コラム:アンベードカルと仏教改宗

アンベードカル著『ブッダとそのダンマ』(1987年 三一書房刊 山際素男訳)とダナンジャイ・キール著『アンベードカルの生涯』(2005年光文社新書 山際素男訳)を再読した。

近代インドは優れた思想家、政治家を輩出しているが、マハトマ・ガンジーと並び称される人にアンベードカルがいる。アンベードカルはカースト制度の中の不可触民カースト(マハールという村の雑役を世襲職業とするデカン地方中西部の大カースト)に1891年に生まれた。

不可触民階層はカースト・ヒンドゥー(一般ヒンドゥー教徒)から穢れを与える存在としてさまざまな差別を受けてきた。1950年インド新憲法が不可触民制を廃止するまで、ヒンドゥー教徒の内おおよそ四人に一人が家畜にも劣る存在として言語に絶するさまざま差別を受けてきたのである。

その差別から同胞を救おうとして立ち上がり、獅子奮迅の働きをしたのがアンベードカルである。

アンベードカルの父はイギリス・インド軍の兵士として出世した人で、英語も話せ数学も得意な教養のある人だった。アンベードカルは父に励まされ差別に苦しみながらハイスクールに通った。その後、ボンベイのエレファント・ガレッジに入学したが、父からの学費が困難になったとき、さまざまなご縁でバローダ藩王国のマハラジャが奨学金を出してくれた。さらに、バローダのマハラジャはアンベードカルの優秀性を認め、アメリカのコロンビア大学へも留学させてくれた。さらにロンドン大学で経済学を学んだ。マハラジャからの帰国要請を受けてバローダ藩王国に戻ると、高い教養を身につけたアンベードカルを待っていたのは又しても理不尽なカースト制度による差別であった。カースト上位の部下や召使いたちがさまざまな嫌がらせを彼に対して行ったため、マハラジャとの約束と御恩に報いることが出来なかった。再度ロンドン大学に戻ったアンベードカルは弁護士資格を取った。ドイツのボン大学にも3ヶ月間留学した。

このようにアンベードカルは不可触民カーストに生まれながらも本人の血の滲むような努力と、良きご縁に恵まれて、輝かしい知性と教養と誰にも負けぬ行動力を武器として身につけた。アンベードカルは政治家として教育家としてまた社会改革家として理不尽なカースト制度全廃のためにカースト・ヒンドゥーと戦った。時にはマハトマ・ガンジーの政敵として彼の政策に反対した。アンベードカルにはマハトマ・ガンジーの不可触民廃絶運動が口先ばかりで、カースト・ヒンドゥー側に立った行動を伴わない社会改革運動であると見えたからである。また彼がガンジーを嫌った理由の一つが産業の機械化を憎み、人間に大きな可能性を与えず、経済的平等に対する情熱を拒否したからであった。アンベードカルは不可触民階級の先頭に立ち、その廃絶のために奔走した。

彼の行動力と弁舌と知性は多くの人の心を捉えた。1942年、アンベードカルはイギリス植民地下のインド中央政府の労働大臣になった。不可触民から政府の閣僚になったのは実質的にアンベードカルが初めてであった。1947年、パキスタンとインドは分離独立した。インド制憲議会は憲法草案起草委員会を設置し、アンベードカルを議長に指名した。ネール首相のもと、アンベードカルは初代法務大臣として憲法の創設者になった。アンベードカルを中心に起草された憲法は1950年に施行され、インド共和国が誕生した。この憲法17条に不可触民制廃止が謳われている。

憲法に不可触民廃止が謳われても実際にはすぐに差別はなくならなかった。ヒンドゥー教の根本思想の中にカ-スト制度が肯定されているので、理不尽な差別から同胞を救うためにはヒンドゥー教から仏教に改宗するのが一番良い方法だと考えるようになった。1956年仏陀生誕2500年祭が南伝仏教諸国で行われたとき、アンベードカルは20年来温めてきた懸案を一挙に解決する決心をした。

デカン高原中部の都市ナーグプールで大規模な仏教改宗式を挙行した。この時彼に従って仏教徒に改宗した人は30万人とも50万人とも言われている。アンベードカルは自分の属するカースト構成員全員を改宗させ、次に全ての不可触民を改宗させ、最後に全てのヒンドゥー教徒を仏教に改宗させる夢をもっていた。改宗式が終わった2ヶ月後、彼は全ての命を燃焼しつくしてこの世を去った。享年65歳。

アンベードカルの死の枕元には、自ら渾身を傾けて書き上げた労作『ブッダとそのダンマ』の最終原稿があった。彼はこのタイプに打たれた英語原稿に目を通しつつこの世を去ったのである。

『ブッダとそのダンマ』にはアンベードカルの命の声が宿っている。

アンベードカルはパーリ語で書かれた甚大な仏典の英訳を渉猟して、重要な文章を拾い出し、分類整理したあとに彼独特の解釈をした。彼独特の解釈を、言わばブッダの言葉に託して彼の思想を伝えようとしているとも受け取れる。輪廻転生の否定、カルマ論の解釈にアンベードカルの現実的な解釈が現れている。『ブッダとそのダンマ』は初期仏教がどのようなものであったかを理解するための入門書として、懇切丁寧に詳細にわかりやすく書かれた良書である。仏教学者でもないアンベードカルがカースト制度の差別に苦しむ同胞を救おうとして、ヒンドゥー教徒から仏教徒への改宗を進めることを目的として全身全霊を傾けて書いたものである。一部の学者がアンベードカルの自説の部分だけを取り上げて、それはブッダの説から逸脱していると批判している。ブッダの仏教ではなく、アンベードカル・ヤーナであるとも言っている。『ブッダとそのダンマ』を読み、どの部分がアンベードカルの独特の解釈なのかを探し出すことは初期仏教を深く理解するためにとても役立つ。私たち日本人は本来の仏教とは何かが解らなくなっている。日本の仏教が仏陀の時代の仏教から余りにも変質してしまっているからである。私たちに必要な知識は仏教学者の大乗仏教の各論ではなく、最も基本的な初期仏教の総論である。

