2011年2月にインド、ラジャンスタン研修旅行に瞑想、ヨガ、ホリスティック療法、国際シンポジウムに坂本先生がご招待を受け、沖ヨガの方達と初めてのインドに行きました。日本では考えられない贅沢な宮殿に泊まり、テーマパークでの食事会など、坂本先生のおかげを被って個人で行く旅とは別格でした。
ジャイプールでの4日間、ホリスティック療法、瞑想、ヨガ国際シンポジウムで6か国の素晴らしい人たちの中にジャイナ教のサマニ―(尼僧)もいらっしゃっていました。そして最終日、坂本先生が日本に広めてらっしゃるジャイナ教瞑想のセンターに向かいました。砂漠に近いラドヌーンの町の外れに、全く別世界で広大な敷地の中には学校や、図書館、博物館、集会場、大ホール、僧侶の宿泊施設、信徒の宿泊施設、瞑想場、テーラパンタ派のきれいな本拠地でした。
その時に初めてムニ キシャンラールジにお目にかかれる機会を頂きました。年老いているはずのムニは気高く溢れるばかりのオーラに包まれており、そして眼差しに慈愛に満ちたエネルギーが私の中に入ってきました。
この場の雰囲気はなにか惹かれるものがあり、ムニ キシャンラールジと坂本先生も親しげで、先生も凄いと思いました。
日本に帰って、この旅をきっかけに坂本先生のもとで、ジャイナ教瞑想を真剣に学びました。2013年に再びインドの瞑想キャンプ「アチャリアトゥルーシー生誕100周年」に参加致しました。
この時はセンターでのお勉強のスケジュールがハードでランジット博士の瞑想から始まり、それも早朝5時半から、この時瞑想をしながらクジャクの鳴き声を初めて聞きました。
次から次へと教えて下さるムニやサマニ、ヨガの先生、お医者様とあらゆる方が教えてくださった、とても素晴らしいキャンプでした。お昼は最高指導者アチャーリアとの瞑想時間があり、そしていよいよ私の衝撃を受けたムニ キシャンラールジの「プレクシャーメディテーション」を受けた時、瞬きをしないで私を見ていなさいと言われ、目を凝らしてじっと見ていると年をとっているはずのムニがドンドン若くなって、光が出て輝き始めました。目が点になったのを今でも忘れられない思い出となっています。
瞑想は人間の持つエネルギーを活発にし、光明を放つものなのだと、目の当たりにした私でした。
ランジット博士のお勉強の中に真理、真実の探査に二つの方向性がある一つは皮膚の外側月や星、宇宙、エネルギーが外にでていく。もう一つは内側、エネルギーが中に入る。私たちは、一番身近にあるもの体の中にあるものを、一生懸命外に探し、遠くまで探している。真実を内側に探すのが瞑想です。心の中に残りました。
それで色々教えていただき、終るのが夜の10時でした。へとへとになりながら何日間続きました。
それからアチャリアトゥルーシージの生まれ育ったお家、博物館、そして動けなくなったときにいらした場所、そこに座っていたのですね。とハッキリわかるぐらい、そしてどの場所も亡くなった後でも、エネルギーに満ち溢れていました。
プレクシャーメディテーションのインド旅は私の人生観をかえました。
私の今の元になっているのはこういった経験ができ、プレクシャ瞑想のお勉強ができたからです。
長い間、私はヨガや太極拳、気功、エナジーヒーリング、瞑想、呼吸法などを教えてきて、高齢になって、ふと自分の内側に目を向けた時、若い時とは違うアンバランスなことが起きていることに気が付き始めました。心と身体のアンバランスに気付いて何かをしなければと悩み始めた時期に瞑想を中心に本来の自分の再発見、周りに左右されない今の自分にとってなにが必要なのかそして自分と長く関わってきたヨガクラスの生徒さん達も自分と同じように老いていく人達がたくさんいること。皆さんもアンバランスを感じて辞めていく人、そして亡くなった人もいる。
まずは自分を立て直すことがいかに大切か、時代の流れ文化が変化していくことの気づきがありました。
誰にでもできる瞑想、エネルギーを養うことを今までお勉強したことを一つにできないか思考錯誤していく中で瞑想、呼吸法、ストレッチ、気功、太極の部分を一つにしたような現代人にあった気を開発する若返り法「タオヨガアーツ」に巡り合いました。
まさしく老いていく今の自分、そして私の周りの人、現代社会に必要な東洋の知恵が入っているエクササイズだと思いました。
瞑想というと難しそう、もう年だからできない、敷居が高い、日常的でない苦行のようなイメージをもっている人もなんとなくできてしまう、瞑想エクササイズは体を気持ちよく動かしながら、瞑想していく方法です。
今までやってきたことを一度手放していくことも大切とこの時思いました。そして一から始めていきました。少しずつ続けているうち、自分自身が元気になっていくのが、よくわかり、今は違った形の誰にでもできるシニアクラスになり、楽しくにぎやかに励んでいます。
タオヨガは今までの瞑想法にプラス動く瞑想が入ってきます。
そして内側の経絡を開き、気の流れを良くする経絡ストレッチをしていきます。
瞑想はエネルギーの言い分を聞き、エネルギーを活性化させる方法です。凝り固まったエネルギーを解きほぐし、体の内側、外側に循環し、バランスさせてくれます。そして本当に大切な事は、楽しく、気軽に、おしゃれにやること、そして優しく自分を抱いてやること、見守ること、許すこと、微笑むことそうやって自分にアプローチし続けていくと、先ずはお肌が美しく、強く、優しく豊かな自分に変容していくことに気が付くでしょう。
そうそう若返ります( ´艸`)
私は坂本先生に次ぐ二番目の高齢者になります。
