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コラム「プレクシャな生活」一覧

*各指導士名・コラムから各記事へ遷移します*

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木 薫)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・柿澤 真紀子)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

 

コラム「勝利者の瞑想法」一覧

*各コラム名を押して頂くと、リンクが設定してある場合は、各コラムへ遷移します*

コラム:プレクシャ讃歌の魅力
コラム:あなたは何処に行きたいですか?
コラム:自殺を無くす道
コラム:瞑想をする、瞑想が起こる
コラム:生 カルマ 死 カルマ 生
コラム:所有と無所有
コラム:自己防御の砦
コラム:静と動
コラム:アヒンサー(非暴力主義)
コラム:活用する喜び
コラム:ジャイナ教僧侶がしているマスクの意味
コラム:動きを止める、動きが止まる
コラム:雰囲気と人格
コラム:エコ的生活は新しい非暴力運動です
コラム:非対立主義について
コラム:なぜ瞑想したくない、出来ない、解らないのか
コラム:カルマを無くす瞑想
コラム:ジャイナ教と仏教は兄弟宗教
コラム:別れと出会い
コラム:来世不動産
コラム:資格
コラム:言葉(言霊)の力
コラム:純粋とは何か
コラム:忍耐と無執着
コラム:呼吸の奥義
コラム:食の非暴力 俗なる立場から
コラム:憎しみと愛
コラム:魂を観る瞑想
コラム:魂について
コラム:何もしない行為
コラム:植物に心は有るか
コラム:絶体絶命、崖っぷち、究極の選択・ 非暴力と義務どっち
コラム:水は偉大なる教師であり、尊崇すべき恩人である
コラム:地球温暖化の脅威
コラム:悟りとは
コラム:無常と空
コラム:自分の生活と幸福感を何と比較するのか
コラム:仏教の源流・ジャイナ教との類似
コラム:瞑想登山
コラム:沖ヨガ冥想行法とプレクシャ瞑想
コラム:瞑想における緊張と弛緩
コラム:沈思黙考「おかげさまで」
コラム:瞑想・二つの流れ
コラム:完全なるリラックス
コラム:利己心と依頼心
コラム:身体とは何か
コラム:空の思想とマントラ
コラム:自己コントロールの道
コラム:哲学論争
コラム:ラーナクプールのジャイナ教寺院
コラム:『シッダールタ』を読んで
コラム:生かされて生きている
コラム:美しき日本刀と非暴力
コラム:アンベードカルと仏教改宗
コラム:無限の自由とは
コラム:生命が病気を創る
コラム:カラーセラピー・色彩療法
コラム:日本文化の精髄・露天風呂
コラム:カルマヨギ・二宮金次郎
コラム:皮膚と触覚と意識について
コラム:虫たちのこと
コラム:自分が自分の主人公になる
コラム:火とは何か
コラム:2017年3月19日(日) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演「ジャイナ教のカルマ論と輪廻転生」
コラム:アカルマへの道・モークシャとサンミャク・ダルシャン 2017年3月20日(月) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演
コラム:仏陀はなぜ魂について説明しなかったのか
コラム:アートマン 魂 本当の自己とは何か
コラム:欲望とは何か
コラム:私のヴァーサナー
コラム:自分で自分の医者になる・無病の道
コラム:四つの身体と霊的色彩光
コラム:肉体はリサイクル品
コラム:人類のカルマ・人類存亡の瀬戸際
コラム:南インドの聖なる篝火の山・アルナチャラ その1
コラム:平等心と無差別
コラム:清らかな心

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

はじめまして、谷内健太郎と申します。

この度は自己紹介の機会を頂き誠にありがとうございます。

坂本先生に指導士の認定を頂きましたのでこれまでの経緯をお伝えさせて頂きます。

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大学に入った当初は心や脳の研究をしたかったのですが、現代科学でその本質を研究することはとても難しいと思い進路にとても悩んでおりました。その時に新しい道を探そうと思い、自己啓発の本や占いの本をよく読んでいました。その中に輪廻転生を解説したエドガーケイシーやシュタイナーの本があり、かなり影響を受けました。カルマへの理解はそこから始まりました。