『ブッダとそのダンマ』はその要求を満たすものである。その初期仏教の総論が偉大なるインドの政治家、社会改革運動家という在家の実践家、現実主義者によって書かれ、出家主義ではないというのが重要なのである。是非、皆さんに読んでいただきたい一冊である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/4/1からの転載です)

コラム:美しき日本刀と非暴力

あるヨガの先生から質問された。「坂本先生は刀をどうおもいますか?」「実は夫の兄が刀剣収集が趣味で、先日、その方から夫に刀が送られてきて、お前も刀の趣味を持ってはどうかと勧められた。」というのである。彼女は刀に対して怖いもの、武器としてのイメージが強く、身近におきたくないらしい。その時私は「刀ほど美しいものはなく、絵画や陶器と同じく素晴らしい鉄の芸術品として鑑賞すべきものであり、決して武器ではない。」「刀は折り返し鍛錬されて火に熱し水に冷却し鍛え上げられたものであり、素材の玉鋼から不純物を取り除いて純粋な鉄の芸術として造られたものである。刀は気高い人格と魂を象徴するものである。」「日本刀にはそれを制作した刀匠が、刀が武器として使われることのないように、平和への祈りがマントラになって込められているのだ。」と答えた。

私の刀への憧れは、少年時代まで遡る。私は団塊の世代の先駆けとなる、昭和21年9月に千葉県東葛飾郡浦安町に生まれた。小学校2,3年生の時NHKラジオ放送で「笛吹童子」や「紅孔雀」などがラジオドラマとして放送されていた。ラジオから流れる主題歌「笛吹童子:ひゃらーり ひゃらりっこ ひゃりーこ ひゃられーど 誰が吹くのか 不思議な笛だ・・・・。紅孔雀:まだ見ぬ国に住むという 赤い翼の孔雀鳥 秘めし願いを知るという 秘めし宝を知るという」や物語に熱中した。その後、「笛吹童子」も「紅孔雀」も東映で映画化され、娯楽が少なかった時代、私はそんな時代劇映画の虜になった。中村錦之助、東千代之介、大友柳太朗、高千穂ひづる、月形龍之助等の映画スターのファンになったのもこの頃である。

この頃の子供たちの遊びと言えば、男の子ではメンコ、ビー玉、ベーゴマ、そしてチャンバラごっこであった。「俺は那智の小天狗だ。俺は浮寝丸だ。」などと言いなから手作りの木剣を振り回していた。隣の家の木の枝が木剣に恰好だったので、木剣を作りたいという気持ちが抑えられなくて、その枝を切って木剣を作り、隣のオヤジに大いに怒られた。隣のオヤジに怒られたけれど、悪ガキの知ちゃんは小刀を上手に使って、反りのある刀身は木を削り出し、柄の部分に樹皮を残した自慢の木剣を作った。

小学校低学年で時代劇の立ち回りや刀、侍に憧れた知ちゃんは中学校に入ると、剣道部に入部した。中学高校を一貫教育する私立中学校だったので、高校生の先輩から厳しい稽古をさせられた。

ヨガを始めた頃、自宅の近所に居合道を教える道場が出来た。道場主は私の父の小学校時代の同級生だった。榎本富夫先生が自宅に遊びに来て、先生から居合道の話を聞いたご縁で私はヨガと並んで居合の稽古を始めた。ヨガの稽古は三上光治先生について週1回だったが居合は週二回練習した。昭和57年居合道初段に合格した。私は初段に合格したら、稽古の刀を模擬刀から真剣に変えようと思っていた。

古い刀は従前の持ち主の念やネガテブなエネルギーが宿っていることもあるので、現代刀匠の作刀を求めた。その頃、名高かった岐阜県関の刀匠、藤原兼房、兼氏親子が合作で作ったものを実際手に持ち振ってみたところ、長さと手になじむバランスの良さが気に入って、それを買い求めた。真剣身とは良く言ったもので、真剣を使うようになって模擬刀で練習している時とは全く違って真剣身になった。

「関の兼房」は私の愛刀となりその後の5年間、あらゆる刀の使い方に練習を重ねた。1984年春(昭和59年)居合道の2段になっていた。静岡県三島市の沖ヨガ修道場には沖正弘先生がおられて世界中から参加者が集まり「ライフ・エンカウンター・セミナー」が行われた。大勢の外国人の前で、ビール瓶に刺し立てた2メートルほどの篠竹を、瓶を倒さずに「関の兼房」で切り払い、それから、皆が静まり返って見守る中、居合の型を演舞した。1987年(昭和62年)私は居合道の4段になっていた。沖先生が亡き後、私は成瀬雅春先生からもヨガを習っていた。その年、成瀬ヨガの10周年記念祭が品川区の体育館で行われたとき、私は壇上で連続早抜き居合を演舞した。私はこの頃、あらゆる手の内で刀を使えるようになっていた。

1988年沖ヨ修道場主催の第2回プレクシャ・メディテーション研修旅行でインドへ行った。国際親善と日本文化や武道を紹介する目的で私は日本から羽織袴と模擬刀を持っていった。交流会の機会に私は居合の演舞をした。それを見ていたジェイン・ヴィシュバ・バーラティの道場長メータ師から居合はバイオレンスだといわれた。私はそのことを日本に帰って深く考えた。型を演舞しているといっても、一つ一つの型で実際に人を切っているようにイメージする。イメージが強烈すぎて実際に人を切っているような気がすることがあった。相手の血潮が吹き出すイメージが起こることもあった。練習したあとで、その日の練習のイメージで30人から40人の人を殺してしまったと感じる日もあった。瞑想の世界ではイメージしたことは実際に起こったことといえる。そう考えたときに私は居合が出来なくなった。そして現代の居合が実践的でなく、室内だけの型の演舞だけに終始していることに物足りなさを感じたからでもある。非暴力と日本人としてのアイデンティテイ・武士道精神文化の整合性がとれなくなってしまったのである。

居合道から離れてしまったが、私は今も日本刀が好きである。ウィキペディアによれば「日本刀とは日本固有の鍛冶製法によって作られた刀類の総称である。それは平安時代末に出現し、反りがあり片刃の刀剣をさす。」世界史的に見ても日本刀はユニークなものであり、日本人の物づくりと芸術、文化、精神性を象徴したものと言える。日本刀は外装(拵え)とは別に刀身自体が美しい鉄の美術品である。その姿、形は極限まで機能を追求した結果、一切の無駄がなく美しい。刀の外装である刀身を納める鞘、防御のための鍔、手持ちを良くするための柄、その他刀の外装に使われる部品(ハバキ、目貫、頭)の一つ一つがいにしえの職人が丹精込めてつくった美術品として美しい。

私は室町時代の「備州長船住盛光」と江戸時代初期の「陸奥大掾三善長道」を美術的にも価値ある外装付きで所持している。数百年を経て全く錆びずよく手入れされたこの刀を見るとき、刀が日本人とは何かと語り始めるのを聴くことができる。

先ごろ、東中野の沖ヨガスタジオで「知心流」の宗家を継ぐ大野雅司師の武術演舞を見た。それはかって、私が求めていた実践的な刀操法であった。大野師は真剣を抜くと同時に峯返しした。抜刀と峰打ちが一体になった技である。手の内が理想的に柔らかくなければすることが出来ない技である。戦わずして勝つことが居合であるが、たとえ刀を抜いたとしても相手を殺さないで屈服させる。これが抜き峰打ちである。それはまさに非暴力の居合であった。私はそこに到達できないで居合から離れた。若い頃に「知心流」に出会っていればもう少し居合を続けることが出来たのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/3/1/からの転載です)

コラム[『シッダールタ』を読んで]

10年ぶりに岡田朝雄訳『シッダールタ』(2006年草思社刊)を再読した。今回、10年前には理解出来なかったこの小説の内容の濃さ、ストーリー構成の完璧さがよく解った。『シッダールタ』はヘルマン・ヘッセによって大正11年10月ヘッセ45歳の時に初版出版された。内容はゴータマ・ブッダの悟りとは別の悟りを開いた小説の主人公シッダールタの思索を通じて、真我とは何か、輪廻転生とは何か、瞑想とは何か、解脱とは何か、梵我一如とは何かなど、インド宗教哲学の精髄を語りきり、描ききり、説明しきっている。

私が30歳頃から今日まで40年間探求してきたインド哲学全般、そしてヨガや瞑想の奥義を、この小説ほどわかりやすく解き明かした著作を他に知らない。今や『シッダールタ』は私が今までに読んだ小説及び精神世界本の中で最も感動し、その哲学的内容の深さを高く評価するベストワンに位置づけるものとなった。

この小説を読みながらドイツ人のヘッセが45歳の年齢でなぜここまで深く仏教やインドの宗教思想を理解できたのだろうかとの疑問が起こった。このようにインド宗教思想を理解し洞察できるまでには相当の勉強と思索と体験が必要だったと思うが、それをヘッセはどのように行ったのだろう。ヘッセはキリスト教文化圏に生まれながら若い頃からインドや中国の宗教思想を探求し続けたようであるが、小説を書く動機としてヘッセ自身が梵我一如を体験したのかもしれない。

物語はバラモン教司祭の世襲後継者として育ったシッダールタがヴェーダーンタ哲学を習得しても心の渇きが癒されず、刎頚の友ゴーヴィンダとともに輪廻からの解脱を求めて沙門に出家するところからはじまる。岡田朝雄の翻訳は誠に素晴らしく一字一句無駄なく完璧な原文を美しい日本語に訳しきっている。

朗読すると、同じような表現がリズミカルに三度繰り返されるこの小説の、詩のような独特な文体を日本語で感じることができる。また文章を読んでいくと物語の情景が鮮やかにイメージとなって脳裏に浮かんでくる。出家の決心を、長らく自分を慈しみ育ててくれた父親に告げた時、父と子の心情が絵のように美しく描き出されていた。

この小説は登場人物が極めて少ない。まず一番目にあげられるのが主人公シッダールタを敬愛する幼馴染で、沙門修行を共にし、後にシッダールタと袂をわけてブッダの弟子になった親友のゴーヴィンダである。ゴーヴィンダはシッダールタの生涯全般に常に関わっていて、この小説の最初から最まで登場する脇役である。ゴーヴィンダは我々読者の視点であり、シッダールタがゴーヴィンダに語るのを通して我々はヘッセの思想を聞くこととなる。

遊女カマラーからシッダールタは性的快楽を通して、現実に生きることを学び、この世にあるものは全て良きものだということを学んだ。そして聖なるものと俗なるもの、賢いことと愚かなること、良いことと悪いことの対極を、経験を通して学んだ。聖から俗のどん底を体験することで、シッダールタは性格的欠点だった自惚れがなくなり謙虚になった。

河の渡し守ヴァースデーヴァは自然から真実を読み解くことができる、名も無い貧しい賢者である。老子の思想にも通じるヴァースデーヴァはシッダールタの本当の師匠であり、影になりシッダールタを見守り、究極の悟りに至るのを助ける。古代インドのシュラマナ系宗教では彼岸に渡して悟りに導く聖者をテールタンカラと言った。まさにヴァースデーヴァはテールタンカラ(渡し場を渡す人)であった。

登場人物ではないが、この小説で重要な役割を演じているのが「流れる河」である。流れる河はシッダールタにさまざまなことを話す。聞く耳をもったシッダールタに河はさまざまな真理、自然法則、宗教哲学を語る。河がシッダールタのもうひとりの師匠だった。シッダールタは河からさまざまなことを学んだ。仏教用語に山川草木悉皆成仏というのがあるが、その意味は自然を深く観察すると真理に到達するということである。河の流れを観察することで、シッダールタは過去現在未来がひとつにつながっていることがわかった。それは仏陀の無我とは別の、無時間という新しい悟りであった。時が実在しないという悟りによって、無常と永遠、苦悩と歓喜、善と悪の間に見える隔たりも一つの迷いであることに気づいた。「世界は不完全なものではない、徐々に完全なものになりつつあるのでもない、世界はあらゆる瞬間に完全だ。」ということがシッダールタにわかった。「罪人の中に、今そして今日、すでに未来の仏陀がいるのだ。あらゆる子供は自らの中にすでに老人を持ち、あらゆる乳飲み子は自らのうちに死をもっている。ずべての瀕死のものは自らのうちに永遠の生をもっている。」とわかった。この世のあらゆるものは相互に関連性を持ち、苦悩と歓喜の叫びとともに、河のように流れてすべてが一如につながっていることがわかった。12章に分けられた小説の最後の2章「オーム」とゴーヴィンダで語られる哲学的内容は圧巻であった。まさに悟りを開いた聖者にしか語れない内容を作者であるヘッセは私たちにわかりやすく示してくれる。最終章を読み終えたとき、私に深い感動が訪れた。

小説の序章「バラモンの子」ではヴェーダーンタ哲学が、2章ではジャイナ教を思わせる沙門の苦行や修行が語られ、3章ゴウタマでは仏陀と仏教哲学が語られる。シッダールタは教えによって学ぶことは出来ないとの考えから仏陀に帰依することなく、体験によって真実をつかもうと遍歴する。求めても得られない我が子への溺愛に苦しみ、故郷を、父母を捨てたことを悩んだ。

そして、シッダールタはついに完全なる悟りに達した。仏陀の悟りは自分を知ること、世界を苦と見て、もう生まれないこと輪廻転生からの解脱を理想として涅槃寂静を目指すものであった。一方、シッダールタの悟りは世界を知ること、世界を苦と見ないで、ありのまま真実として受け入れ、すべて良きもの善として解釈して他と融合し、自然法則と完全一体一如になったのである。

瞑想には内なる方向性と外なる方向性がある。外なる方向性の悟りは教えによっては学ぶことができず、生活を通して体験によって掴むことしかできないのである。ヘッセはこの小説で外なる方向性の完全なる悟り、梵我一如、聖愛を語った。全く素晴らしい小説としか言いようがない。

この小説『シッダールタ』は読めば読むほど味わい深い。私は小説を深く味わうためにインド宗教哲学の幅広い理解が欠かせないと思う。インド宗教哲学の全般を理解するために宮元啓一著『インド人の考えたこと』(2008年、春秋社刊)を熟読されることを勧めます。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/2/29からの転載です)

コラム[生かされて生きている]

メディテーションとは皮膚よりも内側の内部深くに本当の自分を探求することである。人間は物質的な身体と非物質的な心や意識との結合によって存在している。私たちが生まれて生き続けることが出来るのは、身体内部に生命エネルギーが流れているからである。生命エネルギーは一つ一つの細胞に浸透して活力を与えている。生命エネルギーは呼吸と伴にあり、意識と伴にある。呼吸が止まれば生命エネルギーの流れは止まる。生命エネルギーの流れが止まると身体内部で生起していた感覚も止まる。感覚が止まれば意識は身体と伴にある必然性がなくなって身体から離れる。意識の本性は純粋性であり完全性である。

しかし私たちの個々の意識は過去の行為によって色が付き純粋でなくなっている。意識の性質である完全性と純粋性を求める衝動によって輪廻転生が起こる。私たちの身体や心は死によって滅するが、意識だけは生き通しである。長い時が流れて過ぎれば、意識は今とは全く違った場所で違ったもの(人間、生命)と結びついている。

生き物は身体外部から食物やエネルギーを身体内部に取り込み内部エネルギーに変換し、それを身体の維持や成長、活動のために使っている。その一連のエネルギー変換作用を統括するものが意識である。私たち人間は生きている間は身体内部に生命エネルギーが流れている。生命エネルギーが流れているから身体内部にさまざまな感覚が起こってくる。粗雑なものから微細なものまでさまざまな身体感覚は深いレベルのほとんど自覚できないレベルの意識によってキャッチされる。意識によって捉えられた感覚としての情報が神経系を通して瞬間瞬間脳に伝わっている。脳は感覚を感じて身体に適切な指示をする。空腹を感じれば食べ、疲れれば休み、眠たくなれば眠る。身体を守り命を継続させるために、時には心が悩み身体そのものが不調になって病気になることもある。病気や悩みは身体を継続させる働きとして起こってくるものだ。だから本来、悩みや病気は悪いものではなく原因があって起こっているだけである。私たちの生き方が間違っていると深いレベルの意識が教えてくれているのだと理解しなければならない。

脳は物質的な身体機能そのものであるが、中枢神経の中で機能して命の働きを統括しているのは非物質的な意識である。脳そのものの働きも深いレベルで意識が統括していると言える。物質的な脳の機能と非物質的な意識が結びついて命を守る働きとして感情が発生し、さまざまな心の働きが起こってくる。私たちの意識は誕生前からすでに色付いていて純粋でないから、感情も影響を受けて、さらに意思や行動にも影響を与えている。私たちが正しく生きようと思っても間違ったことをしてしまう原因は身体内部の深い意識レベルにある。意識の働きというものを想定しないと、脳の機能だけでは、なぜ我々は間違った選択をしてしまうか説明がつかない。

私たちの身体も心も、そしてこの世の森羅万象すべてが刻一刻、時間とともに変化している。すべては変化するエネルギーの流れである。二度と同じ川の流れの中に足を浸せないと同じように、私たちの身体も心も変化してしまうので、1秒前の私と今の私は違ったものだし、今の私と1秒後の私は違ったものである。1秒間に人間の小腸栄養吸収細胞は170万個生まれ変わり、24時間で1500億個ある小腸の栄養吸収細胞はすべて生まれ変わってしまう。身体内部は激しく一瞬一瞬変化している。身体と心を捉えようとしても変化してしまうので、そこに恒常的な私を見つけることはできない。

私とは観ている者、感じている主体であり、客体ではない。意識についた色や汚れは客体であるが意識そのものは主体である。主体的な意識が純粋性と完全性を取り戻した時、私たちは長い旅を終えて普遍的なものになる。普遍的になった意識はもう生き物に生まれることはない。それが解脱だと思う。

宇宙の草創期、宇宙全体に均一に広がった温度の中に、ほんの少しだけ温度差が起こった。その温度差によってプラスとマイナスの電磁気的な流れが起こった。その電磁気的な流れがあらゆる物質的なものを生み出す根本的な力となった。陰と陽、拡散と収縮、引き合う力と反発する力があらゆる場所に起こった。宇宙という物質変化の流れそのものが目に見えない宇宙の意識・カルマによって出現したというのがジャイナ教や仏教の基本的な宇宙観である。宇宙は神の創造によるものではなく、始めのない始めから、終わりのない終わりまでカルマによって輪廻しているというものだ。

今、なぜ自分はここに存在しているのかと問えば、原因と結果の法則が連綿と遠い過去まで続き宇宙の始めまで続いていることがわかる。宇宙の始めが始めでなく、もっと前まで繋がっていることもわかる。反発する力と引き合う力が姿形を変えてさまざまな場所で起こった。原因と条件の組み合わせによっていろいろなことが継続的におこった。偶然のように奇跡のように思える確率の低い出来事も、必ず由ってくる原因があるのである。しかし、宇宙が始まって以来、継続的に起こってきたことのどれか一つでも起こらなかったら今の自分は存在しなかった。星星を含めて森羅万象すべてのものは相互に関連しあって存在しているのであり、孤立して存在できるものなど何一つない。私たちは引き合う力と反発する力である無数無限の縁によって存在しているのである。私たちは存在していて存在させられている。生きていて生かされている。あなたが生まれたから私が生まれたのであり、私がいるからあなたがいるのである。私たちは全体として一つであり、生かされて生きているのである。

地球の周りに月がなかったと仮定してみよう。月がなければ地球の自転速度が早まると科学的に推察されている、月がブレーキの役割を果たし地球の自転が遅くなっている。もし月が地球の周りになければ、一日は8時間になる。潮の満ち引きも起こらない。地上は今よりも強い風が吹き、植物や動物が存在できても今の生き物と全く違った生き物の姿になるだろう。月を生み出した原因となったグレートインパクト、小惑星による地球との衝突がなかったら、地軸の傾きがなくなり、季節の変化が起こらなくなる。地球環境は厳しくて今ある地球上の生き物は全く別の形態になっている。

少なくとも私たちは太陽に感謝しなければならない。グレートインパクトが起こったことに感謝しなくてはならない。月の存在に感謝しなければならない。そしてすべすべてのご縁に感謝しなければならない。

「すべてのものと繋がっている、すべてのご縁によって生かされている。」と考えて、生きている瞬間瞬間にすべてがその思いで満たされればそれがサマージーである。宇宙があって私が存在できている。尊いご縁によって深くつながっている。私の身体を作っているすべての元素はかって宇宙のどこかで他物が使っていたものだ。宇宙の始めから在ったものと、そのものの形を変えたものの再利用である。私が呼吸している空気も地球上にかって存在した植物、動物、生き物、マハーヴィーラ、ブッダ達が呼吸に使った空気の再利用である。私達は好きな人の吐いた息だけでなく嫌いな人の吐いた息をも使っている。すべては循環して繋がっている。空気だけでなく私たちが飲む水もかって誰かが飲んで使ったものの分子を含んでいる。私たちは一人一人過去にも繋がり未来にも繋がり、同時に空間的に全方向に繋がっているのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2016/1/25からの転載です)

コラム[ラーナクプールのジャイナ教寺院]

