[自分で自分の医者になった一つの事例]
私のプレクシャ・メディテーションとの出会いは、単なる勘違いから始まりました。心身の不調により仕事を退職して3年目の夏のこと、ヨガ教室の先生が紹介してくださった「みずなら只見ユイ道場」の合宿に参加した事に始まります。ヨガの合宿だと勝手に早とちりして参加したその合宿での早朝、二つの川の合流点で二行詩を作って瞑想した時、とても不思議な感覚があったのを覚えています。その事に魅かれたのでしょうか、二週間後の「楽ちんYOGA」合宿にも参加していました。そこでは、坂本先生に「プラーナ・サンチャラニー・ムドラー」の技法を教えていただきました。先生は「この技法はお医者さんが治せない殆どの病気が治るもので、自分で自分の医者になる事ができるんだよ。」とおっしゃいました。さらには「一年間毎日実践して病気が治らなかったら、頭を丸める。」とまでおっしったのです。
当時の私は心身共にとても疲れやすく、毎日をなかば自暴自棄の気持ちで過ごし、でも心の奥では、救われたくて楽になりたくてもがいていました。医師の処方薬に改善の期待を持てなくなっていた私は、半信半疑の気持ちで、また藁にも縋る思いで次の日から実践する事にしました。そして日付、時間、その感想などを記録に残しました。
プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを継続して半年経った日、試しに薬をやめてみましたが、三日しか続かず次の日からまた薬を飲みました。坂本先生が番所においでになった時に、一体薬はいつやめれば良いのか相談しました。先生は「よしっ、大丈夫って思った時にやめるんだよ。自分で決めるんだよ。」とおっしゃいました。それから1ヶ月後「よしっ!私は薬をやめる」と決心しました。とは言うものの、最初の1週間は「本当にやめられるのかな?」という気持ちと、「決心したんだからやめるんだ」という気持ちの葛藤はあり、惑いを断ち切るために薬を全部捨てました。そして、10年以上飲んでいた薬をやめる事が出来ました。その後検査した血液検査で、値は正常値になっていました。身体の中でどんな作用が起こったのかは目に見えないものなので、私にはわかりません。
私はこの体験を通して、「身体は、欲求や情報を発信している」という事に最初に気がつきました。そして、「身体が自分の状態を教えてくれていて、その声に耳を傾け信じて自分で実践し、諦めずコツコツと継続していけば道は開けていく」という事を学びました。
その後の第一歩はヨガのインストラクターになり、身体はみるみる健康になっていきました。
(2022年3月125号メルマガからの転載)
——————————————————————————–
[昨年2022年の学び]
昨年1年間は自分の学びとして、月1回の「坂本先生から学ぶプレクシャ・メディテーション」をオンラインで受講しました。福島県から上京しなくても学べるというのは、私が数年間望んでいた事でしたので、すぐにとびつきました。毎月第1日曜日に開催されましたが、オンラインの受講は、その数日後に事務局から動画がメールで送られてきました。毎月のその動画がとても楽しみであり、パソコンの画面を通して講義を聞いて実践しました。わからない所は遡り再生できるという事がとてもありがたかったです。講義の内容が大変心に響きました。先生からのジャイナ教哲学についてのお話、特に魂についてのお話は、これまでの自分の人生を顧みた時に、とても腑に落ちるものでした。自分自身の周りに起こる全ては、ご先祖様や神様が起こしたものではなく、カルマが原因だったのだという事に納得しました。そして、そのカルマが自分の傾向であり個性なんだと理解しました。この講座を設けてくださった坂本先生、事務局の七林さん、役員の方々、心から感謝申し上げます。
今年も日々瞑想を続け日常に活かし、良いカルマは育て、良くないカルマを少なくして意識の純粋化に少しでも近づけたらと思います。
皆様にとって良き1年でありますように、遅ればせながらお祈り致します。
(2023年1月135号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる
——————————————————————————–
昨年8月末、父がおしっこが出ないと言い出し、急きょ管を通しておしっこを出すという父の生活が始まりました。介護は殆ど母が行っていましたが、私はそんな父を見ているのがとても辛い日々でした。父は10月と12月に手術をし、4ヶ月後に管をはずす事ができました。その時の私の喜びはとても大きかった事を覚えています。
一難去ってまた一難。その後も家族の事で心配事が重なりました。私は15年前、月100時間以上の残業により心と体を壊し、入院し、休業、復帰を繰り返し、退職に至りました。その時期の思いがよみがえり、また同じように壊れていくんじゃないかという不安にかられました。心労が重なったためか、体調も良くなかったのですが、瞑想だけは続けていました。自分の原点のプラーナサンチャラニームドラーだったり、自分のその時々の状態によって、今日はこの瞑想をしようと直前に決めて行いました。座る事ができない時もたまにありました。
昨年秋の父の事から一年3ヶ月が経ちました。辛い出来事に直面した時、予想もしなかった事に直面した時、その渦中にいる時、周りが見えなくなってしまい、どうしてこんな事になってしまったんだろうと、とても悲しい気持ちになりました。でもなんとかなる、ならない事は一つもなく、今まで時間はかかってもなんとかなってきたんだという事を知人から教えてもらい、気づかされました。全ては無常であり、永遠に同じであるものはなく、全て変化していくのだという事は坂本先生から常々教えていただいてはいますが、まだまだ身体全部で感じ、理解し、日常に自然に適応する事はできていません。これができたらもっと楽に生きられるんじゃないかと思います。
日々の出来事に対応しながら、いまこうして過ごしていられる事の大きな要因に、瞑想の継続と、家族の存在、プレクシャの師・先輩・仲間の存在、そして時間の経過があります。私にとって瞑想は何にも変え難い薬となっています。
今年の秋は例年よりもカメムシが多く、この冬は大雪かなと田舎に伝えられている予言?に穏やかな覚悟をして冬の準備をしています。どうぞ皆様ご自愛ください。
(2024年11月156号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる