ブログ(最新情報・イベント案内)

コラム:無限の自由とは

地球に生きる全ての生き物たちに生命力が宿っている。生命力の根源は宇宙が
始まった時に生じた電磁気的な+と-の流れである。この電磁気的な+と-の流
れが生じたとき情報としてのカルマが同時に発生した。カルマとは陰と陽、拡
散と収縮、苦と楽、快と不快、善と悪のように存在している物の質の捉え方で
あり、また、カルマとは測定の仕方や、判断の基準によって結果が動く物事の
相対的性質であり、不二一如のことである。生命が宇宙に生じたときそこに
『個性・性質』としてのカルマが結びついた。情報としてのカルマが形を変え
て、生き物たちに命の願いとして根本的な欲望が備わっているのである。その
欲望が身体に備わった苦・楽、快・不快の感覚とともに、命を守り、命を進化
させる原動力、働きになっているのである。

その根本的な欲望とは命を長らえたいとする自己保存本能 (食欲・外部から
身体を持続成長させるためにエネルギーを摂り入れること)、 子孫や種族を
増やしたい自己拡大本能 (性欲・繁殖の仕組み)、あらゆる束縛から自由にな
りたい自由獲得本能の三つである。全ての生き物の願い、最終目的は永遠の生
命、生命の無限拡大、生命の無限自由の獲得と言える。

生き物たちにはその三大欲望が生命の深いレベルで情報としてインプットされ
ている。完全なる自由を獲得するために、時には食欲や性欲が妨げになる。完
全なる自由の獲得を目指そうとする古代のジャイナ教や仏教の出家修行者達は
食欲や性欲のコントロールが重要と考えた。そうした考え方が戒律の中に入っ
ている。仏教やジャイナ教の理想は輪廻転生しないこと、もう生き物として生
まれないこと、解脱が理想である。無限の自由とはカルマの束縛、つまり電磁
気的エネルギーの流れやもっと精妙な霊的エネルギーからも離れてその束縛か
ら自由になることである。

無限の自由とは生き物たちの最終目的地で、無限の愛、宇宙との合一 (梵我
一如) と同義語であり、全ての宗教の目標である。宗教とは無限の自由を個
人的に達成しようと起こってきたものである。

一方、無限の自由を集団的に達成しようとして人類全体が努力しているのが政
治であり、経済であり、科学の進歩発展である。経済の発展や科学技術の発達
は人間が無限の自由を求めて活動している結果の現れである。飛行機や自動車、
鉄道機関車などの交通機関、冷蔵庫、洗濯機などの家電、テレビ、スマホ、パ
ソコンなどの情報通信機器の登場は人間が自由を追求している集団的な活動の
結果として出現したと言える。

テクノロジーの高度な発達は生き物としての人間が集団的に求めている進化の
現れであり、必然的な方向性でもある。コンピューターの発明は今や高度に改
良発展して人工頭脳が作られるようになった。人工頭脳と各種センサーが結び
つき、車の自動運転がまさに始まろうとしている。近未来、人工頭脳が自ら学
習し判断までするようになるので、車の運転走行に運転手としての人間は必要
なくなるだろう。

私は自動車道路の必要性は物質輸送のためのトラックだけになってしまうと想
像している。人間の移動手段はヘリコプターを小型化した一人乗りのトブコプ
ター、つまり、ドローンを大型に発展させた飛行物体になると思っている。ト
ブコプターの人工頭脳が目的地と気象条件や飛行高度、経路を最適に判断し、
障害物や進入禁止地を避け、トブコプター同士の空中衝突を避けて我々を安全
に早く目的地に運んでくれる。東京と只見間の移動所要時間は江戸時代には一
週間を要した。車が登場した初期の頃60年前は只見まで一日がかりだった。
そして今や高速道路が整備され自動車の性能が良くなって4、5時間で行ける
ようになった。そして、トブコプターが登場し実用化されると2時間程度に短
縮される。

友達が「只見も良いところだけど、東京から遠いからねー」と今は言う。トブ
コプターの登場で夜、友達とお酒を飲んで10時頃東京に居ても、その日の深
夜には只見の自宅に戻れるようになる。このようなことが実現されると文明は
全く新しい局面を迎える。自然災害の少ない所、風景の美しい所、水の清らか
な所、森や耕地が豊かな所が、人が住む適地として一番の価値を持つようにな
ってくる。只見のような見捨てられた所に人が集まってくるだろう。

2016年頃、自動車の燃費性能偽装問題を起こして業績低迷にあったスリー
ダイヤモンドがトブコプターの研究にいち早く着手して自動車の生産からトブ
コプターの生産に業態を切り替える。スリーダイヤモンド社は将来トブコプ
ター生産で世界一の企業になるかも知れない。

農業はアンドロイドが野菜工場で作るようになっている。気象条件に影響され
ないので、雪の降る冬の只見でマンゴーやパパイアなど南国のくだものが作ら
れている。地球温暖化、気候変動によって露地栽培での農業が難しくなるが、
アンドロイドが工場で農産物を生産することで食糧問題は解決している。エネ
ルギー問題は自然エネルギーから電気分解によって作られた水素による燃料電
池発電が主役となっている。エネルギーは個人が自前でつくるので送電線や電
柱がなくなり村や町の景観も美しくなっている。

月や火星では人間に先駆けてアンドロイド達が都市や町、文明を作っている。
アンドロイドが作った宇宙都市に人間は宇宙旅行するようになる。地球の引力
の束縛から解放されて人間活動は宇宙に広がっていくだろう。50年後の世界
は今からは想像すらできない世の中となっているだろう。

