのですが、現代科学でその本質を研究することはとても難しいと思い進路にとても悩んでおりました。その時に新しい道を探そうと思い、自己啓発の本や占いの本をよく読んでいました。その中に輪廻転生を解説したエドガーケイシーやシュタイナーの本があり、かなり影響を受けました。カルマへの理解はそこから始まりました。

シュタイナーが菜食の方が欲望を克服しやすいと解説していたのでその時から菜食を徐々に試すようになりました。どうやら私の体には動物性の物は重たかったようで消化が軽くなって動きやすくなったため、菜食を続けることになりました。

それだけでなくスピリチャルなことを科学的に研究した本山博先生の本を読みクンダリーニヨガの会にも出たりしました。そこから徐々に霊気などのエネルギーワークやTM系の瞑想を習い始め、繊細なエネルギーへの体感が徐々に深まっていきました。

当時の瞑想の先生の紹介でインドのヒンドゥー教の聖者に会いに南インドのアシュラムに行くことになりました。はじめてのインドはかなり衝撃でしたがカオスで自由な雰囲気に魅了されてしまいました。その聖者はマントラ行やインド風水が得意で私もその当時はマントラ行のために本格的に菜食をしたり、風水で家を整えました。

ところが、突然その聖者が亡くなってしまってインドへの道が一時中断してしまいました。

そのころ私の研究室の友達がインド占星術を習っていてその関係で私も見てもらいたいと思い彼の先生のインド占星術の鑑定を受けることになりました。

実はこのインド占星術の先生がジャイナ教の聖者に師事をしており私のジャイナ教への道のきっかけとなります。

インド占星術に感銘を受けた私はその先生と仲良くなり、インドツアーに参加することになりました。そこでジャイナ教のムルティプジャカ派のアーチャリーに初めて出会うことになります。そのアーチャリーに祝福をしてもらった後一日中体の熱が冷めずに法当たりと呼ばれる現象が起きたのです。お寺を持ったり、プージャをするという点でテーラパンタ派とは違いますが、ジャイナ教の純粋性を感じ衝撃を受けました。

帰国してからも私の純粋性を求める思いはどんどん募り、神戸のジャイナ教寺院が実家の近くにあったので毎週通うことにしました。ジャイナ教のことをさらに知りたいと思い、様々なジャイナ教のお勉強を進めていく中で坂本先生の「勝利者の瞑想法」と出会うことになります。ただプレクシャー瞑想を習うのに東京だと遠くて通えなかったのでいつか習えればよいな~、という風にあきらめておりました。

しかし、2021年にパートナーの都合で横浜に住むことになり、これはチャンスだと思い、指導士養成講座に通い始めました。それまでは本を読んで見よう見まねで少しやってみましたが、実際のプレクシャー瞑想は全然違うもので、やはりこういったものは習熟した先生から直接習うのがとても大切だと痛感しました。もちろん瞑想法が体系立っているだけでなく先生の瞑想への思いや深さ、純粋さを体感として得たのでこれは素晴らしいと思ったのです。

そんな中、坂本先生の講義の中で中途半端な非暴力は暴力となる、というのがとても胸に突き刺さりました。自分が非暴力を頑張ってやっているつもりが人に正論を振りかざして押し付けている時点で全然非暴力的でないということに気づいたのです。

瞑想やマントラで修行をしている自分は偉くて、してない人は偉くないという差別的な見方をしていたのです。ジャイナ教の平等心からはほど遠いなと、その時、痛感しました。

そして去年、インドキャンプに行くチャンスを得て本場でプレクシャー瞑想を体験しましたがやはり本場というだけあって瞑想体験はさらに深かったです。それだけでなくお坊さんたちの托鉢の様子や段ボールで寝ている様子を身近に見れてとてもその純粋さに衝撃を受けました。

そしてアチャリアに質問した時に非暴力は殺すだけでなく、人を傷つけることを言ったり考えたりすることもよくない、ということを聴き、まだまだ自分はできていないな~、と実感できました。それと同時にアーナンダという至福が本質的に大切なのだということが賛歌を歌う中で実感できたのも良かったです。僧侶たちと一緒に歌っている時にハートが暖かくなるのがわかりました。魂の本質は喜びなのであり、自分を罰することではないと改めて理解しました。

その後、帰国してからオンラインで受けた本部のティーチャーズトレーニングではジョーティーケンドラの瞑想の重要性を再認識しました。瞑想をするとエネルギーが高まってくるので、それを最後に鎮めないと他人に良くない影響を及ぼしてしまうとのことでした。

それはインドの行者が瞑想の邪魔をされ、キレるということが昔から気になっていたので、なぜ聖者がキレるのか?というのがジョーティーケンドラの瞑想をしていないからだとわかってかなり腑に落ちたのです。

逆にプレクシャー瞑想で最後にジョーティーケンドラに意識を持っていくことで、できる限り平和な気持ちで瞑想を終えられるという流れが、とても素晴らしいと思いました。

日々、瞑想を行い賛歌を詠唱し、マントラを唱えることで人生がどんどん軽くなっている実感があります。

プレクシャー瞑想に出会えたことがとてもありがたいと思っております。

このような機会を与えてくださった坂本先生を含め、プレクシャー瞑想を支えて来られた

スタッフの方々には大変感謝申し上げます。

(2023年9月142号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

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指導士の谷内健太郎です。

 前回は2023年9月に投稿させていただきましたが、それ以降もますます瞑想の体験が深まってきましたのでお話をシェアさせていただきます。

 前回のインドツアーで坂本先生より繋いでいただいたインド人整体師&ヨガ講師のバッティー氏からのご縁で去年の7月に突然サマンジ(ジャイナ教の準出家の僧侶)から連絡がありました。最初は智恵子さんが来日企画を仲介する予定だったのですがヒマラヤ巡礼の直前ということでなかなか会場の手配などが難しいため、智恵子さんから私にバトンタッチしてサマンジの来日準備を進めていくことになりました。坂本先生より頂きました貴重なご縁に感謝するとともにこのよきご縁を次に繋いでいきたいと思います!