シュタイナーが菜食の方が欲望を克服しやすいと解説していたのでその時から菜食を徐々に試すようになりました。どうやら私の体には動物性の物は重たかったようで消化が軽くなって動きやすくなったため、菜食を続けることになりました。

それだけでなくスピリチャルなことを科学的に研究した本山博先生の本を読みクンダリーニヨガの会にも出たりしました。そこから徐々に霊気などのエネルギーワークやTM系の瞑想を習い始め、繊細なエネルギーへの体感が徐々に深まっていきました。

当時の瞑想の先生の紹介でインドのヒンドゥー教の聖者に会いに南インドのアシュラムに行くことになりました。はじめてのインドはかなり衝撃でしたがカオスで自由な雰囲気に魅了されてしまいました。その聖者はマントラ行やインド風水が得意で私もその当時はマントラ行のために本格的に菜食をしたり、風水で家を整えました。

ところが、突然その聖者が亡くなってしまってインドへの道が一時中断してしまいました。

そのころ私の研究室の友達がインド占星術を習っていてその関係で私も見てもらいたいと思い彼の先生のインド占星術の鑑定を受けることになりました。

実はこのインド占星術の先生がジャイナ教の聖者に師事をしており私のジャイナ教への道のきっかけとなります。

インド占星術に感銘を受けた私はその先生と仲良くなり、インドツアーに参加することになりました。そこでジャイナ教のムルティプジャカ派のアーチャリーに初めて出会うことになります。そのアーチャリーに祝福をしてもらった後一日中体の熱が冷めずに法当たりと呼ばれる現象が起きたのです。お寺を持ったり、プージャをするという点でテーラパンタ派とは違いますが、ジャイナ教の純粋性を感じ衝撃を受けました。

帰国してからも私の純粋性を求める思いはどんどん募り、神戸のジャイナ教寺院が実家の近くにあったので毎週通うことにしました。ジャイナ教のことをさらに知りたいと思い、様々なジャイナ教のお勉強を進めていく中で坂本先生の「勝利者の瞑想法」と出会うことになります。ただプレクシャー瞑想を習うのに東京だと遠くて通えなかったのでいつか習えればよいな~、という風にあきらめておりました。

しかし、2021年にパートナーの都合で横浜に住むことになり、これはチャンスだと思い、指導士養成講座に通い始めました。それまでは本を読んで見よう見まねで少しやってみましたが、実際のプレクシャー瞑想は全然違うもので、やはりこういったものは習熟した先生から直接習うのがとても大切だと痛感しました。もちろん瞑想法が体系立っているだけでなく先生の瞑想への思いや深さ、純粋さを体感として得たのでこれは素晴らしいと思ったのです。

そんな中、坂本先生の講義の中で中途半端な非暴力は暴力となる、というのがとても胸に突き刺さりました。自分が非暴力を頑張ってやっているつもりが人に正論を振りかざして押し付けている時点で全然非暴力的でないということに気づいたのです。

瞑想やマントラで修行をしている自分は偉くて、してない人は偉くないという差別的な見方をしていたのです。ジャイナ教の平等心からはほど遠いなと、その時、痛感しました。

そして去年、インドキャンプに行くチャンスを得て本場でプレクシャー瞑想を体験しましたがやはり本場というだけあって瞑想体験はさらに深かったです。それだけでなくお坊さんたちの托鉢の様子や段ボールで寝ている様子を身近に見れてとてもその純粋さに衝撃を受けました。

そしてアチャリアに質問した時に非暴力は殺すだけでなく、人を傷つけることを言ったり考えたりすることもよくない、ということを聴き、まだまだ自分はできていないな~、と実感できました。それと同時にアーナンダという至福が本質的に大切なのだということが賛歌を歌う中で実感できたのも良かったです。僧侶たちと一緒に歌っている時にハートが暖かくなるのがわかりました。魂の本質は喜びなのであり、自分を罰することではないと改めて理解しました。

その後、帰国してからオンラインで受けた本部のティーチャーズトレーニングではジョーティーケンドラの瞑想の重要性を再認識しました。瞑想をするとエネルギーが高まってくるので、それを最後に鎮めないと他人に良くない影響を及ぼしてしまうとのことでした。