かつてこの年になったら。引退のことも考えていました。でも今は以前よりも元気になっていることに自分自身驚いています。
でも「無理はしません。無駄はしません。」あれ?かつての沖ヨガの加藤真知子先生のお言葉でした。この言葉大好きです。いつも生徒さんに言ってます。「無理はしません。」ストイックにならなくていい。自分らしく、より健やかに。
毎月第一水曜日に千葉県本八幡プレクシャ瞑想研究会の一日リトリートを坂本先生と楽しくムドラー瞑想、タオヨガムドラー瞑想、と共通したり(笑)、賛歌を歌ったり、大いに笑ったり、最近では坂本先生の光の瞑想に続いて、シンギンボウルでカヨウッサグのリラクゼーションタイムを楽しんでます。そしてアンタールヤートラの呼吸法から瞑想、たまにシンギングボウルのアーティストの方をお呼びしてシンギングボウルセラピーもとりいれて癒すことを大切にしています。こうしたことをやっていてバランスが取れてきているのも事実、そしてプレクシャとの相性がとてもいい。以前より瞑想が深くなったと自分では思います。
心も体も円く円くなりますように。自身への呼びかけです。そして私は年をとっても幸せな気持ちで毎日過ごすことができています。瞑想は人生を喜びに変えてくれます。
きっかけを作ってくださった坂本先生に深く感謝しています。
(2024年7月152号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子
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「奥会津只見ユイ道場での合宿生活の思い出」
2010年から沖ヨガ協会で坂本先生からジャイナ教瞑想を学ぶきっかけがありました。
2011年に初めてのインドに行くことになり、そこからちゃんとした瞑想を学ぶことがはじまりました。そして2年に1度の割で3回渡印し、プレクシャーを学び、普段は浦安の教室や坂本先生が所有する只見のユイ道場にて、たびたび長期、短期合宿をし、奥会津の自然の中、只見川と叶津川との分岐点で毎朝の瞑想、お仲間のふれあいが楽しくプレクシャー瞑想も当たり前にヨガと瞑想、私の生活の一部として、私の中に溶け込んでいきました。只見は行くたびにストレスが抜け、元気の源になっていたように思います。
そして一番印象にのこっているのが、一週間の予定の合宿の時行ったその日の夜、大雨が降り、道場での瞑想が終わり、番所に移動し、裏口から上がるとき足を滑らせ上がり口の石の間に足の指がはまってしまい、骨折してしまいました。後でわかったのですが、2か所骨折していました。ひどい痛みで、次の日に帰ろうと思っていました。
とりあえず食事作り担当でいらしてたマクロビオティックの森山さんが里芋のすりおろした湿布をして、お湯で温めてくださいました。少し痛みはやわらぎ、次の日ユイ道場でプレクシャーマントラ、沖先生の誓いの言葉など、坂本先生の誘導で、私のために皆さんが輪になって座り、私は大きなシンギングボウルを鳴らし皆さんはアエイオウの聖なる音それぞれに和音を奏でるように音の響きを循環させていきました。音のバイブレーションや其のあともプレクシャー瞑想が続き、終わった頃はすっかり痛みがどこへやら?そのまま帰らなくても大丈夫と思い、合宿を継続しました。
夜も皆さんと一緒に温泉にはいって、足を温め(只見の温泉で治療)普通に一週間ヨガと瞑想合宿生活を終え、帰りは先生の車で浦安まで送っていただき電車に乗って歩いて帰り、整形外科に行ったのでした。普通一週間もたつと歩くのに体重を支えるので骨と骨がずれていておかしくないのにずれていないとドクターに言われました。一週間たってから受診したことにもびっくりされていました。次の日からギブスをはめてヨガクラスにもレッスンさせていただきました。
この時は、坂本先生をはじめプレクシャー仲間の人たち、ヨガクラスの方々に本当に助けられ、自分は皆さんに生かされているなとつくづく感謝の心でいっぱいでした。今思えばマントラの波動、シンギングボウルの波動、プレクシャー瞑想のエネルギーの循環、般若心経、只見の温泉のすべてが生命エネルギーを活性し、向上したのだと確信します。
只見の環境は冬は雪でとざされ、大変きびしい環境です。そして台風の影響で川が氾濫し、周りの家や畑が流され後日訪れた時はあまりのすごさに息をのみましたが、それでも時がたつと何事もなかったかのように自然の美しさがすばらしく、エネルギー溢れる最高の場所でもあります。川のふちで座って「無常」について瞑想をしなさい。と坂本先生の言葉がいつも聞こえてくるような気がします。
今も私は過ぎ去った日々を思いながら、さらさらと流されながら、前を向いて歩くことを意識しています。月一の坂本先生の瞑想で、感じることは先生はこれはと思うことはすぐに体験され、いろいろなことの探求心にあふれています。少年のように時代の流れの変化とともに日々進化していく先生に目を見開くことが多いです。
私は坂本先生をとおしての瞑想に培われています。ムドラーを組み電磁気的なテジャス体、カルマ体を探求し、自分を通して自分を見ることの探求心を続け、そしてよいと思うこと実践して、惜しみなくだしていけたらとも思っています。年を重ねるごとにアラハトヴンダナ讃歌を聞いたり唄ったりしていると洗い清められる気が拡大して涙がこみあげてきます。日々生かされていることに深く感謝いたします。
(2025年3月160号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子