 その当時は私はプライベートで喧嘩がなかなか止まらなかったのでサマンジに怒りのコントロールの仕方に関してレクチャーをお願いしました。そこでは、期待をするから怒りが発生するということを学びました。なので期待を辞めることがすごく大切で、期待の代わりにお願いをするとよいということで、現在も実践し徐々に怒り自体が減ってきているように思います。他の感情のコントロールに関してもとても素晴らしい内容でかなり有効で実践的なものでした。

 次にジャイナ教を深く知るためにジャイナ教のダルマのレクチャーをしていただき、理想的なライフスタイルを改めて知りました。断食とオートファジー(自浄作用)の関連性の話はとても面白かったです。夕食を早めに食べて、朝ごはんを抜き、夕食から次の食まで16時間あけるのは確かに胃腸を休ませるにはとてもよいと思いました。

 2023年12月に1か月ほどインド巡礼に行ってまいりました。インド占星術のカンファレンスがメインイベントでしたが、それ以外にもサマンジに招待して頂き、サマンジの監修する学校の見学させていただきました。とても奉仕的な子供ばかりで愛と好奇心にあふれていました。たくさんの愛を頂きました~。日本の学生と交換留学して様々なことを経験してもらうのも今後はよいかなと思いました。

 サマンジの好意で前々から行きたかった念願の天空都市パリタナの初代ティルタンカーラ(アディナータ)寺院に連れて行ってもらいました。幸運にも現地のジャイナ教のお坊さんに案内してもらい特別な場所も回ることができました。とても大きなジナ像の前でマントラを唱え、パワーを注入!とてもつよいバイブレーションを感じました。多くの方に体験してほしい場所だな~と思いました。

 帰国後、日の出前に起きる習慣ができ、日の出とともにマントラとプレクシャ瞑想を毎日行っております。朝起きの良さを実感中です。夜のエネルギーは静かで創作活動にはよいですが、早朝のエネルギーもとても静かで仕事がはかどるだけでなく、健康面でもとてもよいですね~。

 これまで仕事が忙しく、それにかまけて甘いものやカフェインなど身体の緊張を増やすような食事が多かったですが、健康診断での肝臓の数値が悪かったため、食事を見直し改めて瞑想用の身体づくりを心がけています。すると肉体の流れがよくなって、カーヤ・ウッサグがとてもやりやすくなりました。何を食べるかもやはり大切ですね~。

 徹底的に身体の緊張を解くために呼吸と緊張している筋肉を観察していると効果的にリラックスできることに気づきました。身体全体を意識することで筋肉が葛藤状態にある部位以外の別の筋肉にもエネルギーが注がれ、意識的に緊張状態を解くことができるようになってきました。より肉体への感覚が繊細になっているため呼吸と筋肉の連動を強く感じ取れるようになっているように思います。

 緊張した筋肉はすぐには柔らかくはならず、ある程度時間をかけて呼吸とともに徐々にほぐれていくのを実感中です。

 祈り(マントラ)と瞑想はセットであると改めて思います。今まではマントラを通して行為への集中を特に心がけてきましたが、最近はシャリーラプレクシャなどで観察することに意識を強く持っていくことで、瞑想中だけでなく日常での気付きも深まっています。

 プレクシャ瞑想を通して以前よりも注意深さが育って来ているように思います。このような素晴らしい瞑想のご縁を頂けたことに改めて感謝申し上げます。今後とも皆様と一緒に成長していければ幸いです。

(2024年5月150号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

私の最近の“マイ・プレクシャライフ”をひとことで言うと、「このコロナ禍を活用して『集中的な研究・学び』にシフトしたここ数年」です。これまでの経験で『集中的な取り組み』は私にとって転機や進化の大きなカギをにぎっているので、「コロナ禍で何ができるだろう?」ということを家庭の状況も考慮してまとめたときに、自然と今の状況になりました。そのほかにもいろいろと目的がありますし、オンライン中心のプレクシャ瞑想クラスに力を入れているのにも目的があります。

〈はじめての瞑想体験〉
「そうか、感じ・観じることがポイントなんだ!」
そう気づかせてくれたのがヴィパッサナー瞑想10日間研修でした。あれから約10年が経ったと思います。これが私の“ちゃんとした”初の瞑想体験でした。最終日の一本通った何とも言えないととのった感じは、今でも覚えています。それまで教えてきたヨガのスタイルがガラッと変わりました。感じ・観じることが中心になりました。私にとっての大きな転機でした。

〈プレクシャ瞑想には興味がわかず…〉
もうひとつの瞑想に関する大きな出会いはプレクシャ瞑想です。正直言うと、はじめは講義の内容も実習もしっくりときませんでした。一応ひととおり受講しましたが、「心ここにあらず」みたいな感じであまり身が入らなかったのです。とにかくイマイチよくわからなかったです。今振り返ると、「なぜ瞑想をするのか?」に対する自分の答えが不明確で、自分自身の活動とその答えが一致していなかったのが大きな要因だったと思っています。自分の活動は『ふくヨガ~Holistic Health for Peace & Happiness~』って掲げているんですけどね(「幸福と平和のため」)。。。
 そんな私でも、身が入らないなりに続けていくうちに講義が頭に入るようになり、それなりに体調等が良くなる体験もしていたので実技も少しづつ進展していきました。やっぱり「継続は力なり」ですし、芽は出ずともしっかりと水やりをする期間は大切ですね。そうこうしているうちに瞑想に関する大きな転機その2がやってきます。

〈プレクシャ瞑想にハマる①〉
幸運なことに、インド瞑想研修旅行に参加できたのです。ヴィパッサナー瞑想研修もそうですが、『瞑想漬け』、つまり集中的に瞑想を学ぶ効果は大きいですね。しかも現地で直接体験できるのはとても幸せなことです。厳格な修行を重ねているお坊さんたちの人格に直接触れることのできる体験はそれ自体が何よりの教えでした。インドでは『サマイク』という48分間カルマを流入させない時間をつくる、というのを教わり体験しました。このサマイクからも集中的に学ぶことの意義みたいなものを教わりました。優れたお坊さんたち、ともにプレクシャ瞑想を学びあう各国からの参加者、信者の方々など、そこにいる人や食事、雰囲気などが私の学ぶ意欲をインスパイアしてくれました(もう1週間そこにいたいくらいでした)。日本で学んだ『アヒㇺサー(非暴力・不殺生)』『アパリグラハ(無所有)』『アネカーンタ(非独善)』や『バーバクリヤ(マインドフル)』『プラティクリヤ・ヴィラティ(反応しない)』『マイトゥリ(友好)』『ミット・アハー(食の自制)』『ミット・バㇵーシャン(発話の自制)』など、幸福や平和という目的地へ至るための指針が肌感覚でそこでの生活から学べた気がします(食事がおいしかったのでちょっと食べすぎちゃいましたが)。

〈プレクシャ瞑想にハマる②〉
数年前に、月に一度日曜日に開催している坂本師の講座の復習会をオンラインで開催していました。担当が私になり、坂本師からは「実技だけでいいんじゃない」とアドヴァイスを受けましたが、講義の内容を要約しそれをレクチャーして実習もやるのを1時間程度にまとめる、という自分の納得できるスタイルでやらせていただきました。実はそれまでスライドなんてほとんど作ったことがありませんでした。この約1年間は、スライドをはじめ要約することや短時間で講座を進めていく技術を身につけさせていただきました。毎日録音した講義を繰り返し繰り返し聴いて、「あ~まとまんねぇ~」とぼやきながらも、やはり集中的な学びの機会だと自覚しながら楽しめました。特に『無常についてのアヌ・プレクシャ(沈思黙考の瞑想法)』の回は感動もので、以前の私なら意味不明なアヌ・プレクシャの講義と実習が身に染み入り感動できました。「そうか!そうだよな!!」って感じでした。継続の効果もそうですが、インドに行ったからこそのアヌ・プレクシャの理解だったと思います。この時点で、「あとは自分で研究・実践していくんだなぁ~」と悟りました。