それはインドの行者が瞑想の邪魔をされ、キレるということが昔から気になっていたので、なぜ聖者がキレるのか?というのがジョーティーケンドラの瞑想をしていないからだとわかってかなり腑に落ちたのです。

逆にプレクシャー瞑想で最後にジョーティーケンドラに意識を持っていくことで、できる限り平和な気持ちで瞑想を終えられるという流れが、とても素晴らしいと思いました。

日々、瞑想を行い賛歌を詠唱し、マントラを唱えることで人生がどんどん軽くなっている実感があります。

プレクシャー瞑想に出会えたことがとてもありがたいと思っております。

このような機会を与えてくださった坂本先生を含め、プレクシャー瞑想を支えて来られた

スタッフの方々には大変感謝申し上げます。

(2023年9月142号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

私の最近の“マイ・プレクシャライフ”をひとことで言うと、「このコロナ禍を活用して『集中的な研究・学び』にシフトしたここ数年」です。これまでの経験で『集中的な取り組み』は私にとって転機や進化の大きなカギをにぎっているので、「コロナ禍で何ができるだろう?」ということを家庭の状況も考慮してまとめたときに、自然と今の状況になりました。そのほかにもいろいろと目的がありますし、オンライン中心のプレクシャ瞑想クラスに力を入れているのにも目的があります。

〈はじめての瞑想体験〉
「そうか、感じ・観じることがポイントなんだ!」
そう気づかせてくれたのがヴィパッサナー瞑想10日間研修でした。あれから約10年が経ったと思います。これが私の“ちゃんとした”初の瞑想体験でした。最終日の一本通った何とも言えないととのった感じは、今でも覚えています。それまで教えてきたヨガのスタイルがガラッと変わりました。感じ・観じることが中心になりました。私にとっての大きな転機でした。

〈プレクシャ瞑想には興味がわかず…〉
もうひとつの瞑想に関する大きな出会いはプレクシャ瞑想です。正直言うと、はじめは講義の内容も実習もしっくりときませんでした。一応ひととおり受講しましたが、「心ここにあらず」みたいな感じであまり身が入らなかったのです。とにかくイマイチよくわからなかったです。今振り返ると、「なぜ瞑想をするのか?」に対する自分の答えが不明確で、自分自身の活動とその答えが一致していなかったのが大きな要因だったと思っています。自分の活動は『ふくヨガ~Holistic Health for Peace & Happiness~』って掲げているんですけどね(「幸福と平和のため」)。。。
 そんな私でも、身が入らないなりに続けていくうちに講義が頭に入るようになり、それなりに体調等が良くなる体験もしていたので実技も少しづつ進展していきました。やっぱり「継続は力なり」ですし、芽は出ずともしっかりと水やりをする期間は大切ですね。そうこうしているうちに瞑想に関する大きな転機その2がやってきます。

〈プレクシャ瞑想にハマる①〉
幸運なことに、インド瞑想研修旅行に参加できたのです。ヴィパッサナー瞑想研修もそうですが、『瞑想漬け』、つまり集中的に瞑想を学ぶ効果は大きいですね。しかも現地で直接体験できるのはとても幸せなことです。厳格な修行を重ねているお坊さんたちの人格に直接触れることのできる体験はそれ自体が何よりの教えでした。インドでは『サマイク』という48分間カルマを流入させない時間をつくる、というのを教わり体験しました。このサマイクからも集中的に学ぶことの意義みたいなものを教わりました。優れたお坊さんたち、ともにプレクシャ瞑想を学びあう各国からの参加者、信者の方々など、そこにいる人や食事、雰囲気などが私の学ぶ意欲をインスパイアしてくれました(もう1週間そこにいたいくらいでした)。日本で学んだ『アヒㇺサー(非暴力・不殺生)』『アパリグラハ(無所有)』『アネカーンタ(非独善)』や『バーバクリヤ(マインドフル)』『プラティクリヤ・ヴィラティ(反応しない)』『マイトゥリ(友好)』『ミット・アハー(食の自制)』『ミット・バㇵーシャン(発話の自制)』など、幸福や平和という目的地へ至るための指針が肌感覚でそこでの生活から学べた気がします(食事がおいしかったのでちょっと食べすぎちゃいましたが)。

