コラム[あなたは何処に行きたいですか?]

私達が一番意識しなければならない自己認識は自分のカルマに気付き、カルマを自己コントロール下に置くことである。自分を知ることは難しい。潜在意識下にある夢や願いや希望を知ることは、本当の自分に出会うまでにしなければならない道程である。

ブッダはカルマを行為であると云った。

「生きるものは、おのれが行為のたくわえを持ち、その行為を受け継ぎ、その行為から生まれ、その行為に縛られる。行為は拠り所である。行為が卑しければ、生きざまが卑しくなり、行為が立派なら、生きざまも立派になる。私達は自分がいったい何をしているかに気付き、本当に行きたい所へいくための正しい行動をとらなければならない。」(ウイリアム・ハート著『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門』春秋社)

あなたは何処へ行きたいのですか? 私は何処へ行きたいのだろう?
あなたの次の人生はどんな人生ですか? 私は何処に生まれるのだろう?

自分の歩む道が解っても、実際に歩かなければ、目的地(行きたい所)に辿り着かない。千里の道も一歩から、知識でなく実践である。目的地を明確に設定し、辿る道筋を知って実際に歩く者だけが行きたい所に到達できる。

おおぜいの人が目的地を見いだせないで、行きたい所が解らなくて、暗い夜道を迷っている。『勝利者の瞑想法』で迷える人に目的地とそこまでの道筋(地図)を示したつもりでいる。プレクシャ・メディテーションは知識ではなく実践である。実践することによって、迷いが無くなり、自分に自信がもて、行きたい所へ確実に道を歩いている実感がもてるでしょう。

人類の99%以上の人が暗闇で迷っている。迷っている人が迷っている事さえ気付いていない。人間ていったいなんだろう?皆さんはそんな疑問が起こりませんか?

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2011/6/20からの転載です)

コラム「勝利者の瞑想法」一覧

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コラム:プレクシャ讃歌の魅力
コラム:あなたは何処に行きたいですか?
コラム:自殺を無くす道
コラム:瞑想をする、瞑想が起こる
コラム:生 カルマ 死 カルマ 生
コラム:所有と無所有
コラム:自己防御の砦
コラム:静と動
コラム:アヒンサー(非暴力主義)
コラム:活用する喜び
コラム:ジャイナ教僧侶がしているマスクの意味
コラム:動きを止める、動きが止まる
コラム:雰囲気と人格
コラム:エコ的生活は新しい非暴力運動です
コラム:非対立主義について
コラム:なぜ瞑想したくない、出来ない、解らないのか
コラム:カルマを無くす瞑想
コラム:ジャイナ教と仏教は兄弟宗教
コラム:別れと出会い
コラム:来世不動産
コラム:資格
コラム:言葉(言霊)の力
コラム:純粋とは何か
コラム:忍耐と無執着
コラム:呼吸の奥義
コラム:食の非暴力 俗なる立場から
コラム:憎しみと愛
コラム:魂を観る瞑想
コラム:魂について
コラム:何もしない行為
コラム:植物に心は有るか
コラム:絶体絶命、崖っぷち、究極の選択・ 非暴力と義務どっち
コラム:水は偉大なる教師であり、尊崇すべき恩人である
コラム:地球温暖化の脅威
コラム:悟りとは
コラム:無常と空
コラム:自分の生活と幸福感を何と比較するのか
コラム:仏教の源流・ジャイナ教との類似
コラム:瞑想登山
コラム:沖ヨガ冥想行法とプレクシャ瞑想
コラム:瞑想における緊張と弛緩
コラム:沈思黙考「おかげさまで」
コラム:瞑想・二つの流れ
コラム:完全なるリラックス
コラム:利己心と依頼心
コラム:身体とは何か
コラム:空の思想とマントラ
コラム:自己コントロールの道
コラム:哲学論争
コラム:ラーナクプールのジャイナ教寺院
コラム:『シッダールタ』を読んで
コラム:生かされて生きている
コラム:美しき日本刀と非暴力
コラム:アンベードカルと仏教改宗
コラム:無限の自由とは
コラム:生命が病気を創る
コラム:カラーセラピー・色彩療法
コラム:日本文化の精髄・露天風呂
コラム:カルマヨギ・二宮金次郎
コラム:皮膚と触覚と意識について
コラム:虫たちのこと
コラム:自分が自分の主人公になる
コラム:火とは何か
コラム:2017年3月19日(日) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演「ジャイナ教のカルマ論と輪廻転生」
コラム:アカルマへの道・モークシャとサンミャク・ダルシャン 2017年3月20日(月) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演
コラム:仏陀はなぜ魂について説明しなかったのか
コラム:アートマン 魂 本当の自己とは何か
コラム:欲望とは何か
コラム:私のヴァーサナー
コラム:自分で自分の医者になる・無病の道
コラム:四つの身体と霊的色彩光
コラム:肉体はリサイクル品
コラム:人類のカルマ・人類存亡の瀬戸際
コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その1 ラドヌーン編
コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その2 聖地アルナチャラ編
コラム:南インドの聖なる篝火の山・アルナチャラ その1
コラム:魂の休息・サマイク
コラム:「迷い」と「無知」
コラム:徹底的に考える智慧の瞑想
コラム:限状態
コラム:洗脳と世界の分断
コラム:平等心と無差別
コラム:清らかな心
コラム病気の宗教哲学的な受け止め方

コラム[「迷い」と「無知」]



 瞑想は起こってくる物事を、正しく観て、正しく受け止め、正しく行動するために必要な、体と心と生活の清めだといっても良い。生きていると私達の身辺にはさまざまな出来事が起ってくる。その時、私達は正しいと思って間違ったことをしてしまったり、無駄なこと、余計なことをしてしまったりする。なぜそうなるかといえば洞察力が足りないからである。また、各人の潜在意識下に染みついたさまざまな癖が感情や思考に影響して、私達が物事を正しく観て、正しく受け止め、正しく行動することを妨げている。

 私達は先ず潜在意識下に根付いている自己特有の癖を知らなくてはならない。全ての人間は個性別である。過去の人間を探してみても、未来の人間を探してみても、現在の自分と同じ人はいない。なぜかというと、それぞれの潜在意識下に蓄積されている汚れ・癖が各自違うからである。この癖のことをインド哲学でカルマという。カルマという考え方はヒンドゥー教のヴェーダンタ哲学にもジャイナ教にもあり、初期仏教にもあった。

 私達は生きている限り生活しなくてはならない。生活の中で食べなければならない、住まいを整えなければならない、結婚して家族を養い子供を教育しなければならない。その上で安全に生きなければならない。そのような生活を通して考え行動するので、同じことを繰り返しているうちに潜在意識下に、受け止めること反応することの癖が身に着いてしまう。

 人間だけでなく全ての生きものは生きたくて生きているのであり死を恐れている。全ての生きものに感覚があり感覚の本質は苦楽であり、それに伴う感情の好き嫌いである。物質でなく普遍的なもの、死にもしなければ生まれもしない、変化もしないアートマンに、苦楽がインプットされると命となって生きものになる。人間の命に苦楽の感覚がインプットされている。苦楽が命を守っているから、この苦楽の感覚は制御することが極めて難しく、私達は苦楽の感覚に支配されているといってもよい。この苦楽に操られて私達は思考し行動し、その行動によって様々な汚れを命に引き寄せている。その汚れがカルマといわれるものである。生きている限り汚れ、つまりカルマの流入は止まらない。潜在意識下へのカルマの流入を極力減らしたい、蓄積したカルマを減らしたいということで出家思想が起こり仏陀もマハーヴィーラも出家になった。

 世俗的な生き方には必ず苦楽が一体になっている。苦を離れて楽はなく、楽を求めれば必ず苦がついてまわる。苦は嫌だと逃げれば無気力・怠け者となって楽も得られない。大楽を求めるならば困難な苦しみを覚悟しなければならない。世俗的には苦楽一如である。お金や不動産、骨董品など欲深く沢山所有すれば楽しいけれど、持つことでそれを管理したり世話しなければならない苦労が必ず付きまとう。結婚して家族を持てば楽しみと苦労が付きまとう。ペットを飼うことで癒しや慰め、無条件の愛の喜びを感じるが、飼い主は従者になり、ペットは王様将軍様になる。大いなる喜びは大いなる苦しみと一対になっているのが人間社会の出来事である。苦を離れて、楽だけの本当の喜びだけになるには、モークシャになるしかないのかもしれない。