沿海部に発展した大都会は気候変動による海面上昇があるとき急激に起こって、
対応ができず居住地を放棄せざるをえなくなるかもしれない。大都市住民が2
016年頃のシリア難民のようになって、過疎地の中間山間地に移住すること
になるなど、50年前の現在には誰も想像できなかったことが起こるかも知れ
ない。

どんなにテクノロジーが発展しようとも人間の動物的な身体の仕組みはすぐに
は変えようがない。高度にテクノロジーが発達した社会が出現すれば、動物的
身体を持つ人類にますます不自然生活を強いられることになる。不自然生活に
よる適応障害が起こってさまざまな心身の病気が人類を苦しめることになるだ
ろう。そんな時代が到来したとき、人間にとって免疫系や内分泌系、神経系の
コントロールは今よりづっと重要なテーマとなる。そのためにヨガの身体的訓
練や瞑想の実践が欠かせないものになる。プレクシャ・メディテーションを伝

え遺すことは未来の孫達へのメッセージであり贈り物でもあるのだ。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/5月第62号からの転載です)

コラム:アンベードカルと仏教改宗

アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素
男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年
光文社新書 山際素男訳)を再読した。

近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと
並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中
の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中
西部の大カースト)に1891年に生まれた。

不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与え
る存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触
民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る
存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。

その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアン
ベードカルである。

アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も
話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に
苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレ
ッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバロ
ーダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラ
ジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学さ
せてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要
請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを
待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト
上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハ
ラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻っ
たアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学
した。

このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲
むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行
動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてま
た社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥー
と戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アン
ベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カー
スト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたから
である。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に
大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。ア
ンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。

彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカ
ルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政
府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、
パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を
設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカ
ルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草
された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17
条に不可触民制廃止が謳われている。

憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒ
ンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差
別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法
だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で
行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決
心をした。

デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時
彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。ア
ンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可
触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもって
いた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去
った。享年65歳。

アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダと
そのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を
通しつつこの世を去ったのである。

『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。

アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文
章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言
わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪
廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている

『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するた
めの入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教
学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとし
て、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を
傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取
り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教
ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダ
ンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すこと
は初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教と
は何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変
質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の
各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。

『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論
が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者
によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さん
に読んでいただきたい一冊である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/4月第61号からの転載です)

平成30年・秋冬 プレクシャ・メディテーション指導士養成講座Lv2

西池袋の平舎(Hiraya)にて「 平成30年・秋冬 プレクシャ・メディテーション指導士養成講座Lv2」が開催されます。
単発受講可、初心者でも参加できます。
詳細は下記チラシをご覧ください。

坂本知忠先生と行く最高のインド・聖地瞑想巡礼の旅(2018年11月) 

詳細案内のチラシを下記UPしておりますので、ご覧ください。

お申込みに当たりましてはチラシ内「参加申込書」に必要事項をご記入いただき、下記お申込み先までお知らせください。

申込締切:2018年9月25日(火)
*定員となり次第締切となりますのでお早目の申込をお願い致します

旅行企画:
日本プレクシャ・ディヤーナ協会
代表 坂本知忠
TEL:047-357-2641
E-mail:tomotada@icnet.ne.jp

コラム:美しき日本刀と非暴力

あるヨガの先生から質問された。「坂本先生は刀をどうおもいますか?」「実
は夫の兄が刀剣収集が趣味で、先日、その方から夫に刀が送られてきて、お前
も刀の趣味を持ってはどうかと勧められた。」というのである。彼女は刀に対
して怖いもの、武器としてのイメージが強く、身近におきたくないらしい。そ
の時私は「刀ほど美しいものはなく、絵画や陶器と同じく素晴らしい鉄の芸術
品として鑑賞すべきものであり、決して武器ではない。」「刀は折り返し鍛錬
されて火に熱し水に冷却し鍛え上げられたものであり、素材の玉鋼から不純物
を取り除いて純粋な鉄の芸術として造られたものである。刀は気高い人格と魂
を象徴するものである。」「日本刀にはそれを制作した刀匠が、刀が武器とし
て使われることのないように、平和への祈りがマントラになって込められてい
るのだ。」と答えた。

私の刀への憧れは、少年時代まで遡る。私は団塊の世代の先駆けとなる、昭和
21年9月に千葉県東葛飾郡浦安町に生まれた。小学校2,3年生の時NHKラ
ジオ放送で「笛吹童子」や「紅孔雀」などがラジオドラマとして放送されてい
た。ラジオから流れる主題歌「笛吹童子:ひゃらーり ひゃらりっこ ひゃ
りーこ ひゃられーど 誰が吹くのか 不思議な笛だ・・・・。紅孔雀:まだ
見ぬ国に住むという 赤い翼の孔雀鳥 秘めし願いを知るという 秘めし宝を
知るという」や物語に熱中した。その後、「笛吹童子」も「紅孔雀」も東映で
映画化され、娯楽が少なかった時代、私はそんな時代劇映画の虜になった。中
村錦之助、東千代之介、大友柳太朗、高千穂ひづる、月形龍之助等の映画ス
ターのファンになったのもこの頃である。

この頃の子供たちの遊びと言えば、男の子ではメンコ、ビー玉、ベーゴマ、そ
してチャンバラごっこであった。「俺は那智の小天狗だ。俺は浮寝丸だ。」な
どと言いなから手作りの木剣を振り回していた。隣の家の木の枝が木剣に恰好
だったので、木剣を作りたいという気持ちが抑えられなくて、その枝を切って
木剣を作り、隣のオヤジに大いに怒られた。隣のオヤジに怒られたけれど、悪
ガキの知ちゃんは小刀を上手に使って、反りのある刀身は木を削り出し、柄の
部分に樹皮を残した自慢の木剣を作った。

