ジャイナ教の昔話その7:包まれている本当の自分・輪廻するのはだれ?(まつい ちえこ)

「肉体を自分だと感じ、大切にすること」は生物として命を守るために必要でありましょう。 
その肉体に包まれているものがいわゆる魂で、肉体は儚いが魂は死なないというのが輪廻転生観のもとになっています。
肉体は食物鞘と呼ばれたりしますが、肉体と魂は鞘と刀身のようにスッパっと別れているわけではないといいます。

前世の身体的特徴が転生後に表れている例をエドガー・ケ-シーも報告しています。
肉体的意識の強さ、潜在意識まで染めた愛憎、強烈な体験の印象などは、転生後の身体&精神的傾向にも影響するようです。

肉体から魂に戻る為には人生を生き切らなくてはいけません。

「心が自分だと思うこと」も自然なことで精神的成長に役立つ概念です。
しかし、魂は転生の度に違う感性を味わったことも知っています。
一生においても心はコロコロ変わります。
どれが私の心なのでしょう。

ともかく、私の、とついたモノは私ではないのです。
私の家族も私の友も私ではありません。
私の体も私の心すら私ではないのです。

私たちは肉体を脱いだ時に自分は魂であったこと、肉体は本当の自分では無かった事を知り、肉体に縛られている間には味わえなかった自由を満喫します。
そして心ですら本当の自分ではないことを理解した魂は、その魂を超えた大きな自由があることを知り、本当の自分=真我に戻りたいと願います。

真我に戻る為には魂として生き切らなくてはなりません。

魂は自らを成熟させて真我に戻りたいのです。
そのために転生していくのです。
自分を個我とならしめている迷いから抜け出す道を魂は歩んでいきます。

地球は宇宙の中では小学校だという例えもあります。
卒業したら中学星に進学するのでしょうか。
その見方で行くと、大学院星を卒業して、地球に教師として赴任されたのが聖人なのかもしれません。

地球は他の星の天国(地獄)だと観るのも面白いです。
「昇天(昇地球)したい」と徳を積む下位星人にとって地球は天上界です。
「悪いことをすると地球に落ちますよ」と諭される上位星人がいるかもしれません。
多次元世界に全てがパラレルで存在するとしたら可能性はありそうです。

地球上に天国と地獄が既にあるとみることもできます。
豊かで安楽に暮らしながら疑獄の苦しみを味わう方、地獄のような環境で天国の愛を体現する方もいます。

今ここ、この一瞬に全てがあるとも言えます。

そして小学生の命と大学生のそれが同等なように、熟成度が違っても夫々が大切な命なのです。

私たちはどの段階にいるのかわかりませんが、全ての魂は卒業して宇宙に還るのです。
何時どのようにしてかの説明は多種にわたりますが「人は悟り(真我)に戻る」と多くの聖典にあります。

「神のもとに集う」「人は神(仏)の似姿である」を意味する表現も多くの聖典に共通してみられます。
「何かを知るということは、思い出すということなのだ」とプラトンも言っていますが、
真我に戻ったとき自分は宇宙と一体であることを思い出すのでしょう。

ここで一休み。短いお話です


****お話・その7・誰かがズルしている?(出典不明)****

ある日、目が言いました「私が見つけた食べ物を手が取ってしまうのはずるいのではないか?」。
手が言いました「私が運んだものを、口が取ってしまうのはずるいのではないか?」。
口が言いました「私が噛んだものを胃が取ってしまう。一番ずるいのは胃だ」。
皆は、食べ物を独り占めしている胃のために働くのをやめようと決めました。

暫くのんびりと過ごしていましたが、目がしょぼしょぼしてきました。
手にも力が入りません。口もおしゃべりが面倒です。
それまで黙っていた胃が言いました「断食してくれてありがとう。
皆さんの栄養のためにずっと働いてきたので、良いお休みをいただきました」と。

色々な解釈ができるお話ではあります。

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