 カルマは潜在意識下に根付いている汚れであるが心の癖といっても良い。受け止め方の癖であり、考え方の癖であり行動の癖である。私達の思考と行動を操っているのはその癖である。怒りっぽい人は怒りっぽいし、嫉妬深い人は嫉妬心が強く根付いている。解っちゃいるけどやめられないのは根付いた癖に支配されているからである。このネガティブな感情と思考の癖による支配を解いて賢者は無限の自由になることを求めた。それが生き物たちの最終目的地でありモークシャ、ニルバーナ、カイバリヤと呼ばれている。私達は目的地に向けて長い長い輪廻転生の旅の途上にある。旅路の終着点はカルマが完全に無くなってアートマンが純粋になった状態である。その時、人は内なる神と合一する。個我の夢から覚めて、真我となる。真我になり、汚れがないので純粋な無であり空である。これをアカルマと言いモークシャという。目的地はローソクの炎を吹き消すように消えてなくなる虚無の場では決してない。そこは、歓喜法悦に満たされた無限の自由と愛の場である。

 癖つまりカルマのことが理解できないと体と心と生活を清める本当の瞑想は出来ない。カルマによって汚染され癖づいた心のことをはからい心という。はからい心は自分は肉体だとしか認識できない無知から起こる。自分の存在を物質的な肉体だけとしか思えない心が利己主義、自己中心、自己本位のエゴを生んでいる。人間社会を良くないものにしている根本原因の一つがこのエゴ的心であり、自己に責任をみない依頼心であるといえる。個人の心からエゴ的心と依頼心を取り除くには因果律を理解し、輪廻転生と解脱への旅路を知らなくてはならない。物質的な物の見方しか出来ないから本当の意味での正しい、間違いの識別が出来ず洞察力が持てないのである。その状態を迷いといい無知という。

 自分が今どこにいるのか解らない目的地がどこなのかが解らないその状態を迷っているという。そして迷っていて現在地も目的地も見いだせない辿る道筋も見えないことを無知という。ほとんどの人間は無知で迷っていると言っても過言でない。目的地を明確に理解していて現在地も把握している、旅する道筋も解っている人が賢者であり瞑想の教師である。

 賢者は智慧を持っている。モークシャに至る道筋を理解し地図を持っている。その地図が瞑想のテクニックであり実践である。

 瞑想をすることで内側の自分と云う存在が何かと解り、外側の自分を取り巻く世界が解ってくる。因果律の仕組みや輪廻転生、物質的な物と非物質なものにたいする智慧がインスピレーションとして瞑想者にやってくる。

 賢者は過去・現在・未来という時空を超えた洞察力をもっている。その洞察力は無差別であり、損得を超越している。お金の使い方や生き方がアートマンに直結した生き方になっている。

 賢者はいま現在の恩恵は過去の行為の徳・善行がもたらしているのであり、現在受けている困難・苦痛によって過去の行為が清められていると解っている。今、善いというのは過去が悪くなっているのであり、今悪いというのは過去が善くなっているのである。このように善悪苦楽は時空を超えて一如なのである。これが無差別心である。未来を良くしたかったら幸せになりたかったら今、未来に向けて貯金するしかない。全ての物事は原因があり環境と条件が整うと起ってくる。これが自然であり宇宙の真実であり因果律という。因果律を完全にコントロール下に置きアートマンをアカルマにすること、それが瞑想行法というテクニックと実践である。テクニックと実践は道を歩くことであり、環境と条件を整えることである。やがて、することつまりテクニックと実践を超えて、起ることが自然に立ち現れる。それが本当の瞑想であり、瞑想の果てにすべての条件が整った時に最後に起ることがモークシャである。

 春に桜が満開になるように環境と条件が整えばそれは自然に起こる。全ての物事が起るためには環境と条件を整えてやればよい。そうすればどんなことも起こる。それ以外に幸せになる道はない。病も悩みも生死も苦楽も癖も汚れも感情も心も肉体も本来存在していないものである。我々はないものを在ると錯覚している。錯覚から目覚めなければならない。無知と迷いから目覚めなければならない。目覚めて純粋なるアートマン(ドラヴィア・アートマン)に直結する生き方をしなければならない。魂(アートマン)を中心にした生き方が目覚めた生き方であり洞察力がある生き方である。


<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2020/10/27からの転載です)

コラム[利己心と依頼心]



人類社会が混乱し争いが絶えない根本の要因は、人間の心の奥に巣食っている自己中心的なエゴの心と他者への依頼心である。この心を正し、取り除いていかないと個人として幸福になれないし、社会に平和が訪れることもないだろう。宗教が必要とされる理由は、その二つの心から起こる問題を取り除くためである。

世界中にある宗教の根本教義を要約すると、宇宙は神によって創られたものであるという創造神を認める立場と、宇宙は神によって作られたものではなく始めもなく終わりもなくただ無限の変化を繰り返しているに過ぎないという立場の二つに分類できる。創造神を認める立場の主な宗教はユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。一方、創造神を認めない立場が仏教やジャイナ教である。ただし、後世の変容した仏教やヒンドゥー教には創造神を認める立場もある。

創造神を認めると神様が人間の人生をコントロールしていると考えるようになる。それに対して、創造神を認めない立場の人間は神様にコントロールされているのではなく、自分の為した行為に支配されていると考える。自分の行った行為は潜在意識下の深いレベルに蓄えられていて、それが人間をコントロールしていると考えた。それが自業自得、自己責任、因果律の考え方、教えである。

創造神を認める立場の人は人間的に成長するために、そして神に救われる為には、他に対する奉仕、社会救済活動が必要と考えた。自分が他を救うことによって神様からの救い、恩寵を受けることができると考えた。神による救いと救われを理想とし、他に対する思いやりの心を育むことと愛の実践を重視した。この立場はエゴの心を取り除き自己中心的になることを防ぐ利点があるが、ともすると依頼心を育て他に依存するようになってしまう。責任を自己に見ないで他に転嫁する考えを育む。訴訟事案の多い社会となる弊害がある。良いことをすれば神に救われるが、悪いことをすれば地獄に落ちて劫火に焼かれると勧善懲悪を教える。近年の日本人の考え方から責任感が希薄になってきたのは、創造神を認める欧米文化の影響が強くなって来ているのではないかと私は考えている。

ジャイナ教や初期仏教は解脱(輪廻転生からの離脱)を理想として、輪廻転生の元である原因と結果の法則を断ち切ることを理想とした。今、自己に起こっていることの全ての原因は自己にあるとして、他を助けること、他から助けてもらうことに力点を置かなかった。このような考えはともすると他を突き放し、自己中心的になりやすく傲慢になってしまう欠点がある。良いところは、自分のことは自分でするという自主独立の精神が養われ、強い責任感を持ち、責任を他に転嫁しない考え方を育む点である。しかし社会的弱者に対して突き放した冷たい社会になる恐れがある。原因と結果の法則、魂の輪廻転生を説いて悪を為さないように教える。

社会救済を主とする活動は、自己を皮膚の外側に拡大していく方向性を持つ。人類救済のために菩薩行、愛の実践を行う。地上天国の創造を目標にし、神に救いを求める祈り、他を助けるための救いがその方法である。自己拡散的なこの方法を通して今まで自分でないと思っていたものが自分となる。他人が自分となり、動物や植物が自分になり、他物が自分になり、地球が自分になり、ついには宇宙が自分になる。

自己救済を目的にした修行は、自己の皮膚の内側に集中していく求心的方向性を持つ。解脱のために瞑想を通して徹底的な自己観察を行う。自己観察によって今まで自分だと思っていたものが自分でないと解る。体は自分ではない。心は自分ではない。怒りや悲しみ等の感情も自分ではない。悩みや癖や反応も自分ではないと解る。自分ではないものを取り除いていって最後に本当の自分が残る。不純物が混ざり合った金鉱石を精錬し純金にするように、不純物で汚染された水を清らかにして純水を作るように、魂の本質は純魂というべき純粋なものである。