小学校低学年で時代劇の立ち回りや刀、侍に憧れた知ちゃんは中学校に入ると、
剣道部に入部した。中学高校を一貫教育する私立中学校だったので、高校生の
先輩から厳しい稽古をさせられた。

ヨガを始めた頃、自宅の近所に居合道を教える道場が出来た。道場主は私の父
の小学校時代の同級生だった。榎本富夫先生が自宅に遊びに来て、先生から居
合道の話を聞いたご縁で私はヨガと並んで居合の稽古を始めた。ヨガの稽古は
三上光治先生について週1回だったが居合は週二回練習した。昭和57年居合
道初段に合格した。私は初段に合格したら、稽古の刀を模擬刀から真剣に変え
ようと思っていた。

古い刀は従前の持ち主の念やネガテブなエネルギーが宿っていることもあるの
で、現代刀匠の作刀を求めた。その頃、名高かった岐阜県関の刀匠、藤原兼房、
兼氏親子が合作で作ったものを実際手に持ち振ってみたところ、長さと手にな
じむバランスの良さが気に入って、それを買い求めた。真剣身とは良く言った
もので、真剣を使うようになって模擬刀で練習している時とは全く違って真剣
身になった。

「関の兼房」は私の愛刀となりその後の5年間、あらゆる刀の使い方に練習を
重ねた。1984年春(昭和59年)居合道の2段になっていた。静岡県三島市
の沖ヨガ修道場には沖正弘先生がおられて世界中から参加者が集まり「ライ
フ・エンカウンター・セミナー」が行われた。大勢の外国人の前で、ビール瓶
に刺し立てた2メートルほどの篠竹を、瓶を倒さずに「関の兼房」で切り払い、
それから、皆が静まり返って見守る中、居合の型を演舞した。1987年(昭
和62年)私は居合道の4段になっていた。沖先生が亡き後、私は成瀬雅春先
生からもヨガを習っていた。その年、成瀬ヨガの10周年記念祭が品川区の体
育館で行われたとき、私は壇上で連続早抜き居合を演舞した。私はこの頃、あ
らゆる手の内で刀を使えるようになっていた。

1988年沖ヨ修道場主催の第2回プレクシャ・メディテーション研修旅行で
インドへ行った。国際親善と日本文化や武道を紹介する目的で私は日本から羽
織袴と模擬刀を持っていった。交流会の機会に私は居合の演舞をした。それを
見ていたジェイン・ヴィシュバ・バーラティの道場長メータ師から居合はバイ
オレンスだといわれた。私はそのことを日本に帰って深く考えた。型を演舞し
ているといっても、一つ一つの型で実際に人を切っているようにイメージする。
イメージが強烈すぎて実際に人を切っているような気がすることがあった。相
手の血潮が吹き出すイメージが起こることもあった。練習したあとで、その日
の練習のイメージで30人から40人の人を殺してしまったと感じる日もあっ
た。瞑想の世界ではイメージしたことは実際に起こったことといえる。そう考
えたときに私は居合が出来なくなった。そして現代の居合が実践的でなく、室
内だけの型の演舞だけに終始していることに物足りなさを感じたからでもある。
非暴力と日本人としてのアイデンティテイ・武士道精神文化の整合性がとれな
くなってしまったのである。

居合道から離れてしまったが、私は今も日本刀が好きである。ウィキペディア
によれば「日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類の総称である。
それは平安時代末に出現し、反りがあり片刃の刀剣をさす。」世界史的に見て
も日本刀はユニークなものであり、日本人の物づくりと芸術、文化、精神性を
象徴したものと言える。日本刀は外装(拵え)とは別に刀身自体が美しい鉄の美
術品である。その姿、形は極限まで機能を追求した結果、一切の無駄がなく美
しい。刀の外装である刀身を納める鞘、防御のための鍔、手持ちを良くするた
めの柄、その他刀の外装に使われる部品(ハバキ、目貫、頭)の一つ一つがいに
しえの職人が丹精込めてつくった美術品として美しい。

私は室町時代の「備州長船住盛光」と江戸時代初期の「陸奥大掾三善長道」を
美術的にも価値ある外装付きで所持している。数百年を経て全く錆びずよく手
入れされたこの刀を見るとき、刀が日本人とは何かと語り始めるのを聴くこと
ができる。

先ごろ、東中野の沖ヨガスタジオで「知心流」の宗家を継ぐ大野雅司師の武術
演舞を見た。それはかって、私が求めていた実践的な刀操法であった。大野師
は真剣を抜くと同時に峯返しした。抜刀と峰打ちが一体になった技である。手
の内が理想的に柔らかくなければすることが出来ない技である。戦わずして勝
つことが居合であるが、たとえ刀を抜いたとしても相手を殺さないで屈服させ
る。これが抜き峰打ちである。それはまさに非暴力の居合であった。私はそこ
に到達できないで居合から離れた。若い頃に「知心流」に出会っていればもう
少し居合を続けることが出来たのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/3月第60号からの転載です)

コラム[『シッダールタ』を読んで]

10年ぶりに岡田朝雄訳『シッダールタ』(2006年草思社刊)を再読した。
今回、10年前には理解出来なかったこの小説の内容の濃さ、ストーリー構
成の完璧さがよく解った。『シッダールタ』はヘルマン・ヘッセによって大
正11年10月ヘッセ45歳の時に初版出版された。内容はゴータマ・ブッ
ダの悟りとは別の悟りを開いた小説の主人公シッダールタの思索を通じて、
真我とは何か、輪廻転生とは何か、瞑想とは何か、解脱とは何か、梵我一如
とは何かなど、インド宗教哲学の精髄を語りきり、描ききり、説明しきって
いる。