〈プレクシャ瞑想にハマる②〉
数年前に、月に一度日曜日に開催している坂本師の講座の復習会をオンラインで開催していました。担当が私になり、坂本師からは「実技だけでいいんじゃない」とアドヴァイスを受けましたが、講義の内容を要約しそれをレクチャーして実習もやるのを1時間程度にまとめる、という自分の納得できるスタイルでやらせていただきました。実はそれまでスライドなんてほとんど作ったことがありませんでした。この約1年間は、スライドをはじめ要約することや短時間で講座を進めていく技術を身につけさせていただきました。毎日録音した講義を繰り返し繰り返し聴いて、「あ~まとまんねぇ~」とぼやきながらも、やはり集中的な学びの機会だと自覚しながら楽しめました。特に『無常についてのアヌ・プレクシャ(沈思黙考の瞑想法)』の回は感動もので、以前の私なら意味不明なアヌ・プレクシャの講義と実習が身に染み入り感動できました。「そうか!そうだよな!!」って感じでした。継続の効果もそうですが、インドに行ったからこそのアヌ・プレクシャの理解だったと思います。この時点で、「あとは自分で研究・実践していくんだなぁ~」と悟りました。

〈まだコロナ禍が続く現在〉
コロナ禍に入ってから時間がたつにつれ「幸福と平和のためにプレクシャ瞑想を広めよう」との思いが強くなりました。SNSで頻繁に発信しているのはそのためです。もちろん自分の認知度を高め、より広めやすくする目的もあります。ここ数年はプレクシャ瞑想の講座をオンラインで開催していますが、これも多くの人に広めるためであり、その試みです。オンライン講座用のプラットフォームを構築できれば、ネット環境さえあればどこにいても学びあえます。いつなんどき我が家も引っ越すかもしれないですしね。私もいいオジサンですし、今後出てくるかもしれない若手に何か良いものを提供したいですし。インドのプレクシャインターナショナルはその点力を入れていて進んでいるようですし、そこは大いに見習っています。

オンライン講座用のテキスト作りが今や私の月間の大きな仕事となっていますが、これもプラットフォームづくりの一環です。また、プレクシャ瞑想の研究にもなっています。毎日ジャイナ教哲学と格闘し(=理解実践できていない自分自身と格闘し)触れあう、これも集中的な学びになっています。こうしてテキスト作りや研究に集中できるのは、いつも講座に参加し講座を待ってくださっている方のお陰です。いつもありがとうございます!

SNSでの発信を続けているうちに、インドの方が色々と情報を送ってくださるようになりました。ジャイナ教のことやインドの祭典や観光地、遺産のこと、イギリスの大学でジャイナ教のことが取り上げられていることや、おすすめのジャイナ教研究者のことなど、ありがたい限りです。今年プレクシャ瞑想の研修でインドに行った女子お2人からはプレクシャ瞑想に関する本をお土産でいただきました。早速活用させていただいています。ありがとうございます!

良いものを丁寧に作っていきたいという自分の信条は子供のころから変わらないようです。時間はかかりますが、いずれ良いものをお返しできればと思っています。

(2023年4月137号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗

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【フェスティーナー・レンテー】
「リラ~ックス・リラ~ックス・リラ~ックス。。。ぜんぜんリラックスしないじゃん」

これまでほとんど言ってきませんでしたが、これがカヨーッツアルグ(自己暗示による身体の完全リラクゼーション)をやったときの初めの感想でした。私にとってカヨーッツアルグという技法はず~っととても難解な技法で、「あ、リラックスしてきたなぁ~」と感じられるようになってきたのは、実は最近になってのことです、ってことをここに懺悔いたします。プレークシャー瞑想を教える立場にいながら大変お恥ずかしいのですが。。。

学生の頃に精神的に病んだのがきっかけでヨガや瞑想の道に入りましたが、ヨガや瞑想の道に入る前には心理学や心理療法の本を読み漁っていたのもあって、自己暗示を使った心理療法の自律訓練法なんかも試したことがありました。当時は八幡洋氏の『立ち直るための心理療法』(ちくま新書)を繰り返し読んでは試していました。お察しの通り、まったく効果というか反応はなく、その他の本にも自律訓練法はよく出てきていましたがスルーするようになりました。