ジャイナ教は一世紀頃、大きく裸形派と白衣派に分かれ、さらに偶像崇拝す派と寺院を持たず偶像崇拝しない派に分かれている。白衣派の中から17世紀に偶像崇拝を否定し寺院を持たない、スターナックヴァーシン派が出現した。それに対して寺院に参拝しジナ像を崇拝する派はムールティプージャカと呼んでいる。私たちがプレクシャ・メディテーションを学んでいるテーラパンタ派はスターナックヴァーシンから分派して1761年にアチャリヤ・ビークシュによって始められた。現在のアチャリヤ・マハーシュラマン師は11代目のアチャリヤ(ダライラマのような宗派の最高指導者)である。テーラパンタ派は古代のジャイナ教への復帰を目指す復古主義グループであり、教団と在家信者の関係及び宗教的形態や活動が古代ジャイナ教の姿を今にとどめている。

ジャイナ教の戒律であるアヒンサー(非暴力、不殺生)とアパリグラハ(無所有、無執着)の実践は徹底したものであり、一切の妥協を許さぬ厳しいものである。これに対して同じ戒律を持ち兄弟宗教とされる仏教各派の非暴力、無所有の実践は中道といって中途半端で生ぬるい。ジャイナ教は魂を清らかにするための実践宗教と言える。輪廻転生の原動力になっている魂の汚れであるカルマの浄化が修行の基本となっている。全ての生き物に魂を認めているので、他の命を奪うことを厳しく諌めている。世界一平和な宗教であるといえる。

アチャリヤ・マハーシュラマン師は、世界平和のために2014年、テーラパンタ派の根拠地ラジャスタン州のラドヌーンを出発してアヒンサー・ヤートラ(非暴力の旅)に出られた。古代の伝統に基づく布教伝道の旅である。車や鉄道、飛行機に乗れないので完全に徒歩による巡行である。5月にアチャリヤ一行はネパールのカトマンズで地震に遭遇したが、幸い一行の中から怪我人は出なかった。さらに一行は巡行を重ね、11月15日から22日までの間、ネパールの4番目に大きな街ビルトナガールで、プレクシャ・メディテーション国際キャンプが開かれた。この国際キャンプに私を含めて11名が日本から部分参加した。

テーラパンタ派は1年に一回、各地で活動している出家僧、尼僧、在家信徒が一堂に会し家族的な団結を確認しあうという伝統守ってきた。2002年からは海外に普及したプレクシャ・メディテーションの仲間もその会合に合わせて参加し学ぶという国際キャンプが始まった。

会場がネパールだったということもあり、今年の国際キャンプはインド国内からの参加者は少なく、また海外からの参加者も極めて少なく盛り上がりに欠けていた。

ビルトナガールはインド国境に近いネパール東部の街で、インド系ネパール人が多い。ネパールというイメージではなく、観光地でないインドの埃っぽい普通の田舎町といった風情だった。ビルトナガールにはネパールでも有数な富豪の実家があり、その富豪一族が有力なスポンサーになって今回の国際キャンプは開かれた。街全体がお祭りのような歓迎ムードに包まれていた。アチャリヤ一行は、ネパールの後、再びインドに入り、ブータンを巡幸し、さらにインド各地を7年間かけて15000キロを歩いて旅をされるという。

アヒンサー・ヤートラの巡行を終えれば、偉業を成し遂げたアチャリヤ・マハーシュラマン師は9代目アチャリヤ・トウルシー師のように全信徒から心より尊敬される偉大なる指導者になるに違いない。

私はお寺を持たない偶像崇拝しないというジャイナ教復古主義グループのテーラパンタ派で瞑想を学んでいるが、ジャイナ教の寺院やジナ像にも多大な感心を持っている。初めて(1989年)ラーナクプールのアディナータ寺院やグジャラート州のシャトルンジャヤ山の山岳寺院群に参拝したとき、白大理石で作られたジャイナ教寺院に強く魅せられた。シャトルンジャヤ山は宇宙都市のような異彩を放っており、ラーナクプールの寺院は瞑想空間として、その独創的な立体的構成に驚嘆した。その後、ラーナクプールのアディナータ寺院やシャトルンジャヤ山にもう一度行きたいという思いが強まり、2000年に再訪する機会を得た。

今も私の心の中にはラーナクプールのアディナータ寺院がある。神谷武夫著『インド建築案内』(TOTO出版、1996年刊)は、全インドの古代から現代に至るあらゆる様式の主だった建築について調査論考した労作で、甚大な労力と時間を費やして著された大変優れた著作である。神谷武夫がその著書の中で「これこそがインド建築の最高傑作というべきものである」と述べているのが、ラーナクプールのアディナータ寺院である。「世界で一番好きな建築物はなんですか」と問われれば、迷わず私はラーナクプールのアディナータ寺院をあげる。伝承によると寺院は天才的な建築家であるデパーカという人物が瞑想によって啓示を受け、1439年に建てられた。

寺院は基壇となっている床部分を除いてすべて白大理石で造られている。建築材料に使われている高品質の白大理石の産地が比較的近いところにあった。この白大理石を使ったことで寺院の内部が清浄で荘厳な雰囲気になった。白大理石で作られた柱や梁、壁やドーム型の天井全てが微細なまでに緻密な彫刻をびっしりと彫り込んである。全く妥協を許さない完璧度である。寺院全体に使われている大理石の柱が1444本、ドーム型天井は大小24作られている。24はマハーヴィーラを含めて24人のテールタンカラ(救済者であり解脱者)を表している。アディナータとはジャイナ教の最初のテールタンカラで始祖のリシャバのことである。