私が30歳頃から今日まで40年間探求してきたインド哲学全般、そしてヨ
ガや瞑想の奥義を、この小説ほどわかりやすく解き明かした著作を他に知ら
ない。今や『シッダールタ』は私が今までに読んだ小説及び精神世界本の中
で最も感動し、その哲学的内容の深さを高く評価するベストワンに位置づけ
るものとなった。

この小説を読みながらドイツ人のヘッセが45歳の年齢でなぜここまで深く
仏教やインドの宗教思想を理解できたのだろうかとの疑問が起こった。この
ようにインド宗教思想を理解し洞察できるまでには相当の勉強と思索と体験
が必要だったと思うが、それをヘッセはどのように行ったのだろう。ヘッセ
はキリスト教文化圏に生まれながら若い頃からインドや中国の宗教思想を探
求し続けたようであるが、小説を書く動機としてヘッセ自身が梵我一如を体
験したのかもしれない。

物語はバラモン教司祭の世襲後継者として育ったシッダールタがヴェーダー
ンタ哲学を習得しても心の渇きが癒されず、刎頚の友ゴーヴィンダとともに
輪廻からの解脱を求めて沙門に出家するところからはじまる。岡田朝雄の翻
訳は誠に素晴らしく一字一句無駄なく完璧な原文を美しい日本語に訳しきっ
ている。

朗読すると、同じような表現がリズミカルに三度繰り返されるこの小説の、
詩のような独特な文体を日本語で感じることができる。また文章を読んでい
くと物語の情景が鮮やかにイメージとなって脳裏に浮かんでくる。出家の決
心を、長らく自分を慈しみ育ててくれた父親に告げた時、父と子の心情が絵
のように美しく描き出されていた。

この小説は登場人物が極めて少ない。まず一番目にあげられるのが主人公シ
ッダールタを敬愛する幼馴染で、沙門修行を共にし、後にシッダールタと袂
をわけてブッダの弟子になった親友のゴーヴィンダである。ゴーヴィンダは
シッダールタの生涯全般に常に関わっていて、この小説の最初から最まで登
場する脇役である。ゴーヴィンダは我々読者の視点であり、シッダールタが
ゴーヴィンダに語るのを通して我々はヘッセの思想を聞くこととなる。

遊女カマラーからシッダールタは性的快楽を通して、現実に生きることを学
び、この世にあるものは全て良きものだということを学んだ。そして聖なる
ものと俗なるもの、賢いことと愚かなること、良いことと悪いことの対極を、
経験を通して学んだ。聖から俗のどん底を体験することで、シッダールタは
性格的欠点だった自惚れがなくなり謙虚になった。

河の渡し守ヴァースデーヴァは自然から真実を読み解くことができる、名も
無い貧しい賢者である。老子の思想にも通じるヴァースデーヴァはシッダー
ルタの本当の師匠であり、影になりシッダールタを見守り、究極の悟りに至
るのを助ける。古代インドのシュラマナ系宗教では彼岸に渡して悟りに導く
聖者をテールタンカラと言った。まさにヴァースデーヴァはテールタンカラ
(渡し場を渡す人)であった。

登場人物ではないが、この小説で重要な役割を演じているのが「流れる河」
である。流れる河はシッダールタにさまざまなことを話す。聞く耳をもった
シッダールタに河はさまざまな真理、自然法則、宗教哲学を語る。河がシッ
ダールタのもうひとりの師匠だった。シッダールタは河からさまざまなこと
を学んだ。仏教用語に山川草木悉皆成仏というのがあるが、その意味は自然
を深く観察すると真理に到達するということである。河の流れを観察するこ
とで、シッダールタは過去現在未来がひとつにつながっていることがわかっ
た。それは仏陀の無我とは別の、無時間という新しい悟りであった。時が実
在しないという悟りによって、無常と永遠、苦悩と歓喜、善と悪の間に見え
る隔たりも一つの迷いであることに気づいた。「世界は不完全なものではな
い、徐々に完全なものになりつつあるのでもない、世界はあらゆる瞬間に完
全だ。」ということがシッダールタにわかった。「罪人の中に、今そして今
日、すでに未来の仏陀がいるのだ。あらゆる子供は自らの中にすでに老人を
持ち、あらゆる乳飲み子は自らのうちに死をもっている。ずべての瀕死のも
のは自らのうちに永遠の生をもっている。」とわかった。この世のあらゆる
ものは相互に関連性を持ち、苦悩と歓喜の叫びとともに、河のように流れて
すべてが一如につながっていることがわかった。12章に分けられた小説の
最後の2章「オーム」とゴーヴィンダで語られる哲学的内容は圧巻であった。
まさに悟りを開いた聖者にしか語れない内容を作者であるヘッセは私たちに
わかりやすく示してくれる。最終章を読み終えたとき、私に深い感動が訪れ
た。

小説の序章「バラモンの子」ではヴェーダーンタ哲学が、2章ではジャイナ
教を思わせる沙門の苦行や修行が語られ、3章ゴウタマでは仏陀と仏教哲学
が語られる。シッダールタは教えによって学ぶことは出来ないとの考えから
仏陀に帰依することなく、体験によって真実をつかもうと遍歴する。求めて
も得られない我が子への溺愛に苦しみ、故郷を、父母を捨てたことを悩んだ。

そして、シッダールタはついに完全なる悟りに達した。仏陀の悟りは自分を
知ること、世界を苦と見て、もう生まれないこと輪廻転生からの解脱を理想
として涅槃寂静を目指すものであった。一方、シッダールタの悟りは世界を
知ること、世界を苦と見ないで、ありのまま真実として受け入れ、すべて良
きもの善として解釈して他と融合し、自然法則と完全一体一如になったので
ある。

瞑想には内なる方向性と外なる方向性がある。外なる方向性の悟りは教えに
よっては学ぶことができず、生活を通して体験によって掴むことしかできな
いのである。ヘッセはこの小説で外なる方向性の完全なる悟り、梵我一如、
聖愛を語った。全く素晴らしい小説としか言いようがない。

