ジャイナ教の昔話その2:宇宙に満ちている神様?

多くの宗教で「世界は神の愛に満ちている」と説いています。
ジャイナ教のサマニ(準尼僧)は宇宙には小さな粒子が漂っていて、私たちもその粒に囲まれている。
そして自分が引きつけてしまう粒子の性質は人生に影響を与える・・と語りました。
その粒子(仮にUと呼びます)と神の愛が共に「宇宙に満ちている」としたら何か関係があるのでしょうか。
 
サマニはUを物質だといいますが、私たちを包んでいる空気のように分析できるのでしょうか? 
電子顕微鏡の世界すらUの次元から見れば粗雑なのだと言います。
魂にまで係わっている超微細物質は空論になりやすく検証は難しいでしょうが、
量子物理学などが宗教的宇宙観と近づいてきている昨今、サイエンスでUを語る日が来るかもしれません。
(ヒッグス素粒子を「神の粒子」と呼んだりしている科学者もいますね)。

さて、古から聖人たちは深い瞑想で宇宙に溶け込みました。
その体験で出会ったものは神、仏、Something Great,宇宙エネルギ―、他さまざまな名で伝えられました。
林檎をAPPLEと呼んでもその果実に変わりはありませんが、林檎を知らない人に説明する方法は多岐にわたります。
形、手触り、色や大きさ等を伝えるだけでも表現は千差万別。
食べれば瞬時にわかる味も説明することは至難です。
種類や個体差まで考えたら手に負えません。

林檎のように物質的なものすら言葉での表現には限界があるのです。
聖典には象徴やたとえ話が多く、分かり辛さのもとになっていますが
リシ(聖者)達がもったいぶっているのではありません。
体験を通してしか理解できないものを何とか伝えようとしているのです。
惜しげもなく提供されている林檎を食べようとしていない、
隠すことなく開示されている真理を観ず、宇宙中に響いている創造の聖音を聞けていない。
それが私たちだとしたら井戸に住む蛙のようです。 

しかし私たちは井戸底から見える天空への探究心を持っています。
宇宙とつながった方々が伝えたことを紐解いていくことはできます。
今の時点での私の理解で、U粒子を中心に話を進めてまいります。
筆者の疎さゆえの拙さをお許し願いつつ、スピリチャルなことを言葉に置き換える冒険に出かけます。

その前に、言葉で伝える難しさと、知らないことを自分の大きさに閉じ込めようとした・・
蛙にちなんだお話をどうぞ。

*お話(その2)井の中の蛙(語り部:スワミ・プレマナンダ・ジ)*
 村はずれの井戸に蛙たちが住んでいました。
その中に飛び切り元気の良い、やんちゃな子蛙がいました。
彼は井戸から見える空が不思議でたまりません。
明るい光が入ってきたり、暗い中にピカピカ光るものが見えたりする丸い枠の外には
「世界」というものがあると伝えられていました。
でも、世界がどんなものであるのか誰も教えてくれません。
 
子蛙は自分で観に行くことにして、壁に飛びつく練習を始めました。
少しずつ高いところまで行けるようになりましたが
井戸は深く、彼が上まで行けるとは思えません。

ところがある日、彼は鍛えたジャンプ力を生かして釣瓶に飛びついたのです。
「こりゃ、いいや~っ! エレベーターみたいだ!」
と言ったかどうかは知りませんが、
桶は引き上げられ、子蛙は外の世界につきました。

釣瓶桶からピョンと離れて、辺りを見渡した子蛙の驚きはどんなものだったでしょう。
世界は何と大きいのでしょう!
腰を抜かさんばかりの子蛙でしたが、天性の好奇心から飛び回割っているうちに、トカゲと親しくなりました。
トカゲは世界のことを得意げに教えてくれました。

そんな二匹の近くに大きな生き物がやってきました。
世界のすごさに慣れはじめていた子蛙も、その大きさには驚きました。
「この動物のことを、みんなに教えてあげたい」
そう思った子蛙はトカゲと別れて井戸端に戻り、村人が水汲みに来るのを待ちました。

井戸の底ではお母さんが心配していました。
そこに釣瓶桶に乗って子蛙が戻ってきました。
「お前は本当に困った子だよ!」
お母さんのお説教が始まる前に、子蛙は外のすばらしさを話し始めました。

井戸中の蛙たちが聞きにやってきました。
トカゲがイモリに似ていると聞いた他の子蛙たちは、自分もそんな友達が欲しいと思いました。
小さな蟻の話を聞いて「それはおいしいのかしら」と娘さんは考えました。
空というものはどこまでも広がっているのだと聞いた青年は、首をかしげました。
子蛙は続けます。
「僕ね、すご~く大きい生き物も見たよ」。

「大きいってこれくらい?」お母さん蛙が腹に空気を入れて膨らませました。
「違うよ。もっと、もっと大きいんだ」。
「じゃ、これくらい?」お母さんは胸まで空気を吸い込みました。
「違うよ、もっと、もっとだよ」。
「これくらい?」「もっと」「これくらい?」「もっと」
・・繰り返しているうちにお母さんの体は風船のように膨らみました。
「私は井戸の中でも一番大きい蛙だよ。
私より大きい者なんているわけ無いよ」お母さんは息も絶え絶えになりながら言いました。

「トカゲはその動物のことを象と呼んでいたよ」子蛙が言ったその時です、

パンッ!!!・
お母さんの体が・・・破裂してしまいました。

(子供の頃、母から同じ話を聞きました。その時には象ではなく牛を見たことになっており、弾けてしまったのもお父さん蛙でした。
お話として楽しく、広く知られているのでしょう。「固定観念にしがみつくとお腹が弾けてしまうよ」と言っているのかもしれません。)

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