月に一度、日曜日の午前中に坂本先生のプレクシャ・メディテーションの教室に通わせていただくようになって3年近くになります。
今月、先生の講義のテーマは『「バーヴァビーニー ヴァンダナー」の言語の意味と新しい訳について』でした。うかがえば先生が何十年も前にインドで聴かれた讃歌に感銘を受けてその意味について長年研究なさっていらしたとのこと、そして最近原語(プラクリット語)から英語を介さず、直接日本語に訳されたことで意味が明解になったとお話下さいました。単語ひとつひとつの意味とそしてジャイナ教の教えそのものであるという全文の新訳を講じていただきました。新しい訳はわかりやすい言葉で私にも理解出来ました。 訳の説明の後、先生方が「バーヴァビーニー ヴァンダナー」を唱えてくださるとその場は清らかな氣で満ちたように感じました。 その後の実習の「シュヴァーサプレクシャ」は、その雰囲気に包まれていつもより集中出来、深い呼吸を感じられました。長く座ることで感じる体の痛みも感じることなく行えたのも不思議でした。その場の皆さまのエネルギーのおかげさまです。ひとりで瞑想する時にはなかなか得られない感覚でした。
教室に初めて参加させていただいた時には、歌を聴いているようなマントラの美しい響きに感動しました。マントラを書いたものをいただきましたが、字を追うだけ声に出すことができず、通う度に皆さまの音を聴きながら、一拍子遅れて一緒に唱えさせていただくうちに自分の中にも入ってきたことがとても嬉しかったことを「バーヴァビーニー ヴァンダナー」を聴かせていただいて想い出しました。
瞑想は、ヨガの先輩のお誘いのおかげさまで始めました。当時は、未知の世界のように感じていた瞑想に対しての好奇心が大きかったです。まだまだ入口ですが、ジャイナ教の哲学を元にする瞑想法を学ばせていただくことで、気付くことが多くなると未熟さを痛感いたします。永く生きているだけで足りないことばかりです。日々の生活のいろいろな場面を通して心の癖に気付き、見直しています。
毎回先生は熱く伝えて下さいます。今回のように永年研究を積み重ねていらしたことを学ばせていただけることはとても有難いことです。講義の内容によっては難しく理解しづらいこともありましたが、学びを深めることで解いていきます。プレクシャ・ディヤーナに出会い、深めていくことは今の私には必要なことであり、これからも続けます。 そしてこのご縁に感謝いたします。 合掌
(2022年4月126号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子
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毎月のお教室以外にも讃歌の会に参加させていただく機会に恵まれたことを有難く感じています。教えていただいた讃歌を聴きながら朝食前に木立の中を歩くことが一日の始まりの習慣となり、より充実した日々を過ごしていました。
ところが、8月初旬にコロナウイルスに感染して一週間自宅療養し、その後も隔離期間自粛期間を含めると3週間は外出を控えざるを得なくなりました。ここ何年も風邪をひくこともなかったので久しぶりのことでした。体調が回復し始めてからはヨガなどを出来る範囲で行ううちに体力は戻りつつありましたが、どうにも氣力が湧かず集中力が低下し、どんよりとした気分のまま8月が終わってしまいました。コロナの後遺症の症状でそうしたことがあることは聴いてはいましたが、もどかしく感じていました。
9月の実習に参加した際、テーマは「4ステップ瞑想(ジョーティ・ケーンドラ・プレクシャ)」でした。マントラを唱え、ゆったりとした坂本先生の誘導は心地よく、リラックスし、そして集中することで一歩一歩自分の中に入っていく感覚でした。終わった後は清々しく頭の中がクリアになりました。ネガティブな思考が消え、もう大丈夫!と思えました。先生の言葉やその場の氣をお借りしてではありますが、瞑想することで変えることが出来たことに正直驚いています。リラックスし集中し深められた時、コントロール出来ることを経験したのは貴重なことでした。
非日常でないことが起こった時には気付きが伴います。有難くない病でさえこうした気付きがありました。なるべくしてそうなったとも言われます。この気付きの為の数週間だったのかもしれません。
おかげさまで、讃歌を聴きながらの散歩がまた心地良い日常になりました。
(2022年12月133号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子