世界中の宗教は大まかにどちらに重点をおいていかによって二つのいずれかのカテゴリーに分類できるので、今自分が学んでいるスピリチュアルな学びはどちらに属しているのか常に念頭に置いておかなければならない。そのことが分かっていないとスピリチュアルな学びが混乱して何がなんだかわからなくなる。創造神を信奉する宗教は神の偉大さを強調するために壮大な寺院を必要とした。バラモン教の時代には大寺院を必要としなかったが、ヒンズー教化すると壮大な寺院が建てられた。仏教も救いの概念が入って大乗化すると大寺院が立てられるようになった。ジャイナ教も祈りや救いが入ると壮大な寺院が建てられた。偶像崇拝する心に祈りと救いの概念が入る。初期仏教や初期ジャイナ教には救い救われの哲学は乏しく自力修行と自己責任が強調される教えであった。ジャイナ教のマハーマントラは救いを祈るものではなく、悟りを開いた先人に対する敬慕と感謝の想いを言葉に出している。

私は一般に言われている自己救済を目的にしたメディテーションを「瞑想」というのに対して、自己拡大していく社会救済的な活動を「冥想」と呼びたい。本当の瞑想とは、「瞑想」と「冥想」を合わせたものである。沖正弘先生は創造神を認める宗教と創造神を認めない宗教を統合してその全ての修行を総合的に行うことを冥想行法と表現された。パタンジャリのヨガ8段階に不足している社会救済的な面、愛や祈り救いの行法を加えてヨガの10段階を構成した。総合ヨガの10段階には冥想行法という段階はない。一般にメディテーションと言われている段階は統一行法(ダラーナ)と禅定行法(ディヤーナ)に相当する。ヨガの10段階全ての行法を含む意味合いを持つ冥想行法の中で最も重要なものは統一行法、禅定行法であると言っている。

沖先生の提唱されたヨガは総合ヨガであり、生活ヨガ、求道ヨガ、冥想ヨガである。そしてそれらを実践することが「生きている宗教」である沖ヨガ、沖道である。創造神を認める宗教と創造神を認めない宗教を統合し、その欠点を利点に変え、日常生活の中で実践していくとした宗教哲学である。

身体の動的訓練が素晴らしい沖ヨガと霊性の静的訓練が素晴らしいプレクシャ・メディテーションが融合したら、人類史上最高の身心訓練法になるのではないかと常々思っている。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/3/31からの転載です)

コラム[徹底的に考える智慧の瞑想]



 般若心経の冒頭は、観自在菩薩が般若波羅蜜多を 修行して、全ての物事は『空』なんだよ、との悟りに達した。との説明から始まる。空というのは、全てのものの存在は、自分自身を含めて、それ自身が自己完結的に独立して存在することはできない。ものごとは相対的に成り立っているのであり、様々な原因、環境、条件がなければ成り立たないとする哲学である。般若心経は空の説明であるが、諸行無常ということの補足説明でもある。空を説き無常を説明し執着するなと教えているのである。

 プレクシャ・メディテーションに出会い、その技法の一つアヌ・プレクシャを学んだ時、アヌ・プレクシャこそ失われた古代の瞑想法『般若波羅蜜多の修行法』なのだと解った。

 波羅蜜多というのはサンスクリット語でパーラミータという。意味は物事を徹底的に行うと云うことである。般若とはパーンニャであり意味は智慧の瞑想ということで、物事を客観的に論理的に理性的に考えることを意味する。

 シャカムニ仏陀の悟りは無思考型の瞑想ではなく、考える瞑想であったと伝わっている。仏陀は何を考えたのか。ブッタは因果律、原因と結果の法則を考えたのである。仏陀以前の哲学では原因があれば必ず結果が起ると考えていたが、仏陀は原因だけでは結果は起こらない、結果が起るためには環境や条件として『縁』が必要なのだと考えた。それが仏陀の悟りなのである。

 瞑想と云うのは一つには考えることを止めて、感じる心になりきることを意味する。心は働きであり機能であるが、その機能は二つに分けて説明できる。一つは企画することと思考することである。もう一つが知覚すること感じることである。知覚すること、無思考型の瞑想が本来の瞑想であるが、一つのものごとを一生懸命考えれば、それは瞑想になる。それが智慧の瞑想であり仏陀を悟りに導いた瞑想である。

 アヌ・プレクシャには二通りの方法がある。一つは本当のこと・真実とは何かと考えることである。この方法を沈思黙考と言い、考える瞑想である。もう一つが繰り返し、繰り返し自己暗示の善い言葉を潜在意識にしみ込ませることである。目的は共にアートマンを純粋にすること、潜在意識下に根付いた悪癖を取り除くこと、心と生活の清めを目指している。私たちは潜在意識下に根付いた癖によって思考や行動が支配されている。その支配の縛りを解くには、私たち自身が潜在意識をコントロールしなくてはならない。その方法がアヌ・プレクシャなのである。アヌ・プレクシャによって自分が自分の主人公になれる。

 アヌ・プレクシャは潜在意識の汚れ・カルマを無くす基礎的な方法であり、恐れや怒りの感情を少なくし心の状態を平和にする方法である。心の自由と平和の先にアカルマ(無業)になったモークシャ(解脱)がある。目的地に向けて道を歩くように、モークシャへの道を歩くことはアヌ・プレクシャを実践することを意味する。

 真実について考える・沈思黙考をする場合、何について考えるか、先ず考察しなければならないことは、諸行無常について徹底的に考え理解を深めることである。無常が解ると何事にも執着できない、何も所有することが出来ないと解る。無所有と無執着が解ると強欲がなくなり、欲望が減少する。欲望が減少すれば苦楽の感覚からの支配が少なくなる。他との争いが少なくなって、恐怖心が無くなる。恐怖が無くなって心が平和になる。心の平和がモークシャに続く道である。

 無常が解ると因果律や輪廻転生、アートマンに付いた汚れであるカルマが理解できるようになる。因果律やカルマ、輪廻転生が解ってくると、変化するものと変化しないものの理解が生じ、洞察力を得ることが出来る。洞察力が得られれば時空を超えたものの見方が出来るようになる。物事を時空を超えて観ることが出来れば自他の差別心が完全に消えて真の友好が得られる。友好な心の状態によって恐怖が無くなる。

 また、無常が解れば忍耐することができる。カルマが解れば忍耐できる。忍耐できればアヒンサー、非暴力と不殺生ができる。非暴力と不殺生の実践で悪いカルマが減少する。そして心が平和になる。

 無常やカルマ、因果律、輪廻転生、真実の自己、無執着、不都合なことの忍耐などは沈思黙考で対応し、無所有、無執着、非暴力、不殺生、あらゆる生き物との友好、恐怖心の克服、忍耐力の涵養、病気の克服、肉体の健康などは自己暗示の言葉の繰り返しが適している。

 全ての宗教が教える自己啓発の修行が、アヌ・プレクシャで出来る。プレクシャ・メディテーションの六通りの瞑想法にアヌ・プレクシャを加えることで、全体が上手に組み合わされた瞑想法システムとなっているのである。

 般若心経の最後の部分はマントラについての解説です。このマントラは偉大なるマントラである。叡智のマントラである。これ以上ないマントラである。世に比類なきマントラである。全ての苦しみを除くマントラである。それは真実で疑いのないことである。このマントラによっても智慧の瞑想と同じ悟りが開ける。そのマントラは次のようなものである。

ガテー  ガテー  パーラ  ・  ガテー  パーラ ・ サンガテー  ボーディ  スヴァーハー

歩こう歩こう悟りの道を  悟りの世界を目指そう  解脱に幸あれ   (坂本知忠の意訳)

 善い言葉やマントラを繰り返し唱えて潜在意識を変革する方法がアヌ・プレクの自己暗示法であるが、般若心経の最後の部分はこの自己暗示法を説いているのである。従来の般若心経の解説本はほとんどこの最後の部分の解説を省いている。中には最後の部分は付け足し部分であるから本来要らないものだとしている学者もいる。

 私はプレクシャ・メディテーションのアヌ・プレクシャを学んで般若心経の本当の意味がよく解った。そして、大乗仏教がどのようなものなのかの根本的な理解が得られたのである。ジャイナ教と仏教が本当に兄弟宗教なのだということも深く理解できたのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2021/1/5からの転載です)

コラム[自己コントロールの道]