ドーム天井は極めて音の響きが良く、ドームの下でマントラを唱えたり、賛歌を歌えば身体内部にパワフルなバイブレーションが起こる。回廊を取り巻くように沢山の瞑想のための小祀祠が作られてある。どの小祀祠も一坪ほどの空間で、中に3体のジナ像を祀っている。寺院全体が立体的な変化に富んだ構成となっていて、内部を回遊するように出来ている。寺院の屋上に上がってみたら、そこにさらに驚くべき風景が広がっていた。屋上は屋根を構成する塔やドームによって、変化に富んだ魅力的な立体空間となっていて、そこかしこに瞑想のための理想的な場所があった。寺院を取り巻く丘のような山々も木々に覆われて美しかった。私が追い求めていた全ての理想がここにあった。今でこそ、この寺院はあまり実際的に使われていないようであるが、600年前の創建当時、ジャイナ教徒が寺院に参詣し賛歌を歌い、瞑想に使われていた光景を想像してみると、これこそ地上に出現した天国だったのではないかと思う。しかし長い年月の間にソフトとしての教団や瞑想の実践が失われてしまった。もしこの寺院が往時のように修行の場として生きて使われたら、どんなにか素晴らしかったことだろう。

私は今もこのアディナータ寺院を思い出すと胸が熱くなる。もう一度あの場所に行って、今度は長く滞在してじっくり瞑想したいと思う。私の来世はラーナクプールのアディナータ寺院に関係したものになるのかもしれない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/12/31からの転載です)

コラム[空の思想とマントラ]

般若心経、正確には摩訶般若波羅蜜多心経は玄奘三蔵(七世紀)が訳した大乗経典で日本人にもっとも多く親しまれている仏教経典である。般若とは智慧のことであり、その智慧とは、全てのものは縁起しているから無常であり、有って無いようなものだから執着してはならないと説いている。般若心経で説かれている無常は、それ以前にインドにあった無我の思想を人間の問題だけでなく、大乗仏教的にあらゆる事物に拡大解釈したものでありその内容を「空の思想」という。

沖ヨガ行持集の般若心経の意訳を読むと、空について無と表現し、また空無と表現している。こういう観点から空とは何かと考察すれば空と無は同じであり、空無は無常のことを指していることが解る。無常とは時の流れの中であらゆるものが変化することであり、起こってくることの全ては諸縁(原因と条件)が関係しているのだから、どんなものでも独立して存在することが出来ないというものの見方の説明である。般若心経のなかで、観音菩薩がシャーリープッタに、全てのものは縁起していて独立して存在できないから実体がないのだと説明している。体や心も変化するものなので私という実体は無い、つまり無我である。般若心経は無常が解かれば無執着になれると教えているのである。

大乗仏教の空の思想はなぜ空の思想と言うのだろうかとの疑問がおこる。どうして無常の思想または無の思想ではいけないのだろうか。

私は空と無には違いがあるような気がする。空と無の違いについてアヌプレクシャしている時に内なる声のひらめきがあった。同じことの別な角度の表現の違いなのではないかと思った。無とは私たちが感覚的に有ると思っていたことが、深く考察すると実は無いということが解ることであり、「有即無」のことだと思う。陰陽で言えば陽でありプラスであり現れていることとなる。逆に空とはカラッポ、無いと思えることが実は満々と満ちていて有るのだと解ることだと思う。つまり空とは「無即有」のことではないだろうか。陰陽で言えば陰でありマイナスであり見えないことである。目に見えている形ある世界は、目に見えない形のない世界から現れてきたと言っているのだと思う。空無という時、それは有るものは無く、無いものは有り、満ち満ちているものは空っぽであり、空っぽは満ち満ちていることを言っている。陰陽一対、空無一対と考えればわかりやすい。

大乗仏教は出家の為でなく在家の信者のために易しく仏道修行ができる方法を提唱している。一般大衆に南無阿彌陀仏と唱えるだけで死後、阿彌陀仏のおられる仏国土に往生できるというのがこれに当たる。同じように、大乗経典である般若心経の最後の呪文、つまりマントラはこれを唱えるだけで、観音菩薩が到達した悟りの霊力を手に入れることができると言っているのである。多くの般若心経の解説書にはこの点の説明が完全に抜け落ちている。

「ぎやてい ぎやてい。はら ぎやてい。はらそう ぎやてい。ぼじそわか」このサンスクリット語をカタカナ表記にすると「ガテー ガテー パーラ ・ ガテー パーラ ・ サンガテー ボーディスヴァーハー」となりその意味は「往こう 往こう 彼岸に往こう。完全に彼岸に往こう。目覚め(悟り)に幸いあれ」である。(この日本語訳は私がマントラとは何かに焦点をあて独自に意訳したものである)

般若心経ではこのマントラが大事であり、このマントラをいつも唱えていると、そのマントラが潜在意識化して、その潜在意識の力によって必ずそうなりますよと説いているのである。

般若心経はともすると、我々には色即是空 空即是色に代表される空の思想を説いたものとの認識しかない。しかし、「だから知るべきである。潜在意識化した言葉の力の知恵を。これは偉大なマントラである。叡智のマントラである。これ以上無いマントラである。比類なきマントラである。これを唱えれば全ての苦しみが除かれる。それは真実で疑いないことである。このマントラは悟りの智慧と同じである。」と最後の部分で力説しているように、マントラを唱えることを奨励しているのである。

マントラの意味がわかってマントラを唱えればマントラの霊力を手に入れることができる。皆さん、もう一度般若心経を読んで深く味わってみてください。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/9/27からの転載です)

コラム[身体とは何か]

宇宙は目に見える物質的なものと、目に見えないエネルギーや情報の結合によって成り立っている。人間の身体も物質的な目に見える肉体と目に見えない心や精神、意識や生命エネルギーの結合によって出来ている。現代テクノロジーが発達したことで、目に見えない様々な宇宙エネルギー等の検知器が開発され、今までわからなかった宇宙の成り立ちがだんだん解ってきた。私たちの身体についても様々な検知器が開発され電磁気的な身体の仕組みなどもだんだん検査できるようになってきた。しかし、心や精神、意識や魂等の精妙なものは検知器で捉えることはどんなにテクノロジーが発達しても不可能だろう。