その昔、私のヨガクラスから開脚のポーズが消えた時期がありました。これもお恥ずかしいのですが、開脚の練習が楽しくて調子に乗って脚を痛めてしまったのです。そういうことで私のクラスから一時期開脚のポーズが消えていたわけですが、約1年後に再登場することとなります。しかも痛める前よりも脚は開くし腰は立つし前屈も深くなってるしと、いいことずくめ!約1年間開脚のポーズを封印していましたが、その間に取り組んでいたこと(ポーズだけではない)が私を総合的に高めてくれたのだと理解しています。

さて、お話が飛び飛びになりましたが、何が言いたいのかというと、一見遠回りに見えるかもしれないけれど、できるだけ総合的に取り組んでいくと、上手くいかなかったことが上手くいくようになったり想像以上に進歩・進化していったりするんじゃないかなぁということです。(欲望のまま手あたり次第やっていけばいいってのとはちょっと違うかなとは思いますが)

ご存じの通りプレークシャー瞑想は基本的に7つの段階というか技法があり(マントラメディテーションを入れると8つ)、単独でも取り組めますが、やはりチャイタニヤケーンドラ・プレークシャーあたりからは毛色というかレベルが違ってくるところに『段階』を感じます。ですが、わからないなりにもまんべんなく技法に触れたり、ある時には一つの技法に没頭したり、それに付随する哲学を学んだり、それらを日常で適用・応用したりするプロセスで、その人にとってのペースや順序で進歩・進化していくのだと今では感じています。とりあえず続けて進めてみる。

プレークシャー瞑想のサブコンポーネントにはヨガのポーズや呼吸法なども含まれていて、プレークシャー瞑想は総合的なパッケージとして構成されているのがわかります。学びを進めていくと、プレークシャー瞑想が安心して安全に取り組めるのはこの総合性に起因しているというのがうかがえます。特に哲学はものの見方やとらえ方を変容してくれるので、たとえわからなくてもとりあえず触れておくことがものすごく重要かと。

幸いにも再び投稿の機会をいただいたのでこれまでをあらためて振り返ってきましたが、「やっぱり続けるもんだなぁ~」とつくづく感じる今日この頃です。

「フェスティーナー・レンテー」、20年以上前の18歳の時に出会ったこの言葉。時には忘れることもありますが大切にしている言葉のひとつです。せっかちだけどマイペースで探求していきたい自分にはぴったりのこのラテン語は「ゆっくり急げ」という意味です。

(2023年10月143号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

「自分が自分の医者になる」という魅力的なコピーに惹かれ、プレクシャメディテーションを受講し2年が経ちました。

以前は肉体の健康ばかりに囚われていましたが、今は、精神性の健康について気づくことができ、視点が変わったように思います。

身体の癖は鏡をみると気づくけど、心の癖は鏡では気づけない、カルマを次に持ち越さない!

プレクシャメディテーションは色々教えてくれました。

「大事なことは学校で教えてくれないんだよ」と先生がおっしゃったのが印象的で、振り返れば、哲学的なことは実際学校で教わったことはありませんでした。覚えてないだけかもしれませんが・・。

インドの生活では当たり前に宗教哲学があり、こどものころから、出家するとか、しないとか家庭の話題としてあがることがあまりにも日本との人生観の違いが衝撃的でした。

宗教というと、悪い側面ばかりが報道され、何かタブー感が漂う日本社会。

せめて子育て中にプレクシャメディテーションに出会えたことに感謝し、我が家のこどもとの会話に少しでもにじみ出るようになればと思います。

今年から娘が小学生。今の小学校がどんな授業をしているのか、新な視点で注目していこうと思います。

(2023年2月136号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子

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秋に風邪をこじらせ肺炎になってしまいました。
以前は入院する病気でしたが、今は薬と通院で治る病気になり、医学の進歩はありがたい限りです。
さて、さっきまで普通に生活していたものが、医者から肺炎の診断が下ると、急に病人になってしまい、気持ちまで病んできます。

そんな時に手が伸びたのが沖先生の本でした。
「病はチャンス」「健康だから病気になる」等々、病気に対する前向きな言葉のおかげで、肺炎をチャンスととらえ、瞑想をしたり、アサナをしたりして過ごしました。もちろん呼吸は苦しい。でも毎日していると、今日はここまでできるようになったと呼吸の違いがはっきりとわかり、呼吸のありがたさが身に沁みました。