ヨガとは何かとの定義は、ヨガの実践者がそれぞれの立場でいろいろな捉え方をしているので一様ではない。ある人はヨガとは結ぶことであると定義する。何と結ぶか「心と体を結び、自分と他を結び、神と自分を結ぶ」ことと定義する。また、ある人はヨガとは「本当の自分を求めての自己探求である」と定義する。ヨガとは何かを最初に定義した古代インドの文献『カータカ・ウパニシャッド』は「五つの感覚器官が、思考(意・マナス)とともにその活動を静止し、意識(覚・ブッデイ)も全く動かなくなったとき、人々は、これを至上の境地という。このように、諸器官を堅く抑制することを、人々はヨガとみなす」としている。ヨガ・スートラでは「心の働きを死滅させるのがヨガである」と説く。

沖ヨガではヨガの10段階を総合的に、生活を通して実践することを冥想行法と呼び、冥想行法だけがヨガの実践法と説いている。ヨガをどのように定義づけようとも、その目指すところは究極の幸福である。私たちが目指すところは南伝仏教の理想としているような、吹き消して無に帰し命が消滅してなくなることではないと思う。私たちは苦の消滅ではなく歓喜法悦に満たされる状態を求めているのだと思う。私はヨガとは「究極の幸福を得る自己コントロールの道」だと定義したい。

では、何をどう自己コントロールすれば良いのだろうか。

身体のコントロールなのか、心のコントロールなのか、呼吸のコントロールなのか、感情のコントロールなのか、一体何をコントロールすればよいのだろうか。

私たちが存在しているということは過去にも存在していたのであり、未来にも存在するのである。だとすれば今に集中し、今、なすべきことに最善を尽くすことだと思う。未来を良くするための自己コントロール、それがヨガだと私は考える。身体や心は瞬間、瞬間、変化するものであり、現れては消えてゆく幻のような存在である。時間の流れとともに変化してしまうので実体はなく、身体や心はそのような観点から無であるといえる。しかし、一方で内的な深いレベルで子供の頃からほとんど変わらない自己があることに私は気づいている。時間の流れの中でほとんど変らない自己、ユニークで個性的な自己、それがカルマの束縛を受けた真我に近い自己である。その霊的な自己をコントロールをすることが何より大切だと思う。ほとんど変らない自己があるから私達は良いことをなして悪いことをなさないようにしているのだ。

宇宙始まって以来、個々の存在は無数の体験と行為を積みかさねてきた。そうした時間の流れの中で原因となった行為の結果を受けて今の自己がある。その受けた結果としての今ある自己が、今、自己に起こっていることをどのように受け止め、反応し、行動したかが新たな原因となる。私たちが生きているとは、常に考え、選択し、行為しているということである。

今、まさに時空を越えた過去の原因が、条件と環境が整い自分の周りにあらゆる現象として起きている。私は自由ということを今まで誤解していた。自由とは業の束縛から離れること、アカルマ(無業)になることだと思っていた。完全なる自由とは確かに業の束縛から離れることかもしれない。それは、遥か彼方の目的地である。自由とは自己に現れて、押し寄せてくるあらゆる現象の中からの選択であり、それに伴う行為であると思う。それが霊的な自己コントロールである。私たちが生きているとき、さまざまな局面で、二者択一や選択を迫られる。そのときに何を基準にして選択するのか、身体や心の喜びか、それと
も未来に受け継ぐ霊的原因かである。未来に続く霊的な自己が受け継いでいくもの、それを生き方の判断、選択基準とする。それが自由への道であり真の意味の自由ということだ。何をしても良いというのが自由ではない。悪い原因を作らないということが自由ということである。

自分の身の回りに起こっている全てのことは必然であり、原因無くして起こることはありえない。外なる神様が気まぐれに処罰を与えるような偶然のことではないのだ、天網恢恢粗にして漏らさずの真意は自業自得、因果応報、善因善果・悪因悪果という意味である。そうでなければ道理に合わない。どんなことをしても死ねば帳消し、ご破算になるのであれば、悪事の限りを尽くすような権力者にとってこんな都合の良いことはない。

私たちが死んであの世に持っていけるもの、次の生で受け取れるもの、それは過去と現世でなした行為の原因だけである。現世での身体も、お金や財産も、家も、家族も、集めた美術品も、地位や名誉も持っていくことはできない。自分が未来に持っていけるもの、それは、原因としての行為、未顕現の結果である。何をしたかという原因だけが自己相続できるものである。

自分を助けるものも、自分を損なうものも自分自身であって、自己をコントロールしている外なる神のようなものは存在しない。賞罰は神が与えるものではない。賞罰は自己が自ら相続するものである。神様が助けてくれる、神様が恩寵を与えてくれると思うから、悪業を正当化するような考えが起こって、自爆テロ等の悪業が絶えないのである。

私たちにとって近未来の解脱は無理であっても、幸福な未来を創り出すことはできる。それが、真の意味の自己コントロール法で今に生きることである。今に生きるとは、今の自己に結果として起こっていることに対して選択を間違えないように正しく行為することであり、なすべき時になすべきことを間違えないようにすることである。

生き通しの人生を考え理解しないと、正しく感じ、正しく思い、正しく考え、正しく行うことはできない。来世や輪廻転生を信じなければ、心の平安や幸福など望むすべはないだろう。生き通しの人生という倫理哲学が人類社会に共有価値観として定着しない限り、世界に平和が訪れないだろう。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2015/10/25からの転載です)

コラム[極限状態]

 スマホやパソコンで何でも出来る大変便利な時代になった。通貨という数字さえ持っていれば、食べ物も衣類も住まいも安全もインターネットで居ながらにして通信機器の画面を見て手に入れることができる。50年前には考えられなかったことが日常になり、当たり前の生活になった。

 生活が便利で安易になった半面、私たちの生活はリアリテイを失い、バーチャル化している。私達は皮膚感覚(触覚)を使うことが少なくなり、視覚感覚に頼ることが多くなった。また、肉体を通しての濃厚な体験が少なくなって、目覚めていて眠っているような人生になりつつあるのかもしれない。

 そのような私達が今、何かの事情で絶海の無人島に漂着してしまった。あるいは人里から数百キロ離れたシベリアのタイガの中に投げ出されてしまった。他の人間と接触できない環境や理由で、孤独に生きていかなければならなくなったとき、私達は知恵を絞って生き抜くことができるであろうか?スマホもパソコンも役に立たない、水も食物も雨露しのぐ住まいのための資材も手に入らない極限の状態である。そんな地獄のような極限状態を希望を失わず生き抜いた日本人がいた。

 八丈島の南290キロのところに鳥島という火山島がある。直径2.9キロ程の小さな島である。鳥島は海底火山の頂上部だけが海面から突き出た島で、周囲をぐるりと断崖絶壁に囲まれているので船で近寄ることもできない険しい島である。木は一本も生育しておらず、茅のような草ばかりの島である。この島に江戸時代、たびたび漂流船が流れ着いた。その漂流者たちのサバイバル術と奇跡の帰国までの物語は感動と涙なくして読むことはできない。

 有名なのは井伏鱒二の小説『ジョン万次郎漂流記』であるが、彼ら5人の漂流は幸運にも近くを通りかかったアメリカの捕鯨船に救助されたので5か月間で済んだ。それは天保12年(1841年)万次郎15歳の時だった。万次郎はその後、アメリカで見聞を広め英会話に熟達して、幕末の歴史上の人物になった。

 ジョン万次郎らが漂着、救出された時を遡る56年前、天明5年(1785年)土佐の長平他3名が鳥島に漂着した。彼らは島に群がっていたアホウドリを捕まえて食料とした。火打石を持っていなかったので火食できず、アホウドリの生肉と干し肉を主食とした。また磯で貝を拾い、魚を釣って食料とした。彼らの住居は先人の漂流者が使った洞窟だった。鳥島には長平達以前にもたびたび遭難者が漂着していた。運よく帰国できた者がいたが病気になって島に歿した人も多かった。
長平の仲間3人は漂流から2年経たないうちに次々に病死して、長平一人きりになってしまった。

 鳥島は今も度々噴火を繰り返す活火山であり、流れる川もなければ湧き水も無かった。漂流者たちは一番、水に困った。穴を掘り石灰で固めて雨水を貯めて命をつないだ。鳥島の環境は例えるなら地獄の燃え盛る火の山であり、針の山であった。一人きりになった長平は仲間の死を弔い、遺言を伝える使命があり、何としても生国に帰還しようと思った。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際にあっても、生きていることに感謝し、不幸な境遇を積極的に捉えて、創意工夫をこらし生きぬこうとしたのである。

 長平が一人っきりになって1年半ほどたったある日、天明8年1月29日(1788年)大坂の備前屋亀次郎が荷物運搬のため、肥前の船主からチャーターした船の乗組員11人が鳥島に漂着した。長平は彼らと合流したことで孤独から救われた。さらにその2年後、寛政2年(1790年)日向の国志布志の船一艘6人が鳥島に流れ着いた。彼らは本船を捨て小舟で上陸したが、小舟は荒波に翻弄されて座礁し粉々になってしまった。わずかに回収できたものは道具類や船材の一部だけだった。6人が加わったことで漂流者は合計18人になった。

 天明8年から5年の間に大阪船から2人、志布志船から2人の死者が出た。残った者14人は座して死を待つより船を造って島から脱出しようと決心した。運よく生き残ったものの中に鍛冶や船大工の経験者がいた。志布志船から回収した鋸や斧、キリやノミなどもあった。前の漂流者が洞窟に残した船釘もあった。彼らは90センチ程の船の模型を作り、必要とする木材の大きさや数量などを計算した。島のどこを探しても船を造るような木は生えていなかった。彼らは神仏に祈って島に流れ着く流木を集めた。運よく船底になる大きなクスの木の板材が流れ着いた。いざ造船作業にとりかかってみると、やはり道具が足りなかった。彼らはふいごを造って船釘を溶かし、斧の頭を打鉄代わりに使って金槌や釘抜を造った。古い鉄の錨を海岸から引き上げ不足していた船釘を造った。5年の歳月を費やして船は完成した。島の中腹の造船場から船を海岸までおろす道造りが困難を極めた。忍耐と創意工夫で船を海に降ろし、ついに帰国の日を迎えた。

 彼らは島を去るにあたって、後に続く漂流者のために鍋、火打石、道具類、ふいご、船の模型を箱に収め、漂着から脱出までの経緯の書置きを、後に続く漂流者のために洞窟に残した。彼らはまた、仲間や無縁仏の骨を集めて船で持ち帰った。遺骨は八丈島の宗福寺に埋葬されたという。

 鳥島をたって5日後。彼ら14人は寛政9年6月13日、青ヶ島にたどり着いた。鳥島での漂流生活は土佐の長平:12年4か月、大阪船の9人:9年5か月、志布志船の4人:7年5か月であった。

 長平らの漂流物語は吉村昭によって小説になった。新潮社1876年刊『漂流』である。

 どんに過酷な境遇に投げ出されたとしても創意工夫努力する力、それが真の丹田力である。丹田力は肉体の力ではなく精神的な力である。その力は机上の学問や知識ではない深い経験によって生まれてくるのだと思う。その人の人生は経験するためにある。だとすれば、生活体験の仮想現実化が進むことは精神的レヴェルの発達において善いこととは言えない。近年、鬱や適応性障害、潔癖症など軽微な精神疾患をもつ若者が増えているのも、このような生活のイージーさと仮想現実化が影響しているのかもしれない。

 私は若いころからの登山の趣味や海外旅行を通じてリアルな体験を沢山してきた。好んで辺境の国々を旅し、様々な場所や環境の中で寝てきた。国内では雪山で遭難しかかって雪洞に寝たこともある。雨でずぶ濡れになって、南アルプスの大きな滝の落ち口でビバーグしたこともある。山の中で一人で野宿したことも沢山あるし、廃屋や山のお堂、洞窟に寝たこともある。数軒しかない山奥の農家に泊めていただいたことも十指にあまる。テントや山小屋に寝たことも数多い。17回に及ぶインドの旅では南京虫が出るような安宿からマハラジャの宮殿をホテルにしたものまでいろいろ宿泊経験した。若かったころ秩父鉄道の終着駅のトイレに寝たこともあれば、会津の山村の共同浴場の脱衣場に寝たこともある。関東、甲信越、東北の温泉宿に泊まった経験は数百件になる。同世代で私のようにバラエティーに富んだ所に寝た体験を持つ人はきわめて少ないとおもう。高齢になった今でも私は風変わりなところで寝たいと思っている。何処でも、どんな状況でも寝ることができる適応性を身に着けることは、私の趣味のようなものになっている。

 今回の人生における私にとってのリアルな体験とは、仕事や家庭の事情で引っ越し出来なかった自宅から離れて、さまざまな場所に寝ることだったような気がする。鳥島の漂流者達、グァム島の横井庄一、ルバング島の小野田少尉、第二次世界大戦の生き残り、シベリア抑留帰還者達などの極限状態の体験には到底及ばないものの、平和な時代にさまざまな場所に寝るという私の工夫はリアリテイある生き方の実践だったように思う。その道程で私はヨガと瞑想に出会った。瞑想はバーチャルなものではなく、時間の無駄遣いでもなく、人間がしなければならない最重要課題であり、真の深い体験を伴うものなのである。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2021/5/31からの転載です)

コラム[病気の宗教哲学的な受け止め方]

 人はなぜ病気(肉体的に精神的に)になるのだろうか、それはその人のカルマ(原因と結果の法則・因縁果)によって起こってくる。原因無くして病気は起こらない。世の中に起こっていること全て、そして自分自身に起こってくることの全てが原因と結果の法則に基づいているのである。もし偶然に起こってくるとしたら、完全なる自由も平等も無差別も有り得ない。

 人間として生きているということは、全員が物質的なレベルではに肉体の病に罹っていて、精神障害者なのである。ただし、非物質レベルでは全員が完璧に健康であり無病で、悟りを開いた聖者なのである。このことを疾患無病一如、疾患無病不二という。主客不二の事である。

 魂は一つだけれどもコインの裏表のように主観の純粋なる魂と客観の汚れた魂がある。魂の汚れが疾病や精神障害の原因である。

 どうして全ての人間が病気で精神障害者なのだろうか。完全に健康そうに見えるアスリートであっても、今と云う時空間でそのように見えるだけである。時空間を過去や未来に動かせば完全な肉体の健康など有り得ないことが解る。現象世界は一時的で、全て変化してしまう。これを無常と云い空無と云う。無垢に思える赤ちゃんでさえ既に病と悩みの種を宿している。ヨガのエキササイズや各種ヒーリング技法、食事療法、スポーツ、瞑想などを通じて健康を求めても、モグラ叩きゲームのように次から次に肉体には疾病が出てくる。人間にとっての最大の病は輪廻転生病を患っていることにある。この病気を治さないかぎり、肉体の病気が無くなることはない。ヨガの聖人・沖正弘師でさえ、次から次へと肉体の不具合や病が生じたのである。逆説的だが、だからこそヨガや瞑想、スポーツ、各種ヒーリング技法の実践が必要なのである。このことを、「煩悩を断ぜずして涅槃に入る。」と云う。「煩悩即菩提」とも云う。悩みがあるから悟りを求める。不健康だから健康を求めるのである。

 全ての人間が同じ病気に罹るわけではない。どんなに望んでも資格がなければ、特定の病気は発症することはない。新型コロナのような病気でさえ、罹る人もいれば罹らない人もいる。また、罹ったとしても重症化する人や死に至る人、軽症だったり無症状の人もいる。それは資格の問題であり、カルマの違いに由るのである。病気にならないように努力しても病気に罹る時は罹ってしまう。病気は厭うべきものではない。むしろ病気に罹ることが善い事なのである。そこに教えと気づきと過去のカルマの一部消滅が起こるからだ。

 私は20歳の時、肺結核に罹り1年間隔離病院での療養生活を体験した。高校1年生から山岳部に入り、登山に熱中して健康には自信があった。それなのに罹病して、原因が解らず、一時は絶望し精神的に混乱した。健康を回復した後、再発の不安を払拭するために私はヨガに出会った。さらに沖正弘先生に出会い、ジャイナ教とプレクシャ・メディテーションに出会った。今にして思えば私の肺結核は神様からのプレゼントだったのだと思える。人生の中でエポック的に起こってくる出来事を繋いでいくと、私のカルマやヴァーサナーがハッキリと浮かび上がってくることが解る。

 昨年8月、15日間の日程でインドヒマラヤ、ガンジス川源流の本流、バドリナートやヘムクンド、花の谷、コーテシュワラ、ウッタラカーシー等を旅した。不思議なことに旅の間は元気で、帰国の飛行機の中でも異常なく、空港からのリムジンバスもタクシーも問題はなかった。ところが、自宅に着いて荷物を降ろし30分もしないうちに、体がだるくなり高熱が出始めた。旅の疲れが出たのだろうと考え、2~3日休めば回復するだろうと思った。

 39度以上の高熱と37度台の熱が交互に出て食欲は全くなく、飲み物も喉を通らなかった。コロナ感染も疑って救急車を呼んだ。搬送された浦安の順天堂病院では「 コロナでもなくインフルエンザでもない 」と云われた。抗生部質の投与を希望したが「 今は抗生部質はあまり使わない。2~3日自宅で様子を見てください。」と云われて帰された。さらに4~5日自宅で様子を見たが症状は改善されなかった。不安が増大して再度、緊急搬送してもらった行徳総合病院でも、同じ対応で帰された。この時点では私は病気を感じていたので有るだが、病院では病気は無いと云っていることになる。食事も摂れない、飲み物も飲めない、高熱と少し熱が下がる状態が、発症から2週間続いた。ついに心臓の動悸がバクバクと感じられるようになり再び緊急搬送を要請した。運ばれた先が東京ベイ市川浦安医療センターだった。そこでは、状況の深刻さを察して入院を受け入れてくれた。この時点で私の病気は私にとって有、病院にとっても有になった。抗生部質が点滴で投与されると、熱も下がり、急に食欲も出て元気回復していくのが感じられた。病院では病気の原因を探るために様々な検査が行われ、インド旅行で立ち寄った場所など詳しく尋ねられた。なんと、梅毒やエイズも疑われたが、ウイルスによる感染ではなく、特定はできなかったが細菌感染症による肺炎と診断された。入院1週間、症状発生から3週間ほどで回復し退院した。病気は私も病院も共に無になった。

 11月に退院後の再検査のため病院を訪れると、循環器内科の浅野先生の診断を受けるように云われた。浅野先生に面談すると「僧帽弁閉鎖不全症の中等以上である」と告げられた。「放置すると進行して心不全になる恐れもある。」と言われた。青天の霹靂だった。何の自覚症状もないので「様子を見ます。」と答えた。1月は秩父の城峰山に登り、2月は御坂の黒岳に登った。息切れすることもなく体調は普段と全く変わらなかった。肉体の病気はこの時点で病院では有ても、私には感じることが出来ないので無と云える。

 2月24日夜のこと、竹馬会の会合で飲み過ぎたせいか、心臓に異常を感じた。自分で脈をとてみると不整脈だった。病院の浅野先生を訪ねると手術を勧められ胸骨を切開する等と説明を受けたこの時点では双方、病が有ることになる。私が不納得顔でいると外科部長の伊藤先生の話も聞くように云われた。5月のさまざまな行事が一段落して伊藤先生を訪ねると、カテーテルを使った最新治療、パスカル治療を提案された。私はこれなら手術の肉体的な負担も少ないのでそれで手術をすることにした。なぜ、手術を選択したのかと問われれば、自覚症状のない幻(画像で見せられただけだから)のような病ではあるが、ヨガのエキササイズや瞑想、各種のエネルギーワークでは対応できるものではないと理解しているからである。この先すっと幻に悩み幻に執着するのは嫌だった。幻を手離し執着を離れるには手術を受けることが最良に思えたからである。

 手術の為、入院した私は何の不安もなく心は穏やかだった。私は以前から病院や医師にネガテブな印象を抱いていたが、ここに入院してその考えが誤りだった事が良く解った。沢山の患者が訪れる病院であるが、そこにある雰囲気は極めて明るく秩序整然として好ましく感じられた。検査技師、男女の看護師、掃除婦、栄養士、医師の先生達、皆さん昼夜を問わず生き生きと責任感に満ちてテキパキと仕事していた。チームワークも良く、相互の意志疎通・コミニケーションもよく取れて素晴らしかった。この人たちの働く様子を見て私はほれぼれ感動した。近年の社会現象や若者たちの行動から、日本人の精神性が衰えてきたと感じていたが、この病院で働く人々は違っていた。私は嬉しくて仕方がなかった。この病院は地上の天国だと感じた。

 7月8日午前9時に手術室に入って驚いた。そこに備えられた大型モニターなど最新式の機器は宇宙船内部のようだった。全身麻酔が施された瞬間私は深い眠りに入った。その間、右の鼠径部から大静脈にカテーテルが入れられ、心臓の左心房と左心室を繫ぐ僧帽弁の閉鎖不具合による血液逆流の治療、微細で難しいマイクロクリップによる挟み付けが行われた。手術を開始して麻酔が切れるころまで4時間が経過していた。耳元で「 坂本さん手術、何の問題もなく上手く行きましたよ。早期に退院出来ますよ。」と声が聞こえた。気づくと体が寒さでガタガタ震えていた。何処にも痛みが無かった。看護師さんが体に掛物をしてくれたので30分ほどで震えは収まった。

 手術を終えた後も容体急変に備えて手術室にそのまま2時間ほど残置された。手術室では様々な機器が警報のための異様な音を響かせていた。その異様な音が全く気にならず音楽のように感じられた。

 8日午後3時になって手術室からICU・重症者集中治療室に移された。両足首には血栓を防ぐ目的でマッサージ器が取り付けられ、交互の空気圧刺激が一晩中続けられた。オムツを当てられ小便は管を通して排泄された。右手中指は血中酸素濃度を測る機器、胸とおなかには心電図測定の為の電極コード、左上腕には血圧と血糖値を測定する機器とコード、左腕には点滴用の針がそのまま付けられていた。夢うつつのように過ごしていると、麻酔の影響か脳裏に幻覚として巨大で精密な木造建築物がリアルに出現した。【巨大な柱、巨大な梁それら全てが立体幾何学文様と神仏の彫刻で満たされていた。彫刻された木肌の極微の木目がありありと実感できた。木造の巨大な家具や建具などの木目も渋い味を出し、極微細で美しかった。】ICUに入ってから24時間後、9日午後3時、心電図測定のための機器以外全てが体から離されて自由になった。

 10日午後、家内と娘と共に手術の経過報告を、担当医から詳しくパソコンの画像を見ながら、説明を受けた。画像は実に詳細に微細なところまで鮮明な画像だった。驚くべき現代医療テクノロジーと医師の技量だと思った。私は今回の肉体の病気によって沢山の体験をし、貴重な学びを得たと感じた。

 世界と私は一如、同じもの。世界があるから私は存在している。世界が無ければ私は存在できない。又、肉体を含めて私が有るから現象世界が有る。私が無ければ現象世界は感じることが出来ないので、有っても無いことになる。梵我一如。

 全身麻酔が効いている時、私は何も感じることが出来なかった。顕在意識は消滅していた。その時、痛みもなく感覚も全て消えていた。客観と主観が共に無になっていた。主客一如、主客不二だった。完全に分別、好き嫌いが無くなっていた。私は初めて悟りと云う概念を言葉や知識でなく体験とし理解することができた。

 12日午後、私は9日間の入院を終えて退院した。体調は入院前も退院後もほとんど変わりなく無症状である。私の精神は浄化されて、螺旋を一段上昇したように気力が溢れてくるのを感じた。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2024/7/31からの転載です)

コラム[洗脳と世界の分断]

新型コロナウイルスが次々変異してココロナ禍が長期化する様相を見せている。そんな中、ヨガの友人が「坂本先生はワクチン接種を受けるのですか?」と聞いてきた。そこで「私は高齢だし、罹患すると回復後も味覚や嗅覚異常の後遺症が長く続くようでもあるし、私はあちこち出かけることも多いので接種を受けるつもりだ」と答えた。彼女は「ワクチン接種は百害あって一利なしですよ」という。私は彼女がワクチンは毒だから打たない方が善いと強く言うので、もっと洞察力をもって現実を見た方が良いような気がするけどねと話した。

 その彼女が、今度は私がワクチン接種を受けようとしていることを、別のヨガの友人に話した。別のヨガの友人Yさんから、SNSのメッセンジャー機能を使って様々な【ワクチン打つな】の情報が送られてきた。その中には海外の学者の見解動画や、日本の医師の研究動画、証拠だとする副作用の画像などが含まれていた。それだけ見ているとなるほどなー、もしそこで云われていることが事実だとしたら大変な事だなーと私も思った。Yさん曰く、「日本のテレビ報道やマスコミは権力者によって報道をコントロールされているので、真実の情報は出てこない。真実の情報はインターネット上にある」と云った。