〈まだコロナ禍が続く現在〉
コロナ禍に入ってから時間がたつにつれ「幸福と平和のためにプレクシャ瞑想を広めよう」との思いが強くなりました。SNSで頻繁に発信しているのはそのためです。もちろん自分の認知度を高め、より広めやすくする目的もあります。ここ数年はプレクシャ瞑想の講座をオンラインで開催していますが、これも多くの人に広めるためであり、その試みです。オンライン講座用のプラットフォームを構築できれば、ネット環境さえあればどこにいても学びあえます。いつなんどき我が家も引っ越すかもしれないですしね。私もいいオジサンですし、今後出てくるかもしれない若手に何か良いものを提供したいですし。インドのプレクシャインターナショナルはその点力を入れていて進んでいるようですし、そこは大いに見習っています。

オンライン講座用のテキスト作りが今や私の月間の大きな仕事となっていますが、これもプラットフォームづくりの一環です。また、プレクシャ瞑想の研究にもなっています。毎日ジャイナ教哲学と格闘し(=理解実践できていない自分自身と格闘し)触れあう、これも集中的な学びになっています。こうしてテキスト作りや研究に集中できるのは、いつも講座に参加し講座を待ってくださっている方のお陰です。いつもありがとうございます!

SNSでの発信を続けているうちに、インドの方が色々と情報を送ってくださるようになりました。ジャイナ教のことやインドの祭典や観光地、遺産のこと、イギリスの大学でジャイナ教のことが取り上げられていることや、おすすめのジャイナ教研究者のことなど、ありがたい限りです。今年プレクシャ瞑想の研修でインドに行った女子お2人からはプレクシャ瞑想に関する本をお土産でいただきました。早速活用させていただいています。ありがとうございます!

良いものを丁寧に作っていきたいという自分の信条は子供のころから変わらないようです。時間はかかりますが、いずれ良いものをお返しできればと思っています。

(2023年4月137号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗

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【フェスティーナー・レンテー】
「リラ~ックス・リラ~ックス・リラ~ックス。。。ぜんぜんリラックスしないじゃん」

これまでほとんど言ってきませんでしたが、これがカヨーッツアルグ(自己暗示による身体の完全リラクゼーション)をやったときの初めの感想でした。私にとってカヨーッツアルグという技法はず~っととても難解な技法で、「あ、リラックスしてきたなぁ~」と感じられるようになってきたのは、実は最近になってのことです、ってことをここに懺悔いたします。プレークシャー瞑想を教える立場にいながら大変お恥ずかしいのですが。。。

学生の頃に精神的に病んだのがきっかけでヨガや瞑想の道に入りましたが、ヨガや瞑想の道に入る前には心理学や心理療法の本を読み漁っていたのもあって、自己暗示を使った心理療法の自律訓練法なんかも試したことがありました。当時は八幡洋氏の『立ち直るための心理療法』(ちくま新書)を繰り返し読んでは試していました。お察しの通り、まったく効果というか反応はなく、その他の本にも自律訓練法はよく出てきていましたがスルーするようになりました。

その昔、私のヨガクラスから開脚のポーズが消えた時期がありました。これもお恥ずかしいのですが、開脚の練習が楽しくて調子に乗って脚を痛めてしまったのです。そういうことで私のクラスから一時期開脚のポーズが消えていたわけですが、約1年後に再登場することとなります。しかも痛める前よりも脚は開くし腰は立つし前屈も深くなってるしと、いいことずくめ!約1年間開脚のポーズを封印していましたが、その間に取り組んでいたこと(ポーズだけではない)が私を総合的に高めてくれたのだと理解しています。

さて、お話が飛び飛びになりましたが、何が言いたいのかというと、一見遠回りに見えるかもしれないけれど、できるだけ総合的に取り組んでいくと、上手くいかなかったことが上手くいくようになったり想像以上に進歩・進化していったりするんじゃないかなぁということです。(欲望のまま手あたり次第やっていけばいいってのとはちょっと違うかなとは思いますが)

ご存じの通りプレークシャー瞑想は基本的に7つの段階というか技法があり(マントラメディテーションを入れると8つ)、単独でも取り組めますが、やはりチャイタニヤケーンドラ・プレークシャーあたりからは毛色というかレベルが違ってくるところに『段階』を感じます。ですが、わからないなりにもまんべんなく技法に触れたり、ある時には一つの技法に没頭したり、それに付随する哲学を学んだり、それらを日常で適用・応用したりするプロセスで、その人にとってのペースや順序で進歩・進化していくのだと今では感じています。とりあえず続けて進めてみる。

プレークシャー瞑想のサブコンポーネントにはヨガのポーズや呼吸法なども含まれていて、プレークシャー瞑想は総合的なパッケージとして構成されているのがわかります。学びを進めていくと、プレークシャー瞑想が安心して安全に取り組めるのはこの総合性に起因しているというのがうかがえます。特に哲学はものの見方やとらえ方を変容してくれるので、たとえわからなくてもとりあえず触れておくことがものすごく重要かと。

幸いにも再び投稿の機会をいただいたのでこれまでをあらためて振り返ってきましたが、「やっぱり続けるもんだなぁ~」とつくづく感じる今日この頃です。

「フェスティーナー・レンテー」、20年以上前の18歳の時に出会ったこの言葉。時には忘れることもありますが大切にしている言葉のひとつです。せっかちだけどマイペースで探求していきたい自分にはぴったりのこのラテン語は「ゆっくり急げ」という意味です。

(2023年10月143号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

「自分が自分の医者になる」という魅力的なコピーに惹かれ、プレクシャメディテーションを受講し2年が経ちました。

以前は肉体の健康ばかりに囚われていましたが、今は、精神性の健康について気づくことができ、視点が変わったように思います。

身体の癖は鏡をみると気づくけど、心の癖は鏡では気づけない、カルマを次に持ち越さない!

プレクシャメディテーションは色々教えてくれました。

「大事なことは学校で教えてくれないんだよ」と先生がおっしゃったのが印象的で、振り返れば、哲学的なことは実際学校で教わったことはありませんでした。覚えてないだけかもしれませんが・・。

インドの生活では当たり前に宗教哲学があり、こどものころから、出家するとか、しないとか家庭の話題としてあがることがあまりにも日本との人生観の違いが衝撃的でした。

宗教というと、悪い側面ばかりが報道され、何かタブー感が漂う日本社会。

せめて子育て中にプレクシャメディテーションに出会えたことに感謝し、我が家のこどもとの会話に少しでもにじみ出るようになればと思います。

今年から娘が小学生。今の小学校がどんな授業をしているのか、新な視点で注目していこうと思います。

(2023年2月136号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子

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秋に風邪をこじらせ肺炎になってしまいました。
以前は入院する病気でしたが、今は薬と通院で治る病気になり、医学の進歩はありがたい限りです。
さて、さっきまで普通に生活していたものが、医者から肺炎の診断が下ると、急に病人になってしまい、気持ちまで病んできます。

そんな時に手が伸びたのが沖先生の本でした。
「病はチャンス」「健康だから病気になる」等々、病気に対する前向きな言葉のおかげで、肺炎をチャンスととらえ、瞑想をしたり、アサナをしたりして過ごしました。もちろん呼吸は苦しい。でも毎日していると、今日はここまでできるようになったと呼吸の違いがはっきりとわかり、呼吸のありがたさが身に沁みました。

瞑想をするために動かないのではなく、動けないから瞑想をする、ということになってしまいましたが、このまま習慣になればそれも良しかと思います。ヨガの教えがあったおかげで前向きに過ごせ、治癒したわけですが、振り返れば、普段から自分を観ていなかった反省点。

どこかでただの風邪と肺炎まで進行してしまった分岐点があり、自分を観ていなかったため、見逃していたのです。もちろん、体力的なことだけでなく、精神的な面でも観るということ。瞑想中だけが内観の時間ではなく、普段の生活から「観る」を心がけてこそ、形だけではなく、瞑想を生活に活かすことを心がけたいと思いました。

(2023年12月145号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子

 

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

[プレクシャ瞑想と出会って4年弱がたちました。]
未だに瞑想とは何だろう? どのような変化を感じるのだろうかと手探りの中で、日々向き合っています。

朝の瞑想として、プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを行う事が、習慣になってきました。どちらかと言えば夜型人間の私でも行う事によって、頭がスッキリとし1日のスタートを始める事ができます。

先日、少し大がかりな歯の治療をおこないました。その翌日、いつもの様に座して、プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを始めました。しかし、始めたとたん前日治療したあたりが、ムズムズする様なズキズキする様な感じがして、どうしても意識が口の中に向いてしまいます。鎮痛剤も処方して頂いていましたが、薬にあまり頼りたくないと思いそのまま瞑想を続けました。続けていると徐々に意識は内側に向いていきました。108回呼吸を終え静かに目を開けると、頭はいつも通りスッキリ、口の中の違和感はなくなりました。

治療後2~3日は腫れたりすると言われており、頬は飴でも含んでいるか様にぷっくりしていましたが、痛みなどは起きませんでした。瞑想よる効果かと思える出来事でした。改めて日々続けていく事の大切さを感じました。

(2023年2月136号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか

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[日常生活の中にプレクシャ・ディアーナで学んだことを見つける気が付く事が楽しみになっています]

法事での事、読経後の説法で「仏舎利」についての話がありました。お配り頂いたプリントの冒頭に「舎利(しゃり)は、シャリーラの音写で…」とありました。目は「シャリーラ」にくぎ付けでした。頭の中では「こんな所でシャリーラに出会うとは!プレクシャ瞑想の中にあった言葉だ!」仏教のお寺なので、今までも耳にしていたり、目にしていたかもしれません。ただ自分の中では、法事は生活行事の中の一つで、瞑想は瞑想の時間で、と別々に考えていた事に気が付きました。瞑想の時間とは、座した意識を内側に向ける事だと、いつの間にか決めつけている事に気が付きました。

身体の変化は、動きであったり目に見えたり捉えやすいですが、心の変化はなかなか感じる事ができません。心の変化は、どうしたら気が付けるのでしょうか?
先日、友人たちと富士山の麓を訪れる機会がありました。天候にも恵まれ、その時はただ楽しいだけではなく、この機会やご縁に出会えた事への感謝の気持ちがいっぱいになりました。この様な事に気が付けようになったのは、瞑想を続けてきた効果かなと感じました。生活の中で、一つでも気づきが増え、また瞑想の深まりにつながると良いなと思っています。

(2023年11月144号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤 真紀子)

月に一度、日曜日の午前中に坂本先生のプレクシャ・メディテーションの教室に通わせていただくようになって3年近くになります。

今月、先生の講義のテーマは『「バーヴァビーニー ヴァンダナー」の言語の意味と新しい訳について』でした。うかがえば先生が何十年も前にインドで聴かれた讃歌に感銘を受けてその意味について長年研究なさっていらしたとのこと、そして最近原語(プラクリット語)から英語を介さず、直接日本語に訳されたことで意味が明解になったとお話下さいました。単語ひとつひとつの意味とそしてジャイナ教の教えそのものであるという全文の新訳を講じていただきました。新しい訳はわかりやすい言葉で私にも理解出来ました。 訳の説明の後、先生方が「バーヴァビーニー ヴァンダナー」を唱えてくださるとその場は清らかな氣で満ちたように感じました。 その後の実習の「シュヴァーサプレクシャ」は、その雰囲気に包まれていつもより集中出来、深い呼吸を感じられました。長く座ることで感じる体の痛みも感じることなく行えたのも不思議でした。その場の皆さまのエネルギーのおかげさまです。ひとりで瞑想する時にはなかなか得られない感覚でした。

教室に初めて参加させていただいた時には、歌を聴いているようなマントラの美しい響きに感動しました。マントラを書いたものをいただきましたが、字を追うだけ声に出すことができず、通う度に皆さまの音を聴きながら、一拍子遅れて一緒に唱えさせていただくうちに自分の中にも入ってきたことがとても嬉しかったことを「バーヴァビーニー ヴァンダナー」を聴かせていただいて想い出しました。

瞑想は、ヨガの先輩のお誘いのおかげさまで始めました。当時は、未知の世界のように感じていた瞑想に対しての好奇心が大きかったです。まだまだ入口ですが、ジャイナ教の哲学を元にする瞑想法を学ばせていただくことで、気付くことが多くなると未熟さを痛感いたします。永く生きているだけで足りないことばかりです。日々の生活のいろいろな場面を通して心の癖に気付き、見直しています。

毎回先生は熱く伝えて下さいます。今回のように永年研究を積み重ねていらしたことを学ばせていただけることはとても有難いことです。講義の内容によっては難しく理解しづらいこともありましたが、学びを深めることで解いていきます。プレクシャ・ディヤーナに出会い、深めていくことは今の私には必要なことであり、これからも続けます。 そしてこのご縁に感謝いたします。 合掌

(2022年4月126号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子

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毎月のお教室以外にも讃歌の会に参加させていただく機会に恵まれたことを有難く感じています。教えていただいた讃歌を聴きながら朝食前に木立の中を歩くことが一日の始まりの習慣となり、より充実した日々を過ごしていました。