この小説『シッダールタ』は読めば読むほど味わい深い。私は小説を深く
味わうためにインド宗教哲学の幅広い理解が欠かせないと思う。インド宗
教哲学の全般を理解するために宮元啓一著『インド人の考えたこと』
(2008年、春秋社刊)を熟読されることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

コラム[生かされて生きている]

メディテーションとは皮膚よりも内側の内部深くに本当の自分を探求すること
である。人間は物質的な身体と非物質的な心や意識との結合によって存在して
いる。私たちが生まれて生き続けることが出来るのは、身体内部に生命エネル
ギーが流れているからである。生命エネルギーは一つ一つの細胞に浸透して活
力を与えている。生命エネルギーは呼吸と伴にあり、意識と伴にある。呼吸が
止まれば生命エネルギーの流れは止まる。生命エネルギーの流れが止まると身
体内部で生起していた感覚も止まる。感覚が止まれば意識は身体と伴にある必
然性がなくなって身体から離れる。意識の本性は純粋性であり完全性である。

しかし私たちの個々の意識は過去の行為によって色が付き純粋でなくなってい
る。意識の性質である完全性と純粋性を求める衝動によって輪廻転生が起こる。
私たちの身体や心は死によって滅するが、意識だけは生き通しである。長い時
が流れて過ぎれば、意識は今とは全く違った場所で違ったもの(人間、生命)
と結びついている。

生き物は身体外部から食物やエネルギーを身体内部に取り込み内部エネルギー
に変換し、それを身体の維持や成長、活動のために使っている。その一連のエ
ネルギー変換作用を統括するものが意識である。私たち人間は生きている間は
身体内部に生命エネルギーが流れている。生命エネルギーが流れているから身
体内部にさまざまな感覚が起こってくる。粗雑なものから微細なものまでさま
ざまな身体感覚は深いレベルのほとんど自覚できないレベルの意識によってキ
ャッチされる。意識によって捉えられた感覚としての情報が神経系を通して瞬
間瞬間脳に伝わっている。脳は感覚を感じて身体に適切な指示をする。空腹を
感じれば食べ、疲れれば休み、眠たくなれば眠る。身体を守り命を継続させる
ために、時には心が悩み身体そのものが不調になって病気になることもある。
病気や悩みは身体を継続させる働きとして起こってくるものだ。だから本来、
悩みや病気は悪いものではなく原因があって起こっているだけである。私たち
の生き方が間違っていると深いレベルの意識が教えてくれているのだと理解し
なければならない。

脳は物質的な身体機能そのものであるが、中枢神経の中で機能して命の働きを
統括しているのは非物質的な意識である。脳そのものの働きも深いレベルで意
識が統括していると言える。物質的な脳の機能と非物質的な意識が結びついて
命を守る働きとして感情が発生し、さまざまな心の働きが起こってくる。私た
ちの意識は誕生前からすでに色付いていて純粋でないから、感情も影響を受け
て、さらに意思や行動にも影響を与えている。私たちが正しく生きようと思っ
ても間違ったことをしてしまう原因は身体内部の深い意識レベルにある。意識
の働きというものを想定しないと、脳の機能だけでは、なぜ我々は間違った選
択をしてしまうか説明がつかない。

私たちの身体も心も、そしてこの世の森羅万象すべてが刻一刻、時間とともに
変化している。すべては変化するエネルギーの流れである。二度と同じ川の流
れの中に足を浸せないと同じように、私たちの身体も心も変化してしまうので、
1秒前の私と今の私は違ったものだし、今の私と1秒後の私は違ったものであ
る。1秒間に人間の小腸栄養吸収細胞は170万個生まれ変わり、24時間で1500
億個ある小腸の栄養吸収細胞はすべて生まれ変わってしまう。身体内部は激し
く一瞬一瞬変化している。身体と心を捉えようとしても変化してしまうので、
そこに恒常的な私を見つけることはできない。

私とは観ている者、感じている主体であり、客体ではない。意識についた色や
汚れは客体であるが意識そのものは主体である。主体的な意識が純粋性と完全
性を取り戻した時、私たちは長い旅を終えて普遍的なものになる。普遍的にな
った意識はもう生き物に生まれることはない。それが解脱だと思う。

宇宙の草創期、宇宙全体に均一に広がった温度の中に、ほんの少しだけ温度差
が起こった。その温度差によってプラスとマイナスの電磁気的な流れが起こっ
た。その電磁気的な流れがあらゆる物質的なものを生み出す根本的な力となっ
た。陰と陽、拡散と収縮、引き合う力と反発する力があらゆる場所に起こった。
宇宙という物質変化の流れそのものが目に見えない宇宙の意識・カルマによっ
て出現したというのがジャイナ教や仏教の基本的な宇宙観である。宇宙は神の
創造によるものではなく、始めのない始めから、終わりのない終わりまでカル
マによって輪廻しているというものだ。

今、なぜ自分はここに存在しているのかと問えば、原因と結果の法則が連綿と
遠い過去まで続き宇宙の始めまで続いていることがわかる。宇宙の始めが始め
でなく、もっと前まで繋がっていることもわかる。反発する力と引き合う力が
姿形を変えてさまざまな場所で起こった。原因と条件の組み合わせによってい
ろいろなことが継続的におこった。偶然のように奇跡のように思える確率の低
い出来事も、必ず由ってくる原因があるのである。しかし、宇宙が始まって以
来、継続的に起こってきたことのどれか一つでも起こらなかったら今の自分は
存在しなかった。星星を含めて森羅万象すべてのものは相互に関連しあって存
在しているのであり、孤立して存在できるものなど何一つない。私たちは引き
合う力と反発する力である無数無限の縁によって存在しているのである。私た
ちは存在していて存在させられている。生きていて生かされている。あなたが
生まれたから私が生まれたのであり、私がいるからあなたがいるのである。私
たちは全体として一つであり、生かされて生きているのである。