私たちの身体は宇宙の法則が身体になったものと言える。身体の発生の起源は目に見えない部分から目に見える肉体が発生したのであり、成長、変化していく過程で目に見えないものが深く肉体に影響している。現代医療は身体の目に見える物質的な肉体そのものだけが対象で、症状を肉体レベルで検査して病気を特定することは出来る。原因が細菌やウイルスの感染症や短期的に急激に起こった毒物中毒や怪我等のような場合は極めて有効で価値ある治療法が確立されている。

しかし、原因が身体内部の深いレベルの次元の異なる目に見えない極めて微細なものであった場合、原因と結果を結びつけて根本的な適切な治療は出来ない。つまり、感情的な問題が原因となっている病気や意識のあり方、潜在意識下のカルマのようなものが原因になっている病気については精神科医といえども現代医学はその治療法を持っていない。症状となって現れてきた病気のうち半数程度は、原因を特定出来ない身体内部の極めて微細なものから起こって来ていると考えられる。

私たちが幸せになるために、より自由に精神的に高まるために、全ての責任を自己に見なければならないと思う。幸せや自由を人任せにして本当の幸せや自由は手に入らない。病気についても全て人任せにしないで、出来るだけ自分で自分の医者になる道を探るべきであり、必要、適切な時だけ専門医師の手助けを受けたら良いと思う。自分で自分の医者になる方法はヨガや瞑想の実践にある。

そのためには、自分の身体に対する理解を深めることが不可欠である。その身体の目に見えない部分を深く知るための方法がプレクシャ・メディテーション(知覚瞑想)である。私たちの観じようとする心が宿る中枢神経系は極めて優れた検知器であり、その検知器、自己意識を使って身体内部のさまざまな感覚を観じていくのが知覚瞑想である。意識的な心、感じようとする心、意識を使って内部感覚を細かく観察すると、命の働きが外部刺激に反応し変化してバランス状態を求めて流れていくので、それとともに生起している内部感覚に気づくことができる。内部感覚を細かく、より微細に知覚していくことで、深いレベルで身体の気づきが私たちに起こる。生命エネルギーと内部感覚は一体のものであり、感覚を観ることは命を観ることになる。生命エネルギーはいつも意識とともに有り、意識があるから生命があるのであり、生命は意識そのものと言える。内部感覚を観じるとは生命そのものを観ることである。そのことを意識で純粋意識を観るという。また、魂で魂を観るともいう。自己意識で内部感覚を観じることがプレクシャ・メディテーションである。

徹底的に細かく身体内部を探ることが本当の自分を知ることであり、本当の自分を見つけることが自分で自分の医者になる方法である。瞑想によって身体内部の変化や流れを理解することは、原因と結果の法則の理解を深める。自分の生活や身体に起こってくるさまざまな現象が身体内部のカルマ(業)に起因していることが解る。私たちが不幸になるのも幸福になるのも、病気になるのも健康に生きることができるのも、生まれることができるのも死ぬのも、カルマによって起きていることが解ってくる。

どうして生き物は身体を必要としているかといえば、身体が精神的発達のために必要だからである。身体を宗教哲学的に解釈すると、身体は精神的成長のための道具であると定義できる。精神修行のためには身体以外の道具は何も必要としない。身体だけが必要であり、身体がなかったら私達は修行できない。身体がなければ私達は見ることも聞くことも話すことも食べることも考えることも触れることも出来ない。苦楽の感覚を感じることも出来ない。苦楽の相反する感覚が身体内部に起こるから身体が生存できるのであり、身体が生存できるから私達は修行できるのである。

私達が生まれてくるのは修行のためである。カルマが深いレベルで私たちを必要な修行に導いている。修行に良い悪いはない。ただその人に必要で資格があるから起こってくるのである。そして地球は人間だけでなく全ての身体ある生き物たちの修行道場なっている。全ての生き物たちは相互に関わりながら修行しているのである。

自分が自分の主人公になるために、自分自身を知らなくてはならない。本当の自分を知るために、自分の身体の仕組みを肉体レベルだけでなく、電磁気体・エネルギー体のレベルで、カルマ体(業の体、原因体)のレベルで理解する必要がある。それを可能にするのがプレクシャ・メディテーションである。プレクシャ・メディテーションによって私達は深い自己認識のレベルに到達することができる。

プレクシャ・メディテーションは自己認識の高度な技法であると同時に、自己コントロールの高度なテクニックでもある。自己コントロールによって神経系や内分泌系のシステムまでコントロールして変化させることができる。私たちの感情はホルモン分泌と一体のものであり、真の健康状態も神経系を通して内的生命エネルギーの流れが大きく関係している。このようなことがわからないと心身の本当の健康は達成されない。

プレクシャ・メディテーションの技法は単なる知覚を超えて高度な自己コントロールをともなうものである。ヨガとは何か、瞑想とは何かと問われれば、それは自己コントロールの道であるといえる。自分が自分の主人公になって無限の自由に到達する道であるといえる。無限の自由に至るために必要な道具が身体であり、身体を観察し知覚し本当の自分を知ることがプレクシャ。メディテーションである。解脱とは自己が消えてなくなることではない、無限の自由と歓喜に満たされることである

身体の知覚を通じて自分とは何かが解った分だけ病気や死に対する不安が消え、たとえ病気になってもその原因が解るので平常心で受け入れ、対処することができるようになる。深いレベルの自己認識によって自分の死までコントロールできるようになるだろう。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/7/30からの転載です)