 ところが、8月初旬にコロナウイルスに感染して一週間自宅療養し、その後も隔離期間自粛期間を含めると3週間は外出を控えざるを得なくなりました。ここ何年も風邪をひくこともなかったので久しぶりのことでした。体調が回復し始めてからはヨガなどを出来る範囲で行ううちに体力は戻りつつありましたが、どうにも氣力が湧かず集中力が低下し、どんよりとした気分のまま8月が終わってしまいました。コロナの後遺症の症状でそうしたことがあることは聴いてはいましたが、もどかしく感じていました。

 9月の実習に参加した際、テーマは「4ステップ瞑想(ジョーティ・ケーンドラ・プレクシャ)」でした。マントラを唱え、ゆったりとした坂本先生の誘導は心地よく、リラックスし、そして集中することで一歩一歩自分の中に入っていく感覚でした。終わった後は清々しく頭の中がクリアになりました。ネガティブな思考が消え、もう大丈夫!と思えました。先生の言葉やその場の氣をお借りしてではありますが、瞑想することで変えることが出来たことに正直驚いています。リラックスし集中し深められた時、コントロール出来ることを経験したのは貴重なことでした。

 非日常でないことが起こった時には気付きが伴います。有難くない病でさえこうした気付きがありました。なるべくしてそうなったとも言われます。この気付きの為の数週間だったのかもしれません。

 おかげさまで、讃歌を聴きながらの散歩がまた心地良い日常になりました。

(2022年12月133号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子

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「自分で自分をコントロールする」ヨガを始めるまでは思いも及ばなかったことです。とても難しいけれど、どういうことを言うのかが少しずつわかり始めました。
 私がヨガを始めたのは、50歳を過ぎた頃でした。股関節の形成不全が原因で変形性股関節症を発症し痛みが出ると整形外科や整骨院通いを繰り返すなかで人に頼ることには限界があることを知りました。この足と上手に付き合い、生きているうちは自分の足で歩きたいとの想いから自分でメンテナンスする方法を探すなかでヨガと出逢いました。十数年経って痛みは筋肉の張りなどから出ていることがわかり始め、痛みに合った方法で動かすことで緩和できるようになり、また体の使い方なども工夫するようになりました。気付いて知恵を用いて繰り返し実践すれば変わることが出来ました。
 最近は心も同じと感じています。自分で自分をコントロールすることにつながります。ネガティブな思考になった時、心の悪い癖が出た時に客観的に今を見つめる別の眼があり、気付かせてくれます。プレクシャメディテーションを学び、実践させていただくことによる変化だと感じています。
 でも、ひとりで本を読んで勉強していたのでは、このようにはなれなかったでしょう。坂本先生はご自身で学ばれたことを熱心にご指導くださいます。また諸先生方のお導き、一緒に学ぶお仲間・友人のおかげさまです。例えば、讃歌もそのひとつです。どこか懐かしい旋律の讃歌、初めて聴いた時から心に響き、いつか唄えるようになりたいと強く思いました。その後すぐに讃歌の会が発足され、月に一度、輪の中で坂本先生の後に続き繰り返すことで口ずさめるようになりました。先日は友人が、YouTubeで聴ける讃歌集を紹介してくれたので部屋で流しています。瞑想が深まり清々しさは格別です。良い音楽はその部屋も浄化すると、うかがい納得しています。こうしたことは一人では成し得ないことです。
 瞑想は自分と向き合うものですが、その過程は人の中で育まれることも多く、大きいと感じ、今いただいている恵まれたご縁に感謝して過ごします。そして「自分で自分をコントロールする」勉強はこれからも続きます。

(2023年8月141号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子

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3月のお教室は、「プラーナ・サンチャラニー・ムドラー」の講義と実習でした。このムドラは、生命力のバランスを整えて増大させる、そして内側から元気にさせるのだそうです。6通りの印を使って、それぞれ9呼吸行います。印を作った手のほうにエネルギーが流れるため、命の働きがバランスを取ろうとし、それが病気を治す力になるそうです。

 実習では、先生の呼吸がとても長く、倍くらい数を数えられそうでした。これも毎日すると良いとのことで、主に朝行います。毎日続けることで徐々に呼吸が長く、深くなってきました。ゆっくり数を数えながら行うので集中し、妄想?も湧いてきにくいです。数を間違ったら最初からやり直します。3か月毎日続けたら、またその先のステップがあるそうでそれも楽しみです。

 プレクシャ瞑想を続けていることで少しずつほんの少しずつ自分のなかで変化していることを感じます。内側に意識を向けることで今まで気づかなかった心の癖に気付きます。そして気付いた心の癖のひとつが依頼心です。
 
 坂本先生が作詞された「サンヴァーラ・ギータ」には分かりやすい言葉でジャイナ教の教えが盛り込まれていて、ひと言ひと言がすっと入ってきます。その歌詞の中にも、「一人教祖で一人の信者」という一節があります。運命の作り主は自分自身であるから他への依頼心を捨てる、そして誰もコントロールしない。私自身は何か困った時、迷った時は人からのアドバイスなどを求めてしまい、そして他(特に家族)にもこうして欲しいという自分の想いを要求しがちです。当たり前のように今までそうして生きてきたからでしょう。永い間の言動や行動は癖づいていつしか癖にコントロールされてしまうというのはこういうことだと気付きました。ひとつひとつ気付き、軽やかに変化することは楽しく、「カルマの浄化は一生懸けて」ですから、これからも続けます。

(2024年4月149号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子


プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木 薫)

瞑想・冥想・・・何だか特別な人やお坊さんがされるのか、とても遠い感じがしていました。

ヨガとの出会いが先で、スポーツクラブでストレッチ感覚ではじめました。
少しずつ興味が深まるにつれて、身体、呼吸、意識につながりがある事を知りました。
その後、インストラクター養成講座の中で、初めて瞑想をしました。

何の必要があるのかしら、眠いなぁ、足が痛いなぁというのが、正直な感想です。
インストラクターになってからは、ヨガと瞑想は切り離せないと知って、いつかは始めようと考えるようになりました。

そして今回坂本先生にご縁をいただいて、月一回のクラスに通うことになりました。
プレクシャ・メディテーションの方法、生活の一つ一つを深く感じ、考え行い、あらゆることに尊いご縁を感じる事、内容が分かり易く、腑に落ちます。
ジャイナ教やインドのお話もとても面白いです。

ですが、いざ座ってみると妄想することが多く、それでも毎朝5分座ってみようと始めて、時間を延ばしていきました。そのうちに、集中できたとき、全くできないとき、毎回違う自分に出会います。

アーサナの練習も違うものになっています。
周りの環境もさらに良いご縁が広がっています。
まだまだ座る練習ですが、これからも続けていきます。
そして多くの人が、平和で豊かな世界になる事を望みます。