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「自分で自分をコントロールする」ヨガを始めるまでは思いも及ばなかったことです。とても難しいけれど、どういうことを言うのかが少しずつわかり始めました。
私がヨガを始めたのは、50歳を過ぎた頃でした。股関節の形成不全が原因で変形性股関節症を発症し痛みが出ると整形外科や整骨院通いを繰り返すなかで人に頼ることには限界があることを知りました。この足と上手に付き合い、生きているうちは自分の足で歩きたいとの想いから自分でメンテナンスする方法を探すなかでヨガと出逢いました。十数年経って痛みは筋肉の張りなどから出ていることがわかり始め、痛みに合った方法で動かすことで緩和できるようになり、また体の使い方なども工夫するようになりました。気付いて知恵を用いて繰り返し実践すれば変わることが出来ました。
最近は心も同じと感じています。自分で自分をコントロールすることにつながります。ネガティブな思考になった時、心の悪い癖が出た時に客観的に今を見つめる別の眼があり、気付かせてくれます。プレクシャメディテーションを学び、実践させていただくことによる変化だと感じています。
でも、ひとりで本を読んで勉強していたのでは、このようにはなれなかったでしょう。坂本先生はご自身で学ばれたことを熱心にご指導くださいます。また諸先生方のお導き、一緒に学ぶお仲間・友人のおかげさまです。例えば、讃歌もそのひとつです。どこか懐かしい旋律の讃歌、初めて聴いた時から心に響き、いつか唄えるようになりたいと強く思いました。その後すぐに讃歌の会が発足され、月に一度、輪の中で坂本先生の後に続き繰り返すことで口ずさめるようになりました。先日は友人が、YouTubeで聴ける讃歌集を紹介してくれたので部屋で流しています。瞑想が深まり清々しさは格別です。良い音楽はその部屋も浄化すると、うかがい納得しています。こうしたことは一人では成し得ないことです。
瞑想は自分と向き合うものですが、その過程は人の中で育まれることも多く、大きいと感じ、今いただいている恵まれたご縁に感謝して過ごします。そして「自分で自分をコントロールする」勉強はこれからも続きます。
(2023年8月141号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子
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3月のお教室は、「プラーナ・サンチャラニー・ムドラー」の講義と実習でした。このムドラは、生命力のバランスを整えて増大させる、そして内側から元気にさせるのだそうです。6通りの印を使って、それぞれ9呼吸行います。印を作った手のほうにエネルギーが流れるため、命の働きがバランスを取ろうとし、それが病気を治す力になるそうです。
実習では、先生の呼吸がとても長く、倍くらい数を数えられそうでした。これも毎日すると良いとのことで、主に朝行います。毎日続けることで徐々に呼吸が長く、深くなってきました。ゆっくり数を数えながら行うので集中し、妄想?も湧いてきにくいです。数を間違ったら最初からやり直します。3か月毎日続けたら、またその先のステップがあるそうでそれも楽しみです。
プレクシャ瞑想を続けていることで少しずつほんの少しずつ自分のなかで変化していることを感じます。内側に意識を向けることで今まで気づかなかった心の癖に気付きます。そして気付いた心の癖のひとつが依頼心です。
坂本先生が作詞された「サンヴァーラ・ギータ」には分かりやすい言葉でジャイナ教の教えが盛り込まれていて、ひと言ひと言がすっと入ってきます。その歌詞の中にも、「一人教祖で一人の信者」という一節があります。運命の作り主は自分自身であるから他への依頼心を捨てる、そして誰もコントロールしない。私自身は何か困った時、迷った時は人からのアドバイスなどを求めてしまい、そして他(特に家族)にもこうして欲しいという自分の想いを要求しがちです。当たり前のように今までそうして生きてきたからでしょう。永い間の言動や行動は癖づいていつしか癖にコントロールされてしまうというのはこういうことだと気付きました。ひとつひとつ気付き、軽やかに変化することは楽しく、「カルマの浄化は一生懸けて」ですから、これからも続けます。
(2024年4月149号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤真紀子