瞑想をするために動かないのではなく、動けないから瞑想をする、ということになってしまいましたが、このまま習慣になればそれも良しかと思います。ヨガの教えがあったおかげで前向きに過ごせ、治癒したわけですが、振り返れば、普段から自分を観ていなかった反省点。

どこかでただの風邪と肺炎まで進行してしまった分岐点があり、自分を観ていなかったため、見逃していたのです。もちろん、体力的なことだけでなく、精神的な面でも観るということ。瞑想中だけが内観の時間ではなく、普段の生活から「観る」を心がけてこそ、形だけではなく、瞑想を生活に活かすことを心がけたいと思いました。

(2023年12月145号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子

 

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

[プレクシャ瞑想と出会って4年弱がたちました。]
未だに瞑想とは何だろう? どのような変化を感じるのだろうかと手探りの中で、日々向き合っています。

朝の瞑想として、プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを行う事が、習慣になってきました。どちらかと言えば夜型人間の私でも行う事によって、頭がスッキリとし1日のスタートを始める事ができます。

先日、少し大がかりな歯の治療をおこないました。その翌日、いつもの様に座して、プラーナ・サンチャラニー・ムドラーを始めました。しかし、始めたとたん前日治療したあたりが、ムズムズする様なズキズキする様な感じがして、どうしても意識が口の中に向いてしまいます。鎮痛剤も処方して頂いていましたが、薬にあまり頼りたくないと思いそのまま瞑想を続けました。続けていると徐々に意識は内側に向いていきました。108回呼吸を終え静かに目を開けると、頭はいつも通りスッキリ、口の中の違和感はなくなりました。

治療後2~3日は腫れたりすると言われており、頬は飴でも含んでいるか様にぷっくりしていましたが、痛みなどは起きませんでした。瞑想よる効果かと思える出来事でした。改めて日々続けていく事の大切さを感じました。

(2023年2月136号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか

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[日常生活の中にプレクシャ・ディアーナで学んだことを見つける気が付く事が楽しみになっています]

法事での事、読経後の説法で「仏舎利」についての話がありました。お配り頂いたプリントの冒頭に「舎利(しゃり)は、シャリーラの音写で…」とありました。目は「シャリーラ」にくぎ付けでした。頭の中では「こんな所でシャリーラに出会うとは!プレクシャ瞑想の中にあった言葉だ!」仏教のお寺なので、今までも耳にしていたり、目にしていたかもしれません。ただ自分の中では、法事は生活行事の中の一つで、瞑想は瞑想の時間で、と別々に考えていた事に気が付きました。瞑想の時間とは、座した意識を内側に向ける事だと、いつの間にか決めつけている事に気が付きました。

身体の変化は、動きであったり目に見えたり捉えやすいですが、心の変化はなかなか感じる事ができません。心の変化は、どうしたら気が付けるのでしょうか?
先日、友人たちと富士山の麓を訪れる機会がありました。天候にも恵まれ、その時はただ楽しいだけではなく、この機会やご縁に出会えた事への感謝の気持ちがいっぱいになりました。この様な事に気が付けようになったのは、瞑想を続けてきた効果かなと感じました。生活の中で、一つでも気づきが増え、また瞑想の深まりにつながると良いなと思っています。

(2023年11月144号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか

コラム:エコ的生活は新しい非暴力運動です

日本近海の海水温が近年上昇してきていて、それが原因で、筑波の大竜巻や近年の集中豪雨、猛暑などが引き起こされているという。まさに地球温暖化を実感として感じざるを得ない昨今である。地球温暖化の要因は大気中の二酸化炭素やメタンの増加によるものであるが、元を質せば世界の人口増加と経済活動に行きつく。人間は、誰でも安全に快適に豊かに幸福に生きたいと願っている。その願いである欲望が行き過ぎて、逆に安全性や快適性が脅かされはじめているのが地球温暖化問題であり、原発問題である。