地球の周りに月がなかったと仮定してみよう。月がなければ地球の自転速度が
早まると科学的に推察されている、月がブレーキの役割を果たし地球の自転が
遅くなっている。もし月が地球の周りになければ、一日は8時間になる。潮の
満ち引きも起こらない。地上は今よりも強い風が吹き、植物や動物が存在でき
ても今の生き物と全く違った生き物の姿になるだろう。月を生み出した原因と
なったグレートインパクト、小惑星による地球との衝突がなかったら、地軸の
傾きがなくなり、季節の変化が起こらなくなる。地球環境は厳しくて今ある地
球上の生き物は全く別の形態になっている。

少なくとも私たちは太陽に感謝しなければならない。グレートインパクトが起
こったことに感謝しなくてはならない。月の存在に感謝しなければならない。
そしてすべすべてのご縁に感謝しなければならない。

「すべてのものと繋がっている、すべてのご縁によって生かされている。」と
考えて、生きている瞬間瞬間にすべてがその思いで満たされればそれがサマー
ジーである。宇宙があって私が存在できている。尊いご縁によって深くつなが
っている。私の身体を作っているすべての元素はかって宇宙のどこかで他物が
使っていたものだ。宇宙の始めから在ったものと、そのものの形を変えたもの
の再利用である。私が呼吸している空気も地球上にかって存在した植物、動物、
生き物、マハーヴィーラ、ブッダ達が呼吸に使った空気の再利用である。私達
は好きな人の吐いた息だけでなく嫌いな人の吐いた息をも使っている。すべて
は循環して繋がっている。空気だけでなく私たちが飲む水もかって誰かが飲ん
で使ったものの分子を含んでいる。私たちは一人一人過去にも繋がり未来にも
繋がり、同時に空間的に全方向に繋がっているのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

ディープな旅 ネパール・インド瞑想の旅 <特別編> (伊東真知子)

昨年11月18日~28日の11日間「ディープな旅 ネパール・インド瞑想の旅」は、
初めてネパールで開催されるジャイナ教国際瞑想キャンプに参加したあと、ネ
パールとチベット、中国に囲まれている北インドを訪れてきました。

成田に集まったのは、キャンプ参加経験者5名、初参加6名、そのうちインド初
めて3名、海外旅行も初めてという人もいたため、出発前に現地の情報やジャ
イナ教の地を訪れる際の注意点などを事前にお知らせしました。

まずはデリーで1泊。翌朝、カトマンズへ向けてまたすぐに飛行場へ。
カトマンズはトランジットの時間が少々あったので、目玉寺で有名なネパール
仏教寺院スワヤンブナートを訪れました。参道の頭上には、願いをのせた5色
の旗タルチョが絡まりそうなくらいに、たくさん交差して、ああ~ネパールに
来たなぁという実感が涌きました。タルチョは、ただの飾りではなく、そこで
暮らす人たちの願いがいっぱい込められています。

お猿さんもたくさんいるスワヤンブナートからまた飛行場に移動。ビラトナ
ガールへの国内線のプロペラ機の胴体には「buddha Air」とあり、ありがたそ
うな飛行機です。飛行中、夕暮れ時に飛行機の窓から見ると、夕日に赤く染ま
ったエベレストの山々が見えました。感激!

ビラトナガールに到着したころは日がすでに落ち、飛行場も周囲も真っ暗、車
でしばらく走っても真っ暗で、不安になるほどの田舎でした。それでもカトマ
ンズの次の大きな街と後で聞いて、随分驚きました。

キャンプでは一部のムニ(男性僧侶)達が来ており、2年ぶりでしたがとても
元気そうです。小さかったムニも背が伸びて大きくなっていました。一昨年は
かなりのハードスケジュールだったので、今回は少しゆったりスケジュールを
お願いしました。するとかなりゆったりになり、午前中と午後と2クラスずつ
の受講。自分たちで早朝にヨガをやりました。

一昨年ムニ・ジャイ・クマールジに教えてもらった「幸せの雨が降る」という
瞑想をリクエストしました。それは唯一体を自由に揺らせることができる瞑想
法で、とても楽しい気分になります。

3日目に坂本先生のアワード賞の受賞式があり、ロシアからのキャンプ参加者1
1名が「プレクシャ・ソング」でお祝いをしてくださいました。アチャリアか
らは、今後、日本でのさらなるプレクシャ・ディヤーナの拡大をという課題が
出され、頑張らねば!

翌早朝にキャンプをあとにし、車で再入国してダージリンを目指します。
ダージリンは標高2000mにあり、紅茶で有名ですが、イギリス統治下では避暑
地として繁栄を極めた街です。急な勾配のところにへばりつくようにしてでき
ている街は、実に感動ものでした。よくこんなところに街を作ったなぁ・・・
と。そこから見える世界第3位の高峰カンチェンジュンガは神々しく、この神
宿る高い峰が朝日を浴びてピンク色に輝くさまは、「無理してでも来てよかっ
た」「これを見られただけでも・・・」と幸福感でいっぱいになりました。

ダージリンからガントクへ。
シッキム地方は、インドとは言え、そこに住む人や文化、宗教が違い、インド
にいることを忘れそうになります。ネパール人ガイドのスメダさんも観た感じ
日本人とほとんど見分けがつかないくらいで、控えめで、誠実で素晴らしい方
でした。ガントクは中村天風がカリアッパ氏に連れられて、ヨガと瞑想の修行
をしたところです。