(2022年2月124号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木薫

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6月の講座は、魂と心のちがいでした。

心は、機能、働き、感じる、イライラする、平和なこと。
魂は、カルマ体(原因体、汚れた魂)それをドラビアートマン(純粋な魂)にしていくことだそ
うです。
前にも聞いていたお話しのはずですが、今回は更に深いところに響きます。
カルマ体は、自覚できない潜在意識で良い事もそうでないこともそれによって支配されます。
更に魂に届けるには、瞑想やヨガの練習をすることで、先生のおっしゃる魂を中心にした生き方にちかづくのだなあと感じて、今この状況に感謝が湧いてきます。
これからもカルマを外したり、つけたりを繰り返して自然と共に暮らしていきたいです。

(2022年6月128号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木薫

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プレクシャメディテーションに通うようになって早いもので、5年経ちます。

先日講座の中で、ジャイナ教は理想的考えですとお話がありました。

アヒンサー、アパリグラハ、アネカンタを戒律とすることで、平和と調和をとること。

そうした毎日が過ごせたら、私も世界も平和になるだろうと。

そしてそうではない現実をみて、瞑想やヨガを続け少しでも近づいていきたいのだと思います。

あと、・・・考えです、の言葉、そうでした。

沖ヨガで、「信じず、疑わず、確かめよ」と何度も聞いているのに、いつのまにか輪廻転生やらカルマやら、その考え方が素敵だなと思っていたことが、体験もしたことがないのに、本当の事の様になっていました。

世の中にはいろいろな人がいて、考え方もそれぞれなので、それもまた考えの一つだと思いました。

これからもいろいろな体験をして、ひとつづつ丁寧に経験を積み重ねていきます。

(2023年5月138号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木薫

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23年11月の講座は、レーシャ・ディヤーナについてでした。

レーシャは本来、魂から発せられた純粋無垢な光であるが、魂の周りに付着したカシャーイと呼ばれる汚染物質の影響で色が付着するそうです。

実習では、明るい色をイメージして、瞑想を行いました。色のイメージは難しく、思うようには行きませんでした。

以前、オーラ診断を機械で診てもらったことはありましたが、その時も、実際自分が何色なのかは、感じることが出来ませんでした。ただ、何度も練習するうちに、色をイメージ出来るようになりました。すると、普段の服装も明るい色が増えてきました。

元気を出したり、頑張りたいときには、赤やオレンジを身につけたり、落ち着きたいときには、ブルーやグリーンにしたりします。

内面が変わるから外側の選ぶ色が変わるのか。内面が変わりたいからその色を選ぶのか。色一つで、気持ちや肉体が影響があります。

レーシャディヤーナをすることで、色の選択の幅が広がり、そして付着した汚れが少しでも取れていると良いです。色を通して、内側をみることもとてもおもしろいです。ありがとうございました。

(2024年1月146号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木薫


プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャ メディテーションを始めたのは2015年11月です。

その年の10月、大好きだった父が他界し、人生の転機も重なり、心の置き場所が定まらなくなってしまった時期がありました。

偶然にもその年の11月に、公私共に良くしていただいていた沖ヨガの先輩・坂本知忠先生の『プレクシャ メディテーション養成講座』が、初めて開催される月でした。

その講座の事は、なぜか父が亡くなる前から気になっていていました。
そして、本当に亡くなってしまった時、『瞑想の事は、よく分からないけど行ってみよう』と、何かにすがりたい気持ちでを受講したのを覚えています。
1時間半のクラスは、講義と瞑想「カヨーウッサグ」でした。

静かな数十分間が終わった時、ゆらゆらと揺れていた心も、『私はもう大丈夫!』と、思う気持ちに変わっていました。

そんな嬉しい変化に、自分が一番驚いて、更に体にも心にもいいなぁ!と思いました。

あれから7年、日々の生活を落ち着いた気持ちで過ごせているのは、プレクシャ メディテーションのお陰です。

(2022年5月127号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

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自分だけの自分になる時間

ただ静かに座っているだけ

先生の誘導通りに意識的に

体の中に心を向けていく

体の部分だったり

呼吸だったり

皮膚と空気の境目だったり

体の中に、外に何かをイメージしたり

自分の意識と無意識下の出来事に意識を向ける時間

意識して、とことん意識して、その先に見えた私を素直に認めてあげる時間

プレクシャ・メディテーション

私は、この時間を過ごすことで自分の体が何を感じていて、何をしたいのか?!どうしたいのか?!を知る手がかりが見つかったりしています。

瞑想は、心を無にすることばかりが目的ではないじゃないかと思ってます。

良くも悪くも情報に溢れた今

私は、どう感じてどうしたいのか?!

自分にとってのチャンス

自分にとってのワクワク

本当の事、本物を見抜く感覚力

違和感を感じとれる感覚力

自分にとっての幸せを掴む為の心の声を聴く時間

それが私にとってのプレクシャ・メディテーション

(2022年10月131号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

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瞑想で一番基本的なことは考えを止めて、感じる心になりきることです。これがなかなか難しいですね。瞑想している時もあれこれ考えてしまいます。

プレクシャとは考えを止め、善悪、好き嫌いの判断を手放し純粋に知覚することを意味します。

シャリーラ・プレクシャは臓器まで観察するに留まらずもっと、もっと奥深いレヴェルがあります。シャリーラ・プレクシャは身体の観察を意味しますが、身体とは肉体だけでなく電磁気体(テジャス・ボデイ、幽体)やカルマ体(原因体、霊体)の観察も含んでいます。

私たちが生きているとは、そこに呼吸とともに命の働きが起こっています。命は生命エネルギーとなって肉体レヴェルでは神経系統を流れて行き、同時に電磁気体のレヴェルでも一つ一つの細胞に生命力を吹き込んでいます。生命エネルギーが身体内部を流れるとき、そこにさまざまな感覚が起こっては消えていきます。その感覚を観察、知覚するテクニックがシャリーラ・プレクシャです。

カルマ体で生起する感覚も知覚することが出来ます。身体内部の感覚を知覚する練習を継続することで、命の声に耳を傾ける能力が高まります。それによっていつも自分の呼吸に気づくようになり、感情の動きや自己の欲求に敏感になり、行動も意識的になります。自己コントロールの本当の第一歩はシャリーラ・プレクシャからスタートすると言っても過言ではありません。それは自分で自分の医者になる方法であり、健康法の奥義です。

レーシャとは魂から出た純粋な霊的光が霊体(カルマ体、原因体)にある汚染物質によって色付くことをいいます。言わば汚染され、色付いた霊的色彩光が電磁気体に広がり更に肉体レヴェルに広がり、肉体外部に放射され私たちのオーラになります。カルマ体とレーシャの哲学は古代からのジャイナ教哲学です。ジャイナ教ではオーラを明るく輝く白い光にしてゆくことが修行の目的になっています。それがアカルマ、無業の道です。幸せになる道です。それらを総合的に行う瞑想法がプレクシャ・メディテーションです。

(2023年6月139号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき)

