コラム:所有と無所有

私は人間の幸せというのは、その人が所有している物の、質と量であるとずっと思っていた。お金は無いよりあった方が良いし、お金が沢山あるということは少ないより自由度が高いのだと思っていた。お金がもっと沢山あればさらにもっといろいろな可能性が出てくると考えるが、今まで自分がしたいと思ったことのほとんどをする事が出来て、お金に困った経験はあまりない。若いころ漠然と欲しいと思っていたものはいつの間にか、ほとんど実現されて手元にある。今、自分の身の回りを改めて見回してみると、あまりにも沢山の物を所有していることが解る。

親から相続した屋敷は広大だ。庭の手入れだけでも多大の労力と経費が掛かる。自宅以外に奥会津の只見町には自分の夢を追いかけた結果、5軒の建物を所有している。この維持費もばかにならない。只見に所有している平坦な土地も数千坪にのぼる。それらは無駄だといえば確かに無駄である。煩わしいことでもある。瞑想センターを中心とした理想郷作りが自分の夢や願いであるから、なんでこんなに馬鹿な事をしているのかと思いつつ、多大な労力を費やして現在も実際にしていることである。

若いころから読書が好きだったので私の蔵書は甚大な量になっている。その蔵書を只見と自宅に分けて置いている。本はなかなか捨てることが出来ないので今も増えていく一方である。研究の過程で集めた水晶も把握出来ていないほどの量になる。刀剣や油絵などの骨とう品も数多く持っている。それらの物は全て過去の私がイメージし引き寄せた物なのだ。カルマが引き寄せたと云ってもよい。なんと欲深い人間なのだろうと改めて自分を客観視している。

私たちは普段、好きなもの素敵な物に取り囲まれて暮らしたらどんなに幸せだろうと考える。素敵な家族、素敵な家と庭、素敵な別荘、車、美術・骨とう品、宝石等々を追い求めて日々努力している。それが一般的な幸せの価値観だ。それを俗生活という。一方、所有を手放し出来るだけシンプルに気軽に生きていこうと云うのが出家生活である。典型的な出家の姿をいまに留めているのがジャイナ教の出家僧である。日本の僧侶のほとんどは所有の生き方なので、出家でなく俗生活者だ。現代の出家とはホームレスの人達かもしれない。彼らは生活保護を受けているのではなく自己責任で自由に生きているからだ。

私は年齢と共に所有物が増えて、今ではそれらの管理に煩わしささえ感じている。自己保存本能と自己拡大本能が人間を物の所有に向かわせる。物をいろいろ所有してもそれによって、心の平和や幸福、自由が達成できないことがわかる。だから偉大なる仏陀やジナは所有から無所有への道を歩み始めたのである。方丈記の鴨長明のように越後の良寛さんのように、ジャイナ教の出家僧のように無一物になれたらどんなに心が休まり平和だろうかと思うことがある。所有物を必要最小限に整理していく事がやましたひでこさんの提唱する断捨離整理術である。いらないものを手放し、心を軽く、住環境を清らかにする方法だ。究極的な断捨離がジャイナ教の出家僧だ。ジャイナ教の出家僧は本当に何も持っていない。私には出家生活は無理だったので沖先生が云われた半俗半聖の生き方を目指して今日までやってきた。バランスのとれた生き方をすると云うのが今回の私の人生のテーマである。俗生活の中で聖・俗のバランスを取る生き方を心掛けてきたつもりだ。

集まったものは何時か宇宙空間に散逸していく。宇宙空間に働いている力は陰と陽、プラスとマイナス、収縮と拡散である。所有することは陽であり、プラスであり収縮である。無所有、捨てること、手放すことはその反対のことだ。所有、無所有に良い悪いは無い。悪いのは執着である。持っていても持っていない心であればそれは無所有である。全て物は縁があって預かっているのだと思う心が捨てている心(捨の心)である。所有物を自分の為だけに使えばそれは所有になり、他の人の為に役立つように使えば無所有になる。全てのものは縁あって帰去来している。手元の物が離れる時期が来て、離れていこうとする時それに執着するから苦しみがやってくるのだ。無執着と無所有が同義語なのはそういう意味から理解出来る。私は今、自分が預かっているものをどの様に縁ある人に手渡していこうかと考える年になった。物の集合離散は考えても仕方がない事かも知れない。なぜなら縁起していることだから。しかし、出来るだけ大勢の人の役に立つように手放していきたいと思っている。また、ふさわしい人に引き継いでもらいたいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2011/11/25からの転載です)

「コラム:所有と無所有」への1件のフィードバック

  1. 谷内健太郎さんの占星術では、私は今、断捨離の時期に入っていると言われました。未だにまだJALのマニュアルを捨てることができない。昨晩見た夢も、今の私に乗務の依頼が来て、業務の手順を思い出そうとしていた。しかしながら、
    キャビンの準備は出来、離陸OKです。という許可を出す重積を担うことが、もう出来ない。と感じてしまった夢でした。
    所有とは違うのかもしれない。
    過去の自分の断捨離に随分と長い時間を費
    やしている。

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