コラム:アンベードカルと仏教改宗

アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年光文社新書 山際素男訳)を再読した。

近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中西部の大カースト)に1891年に生まれた。

不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与える存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。

その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアンベードカルである。

アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバローダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学させてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻ったアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学した。

このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてまた社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥーと戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アンベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カースト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたからである。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。アンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。

彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17条に不可触民制廃止が謳われている。

憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決心をした。

デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。アンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもっていた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去った。享年65歳。

アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダとそのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を通しつつこの世を去ったのである。

『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。

アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている。『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するための入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとして、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すことは初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教とは何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。

『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さんに読んでいただきたい一冊である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/4月第61号からの転載です)

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