生きている私たちの肉体内部にさまざまな感覚が生起している。その感覚が生命維持に最も重要な役割を果たしている。感覚神経を伝わる情報を中枢神経が受け取り、それに対して内分泌系や運動神経系に適切な指令を出すことで生命を維持している。感覚神経を通してもたらされる感覚と中枢神経が出す指令のやり取りが、肉体が生きていることの根本現象なのである。肉体に起る感覚は肉体だけでなく、肉体レヴェルのさらに内側にある電磁気体(テジャス体)、更にもっと深い潜在意識である原因体(カルマ体)から影響を受けている。カルマ体からの指令こそ最重要な行動指令なのである。そのために、私たちはカルマ体(汚染されたアートマン)を知る必要がある。カルマ体がどうなっているかを知り、コントロールし、浄化しなければ真の意味での健康も幸福も平和も自由もない。それがジャイナ教哲学の核心になっている。
外部からの刺激が身体内部に入った時、身体内部に苦楽の感覚、好き嫌いの感情が起ってくる。気分が善いか、気分が悪いかの感覚が私たち生き物の支配者である。私たちは感覚に支配されコントロールされていると言っても過言ではない。起ってくる感覚の制御は難しいので、感覚によって起る感情が動機付けになって、私たちは行動せざるを得なくなる。生きているとは五感を通して感覚を引き入れていることであるし、その感覚がもとになって行為・行動を起こし、様々な原因物質を引き寄せ、私たちの個性となるある種の汚染(思考や行動の癖)を引き寄せている。
日常生活の中で私たちは様々な活動・行動・行為を行っている。私たちは生きるために生活の為になにがしかの行為をしなければならない。食べること、排泄すること、眠ること、考えること、話すこと、歩き移動すること、仕事をしてお金を得ること。そのお金で家族を養い、子供を教育し、住まいを整え、生活に必要なものを購入している。そうした行為のほとんどが肉体維持の活動である。
そのように行為している時、私たちは無意識のうちにネガティブなもの(アートマンを汚染するカルマ)を集める活動をしている。その活動のほとんどが肉体の為にはなっているが、アートマンの為になっていないし、心にとって大きなストレスになっている。そのことに気づいた先人はなるべく活動しない、行為をしない道を選んだ。
南インド・バンガルールの近くにあるジャイナ教の聖地シュラバナベルゴラには二つの花崗岩の岩山がある。高い方のヴィンデヤギリの頂上に、10世紀後半、ジャイナ教信徒が花崗岩を削り出した高さ18mのバーフバリの立像が立っている。バーフバリは無行為を実践するために12か月を何もしないで只、一か所に立ち続けた。同じ場所にずっと立ち続けたので、両足にはつる草が絡みつき、足元には蟻塚が出来たと伝わっている。
バーフバリは世俗的な全ての行為を捨て去って只、立ちつくした。何も行為しないことで善悪両方のカルマの流入を防ぎ、立ち尽くすという苦行を通してアートマンに付いたカルマの汚れを払ったのである。これが真の意味の断捨離であり、決して昨今の身の回りを片付け、不要物を捨て去る意味とは全く違う。アートマンに付いたカルマを浄化すること、そして新しいカルマを流入させないこと、それによって人間はモークシャという理想状態になれる。それが、今もジャイナ教徒の目指す理想であり生き方になっている。
出家することで在家よりは世俗的な行為が少なくなり、新しいカルマを流入させることが少なくなる。それが出家する意味であり目的なのだ。日本の多くの僧侶のように出家しても自分の肉体のためだけに世俗的な行為をしているのは出家と云わない。
私たち俗人は世俗的な生活を余儀なくされる。世俗的な生活の大部分は自分の肉体の維持や快適さの為に行動している。世俗的行動ではカルマの流入を防ぐことは出来ず新しいカルマをどんどん作っている。決して魂(アートマン)のためにはならないし、心にとって多くのストレスになっている。だから我々俗人はさまざまなストレス解消法が必要になってくる。テレビを見たり、人が多く集まる場所やイベントに出かけたり、野山など自然の中に出かけたり、旅をしたり、音楽を聞いたり、動物と戯れたりしている。一般的なストレス解消法が真のストレス解消にはならず、別の新しいストレスになっていることに気づいていない。
体が疲れて寝たとしても頭の中に不安や心配事が起ってきて、ぐちゃぐちゃといろいろ考えて新しいストレスを生んでいることもある。食事中もべちゃべちゃ話したり、他のことを考えていて、食事を楽しまないで集中していないことが多い。このようなことの継続が心にストレスを与えていくのである。そして、新しいカルマを作っているのである。
そのようなストレスから解放されて真の意味の休息が私たちに必要なのである。その方法がサマイクであり魂の休息と言われている。サマイクは古代から伝わるジャイナ教の修行法の一つである。
サマニー・サンマテイ・プラギヤさんからサマイクについての話を聞いた。サマイクの中では仕事や家族など友人関係や日常的生活の全てから自分を切り離し、ある一つの行為に集中し没頭する。サマイクの時間は48分間と決められていて、それより長い時間あるいは短い時間はサマイクと言わず、サンバラーという。サンバラーは新しく流入するカルマの防止という意味がある。
48分間のサマイクの中でやって良いとされる行為は瞑想すること、マントラのチャンテング、讃歌を歌うこと、聖典を読むことの4つのことだけである。
サマイクをしている時は明日の心配もしなければ、先のことを計画することもしない。家族や友達のことも考えない。サマイク以外の行為は一切しないようにする。聖典を読むときにはそのことだけに集中する。一つのことに集中することでそれが休息になる。サマイクの集中の中で体を休め、心を休め、そして、はじめて魂を休めることが出来る。サマイク以外の休息は休息に見えて真の休息にならない。サマイクは今現在を浄化することと同義語である。今と云う時間を通して過去と未来まで浄化することが出来る。
サマイクをするというのはアートマンの浄化であり、善いカルマを積んでいることになる。良いカルマを積んだかどうかは目で見ることは出来ないが、心の奥底で真の平和や静けさとして感じられる。サマイクをすることで今生でも善いことが起る。サマイクによって計り知れない力と恩恵が与えられるが、サマイクの間は完全なる非暴力でなければならない。水や火などに対しても、空気中の微生物に対しても影響を与えないようにしなければならない。
現代は問題の多い時代であるから、一週間に一度でも良いからサマイクを行うと善い。それは皮膚から細胞に至るまでの休息になるし、魂の休息になる。今生というものを出来るだけ純粋にする方法でもある。
<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2020/8/14からの転載です)