 その後、Yさんとは連絡をとらないまま、私は1回目のワクチン接種を受けて、そのことを、フェイスブックに載せた。すると、関西の著名なヨガ先生がYさんと同じように私に「先生2回目のワクチンは打っちゃダメです」と沢山の添付画像や動画の証拠資料を送ってきた。

 その時、私はおかしいなー、ワクチン接種は賛否両論あることは知っているが、どうしてそこまで打たない方がいいと、自信をもって言い切れるのだろうかと思った。人それぞれ価値観や経験、立場、環境、年齢なども違うし、アレルギーを持つ人もるのだから、ワクチン打つ打たないは本人の自由意思に任せて、他人があーだこーだと言うべきものではないような気がした。アドバイスをくれたヨガの友人たちはどうしてそのように強い信念を持って自分は正しいと云っているのだろうか?それは興味深い心の問題だと深く感じた。

 【ワクチン打つな】の話は昨年秋のアメリカ大統領選挙の不正があった、なかったの話に似ている気がする。選挙結果はバイデン氏が8100万票、トランプ氏の7400万票を上回ってバイデン氏が大統領に当選したのだけれど、この時アメリカ中が不正選挙だったとして大混乱に陥った。トランプ支持派はさまざまな証拠をあげ不正があったと主張し、バイデン派は不正はなかったと主張した。不正があったか無かったか事実は一つなのにアメリカが二つに分断しそれが今も続いている。

 どうしてこのような事が起こるかといえば、それはインターネット社会がつくりだしているように思えてならない。

 以前から云われていることであるが、同じ価値観、趣味や境遇の人が集まった閉ざされたコミュニテーの中にいると、仲間の中で権威ある尊敬される人が話す内容が仲間内で公式見解となる。仲間内ではその公式見解に疑問を挟む人はいない。仲間内だけで話していると、賛同意見しか返ってこないし、公式見解の正しさを証明する証拠が次から次へと出てくる。するとその中の人は自分の価値観や意見と同じなので、とても居心地が良く、いつの間にか真実が見えなくなって自己の信念が強化されてしまう。これと同じようにインターネットコミュニティが閉じられた空間となってしまうと、情報を求めて入っていったとしても、そこは同じ意見ばかりが返ってきて反復しているだけになる。そこでは、反対の見解や意見はなく、他のグループとは理解しあえない全く違う見解の世界になってしまうのである。

 誰か権威ある人が自分に好ましい意見を言ったとする、次の人が同じような意見を云うときに「あの人の云うとおりだ」と反復すれば、情報が次から次へと広がっていく過程で、おもしろ可笑しく誇張され変化しながら広まっていく。話が誇張されると偽情報は拡散が早く伝わるものである。
 
 インターネットで沢山の情報が証拠付きで送られてくるが、それがはたして本当か噓か誰にも解らない。もしかしたら嘘の話が、意図的に作られた動画とともに、偽情報として拡散しているのかもしれないからである。

 インターネット検索で自分の意見や好みに合う情報を求めていくと、次から次へと自分が求めている情報が表示される。グーグルもヤフーもアマゾンもフェイスブックも検索すると検索する人それぞれに違った答えが出てくる。アルゴリズムで観測されているからである。インターネット上では私がどういう人間で、何を好んで何に興味を持ち、何を考え、何をしているか、次に何をしそうかとAIが分析しカスタマイズ(見込み客としての情報)されている。何か一つのことを検索すると自動的にその人の好みに合った情報を勝手に送ってくるようになっている。

 ネットで見ている世界はその人だけの世界になっていると云っても過言でない。ユーチューブ動画も関連情報が次から次へと表示される。興味にひかれて動画を見ていると、最初に見た自分に合う印象や意見が増幅されて強くなってくる。最初ワクチン打たない方が善いのかなと軽く考えていたことが反復され増幅されて、いつの間にか偏った強い信念に変わってしまう。意見の違いが増幅されるのでお互いが理解できなくなって、事実が共有できなくなってしまう。

 ちょうど中国共産党と欧米民主主義陣営が人権問題で理解しえないで分断しているように、韓国と日本が歴史問題や慰安婦・徴用工問題で分断しているような状態になる。それらは教育や言論弾圧によってもたらされた巨大なカルト教団みたいなものなのである。それと同じことが、インターネットでは情報を求めて自ら選択して学んでいるのだけれど、実は知らず知らずのうちに洗脳の罠にはまってしまうことになるのである。そのことをインターネット用語でフィルターバブルと云う。

 フィルターバブルに入ると物事が客観視出来なくなる。自分の好みに合った方向のニュースがどんどん出てくるから、そちら側に染まってしまう。権威ある人が証拠をそろえて指摘しているからそのとおりだと思って、その人自身も同じような強い意見を持つようになり、他に対して譲らなくなる。さらに、その人の信念も増強されてその通りだと思って行動するようになるのだと思う。フィルターバブルの中に入り込んでしまうと、新しい洞察に出会うことは期待できないと思う。

 現代人の多く、若い世代はほとんど新聞を読まないし、テレビも嘘の報道が多いなどと言って見ない。情報のほとんどをスマホやパソコンをとおしてネットで得ている。ネットには便利で有益な情報も多いが偽情報、デマ情報もあふれている。インターネットに入ってやりすぎると精神的な肥満・偏りになってくると私は思う。好きな情報だけ欲しがるから情報偏りになる。今や多くの人がネット情報によって極端に偏った妄想状態に陥っているのではないだろうか?。

 そのように、誰でもがフィルターバブルに陥る危険性がある。もし、インターネット上にあった自分にとって都合の良い情報が、サイト運営会社側から削除されたとき、「反対意見を持つ裏組織側の証拠隠滅操作である」などと言い出したら、その人はかなりネット洗脳が進んでいると思う。独善主義に陥っているから他を理解することはできないし、世界を分断することになる。「コロナワクチンは毒で百害あって一利なし」と極端に主張したり、「ワクチン接種は詐欺や陰謀だ」などと叫ぶようならもう完全にネット洗脳を疑わなくてはならない。洗脳された心で物事を見ても、いわば色眼鏡で世界を見ているわけだから真実は見えない。本当か嘘かを信ずるな、疑うな、確かめよと云ったところで、体験のない情報や先入観に支配されていれば真実は見えないのである。適応性を広げ自由でなければ真実は見えてこなない。それには自分を守る鎧を脱がなければならないと思う。それを積極的なヨガという。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2021/7/29からの転載です)

コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その2 聖地アルナチャラ



 南インドのタミールナドウ州の州都チェンナイの西方、車で5時間ほどのところに大地から湧出したような花崗岩の岩山がある。標高およそ800メートルの独立峰でアルナチャラと呼ばれる。アルナチャラの意味は「内なる炎」であるが、「篝火の山」あるいは「智慧の丘」ともいわれる聖山である。聖山アルナチャラの東麓にシバ神を祀るアルナチャレシュワラ寺院がある。アルナチャレシュワラ寺院は9つのゴープラム(山門)をもつ典型的なドラビダ様式の壮大な寺院である。テルバンナマライの街はアルナチャレシュワラ寺院の門前町として発達してきた。アルナチャラはアルナチャレシュワラ寺院の奥の院であり、山そのものがシバ神であると言われている。20世紀の中頃、この山を世界的に有名にした優れた聖者が現れた。「真我とは」と探求し続けてジュニヤーナヨガにより悟りを開いたラーマナ・マハリシである。マハリシは16歳の時、抑えがたい衝動を感じて裕福な家庭から家出した。アルナチャラに引き寄せられるようにやって来て、その後70歳で亡くなるまで生涯にわたってアルナチャラから離れることはなかった。

 聖山アルナチャラ、ラーマナ・マハリシのアシュラムそしてアルナチャレシュワラ寺院、この魅力的な3つの要素を備えたこの場所に私は25年前に来たことがある。その時、ジャイナ教と仏教の研究者として高名だったナットマル・タチヤ博士から「アルナチャラは世界最古の行者の山で、古来より優れたメディテーターを輩出してきた所である。」と聞いた。日本に帰国してもアルナチャラの印象は強く残って、いつかまた訪れたいと思っていた。