また私達人間はある意味で動物である。動物として観た場合、自然から離れた不自然な生き方は許されないように出来ている。現代先進諸国の人々の生活は快適ではあるが不自然生活そのものであり、よほど上手に不便さと折り合いをつけていかないと、心身が不調になる。自殺者の増加や鬱、アレルギー体質の問題なども現代人の不自然生活に起因していることが多いのではないかと私は考えている。もっと生の自然に接しなければ、真の意味の健康に達しないと云うのが私の考えだ。焚火の煙を吸い、蚊、蜂、アブ、ブヨ等の虫達に予防接種の注射を打ってもらったほうが良いと考えている。快適ばかりを追い求めて行くと、心身の適応性が失調してしまうのだ。

便利や快適さをどのレベルに置くことが人間の真の幸福に繋がるのかを今私は模索している。自分だけの幸せでなく、他の人々にとっても、未来の子孫に対しても、地球上の他の生き物達に対しても、責任ある行動と生き方は何か、そして幸せな暮らしとは何かを考え始めた。不便や不快を良い事、楽しい事と積極的に解釈できれば、今問題になっている人間としての正しい生き方は何かの解決策が見いだせるのかもしれない。

自分たちの暮らしが幸せであるかないかを論ずる時、比較する対象が必要となる。只見に住んでいる人は只見と首都圏との生活を比較して苦楽や幸不幸を論じている。つまり視野が狭いのである。只見とマダガスカルやミャンマーの田舎と比べたり、明治時代の只見の暮らしと、現代の暮らしを比べて論じることをしない。もし、そのような視点に立てば、いかに只見の暮らしが豊かで快適で便利で幸福感に満ち満ちているかがわかる。

江戸時代の只見と現代の只見の暮らしぶりを比較してみる。雪に閉ざされる冬の条件は同じである。今ある便利なものとして車、電気、照明、システムキッチン、灯油ストーブ、電気炬燵、羽毛布団など快適な寝具、快適な衣服、ゴム長靴、テレビ、パソコン、携帯電話、宅配便、スーパーマーケット、豊富な食料、学校、役所、その他沢山ある。年貢の重税はなく、補助金を貰える。江戸時代の人が蘇ったらビックリするだろう。

山村や離島で暮らしていた多くの人がより良い快適さ、便利さ、幸福さ、自由さ、やりたい仕事を求めてこの50年間に都会に移住していった。今では、山村や離島は過疎化し、集落が消滅し、先祖が永永として築き上げてきた耕地が荒廃してきている。日本人の悪いカルマ(過剰な贅沢)が積みあがっているのではないかと思ってしまう。いまや、新しい価値観を創造して、新しい幸福観にめざめなければならない時代に入ったのではないかと思っている。

地球温暖化防止の生き方は江戸時代に戻るのではなく、私は昭和30年代の暮らしに戻る事だと考える。現代文明は大量生産大量廃棄でやりすぎだ。昭和30年代の暮らしに戻れば原発を全廃してもエネルギーは足りるだろう。経済優先の政治を止めて、国民の幸福優先の政治に転換すべきと考える。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-ヨガ:股関節周りの柔軟性、讃歌:アラハトバンダナ、講義:非暴力について、瞑想:シャリーラ・プレクシャ 黄金の骨格瞑想

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

2024年クラスから、プレクシャヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス、として開催してまいります。

内容)
ヨガ:股関節周りの柔軟性
讃歌:アラハトバンダナ
講義:非暴力について
実習:シャリーラ・プレクシャ 黄金の骨格瞑想

日時:2024年2月4日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。

会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催


講師:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

コラム:所有と無所有

私は人間の幸せというのは、その人が所有している物の、質と量であるとずっと思っていた。お金は無いよりあった方が良いし、お金が沢山あるということは少ないより自由度が高いのだと思っていた。お金がもっと沢山あればさらにもっといろいろな可能性が出てくると考えるが、今まで自分がしたいと思ったことのほとんどをする事が出来て、お金に困った経験はあまりない。若いころ漠然と欲しいと思っていたものはいつの間にか、ほとんど実現されて手元にある。今、自分の身の回りを改めて見回してみると、あまりにも沢山の物を所有していることが解る。