チベット仏教寺院やチベット難民センターを訪れました。難民センターではチ
ベットの国と難民の人々に対して、様々な思いを胸にいただきつつ、せめても
の気持ちと、お土産をたくさん買い込みました。

ガントクのあとは、カリンポンへ。
カリンポン最大のドゥルピン僧院を訪れたら、えび茶色の僧衣を身につけた若
い僧たちが本堂で一堂に会し、マントラを唱えていました。ジャイナ教とはま
た違う味わいのマントラです。この僧院が建つ丘の上からは、遠くエベレスト
山群が見渡せます。

旧シッキム王国の交易路上の宿場町として栄えたカリンポンは、後に英領イン
ドの西ベンガル州となり、キリスト教布教のため教会が建てられました。その
教会は、建物はネパール・ヒンドゥー様式、壁画はチベット風(イエス様がチ
ベット仏教ゲルク派の黄帽をかぶって袈裟を着ていたり、マリア様が蓮の上で
説法をしていたり…)のとてもユニークなカトリック教会です。

今回いろんなことで驚いたことはたくさんありましたが、一番驚いたのは、す
ごい山奥の掘立小屋のような物売りのお店の軒先に、携帯会社なのか、オレン
ジ色のバナーがどこにでもあったこと。そしてどんな田舎でも携帯をみんなが
持っていること。坂本先生は、「固定電話が浸透する前に、携帯が広まったか
らでしょうね」とお話しされていました。

さらにチベット仏教の若いお坊さんたちがスマホを持っていたことには、本当
に驚かされました。ジャイナ教のムニたちは、今もって、お金も触らなければ、
電話もしないでしょうに。それとも固定電話で「もし、もし・・・」とかやっ
ているのでしょうか? ちょっと想像がつきません。

カリンポンからまた飛行機でデリーに飛び、11日目の朝に全員無事に成田に到
着しました。今回は旅行中、喉の調子が悪いという人がいましたが、病気やケ
ガもなく、飛行場以外で日本人に会うこともなく、本当に充実したまさにデ
ィープな旅でした。

一緒に行くはずだったWさんは、残念ながら病気になってしまい行けませんで
したが、次回は元気になってぜひ一緒に行けたらいいですね。
頑張れ! Wさん。

コラム[ラーナクプールのジャイナ教寺院]

ジャイナ教は一世紀頃、大きく裸形派と白衣派に分かれ、さらに偶像崇拝する
派と寺院を持たず偶像崇拝しない派に分かれている。白衣派の中から17世紀
に偶像崇拝を否定し寺院を持たない、スターナックヴァーシン派が出現した。
それに対して寺院に参拝しジナ像を崇拝する派はムールティプージャカと呼ん
でいる。私たちがプレクシャ・メディテーションを学んでいるテーラパンタ派
はスターナックヴァーシンから分派して1761年にアチャリヤ・ビークシュによ
って始められた。現在のアチャリヤ・マハーシュラマン師は11代目のアチャリ
ヤ(ダライラマのような宗派の最高指導者)である。テーラパンタ派は古代の
ジャイナ教への復帰を目指す復古主義グループであり、教団と在家信者の関係
及び宗教的形態や活動が古代ジャイナ教の姿を今にとどめている。

ジャイナ教の戒律であるアヒンサー(非暴力、不殺生)とアパリグラハ(無所
有、無執着)の実践は徹底したものであり、一切の妥協を許さぬ厳しいもので
ある。これに対して同じ戒律を持ち兄弟宗教とされる仏教各派の非暴力、無所
有の実践は中道といって中途半端で生ぬるい。ジャイナ教は魂を清らかにする
ための実践宗教と言える。輪廻転生の原動力になっている魂の汚れであるカル
マの浄化が修行の基本となっている。全ての生き物に魂を認めているので、他
の命を奪うことを厳しく諌めている。世界一平和な宗教であるといえる。

アチャリヤ・マハーシュラマン師は、世界平和のために2014年、テーラパンタ
派の根拠地ラジャスタン州のラドヌーンを出発してアヒンサー・ヤートラ(非
暴力の旅)に出られた。古代の伝統に基づく布教伝道の旅である。車や鉄道、
飛行機に乗れないので完全に徒歩による巡行である。5月にアチャリヤ一行は
ネパールのカトマンズで地震に遭遇したが、幸い一行の中から怪我人は出なか
った。さらに一行は巡行を重ね、11月15日から22日までの間、ネパールの4番
目に大きな街ビルトナガールで、プレクシャ・メディテーション国際キャンプ
が開かれた。この国際キャンプに私を含めて11名が日本から部分参加した。

テーラパンタ派は1年に一回、各地で活動している出家僧、尼僧、在家信徒が
一堂に会し家族的な団結を確認しあうという伝統守ってきた。2002年からは海
外に普及したプレクシャ・メディテーションの仲間もその会合に合わせて参加
し学ぶという国際キャンプが始まった。

会場がネパールだったということもあり、今年の国際キャンプはインド国内か
らの参加者は少なく、また海外からの参加者も極めて少なく盛り上がりに欠け
ていた。

ビルトナガールはインド国境に近いネパール東部の街で、インド系ネパール人
が多い。ネパールというイメージではなく、観光地でないインドの埃っぽい普
通の田舎町といった風情だった。ビルトナガールにはネパールでも有数な富豪
の実家があり、その富豪一族が有力なスポンサーになって今回の国際キャンプ
は開かれた。街全体がお祭りのような歓迎ムードに包まれていた。アチャリヤ
一行は、ネパールの後、再びインドに入り、ブータンを巡幸し、さらにインド
各地を7年間かけて15000キロを歩いて旅をされるという。