 今回の旅の目的の一つはアルナチャラの頂上に登ることと山中で瞑想すること、そして、アルナチャラ山麓を1周する巡礼路を歩くことにあった。テルバンナマライでは1年前から予約していたラマナシュラムのゲストハウスに3泊した。ゲストハウスにチエックインしてアルナチャレシュワラ寺院を見に行った。東門が正門であるがマイクロバスが着けやすい南門から入った。境内は、日曜日だったので参拝客で込み合っていたが、時間が充分にあったのでゆっくり拝観することが出来た。境内はとても広い大きな寺である。マヤの神殿を連想させる9つのゴープラム(山門)が高く聳え立つ基本構造は宗教建築の極地と言ってもよい。山門に守られた境内にはガーネシャ等を祀る祠堂や千柱ホール、シバ神を祀る本堂などがあり、どれも敬虔な信徒が熱心に参拝している。我々もヒンドウ教徒に習ってお布施をし、僧侶から額に聖なる灰のティッカをつけてもらった。寺は全て固い砂岩を組み合わせ積み上げて作られている。高い技術で柱や壁に彫刻が施されているので見る者を飽きさせない。日が暮れるとゴープラムはイルミネーションで飾られ昼間とは違った別の美しい姿を見せてくれた。

 翌日は早朝からアルナチャラの頂上をめざして登山する予定でいた。現地で登山の為の情報を集めたら、中腹のスカンダシュラムより上部は2年前から登山禁止の聖域になっているのだという。私はこの情報を全く知らないでいた。2年程前にロシア人のツーリストが山中で2日間行方不明になり、遭難騒ぎになった。それがきっかけで入山禁止になったのだという。アルナチャラはそんなに危険な山ではない。ただ、入山者が多くなると山に慣れない人は道に迷うだろうし、行者さん達の修行の妨げにもなる。頂上付近をサンクチャリーとして入山規制することでアルナチャラの神秘性が高まる。ラマナシュラムの管理運営者と政府役人の思惑と利害が一致して入山規制が始まったと私は思った。1年に一度頂上で篝火を焚く祭りの準備で、関係者が山に登る以外は何人も山に登れないことになった。サンクチャリーとして聖なる山となったが、行者さん達は山から降りてカーニャクマリ方面に行ってしまったという。25年前と比べてラマナシュラムは様変わりし、参拝客が100倍になっていた。以前のような、自ずから平和な宗教的敬虔な気持ちが湧き起ってくるような静かさが失われてしまった。テルバンナマライの街も車の数が比較にならないほど増加して騒がしく落ち着いた雰囲気を失っていた。失望した私は浦島太郎のような思いで、再訪前に作り上げていたイメージの差を埋めようと努めた。

 山頂に登れなくとも、旅を最良のものにする責任が私にはある。ツーリストが以前より格段に多いので人込みを避けてスカンダシュラムまで早朝に登って、日の出を拝むことにした。ラマナシュラムからの登山道は朝8:30にならないとゲートが開かないので、アルナチャレシュワラ寺院西門近くの東登山道はゲートが無いはずなので、そちらから登ることに決めた。

 5:00、我々一行12名と現地添乗員のネギさん、一人もかけることなく登山に参加することになった。ゲストハウスからマイクロバスで西門まで行き、そこから登山道に入る。あたりはまだ夜が明けず暗い。登山道の両脇に民家が立ち並んでいたが、やがて小さなお寺や祠のある場所に出た。この辺りにマハリシが修行したマンゴウ樹洞窟やビルパクシャ洞窟があるはずだが暗いので良くわからない。明るくなってだんだん周囲の情景がはっきりしてきたころスカンダシュラムに着いた。スカンダシュラムは固く門が閉ざされて人の気配がなかった。スカダシュラムから右手に少し上るとラマナシュラムに下る峠に出る。そこは懐かしい場所だった。25年前この大岩の上に木村賢司さんと横たわって、夜明け前の星々に輝く夜空を見上げていた。そのときは30分ほどの間に十数個の流れ星を見た。想い出の多い大岩である。この場所は今も昔と変わらない。足下にテルバンナマライの街と荘厳な佇まいを見せるアルナチャレシュワラ寺院の全景が手に取るように望まれた。登る朝日を期待したが靄にかすんで現れなかった。私たちはそれぞれ好きな場所を選んで瞑想した。野猿が沢山いたので瞑想のじゃまになった。私はその場所で持ってきた母の遺骨の小片を散骨した。その遺骨はチベットのマナサロワール湖に散骨する予定であった。ネパール地震でカイラーサに行けなくなって散骨できないでいたものである。

 スカンダシュラムからの下山は往路を下った。ビルパクシャ洞窟は時間外だったので入れなかったが、マンゴー樹洞窟は入ることが出来た。どちらもマハリシが住んで修行した場所である。マンゴー樹洞窟は建物に入って奥の方にあった。わずか数人が座ってやっと入れる広さである。洞内でマントラを唱えると音が回るように響いた。早朝に登山出来て本当に良かった。他の観光客と会わずに私たちだけの静かな登山を楽しむことが出来たからだ。

 午後の自由時間に元気な女性の南部さん伊藤さん阿部さんとともに今度はラマナシュラム側からスカンダシュラムまで登った。こちら側からの登山道にはお土産の石彫を売る人たちが店を出していた。観光客が増えたのでマハバリプラムから観光客目当てに石彫職人が出稼ぎに来ているのであろう。石彫の多くは柔らかい石で彫られていて価値あるものではなかった。アルナチャラ山は植林が進み以前に比べ格段に樹木が増えていた。25年前、砂漠のような岩山だった所が森になっている。驚くべき変わりようである。以前はスカンダシュラムの周辺しか樹木は無かった。スカンダシュラムは拝観できる時間だったので中に入った。マハリシの母親が住んでいた部屋を見た後で、マハリシの居室や瞑想室に入った。一坪に満たないような小さな瞑想室はマハリシの写真が飾られ、その前にオイルランプがともされていた。誰もいなくなった瞑想室で一人静かに瞑想の座法を組んだ。そこは狭くとも穏やかで平和な雰囲気に満ちた空間だった。スカンダシュラムで瞑想することができて、山頂に登れなかった私の満たされない心が少し平和になった。

 ラマナシュラムはすっかり観光地化してしまっていた。以前はマハリシのブロンズや黄金の彫像などなかった。マハリシが神像のように崇拝対象になり、立派な寺に変身したアシュラムに安置されている。参拝客はマハリシの像を神様のように礼拝している。マハリシはジュニヤーナ・ヨギだった。しかし、私にはアシュラムが今やバクテイ・ヨガのお寺になってしまったと感じた。マハリシがこの現状を知ったらなんと思うだろうか。純粋だった宗教が大衆化して俗的なものに変化する過程を私は学んだと思った。

 アルナチャラを一周する巡礼路は全て自動車道路になっていた。一部に人が歩くだけの巡礼路が残されているとイメージしてきたが、この点でも私のイメージはかけ離れていた。3日目の早朝5時にゲストハウスを出発し、3時間半かけて右回りの巡礼を終えたが、私の心は喜んでいなかった。その時の気持ちを例えれば、「別れなければならなくなって、25年間もう一度会いたいと恋焦がれた久恋の人と再会した。25年間、私が勝手に美しいイメージを作り上げてきたその人はあまりにも変化していた。その恋人は年を取って昔の美しいイメージはどこにもなかった。私は失望したがそれは執着した無理な願いだったと悟った。」そんな心情だった気がする。

 正直言って私の心はラマナシュラムでアルナチャラで満足からほど遠いものだった。満たされぬ思いを抱いて一人再びアルナチャレシュワラ寺院を訪れた。今度は東門から入り境内を隈なく歩いた。今日は火曜日なので空いていて、のんびりお寺の雰囲気を楽しむことが出来た。寺の境内は隙間なく大きな敷石で覆われていた。その石の感触が素足に心地よかった。西ゴープラムの主門と副門が重なる上にアルナチャラが聳えていた。この風景は今も昔も変わらない。アルナチャレシュワラ寺院別名テルバンナマライ神殿の壮大な佇まいだけは来る前に25年間描き続けていたイメージを凌駕していた。このときになって、やっとアルナチャラに来られて良かったという感情が湧き起った。今回の人生でやり残していたことの一つを為し終えたという気がした。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2018/12からの転載です)