2022年6月23日㈭に今期のプレクシャ・メディテーション指導士養成講座Level2の最終日を迎えました。

 この日の実習はプラナ・サンチャラニー・ムドラの応用でした。これはプレクシャ瞑想のテクニックを組み合わせた、長年研究し続けてこられた坂本先生の、独自の瞑想技法でした。それを先生は、わたくしたちに惜しげもなく教えてくださいます。もちろん年数も実践も勉強も全く足らない私には、先生の瞑想の深いレベルのかけらすら見つけることは難しいのですが、それでも今、坂本先生の講座を受講でき、同じ時間を過ごす魅力的な方々に出会えたという、この巡りあわせにとても感謝しています。

 コロナ禍はそれまでの生活を続けることを困難にしました。木曜日夜にあったヨガ講座が休講になり、しかしそのおかげさまで、この2年半は落ち着いて養成講座に参加することができました。じっと座って自分自身に意識を向け続けることの意味や気持ちよさを、理解することも体感することもほとんどなかった私にとり、じっくりと学ぶ時間がどうしても必要だったのだと思います。今では、特別なことが起こらなくても、ただ淡々と瞑想を続けていくことが、身に付きつつあります。

 コロナ禍、家族のステージ、自身の興味、東京にいること、そのほかのあらゆることのタイミングが合って、プレクシャ瞑想に出会い、そして講座を通して見聞きし体感したすべてのことが明日の私を作ります。自分では覚えていないはるか昔の小さな事柄や発言やいただいたものが、今日の私となって、たくさんの人との出会いや経験がまた重なっていきます。だから今日、今できることを最大限に純粋に楽しんで行っていきたいと思います。

(2022年7月129号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき

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[「瞑想の源流を探る旅 世界一平和なジャイナ教」に参加して]
2022年11月2日~17日に坂本先生が企画されたインドツアーに初参加しました。


※出発前
今日は11月1日。明日からインドに出発します。インドは26年前に個人旅行をして以来で、海外旅行も5年ぶりです。

今回ツアー参加を決めたのは、機会があれば是非ジャイナ教を肌で感じ、同じ現代に本当の宗教に生きている人を見てみたいと思っていたからです。家庭条件が整っているタイミングで、一般のツアーでも個人旅行でも行けない場所に行くチャンスがめぐってきたら、絶対に手をあげようと思っていました。参加の11名のうち、初めてお会いする方が半分以上ですが、16日間も一緒にいれば仲良くなれるでしょう。

初心の私は準備に不安もありましたが、LINEグループで質問したり、旅行会社からパンフレットがもらえたりしました。

また、コロナ対応のためにインド入国と日本再入国のためのアプリに入力したり、私はワクチンを接種していたので証明書を取ったりしまた。

準備万端、明日からが楽しみです。

※ジャイナ教キャンプ
今日は11月11日、キャンプのプログラムが終了し、ラドヌーンからラナックプールへのバス移動中です。

11月2日に羽田発JALの飛行機でデリーに到着しました。

空港にはガイドのサンジーブさんがお迎えに来てくださっていました。日本語ぺらぺらの、とても明るく頼りになりそうな方だなー、と思っていたら、その通りの、いや、想像を越えて素晴らしい!今はすっかりファンです。

デリーは光化学スモッグの影響で臭いがして、視界もききません。暑さはそこそこ。直接ホテルに行き、おいしい夕食をいただきました。が、香辛料たっぷりの食事に体がびっくりしたのか、その夜は、ピー。おかげで、私のお腹は日本からインドに完全に入れ替わり、それ以来今日までは無事に過ごせています。

11月3日に11時間もかけてバスでラドヌーンに移動。道路が整備されて高速で走れるようになったはずなのに、意外に時間がかかり、最後はナビシステムで走ったら狭い道との区別がつかずラドヌーンの路地でTターンすることに!抜け出せた時は、運転手さんの運転技術に拍手喝采!!

今回はラドヌーンのジャイナ教施設に宿泊し、そこからキャンプ会場のチャパールへ通いつつ、約一週間プログラムに沿って学びました。

ラドヌーンは乾燥しているので、昼の日差しは強いけれど、快適です。道端には牛、犬、いのししか豚?、ヤギ、くじゃく、、、いろいろいます。車やバイクの他、駱駝が荷物をひいていることもあります。

ラドヌーンの宿泊所では、朝5時にアラハンが目覚ましがわりに鳴り(正確ではなく、日によって時間が違う…)、5時30分から外のドームで瞑想します。6時45分からヨガ、7時45分朝食、9時15分プレクシャメディテーション、レーシャについての講義、カーヤウッサグ、12時昼食、午後には車でチャパールに移動、午後の講義(カルマ、讃歌、Q&A)、アチャリアへのご挨拶、再びラドヌーンに移動、17時夕食、19時30分カラー瞑想、22時就寝が基本でした。

日の出は朝7時前なので、暗いうちから動きます。また、宿泊所の食事は一般的なインド食より香辛料控えめで食べやすいです。昼食がいちばん豪華で、夜は軽めです。

私は初めてのキャンプ参加なので、他の人に付いて回っていましたが、同部屋の真知子さんに夜いろいろ質問しながら一日の振り返りができたので、ずいぶん理解が進みました。ありがたかったです。

ジャイナ教のお坊さんは、日本で聞いていた通りに、白い布を巻き、マスクをして、ほうきを持っています。他には托鉢用のボウルと、少しの自分のノート、それを入れる袋。近ごろはアスファルトの上を歩くので、それとプラスチックなどで足を怪我するのでサンダルもはけるそうです。



それだけを聞くと、変な格好をした、人間離れした、厳しい宗教。でも、今回実際にお坊さんに会い、自分が出家したいきさつを伺ったり、アチャリアが人々から尊敬され人気がある様子を見たり、お坊さんが居眠りしている人間らしい姿を見たり、早朝から生活として瞑想をしている信さんの姿を見たりして、あぁ、同じ現代に生きている人々が本当の幸せを求めているのだ、それぞれが一生懸命に生きているのだと思い、親近感と共に尊敬の気持ちを持ちました。

また、私が日本で学べたのは、坂本先生や他の先輩方が何度もキャンプに足を運んでは、苦労して学び、日本語に訳し、理解を深めてこらたからなのだということもよくわかりました。積み重ね積み重ね、ジャイナ教哲学やプレクシャメディテーションを少しずつ理解して、私のような初心にも分かりやすいように工夫してくださった。その成果を、日本にいながら、本やお教室で学べることはとても貴重で幸せなことだとよくわかりました。

講義の内容などは、先生や先輩方がまとめるでしょうから、私は私個人の感想のみで、キャンプの報告を終えます。

※観光
今日は11月16日、ジャイプールからデリー空港への移動中です。インド最終日。

瞑想キャンプ終了後、12日世界遺産のラナックプール寺院、13日マウントアブー観光でディルワーラジャイン寺院、14日世界遺産のチットールガル城を見学し、15日ジャイプールでショッピング、16日ハワーマハル(風の宮殿)とアンベール城で写真撮影をしました。