アヒンサー・ヤートラの巡行を終えれば、偉業を成し遂げたアチャリヤ・マ
ハーシュラマン師は9代目アチャリヤ・トウルシー師のように全信徒から心よ
り尊敬される偉大なる指導者になるに違いない。

私はお寺を持たない偶像崇拝しないというジャイナ教復古主義グループのテー
ラパンタ派で瞑想を学んでいるが、ジャイナ教の寺院やジナ像にも多大な感心
を持っている。初めて(1989年)ラーナクプールのアディナータ寺院やグジャ
ラート州のシャトルンジャヤ山の山岳寺院群に参拝したとき、白大理石で作ら
れたジャイナ教寺院に強く魅せられた。シャトルンジャヤ山は宇宙都市のよう
な異彩を放っており、ラーナクプールの寺院は瞑想空間として、その独創的な
立体的構成に驚嘆した。その後、ラーナクプールのアディナータ寺院やシャト
ルンジャヤ山にもう一度行きたいという思いが強まり、2000年に再訪する機会
を得た。

今も私の心の中にはラーナクプールのアディナータ寺院がある。神谷武夫著
『インド建築案内』(TOTO出版、1996年刊)は、全インドの古代から現代に至
るあらゆる様式の主だった建築について調査論考した労作で、甚大な労力と時
間を費やして著された大変優れた著作である。神谷武夫がその著書の中で「こ
れこそがインド建築の最高傑作というべきものである」と述べているのが、
ラーナクプールのアディナータ寺院である。「世界で一番好きな建築物はなん
ですか」と問われれば、迷わず私はラーナクプールのアディナータ寺院をあげ
る。伝承によると寺院は天才的な建築家であるデパーカという人物が瞑想によ
って啓示を受け、1439年に建てられた。

寺院は基壇となっている床部分を除いてすべて白大理石で造られている。建築
材料に使われている高品質の白大理石の産地が比較的近いところにあった。こ
の白大理石を使ったことで寺院の内部が清浄で荘厳な雰囲気になった。白大理
石で作られた柱や梁、壁やドーム型の天井全てが微細なまでに緻密な彫刻をび
っしりと彫り込んである。全く妥協を許さない完璧度である。寺院全体に使わ
れている大理石の柱が1444本、ドーム型天井は大小24作られている。24は
マハーヴィーラを含めて24人のテールタンカラ(救済者であり解脱者)を表
している。アディナータとはジャイナ教の最初のテールタンカラで始祖のリシ
ャバのことである。

ドーム天井は極めて音の響きが良く、ドームの下でマントラを唱えたり、賛歌
を歌えば身体内部にパワフルなバイブレーションが起こる。回廊を取り巻くよ
うに沢山の瞑想のための小祀祠が作られてある。どの小祀祠も一坪ほどの空間
で、中に3体のジナ像を祀っている。寺院全体が立体的な変化に富んだ構成と
なっていて、内部を回遊するように出来ている。寺院の屋上に上がってみたら、
そこにさらに驚くべき風景が広がっていた。屋上は屋根を構成する塔やドーム
によって、変化に富んだ魅力的な立体空間となっていて、そこかしこに瞑想の
ための理想的な場所があった。寺院を取り巻く丘のような山々も木々に覆われ
て美しかった。私が追い求めていた全ての理想がここにあった。今でこそ、こ
の寺院はあまり実際的に使われていないようであるが、600年前の創建当時、
ジャイナ教徒が寺院に参詣し賛歌を歌い、瞑想に使われていた光景を想像して
みると、これこそ地上に出現した天国だったのではないかと思う。しかし長い
年月の間にソフトとしての教団や瞑想の実践が失われてしまった。もしこの寺
院が往時のように修行の場として生きて使われたら、どんなにか素晴らしかっ
たことだろう。

私は今もこのアディナータ寺院を思い出すと胸が熱くなる。もう一度あの場所
に行って、今度は長く滞在してじっくり瞑想したいと思う。私の来世はラーナ
クプールのアディナータ寺院に関係したものになるのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

インド瞑想キャンプから帰国しました! (伊東真知子)

28日(土)に「ディープな印度 プレクシャ・メディテーション研修」11日間
の旅を無事に終え、成田に全員元気に帰国しました。

今回のジャイナ教国際瞑想キャンプは、インド国境に近いネパールのビラトナ
ガールという観光地ではない本当に素朴な田舎町で開催されました。
11月18日に成田を出発して10時間近くかかってデリーで1泊。翌朝早くまた飛
行機に乗りカトマンズを経由して、国内線に乗り換え2日がかりで夜ようやく
現地に到着。キャンプそのものは、ネパールという地域的なことがあったのか、

海外からも国内からの参加者も少なく、小規模なものでした。一昨年の超ハー
ドな講座の連続ではなく、ゆったりとしたスケジュールで初参加の人たちもホ
ッとひと安心。坂本先生の受賞式も無事終了し、6日目にビラトナガールから
は、バスが通れないほどの細い山道を3台の乗用車で延々と行き、紅茶で有名
なインドのダージリンに。そこでは世界第3位の高峰カンチェンジュンガを畏
敬の念を持って眺め、8日目はシッキム王国だったガントックへ。さらに最終
目的地の中村天風さんが修行されたというカリンポンを廻ってきました。ガン
トックやカリンポンでは、これまでのラジャスタン州とは打って変わって文化
が全く違うように感じました。

チベット仏教のお寺が多く、お坊さんもずいぶんたくさん見かけました。
カリンポンのチベット仏教のお寺で、瞑想をしたのはとても素晴らしい体験で
した。

次回の12月7日(月)19:00からのプレクシャ研究会は、「お釈迦様の脳科学」
を基に仏教の話題をみなさんと交わしながら楽しい時間を共有したいと思いま
す。
みなさまのご参加をお待ちしております。