親から相続した屋敷は広大だ。庭の手入れだけでも多大の労力と経費が掛かる。自宅以外に奥会津の只見町には自分の夢を追いかけた結果、5軒の建物を所有している。この維持費もばかにならない。只見に所有している平坦な土地も数千坪にのぼる。それらは無駄だといえば確かに無駄である。煩わしいことでもある。瞑想センターを中心とした理想郷作りが自分の夢や願いであるから、なんでこんなに馬鹿な事をしているのかと思いつつ、多大な労力を費やして現在も実際にしていることである。

若いころから読書が好きだったので私の蔵書は甚大な量になっている。その蔵書を只見と自宅に分けて置いている。本はなかなか捨てることが出来ないので今も増えていく一方である。研究の過程で集めた水晶も把握出来ていないほどの量になる。刀剣や油絵などの骨とう品も数多く持っている。それらの物は全て過去の私がイメージし引き寄せた物なのだ。カルマが引き寄せたと云ってもよい。なんと欲深い人間なのだろうと改めて自分を客観視している。

私たちは普段、好きなもの素敵な物に取り囲まれて暮らしたらどんなに幸せだろうと考える。素敵な家族、素敵な家と庭、素敵な別荘、車、美術・骨とう品、宝石等々を追い求めて日々努力している。それが一般的な幸せの価値観だ。それを俗生活という。一方、所有を手放し出来るだけシンプルに気軽に生きていこうと云うのが出家生活である。典型的な出家の姿をいまに留めているのがジャイナ教の出家僧である。日本の僧侶のほとんどは所有の生き方なので、出家でなく俗生活者だ。現代の出家とはホームレスの人達かもしれない。彼らは生活保護を受けているのではなく自己責任で自由に生きているからだ。

私は年齢と共に所有物が増えて、今ではそれらの管理に煩わしささえ感じている。自己保存本能と自己拡大本能が人間を物の所有に向かわせる。物をいろいろ所有してもそれによって、心の平和や幸福、自由が達成できないことがわかる。だから偉大なる仏陀やジナは所有から無所有への道を歩み始めたのである。方丈記の鴨長明のように越後の良寛さんのように、ジャイナ教の出家僧のように無一物になれたらどんなに心が休まり平和だろうかと思うことがある。所有物を必要最小限に整理していく事がやましたひでこさんの提唱する断捨離整理術である。いらないものを手放し、心を軽く、住環境を清らかにする方法だ。究極的な断捨離がジャイナ教の出家僧だ。ジャイナ教の出家僧は本当に何も持っていない。私には出家生活は無理だったので沖先生が云われた半俗半聖の生き方を目指して今日までやってきた。バランスのとれた生き方をすると云うのが今回の私の人生のテーマである。俗生活の中で聖・俗のバランスを取る生き方を心掛けてきたつもりだ。

集まったものは何時か宇宙空間に散逸していく。宇宙空間に働いている力は陰と陽、プラスとマイナス、収縮と拡散である。所有することは陽であり、プラスであり収縮である。無所有、捨てること、手放すことはその反対のことだ。所有、無所有に良い悪いは無い。悪いのは執着である。持っていても持っていない心であればそれは無所有である。全て物は縁があって預かっているのだと思う心が捨てている心(捨の心)である。所有物を自分の為だけに使えばそれは所有になり、他の人の為に役立つように使えば無所有になる。全てのものは縁あって帰去来している。手元の物が離れる時期が来て、離れていこうとする時それに執着するから苦しみがやってくるのだ。無執着と無所有が同義語なのはそういう意味から理解出来る。私は今、自分が預かっているものをどの様に縁ある人に手渡していこうかと考える年になった。物の集合離散は考えても仕方がない事かも知れない。なぜなら縁起していることだから。しかし、出来るだけ大勢の人の役に立つように手放していきたいと思っている。また、ふさわしい人に引き継いでもらいたいと思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジンからの転載です)

坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-今月の講義:ジャイナ教哲学(アースラヴァ、サンヴァラ、ニルジャーラ)、今月の瞑想:レーシャ・ディヤーナ(2024バージョン)

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

2024年クラスから、プレクシャヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス、として開催してまいります。

内容)
講義:ジャイナ教哲学(アースラヴァ、サンヴァラ、ニルジャーラ)
瞑想:レーシャ・ディヤーナ(2024バージョン)

日時:2024年1月14日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。

会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

講師:坂本知忠(指導ランク:教師)

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

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