それぞれの移動はバスで5時間~8時間あり、改めてラジャスタン州の広さを実感。個人旅行でも普通のツアーでもなかなかいかれない場所に行くことができました。また、山の中のリゾート風ホテルや湖の中の宮殿ホテルなど、サンジーブさんが私たちのために厳選してくれたホテルに宿泊でき、お料理もおいしくいただきました。

観光の中では、ラナックプール寺院とディルワーラジャイン寺院の大理石の彫刻が、圧倒的でした。緻密なレースのような彫刻が、それぞれ工夫を凝らしたデザインでなされていて、財力と年月とたくさんの人々の情熱が感じられました。

また、バスの中でサンジーブさんが話してくれるインドの様々な文化や歴史も楽しく、イスラムと近いラジャスタン州だからこそ、立派な砦が築かれたことも納得できました。

たくさんの方々のおかげで、忘れられない旅になりました。ありがとうございました。



(2022年11月132号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき

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坂本先生の熱心なご指導で、6月に指導士の資格をいただくことができました。まだ指導をさせていただくには未熟すぎますが、私なりに4年前に始めたころよりは、静かに座って自分を観察することの価値を実感することができました。私のような瞑想のセンス(?)がない者ほど、いくつものやり方があり、決まった手順があるプレクシャメディテーションは向いていると思い、これからもわずかづつではありますが、深めていきたいです。

さて、もうすぐ私は12年間もいた東京から引っ越します。もともと夫が2年に一度転勤するのでそれに同行していたのですが、子供の学校の都合で思いがけず長く住みました。引っ越しを決めてから、毎日が貴重で、これほどたくさんの人に囲まれていたことに驚き、そして感謝の気持ちがあふれてきます。12年も定住するうちに、毎日がどの瞬間も、二度とない奇跡の時間だということを忘れがちになっていました。変化すること、終わるけどまた始まるということ、ゼロになるわけでもないこと、よく考えてみたいです。

(2023年7月140号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき

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子供たちの独立を機に、昨年7月、12年間住んだ東京を離れ、長く全国を転々として単身赴任をしていた夫と一緒に住むことにしました。今は静岡県小山町須走で、毎日雪の富士山を眺めながら暮らしています。もともと結婚して以来1~3年で引越しをする転勤生活でしたので、家具も少なく人間関係もさっぱりしたものでした。しかしさすがに12年も同じところに住むと荷物も増え、友達もでき、仕事もあり、大変居心地がよくなっていました。

このまま東京で暮らそうか、夫と再び転勤生活をするかかなり悩みましたが、後者を選びました。荷物の処分、自宅の今後、仕事の引継ぎ、引越しのあいさつと、たくさん考えること・やることがありました。しかし、すべては変化する、執着はしようと思ってもできないと思いながら整理するうちに、どんどん身軽になる私がいました。そしてたくさんの人に恵まれていたことに感謝が深まりました。

変化するからこそ、また新しく生まれるもの、得られるものがあります。また、執着しようとしてもできないからこそ、今が大切です。執着したいものがあることも、それだけ大切なものがあるということなので幸せなことです。

(2024年2月147号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき


 


プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

[自分で自分の医者になった一つの事例]

私のプレクシャ・メディテーションとの出会いは、単なる勘違いから始まりました。心身の不調により仕事を退職して3年目の夏のこと、ヨガ教室の先生が紹介してくださった「みずなら只見ユイ道場」の合宿に参加した事に始まります。ヨガの合宿だと勝手に早とちりして参加したその合宿での早朝、二つの川の合流点で二行詩を作って瞑想した時、とても不思議な感覚があったのを覚えています。その事に魅かれたのでしょうか、二週間後の「楽ちんYOGA」合宿にも参加していました。そこでは、坂本先生に「プラーナ・サンチャラニー・ムドラー」の技法を教えていただきました。先生は「この技法はお医者さんが治せない殆どの病気が治るもので、自分で自分の医者になる事ができるんだよ。」とおっしゃいました。さらには「一年間毎日実践して病気が治らなかったら、頭を丸める。」とまでおっしったのです。

当時の私は心身共にとても疲れやすく、毎日をなかば自暴自棄の気持ちで過ごし、でも心の奥では、救われたくて楽になりたくてもがいていました。医師の処方薬に改善の期待を持てなくなっていた私は、半信半疑の気持ちで、また藁にも縋る思いで次の日から実践する事にしました。そして日付、時間、その感想などを記録に残しました。

プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを継続して半年経った日、試しに薬をやめてみましたが、三日しか続かず次の日からまた薬を飲みました。坂本先生が番所においでになった時に、一体薬はいつやめれば良いのか相談しました。先生は「よしっ、大丈夫って思った時にやめるんだよ。自分で決めるんだよ。」とおっしゃいました。それから1ヶ月後「よしっ!私は薬をやめる」と決心しました。とは言うものの、最初の1週間は「本当にやめられるのかな?」という気持ちと、「決心したんだからやめるんだ」という気持ちの葛藤はあり、惑いを断ち切るために薬を全部捨てました。そして、10年以上飲んでいた薬をやめる事が出来ました。その後検査した血液検査で、値は正常値になっていました。身体の中でどんな作用が起こったのかは目に見えないものなので、私にはわかりません。

私はこの体験を通して、「身体は、欲求や情報を発信している」という事に最初に気がつきました。そして、「身体が自分の状態を教えてくれていて、その声に耳を傾け信じて自分で実践し、諦めずコツコツと継続していけば道は開けていく」という事を学びました。

その後の第一歩はヨガのインストラクターになり、身体はみるみる健康になっていきました。

(2022年3月125号メルマガからの転載)

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる

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[昨年2022年の学び]

昨年1年間は自分の学びとして、月1回の「坂本先生から学ぶプレクシャ・メディテーション」をオンラインで受講しました。福島県から上京しなくても学べるというのは、私が数年間望んでいた事でしたので、すぐにとびつきました。毎月第1日曜日に開催されましたが、オンラインの受講は、その数日後に事務局から動画がメールで送られてきました。毎月のその動画がとても楽しみであり、パソコンの画面を通して講義を聞いて実践しました。わからない所は遡り再生できるという事がとてもありがたかったです。講義の内容が大変心に響きました。先生からのジャイナ教哲学についてのお話、特に魂についてのお話は、これまでの自分の人生を顧みた時に、とても腑に落ちるものでした。自分自身の周りに起こる全ては、ご先祖様や神様が起こしたものではなく、カルマが原因だったのだという事に納得しました。そして、そのカルマが自分の傾向であり個性なんだと理解しました。この講座を設けてくださった坂本先生、事務局の七林さん、役員の方々、心から感謝申し上げます。
 今年も日々瞑想を続け日常に活かし、良いカルマは育て、良くないカルマを少なくして意識の純粋化に少しでも近づけたらと思います。
 皆様にとって良き1年でありますように、遅ればせながらお祈り致します。

(2023年1月135号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる