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2025.11月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
ヨガ:瞑想できる体づくりヨガ
讃歌:「プレクシャ・メディテーション 讃歌・マントラ・スートラ集」から1-2歌
講義・瞑想:中~上級者向け内容

日時:2025年11月9日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。2階に上がって頂き、入り口に入り、左に進み、受付窓口先を右に曲がった正面扉に、「元気アップヨガ」の貼紙がございまして会場になります。施設の関係上「プレクシャ・メディテーション」の記載ではありませんので、ご了承ください。


会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

指導者:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

指導者:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴40年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印16回(21回)
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:『ジャイナ教の瞑想法』『勝利者の瞑想法』『坐禅の源流印度へ』『自分で自分の医者になる』『瞑想理論と瞑想誘導実録 上 下巻』他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

コラム「勝利者の瞑想法」一覧

*各コラム名を押して頂くと、リンクが設定してある場合は、各コラムへ遷移します*

コラム:プレクシャ讃歌の魅力
コラム:あなたは何処に行きたいですか?
コラム:自殺を無くす道
コラム:瞑想をする、瞑想が起こる
コラム:生 カルマ 死 カルマ 生
コラム:所有と無所有
コラム:自己防御の砦
コラム:静と動
コラム:アヒンサー(非暴力主義)
コラム:活用する喜び
コラム:ジャイナ教僧侶がしているマスクの意味
コラム:動きを止める、動きが止まる
コラム:雰囲気と人格
コラム:エコ的生活は新しい非暴力運動です
コラム:非対立主義について
コラム:なぜ瞑想したくない、出来ない、解らないのか
コラム:カルマを無くす瞑想
コラム:ジャイナ教と仏教は兄弟宗教
コラム:別れと出会い
コラム:来世不動産
コラム:資格
コラム:言葉(言霊)の力
コラム:純粋とは何か
コラム:忍耐と無執着
コラム:呼吸の奥義
コラム:食の非暴力 俗なる立場から
コラム:憎しみと愛
コラム:魂を観る瞑想
コラム:魂について
コラム:何もしない行為
コラム:植物に心は有るか
コラム:絶体絶命、崖っぷち、究極の選択・ 非暴力と義務どっち
コラム:水は偉大なる教師であり、尊崇すべき恩人である
コラム:地球温暖化の脅威
コラム:悟りとは
コラム:無常と空
コラム:自分の生活と幸福感を何と比較するのか
コラム:仏教の源流・ジャイナ教との類似
コラム:瞑想登山
コラム:沖ヨガ冥想行法とプレクシャ瞑想
コラム:瞑想における緊張と弛緩
コラム:沈思黙考「おかげさまで」
コラム:瞑想・二つの流れ
コラム:完全なるリラックス
コラム:利己心と依頼心
コラム:身体とは何か
コラム:空の思想とマントラ
コラム:自己コントロールの道
コラム:哲学論争
コラム:ラーナクプールのジャイナ教寺院
コラム:『シッダールタ』を読んで
コラム:生かされて生きている
コラム:美しき日本刀と非暴力
コラム:アンベードカルと仏教改宗
コラム:無限の自由とは
コラム:生命が病気を創る
コラム:カラーセラピー・色彩療法
コラム:日本文化の精髄・露天風呂
コラム:カルマヨギ・二宮金次郎
コラム:皮膚と触覚と意識について
コラム:虫たちのこと
コラム:自分が自分の主人公になる
コラム:火とは何か
コラム:2017年3月19日(日) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演「ジャイナ教のカルマ論と輪廻転生」
コラム:アカルマへの道・モークシャとサンミャク・ダルシャン 2017年3月20日(月) 東京・沖ヨガスタジオ サマニー・サンマッテイ・プラギャ師講演
コラム:仏陀はなぜ魂について説明しなかったのか
コラム:アートマン 魂 本当の自己とは何か
コラム:欲望とは何か
コラム:私のヴァーサナー
コラム:自分で自分の医者になる・無病の道
コラム:四つの身体と霊的色彩光
コラム:肉体はリサイクル品
コラム:人類のカルマ・人類存亡の瀬戸際
コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その1 ラドヌーン編
コラム:2018年インド瞑想研修の旅 印象記 その2 聖地アルナチャラ編
コラム:南インドの聖なる篝火の山・アルナチャラ その1
コラム:オンライン瞑想と師資相承
コラム:魂の休息・サマイク
コラム:「迷い」と「無知」
コラム:徹底的に考える智慧の瞑想
コラム:限状態
コラム:洗脳と世界の分断
コラム:平等心と無差別
コラム:清らかな心
コラム病気の宗教哲学的な受け止め方
コラム:我即全宇宙  私の因果は全宇宙と響きあっている
コラム:人間は弱みを突かれると騙されやすい
コラム:コラム:ジャイナ教の特徴は魂とカルマの詳細な説明
コラム:コラム:洞察力を養いアカルマをめざすアヌ・プレクシャ
コラム:コラム:真実の自分を観る ジーバ・魂霊の二重性を理解する
コラム:コラム:流れて時が過ぎれば

コラム[ジャイナ教の特徴は魂とカルマの詳細な説明]

近世ヨーロッパでジャイナ教哲学が研究され始めた時、ジャイナ教は仏教の一つの分派であると考えられた。それほどジャイナ教と仏教の教義が類似していたのである。今ではジャイナ教と仏教は別の宗教であると確定している。しかし、修行法も開祖の生い立ちや境遇、宗教が成立した時代背景などに共通点が多く、兄弟宗教と考えられている。

ジャイナ教と仏教の根本的な共通点は何であるのか。

 初期仏教とジャイナ教の共通点は、生きとし生けるものは生滅を繰り返し輪廻転生していて、生存そのものを苦しみであると解釈した。人間はその生存の苦しみになっている輪廻から離脱して理想の状態(涅槃・モークシャ・解脱)を目指すべきであると教説している。

では、何処が根本的に異なっているのか。

 それはアートマン(魂霊)の解釈の違いである。マハヴィーラはアートマンについて克明に説いて輪廻からの解脱を教えた。一方、仏陀は実用現実主義、唯物主義的観点に立ち、実在を証明できないから、アートマンについて説明を避けて涅槃を説いた。アートマンを説明すると極端な非暴力主義に陥り、人間生活が非現実的で不便になると云う理屈からであった。仏陀の時代、ジャイナ教はニガンタ宗と呼ばれ裸形派(ディガンバラ)だけだった。仏陀はニガンタの修行者を見て、極端な苦行で自虐することに疑問を抱き中道を唱えたのである。

 マハーヴィーラは現象世界、自然界を徹底観察し、思考の上に思考を重ねる論理的思想家であった。彼は物質的なものだけではこの世の中を完璧に説明できないとして、非物質的な物の見方を加えて解脱を説いたのである。彼は理想主義者、厳格主義者、非唯物論者だったと私は考えている。マハヴィーラは以前から有った自我説(アートマン)とカルマ論を発達させ精緻なものにした。その結果としてジャイナ教は不殺生・非暴力、無所有・無執着の厳しい修行体系となっていったのだと思う。

 ジャイナ教聖典の中で、最も古代のものであるとされる聖典に『アーヤーランガ』がある。
この聖典は幸いなる方、バガヴァン・マハヴィーラの弟子であるスハンマ (50歳でマハヴィーラとの論争に敗れて弟子となり、80歳まで師と共に過ごし、92歳で一切智者となり、100歳でモークシャに入った。) が、直弟子のジャンブー (マハヴィーラがモークシャになった64年後に一切智者になった) に語った記録である。
 この聖典はマハヴィーラが出家修行者の為に向けて語ったものであって、在家に向けられたものではないと云う特徴がある。

その中の第1章、第3節の3に次のような記述がある。

みずから、世間を決して誣いるべきではない。アートマンを決して誣いるべきではない。
世間を誣いるものはアートマンを誣いる。アートマンを誣いるものは世間を誣いる。

と語っている。

◆世間は世の中と云う意味で、誣いるという言葉は事実と違うことを云ったり、事実を曲げて人に話すことである。マハーヴィーラはこの様にアートマンの考え方を大事にしていたことが伺える。

 アートマンの哲学はマハヴィーラよりも100年以上古い時代に既にインドでは知られていた。ヤージュニヤ・ヴァルキヤはバラモン教の思想家であったが、アートマンはこの世界の外側別次元に属し、輪廻転生の原動力はカルマであると説いている。輪廻転生思想と瞑想修行はインダス文明まで遡るとされ、インド先住民族ドラヴィダ人に伝承されていた。ドラヴィダ人の宗教はシュラマナ系の流れと云われ、その中から、BC6世紀、ジャイナ教と仏教がほぼ同時代に起こったのである。時代は少し遡るが、バラモン系宗教とシュラマナ系宗教の思想的、修行的な合流があって、BC8世紀ごろ、インドの宗教思想の核心、解脱思想が起こったのである。

 解脱とは輪廻転生からの離脱である。カルマを無くすことによって、輪廻転生は止まるとその時代の人々は考えた。

 仏陀は従来から一般に信じられていたアートマンに対する信仰に疑問を抱き、アートマンに言及せず、縁起論(カルマ論)と輪廻転生からの涅槃を説いた。仏陀の菩提樹下での、考える瞑想の悟りは『12縁起』として知られている。「これがあれば、これがある。これが生ずれば、これが生ずる。これが無ければ、これが無い。これが滅すれば、これが滅する。」順にたどっていって、出発点にあるのが無明だと気付いた。無明が滅すれば、輪廻も滅すると解釈したのである。無明と云うのは、いろいろな欲望の基であり、言葉を変えるなら、苦楽の感覚、そして好き嫌いの感情の大元である。生きていたい、永く健康でいたいと云う命の働きの中にインプットされた根本的な生存欲である。これを無知と云い、渇愛と呼び、ほとんど制御できないから無明と云った。初期仏教の涅槃は無明を滅することだったから、ことさらアートマンやカルマについて詳しく説明しなくても済んだのだと思う。

 一方、マハヴィーラはアートマンを説き、全ての生きとし生ける物はアートマンのレヴェルで平等であり、無差別であり、輪廻転生の中で親兄弟であり、友であると説いた。生き物たちは生きたくて生きていて死にたくないし、いじめられるのは嫌なのだから、決して他に対して暴力をふるったり、殺してはならないとした。ジャイナ教は不殺生・非暴力、無所有・無執着の宗教である。仏教にもそのような教えがあるがジャイナ教はそれらが徹底している。魂の哲学を発展させ強調すると人間生活が不便になるきらいがある。仏陀は人間生活に不便であり、現実的ではないアートマンに対する考え方を避けたのだと私は推察する。

 ジャイナ教はマハヴィーラ以降もアートマンの哲学とカルマ論を発達させていった。特にジャイナ教の修行はいかにアートマンから物質的なカルマの染着を取り除いていって、純粋になるかに絞られるようになった。

 ジャイナ教のカルマは素粒子のような超微細な物質である。超純粋なるアートマンにカルマが付着するとジーバと呼ばれる生命体になる。その生命体は行為することによって微細なバイブレーションが起こり、それに、部質的なカルマが引き寄せられて流入・アースラヴァが起こる。カルマのアースラヴァによって魂(アートマン)は束縛・バンダされる。束縛を受けて不自由になり自己を見失いカルマによってコントロールされる。魂の本質は無限の自由であり、歓喜にあふれ全知全能であるが、束縛によってそれらが覆い隠されて誤解と迷いと苦しみの人生になる。

 ジャイナ教修行と云うのは、そのカルマの流入を防止・サンバァラして、蓄積されているカルマは解放・ニルジャーラして完全なるアカルマ・無業を目指すものである。
 解放・ニルジャーラは残存するカルマを除去するには苦行と禁欲によって可能であるとしている。ジャイナ教の極端と思える苦行や禁欲主義、厳しい戒律はこのようにして出来上がってきたのである。
 ジャイナ教の解脱、モークシャは全知全能、完全なる自由、歓喜に溢れている。究極の清らかさである。仏教の涅槃、ニルバーナは蠟燭の火を吹き消すように何も残らない。虚無的である。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2025/5/29からの転載です)

コラム[雰囲気と人格]

私達の潜在意識はコンピューターのハードディスクのような機能を持っている。私達の体験や日常生活でどの様に反応したかが潜在意識にインプットされている。インプットされているものは知識や記憶ではない。出来事に対してどの様に反応したかが性格や人格となって根付いている。それらは外部情報に対してのどの様に反応するかという心の癖のようなものだ。知識や記憶は身体機能としての脳が行っていて、それは例えれば取り外しできるパソコンのメモリーのようなものである。身体の死とともに知識や記憶は消滅する。

しかし、性格や人格、嗜好は潜在意識にインプットされていて肉体が死滅した後、次の生に引き継がれていくものと云える。同時に性格や人格、嗜好は次の生を引き寄せる原動力になっている。それがカルマである。人はカルマによってそこに生まれ、そのような身体を持ち、そのように生活し、奴隷のように操られ、カルマによって死ぬ。カルマは肉体の死によって終わるものでもない。カルマは命や魂に付いて変化しながら継続する。

カルマは因縁とも云い、原因である種が、縁である土や水、気温、光によって発芽し成長し実を結ぶと例えられる。リンゴの種にはリンゴが稔り、かぼちゃの種にはかぼちゃが稔る。リンゴの種にかぼちゃは成らないという自然法則の事である。さらにカルマは意志であり行為でもある。意志や行為によって結果が変わるからだ。又、結果(受業)の事をカルマという。その結果が潜在意識にインプットされると原因としてのカルマ(因業)になる。カルマは輪廻転生の原動力であり、私達に自業自得と自己責任、全肯定の生き方を教えてくれている。自然界や人間社会を良く観察するとカルマの法則があらゆるところに浸透していることが理解できる。

全ての人間は個性的である。まったく同じ人は過去にも現在も未来も存在しない。人生は一度だけというのがそういう意味だ。人間は個別で大変ユニークな存在である。つまり、全ての人のカルマは違うということである。人それぞれに雰囲気や人格が異なるのもカルマがあるからだ。いやしく愚鈍な雰囲気、清らかで崇高な雰囲気、それらは肉体レベルを超えた内部からのカルマの放射であるところのある種のエネルギーである。カルマとしてのエネルギー放射は身体を繭のように取り囲むオーラになる。近年、オーラカメラによってそのエネルギーを写真に映すことが不完全ながら出来るようになった。

オーラは肉眼では見ることが出来ない霊的な色彩光である。私達の叡智はその霊的な色彩光を感知して人格や人の雰囲気として解釈している。人の印象、雰囲気、気が合う合わないは、叡智が知覚しているだ。類は類を呼ぶの喩えではないが、同質なものの中では居心地が良い。一方、カルマは条件が整うと解消されるべく現れてくる。解消されるために、都合の悪い人と出会わなければならないし、時には好きでない条件や嫌いな環境が与えられるのだ。条件や環境は誰かによって与えられるのではなく、自らがカルマの解消のために叡智が選択しているのである。時が来て条件が整えば、受け止めなければならないことは受け止めざるを得ないし、やらなければならないことはやらざるを得ないのです。

ジャイナ教哲学では魂をカルマ体が覆っていて、魂からの霊的放射はカルマ体を通過するときに善い悪いの霊的な色彩が付いて、それが電磁気的な身体、そして肉体へと広がってゆき肉体外部への霊的エネルギー放射となると考えられている。そのエネルギーには霊的色彩がついている。この内部から外部への霊的色彩光の放射をレーシャという。レーシャと云う概念を使うとカルマや人格、雰囲気など矛盾なく説明できる。又、外部から内部へと向かう反対のレーシャを使えば、その人の雰囲気と共に性格やカルマ云った潜在意識下のインプットを書き換えることが出来る。これを応用したのがレーシャ・ディヤーナであ
り、アヌプレクシャである。

カルマの改善、コントロールこそ仏教とジャイナ教が目指す修行であり、それが解脱への道である。仏陀は一瞬一瞬変化しつつ継続していく命はあるが、不変の魂は無いといった。命がカルマによって輪廻転生すると説明した。心を観ている叡智が命であるなら、命と魂は言葉の定義の問題で同じことを云っているのではないだろうか。瞑想している時に自分の身体や心、意識を観じているのは心ではなく叡智である。心で心を観ることは出来ない。カルマで汚れた不純な心を、叡智である純粋意識が観ることは出来る。叡智を命といえば命になるし魂といえば魂になる。カルマが清められて変化する不純な心が純粋になって消滅したとき魂の理想状態が現れる。「アカルマの道」は金鉱石を精錬して純金にする過程にも似ている。心を清らかにする方法の事を、「魂の汚れをとる」と表現したほうが多くの人々に解りやすい。不滅の魂があるかないかは古代から続く未決着の論争だ。正しい間違いの問題ではない。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2012/6/25からの転載です)

コラム「プレクシャな生活」一覧

*各指導士名・コラムから各記事へ遷移します*

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・目黒かおる)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・岩渕 和恵)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・福元朗)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・谷内 健太郎)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・山口みゆき)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・柿澤 真紀子)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・佐々木 薫)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・大野ゆか)

プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 準指導士・深野晶子)

 

2025.10月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
ヨガ:瞑想できる体づくりヨガ
讃歌:「プレクシャ・メディテーション 讃歌・マントラ・スートラ集」から1-2歌
講義・瞑想:中~上級者向け内容

日時:2025年10月5日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。2階に上がって頂き、入り口に入り、左に進み、受付窓口先を右に曲がった正面扉に、「元気アップヨガ」の貼紙がございまして会場になります。施設の関係上「プレクシャ・メディテーション」の記載ではありませんので、ご了承ください。


会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

指導者:まついちえこ(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
1978年 沖ヨガに入門 沖正広導師のご縁で指導員研修を受ける
~1986年 三上光治先生の元で指導員・カルチャースクール・大手企業等でヨガ指導
2006年 沖ヨガ指導員として復帰
2007年 プレクシャ・国際キャンプに初参加
以来プレクシャ研修のために渡印5回
シバナンダアシュラム + ヒマラヤ巡礼・他・インド旅 14回(2024年現在)
日本プレクシャ・ディアーナ協会 講師・役員
プレクシャ・インターナショナル  国際プレクシャ・上級教師
NPO.沖ヨガ協会  \講師・理事
動禅整体師

指導者:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴40年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印16回(21回)
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:『ジャイナ教の瞑想法』『勝利者の瞑想法』『坐禅の源流印度へ』『自分で自分の医者になる』『瞑想理論と瞑想誘導実録 上 下巻』他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

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2025.9月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
ヨガ:瞑想できる体づくりヨガ
讃歌:「プレクシャ・メディテーション 讃歌・マントラ・スートラ集」から1-2歌
講義・瞑想:中~上級者向け内容

日時:2025年9月7日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。2階に上がって頂き、入り口に入り、左に進み、受付窓口先を右に曲がった正面扉に、「元気アップヨガ」の貼紙がございまして会場になります。施設の関係上「プレクシャ・メディテーション」の記載ではありませんので、ご了承ください。


会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

指導者:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

指導者:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴40年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印16回(21回)
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:『ジャイナ教の瞑想法』『勝利者の瞑想法』『坐禅の源流印度へ』『自分で自分の医者になる』『瞑想理論と瞑想誘導実録 上 下巻』他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
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プレクシャな生活(日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子)

2011年2月にインド、ラジャンスタン研修旅行に瞑想、ヨガ、ホリスティック療法、国際シンポジウムに坂本先生がご招待を受け、沖ヨガの方達と初めてのインドに行きました。日本では考えられない贅沢な宮殿に泊まり、テーマパークでの食事会など、坂本先生のおかげを被って個人で行く旅とは別格でした。

ジャイプールでの4日間、ホリスティック療法、瞑想、ヨガ国際シンポジウムで6か国の素晴らしい人たちの中にジャイナ教のサマニ―(尼僧)もいらっしゃっていました。そして最終日、坂本先生が日本に広めてらっしゃるジャイナ教瞑想のセンターに向かいました。砂漠に近いラドヌーンの町の外れに、全く別世界で広大な敷地の中には学校や、図書館、博物館、集会場、大ホール、僧侶の宿泊施設、信徒の宿泊施設、瞑想場、テーラパンタ派のきれいな本拠地でした。

その時に初めてムニ キシャンラールジにお目にかかれる機会を頂きました。年老いているはずのムニは気高く溢れるばかりのオーラに包まれており、そして眼差しに慈愛に満ちたエネルギーが私の中に入ってきました。

この場の雰囲気はなにか惹かれるものがあり、ムニ キシャンラールジと坂本先生も親しげで、先生も凄いと思いました。

日本に帰って、この旅をきっかけに坂本先生のもとで、ジャイナ教瞑想を真剣に学びました。2013年に再びインドの瞑想キャンプ「アチャリアトゥルーシー生誕100周年」に参加致しました。

この時はセンターでのお勉強のスケジュールがハードでランジット博士の瞑想から始まり、それも早朝5時半から、この時瞑想をしながらクジャクの鳴き声を初めて聞きました。

次から次へと教えて下さるムニやサマニ、ヨガの先生、お医者様とあらゆる方が教えてくださった、とても素晴らしいキャンプでした。お昼は最高指導者アチャーリアとの瞑想時間があり、そしていよいよ私の衝撃を受けたムニ キシャンラールジの「プレクシャーメディテーション」を受けた時、瞬きをしないで私を見ていなさいと言われ、目を凝らしてじっと見ていると年をとっているはずのムニがドンドン若くなって、光が出て輝き始めました。目が点になったのを今でも忘れられない思い出となっています。

瞑想は人間の持つエネルギーを活発にし、光明を放つものなのだと、目の当たりにした私でした。

ランジット博士のお勉強の中に真理、真実の探査に二つの方向性がある一つは皮膚の外側月や星、宇宙、エネルギーが外にでていく。もう一つは内側、エネルギーが中に入る。私たちは、一番身近にあるもの体の中にあるものを、一生懸命外に探し、遠くまで探している。真実を内側に探すのが瞑想です。心の中に残りました。

それで色々教えていただき、終るのが夜の10時でした。へとへとになりながら何日間続きました。

それからアチャリアトゥルーシージの生まれ育ったお家、博物館、そして動けなくなったときにいらした場所、そこに座っていたのですね。とハッキリわかるぐらい、そしてどの場所も亡くなった後でも、エネルギーに満ち溢れていました。

プレクシャーメディテーションのインド旅は私の人生観をかえました。

私の今の元になっているのはこういった経験ができ、プレクシャ瞑想のお勉強ができたからです。

長い間、私はヨガや太極拳、気功、エナジーヒーリング、瞑想、呼吸法などを教えてきて、高齢になって、ふと自分の内側に目を向けた時、若い時とは違うアンバランスなことが起きていることに気が付き始めました。心と身体のアンバランスに気付いて何かをしなければと悩み始めた時期に瞑想を中心に本来の自分の再発見、周りに左右されない今の自分にとってなにが必要なのかそして自分と長く関わってきたヨガクラスの生徒さん達も自分と同じように老いていく人達がたくさんいること。皆さんもアンバランスを感じて辞めていく人、そして亡くなった人もいる。

まずは自分を立て直すことがいかに大切か、時代の流れ文化が変化していくことの気づきがありました。

誰にでもできる瞑想、エネルギーを養うことを今までお勉強したことを一つにできないか思考錯誤していく中で瞑想、呼吸法、ストレッチ、気功、太極の部分を一つにしたような現代人にあった気を開発する若返り法「タオヨガアーツ」に巡り合いました。

まさしく老いていく今の自分、そして私の周りの人、現代社会に必要な東洋の知恵が入っているエクササイズだと思いました。

瞑想というと難しそう、もう年だからできない、敷居が高い、日常的でない苦行のようなイメージをもっている人もなんとなくできてしまう、瞑想エクササイズは体を気持ちよく動かしながら、瞑想していく方法です。

今までやってきたことを一度手放していくことも大切とこの時思いました。そして一から始めていきました。少しずつ続けているうち、自分自身が元気になっていくのが、よくわかり、今は違った形の誰にでもできるシニアクラスになり、楽しくにぎやかに励んでいます。

タオヨガは今までの瞑想法にプラス動く瞑想が入ってきます。

そして内側の経絡を開き、気の流れを良くする経絡ストレッチをしていきます。

瞑想はエネルギーの言い分を聞き、エネルギーを活性化させる方法です。凝り固まったエネルギーを解きほぐし、体の内側、外側に循環し、バランスさせてくれます。そして本当に大切な事は、楽しく、気軽に、おしゃれにやること、そして優しく自分を抱いてやること、見守ること、許すこと、微笑むことそうやって自分にアプローチし続けていくと、先ずはお肌が美しく、強く、優しく豊かな自分に変容していくことに気が付くでしょう。

そうそう若返ります( ´艸`)

私は坂本先生に次ぐ二番目の高齢者になります。

かつてこの年になったら。引退のことも考えていました。でも今は以前よりも元気になっていることに自分自身驚いています。

でも「無理はしません。無駄はしません。」あれ?かつての沖ヨガの加藤真知子先生のお言葉でした。この言葉大好きです。いつも生徒さんに言ってます。「無理はしません。」ストイックにならなくていい。自分らしく、より健やかに。

毎月第一水曜日に千葉県本八幡プレクシャ瞑想研究会の一日リトリートを坂本先生と楽しくムドラー瞑想、タオヨガムドラー瞑想、と共通したり(笑)、賛歌を歌ったり、大いに笑ったり、最近では坂本先生の光の瞑想に続いて、シンギンボウルでカヨウッサグのリラクゼーションタイムを楽しんでます。そしてアンタールヤートラの呼吸法から瞑想、たまにシンギングボウルのアーティストの方をお呼びしてシンギングボウルセラピーもとりいれて癒すことを大切にしています。こうしたことをやっていてバランスが取れてきているのも事実、そしてプレクシャとの相性がとてもいい。以前より瞑想が深くなったと自分では思います。

心も体も円く円くなりますように。自身への呼びかけです。そして私は年をとっても幸せな気持ちで毎日過ごすことができています。瞑想は人生を喜びに変えてくれます。

きっかけを作ってくださった坂本先生に深く感謝しています。

(2024年7月152号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子

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「奥会津只見ユイ道場での合宿生活の思い出」

2010年から沖ヨガ協会で坂本先生からジャイナ教瞑想を学ぶきっかけがありました。

2011年に初めてのインドに行くことになり、そこからちゃんとした瞑想を学ぶことがはじまりました。そして2年に1度の割で3回渡印し、プレクシャーを学び、普段は浦安の教室や坂本先生が所有する只見のユイ道場にて、たびたび長期、短期合宿をし、奥会津の自然の中、只見川と叶津川との分岐点で毎朝の瞑想、お仲間のふれあいが楽しくプレクシャー瞑想も当たり前にヨガと瞑想、私の生活の一部として、私の中に溶け込んでいきました。只見は行くたびにストレスが抜け、元気の源になっていたように思います。

そして一番印象にのこっているのが、一週間の予定の合宿の時行ったその日の夜、大雨が降り、道場での瞑想が終わり、番所に移動し、裏口から上がるとき足を滑らせ上がり口の石の間に足の指がはまってしまい、骨折してしまいました。後でわかったのですが、2か所骨折していました。ひどい痛みで、次の日に帰ろうと思っていました。

とりあえず食事作り担当でいらしてたマクロビオティックの森山さんが里芋のすりおろした湿布をして、お湯で温めてくださいました。少し痛みはやわらぎ、次の日ユイ道場でプレクシャーマントラ、沖先生の誓いの言葉など、坂本先生の誘導で、私のために皆さんが輪になって座り、私は大きなシンギングボウルを鳴らし皆さんはアエイオウの聖なる音それぞれに和音を奏でるように音の響きを循環させていきました。音のバイブレーションや其のあともプレクシャー瞑想が続き、終わった頃はすっかり痛みがどこへやら?そのまま帰らなくても大丈夫と思い、合宿を継続しました。

夜も皆さんと一緒に温泉にはいって、足を温め(只見の温泉で治療)普通に一週間ヨガと瞑想合宿生活を終え、帰りは先生の車で浦安まで送っていただき電車に乗って歩いて帰り、整形外科に行ったのでした。普通一週間もたつと歩くのに体重を支えるので骨と骨がずれていておかしくないのにずれていないとドクターに言われました。一週間たってから受診したことにもびっくりされていました。次の日からギブスをはめてヨガクラスにもレッスンさせていただきました。

この時は、坂本先生をはじめプレクシャー仲間の人たち、ヨガクラスの方々に本当に助けられ、自分は皆さんに生かされているなとつくづく感謝の心でいっぱいでした。今思えばマントラの波動、シンギングボウルの波動、プレクシャー瞑想のエネルギーの循環、般若心経、只見の温泉のすべてが生命エネルギーを活性し、向上したのだと確信します。

只見の環境は冬は雪でとざされ、大変きびしい環境です。そして台風の影響で川が氾濫し、周りの家や畑が流され後日訪れた時はあまりのすごさに息をのみましたが、それでも時がたつと何事もなかったかのように自然の美しさがすばらしく、エネルギー溢れる最高の場所でもあります。川のふちで座って「無常」について瞑想をしなさい。と坂本先生の言葉がいつも聞こえてくるような気がします。

今も私は過ぎ去った日々を思いながら、さらさらと流されながら、前を向いて歩くことを意識しています。月一の坂本先生の瞑想で、感じることは先生はこれはと思うことはすぐに体験され、いろいろなことの探求心にあふれています。少年のように時代の流れの変化とともに日々進化していく先生に目を見開くことが多いです。

私は坂本先生をとおしての瞑想に培われています。ムドラーを組み電磁気的なテジャス体、カルマ体を探求し、自分を通して自分を見ることの探求心を続け、そしてよいと思うこと実践して、惜しみなくだしていけたらとも思っています。年を重ねるごとにアラハトヴンダナ讃歌を聞いたり唄ったりしていると洗い清められる気が拡大して涙がこみあげてきます。日々生かされていることに深く感謝いたします。

(2025年3月160号メルマガからの転載)
日本プレクシャ・ディヤーナ協会 指導士・高山知子

2025.7月開催 坂本知忠先生から学ぶプレクシャ・メディテーション-プレクシャ・ヨガ/讃歌(マントラ)/講義/瞑想すべて体験できる1DAYクラス-

プレクシャ・メディテーションは、今から約2600年前、ブッダの時代からインドに伝わる古代瞑想法を、やはり仏教と同じ時代から存在し受け継がれている古代宗教ジャイナ教(テーラパンタ派)の前最高指導者であるアチャーリヤ・マハープラギャ師が、最新科学の知見を採り入れて現代的に再構成した古くて新しい瞑想法です。

理論面、実践面ともに、細かく体系的に構築されている瞑想法であるため、説明が平易で、初心者でも簡単にはじめられる内容になっています。

理論的には非常に深遠な内容を含んでいますので、他の瞑想やヨガに通じた人、親しんでいる人にも大いに参考になります。

内容)
ヨガ:瞑想できる体づくりヨガ
讃歌:「プレクシャ・メディテーション 讃歌・マントラ・スートラ集」から1-2歌
講義・瞑想:中~上級者向け内容

日時:2025年7月6日(日)10-12時(開場:9時半)

会場:茗荷谷中央大学キャンパス2階(住所:大塚1丁目4番地)
*丸の内線茗荷谷駅前の春日通りを左に行くと、新設の中央大学茗荷谷キャンパスがあり、その2階になります。中央大学正面入り口の手前左側に階段、右側にエレベーターがあります。お間違いのないようご注意ください。2階に上がって頂き、入り口に入り、左に進み、受付窓口先を右に曲がった正面扉に、「元気アップヨガ」の貼紙がございまして会場になります。施設の関係上「プレクシャ・メディテーション」の記載ではありませんので、ご了承ください。


会場参加受講料:2000円
アーカイブ動画視聴:1000円
*アーカイブ動画視聴の場合、クラス終了後1週間以内に、クラス動画を共有させて頂きます

指導者:伊東真知子(指導ランク:講師)*ヨガ担当*

日本プレクシャ・ディヤーナ協会 役員
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印5回(2019年3月時点)
1980年沖ヨガ入門
1982年ヨガ指導開始
2008年プレクシャ・メディテーション指導開始
月2回神保町区民館にてヨガと瞑想クラス開催

指導者:坂本知忠(指導ランク:教師)*讃歌、講義、瞑想担当*

 
日本プレクシャ・ディヤーナ協会会長
水晶瞑想両方研究所主宰
ヨガ瞑想指導歴35年以上
プレクシャ・メディテーション研修のため渡印13回
2015年プレクシャ・アウオード受賞
著書:「白神山地」「虹のクリスタル・ワーク」「ジャイナ教の瞑想法」「勝利者の瞑想法」「坐禅の源流印度へ」「自分で自分の医者になる」他

問合先:日本プレクシャ・ディヤーナ協会(japan@preksha.com)

申込先:こちらお申込み
*リンク先へ移行できない方は「問合先」まで氏名、携帯電話をご明記の上、お申込みください。 

コラム[人間は弱みを突かれると騙されやすい]

現代はネット通販での物品購入が盛んである。ウェブ上には沢山の広告が溢れている。世の中のほとんど全ての商品をスマホやパソコンで検索し、購入できると云っても過言でない。

商品を売りたい方からすれば、いかに上手に消費者の購買意欲に訴えるか智慧を絞っている。広告が上手であれば、価値に乏しい物も高くよく売れる。

ネット通販で商品を購入して、イメージした物と、届いた実物が大きく違っていて、失敗したと思った人も多いだろう。また逆にネットオークションで、とても素晴らしい物を安価に入手して喜ぶ人もいるでしょう。

なぜこのようなことが起こるのかは、ウェブ上では視覚を中心にした画像と文字情報が主であるからだ。そこには、触覚による情報が無い。触覚を欠いた情報はバーチャルであると云えるだろう。そこには体験が欠けている。生き物の根源的な感覚器官は触覚である。触覚が備わっていない生き物は、物質的なこの世には存在しない。触覚の大切さをもう一度しっかり思い起こしてほしいと思う。

私はここ2-3年、視力が衰えて老眼も進んだ。読書が今の私の最大の愉しみなのだけれど、大きめの虫眼鏡を使って、小さな文字を読んでいる。不便極まりない日常である。今や視力の衰えは私の最大の弱点になった。

その弱点を上手に突かれた。ドウー・アクティブという老眼鏡がある。左右のレンズが二重になっていて、フレームに付いている調整ねじを回すことで、前のレンズが左右にスライドし焦点が適正に調整されるものである。「なるほど、うまいことを考えたものだな」と思ってネットで注文した。

ネットでしか買えない視力を改善するというサプリメントを注文して、試してみた。しばらく続けたが何の効果も現われなかったので、「もう、ネットで買い物は止めよう」と思ったはずなのに、「これは」と期待してしまったのだ。

届いた商品の老眼鏡の性能に嘘は無かった。使い方の問題、商品に対する期待感の問題だった。購入前に衣類を試着するように、体験出来ればよかった。返品も出来たが面倒だったので、今後の教訓にしようと考えて返品しないことにした。

老眼鏡購入で失敗した数日後、ビル風に煽られで、10年ほど大事に使ってきた70センチの雨傘が壊れてしまった。ネット通販はこりごりしたので、銀座の松屋に出かけて実物を見て、手で触り納得できるものを買い求めた。値段はネットで買う通常の物より、2倍も高価だった。慌てて行動すると、注意深さに欠けて間違えることが多い。便利さとスピードと安価さはネット通販業者の武器であるが、その利便性が逆に我々の弱点を示しているのである。

似たようなことで、特殊詐欺の被害者になる人は、その人の弱点を詐欺師に突かれるからだと思う。気になっていた宗教的な詐欺まがいも同様にして起こってくることに気付いた。

仏陀やジナ(マハーヴィーラ)の教えは本来、完全な自力であった。自力と云うのは全てが自己責任ですよ、と意味している。しかし、大乗仏教はヒンドゥー教の成立を受けて、その他力主義を取り入れて変化したものであり、仏陀が提唱した仏教ではない。後世のジャイナ教でも、ある一派ではジナの偶像を崇拝し、寺院を作るように変化した。

大乗仏教では救い救われを説き、衆生に対する慈悲である菩薩行を強調する。出家も在家も菩薩行を実践する人は慈悲としての救いに邁進する。一方で心身に悩み、苦しむ衆生は、それに対して救われを求める。救われたいと云う需要があるから、救い手が現われてくる。相互依存の関係になっている。騙されたい人がいるから、騙し手が現われる。これも相互依存であると云える。

私は弱者と自己責任感の少ない人は別けて考えるべきと思う。弱者は助けなければならない。怠け者や自己責任感に欠ける人に対しては救いではなく、教育が必要なのだと思う。二宮金次郎は慈悲をそのように別けて実行した。弱者と怠け心の無責任者を混同して助けようとするから、嘘ではないけれど、本当ではないことが必要になってくるのではないかと考える。そこには救い手側の都合や欲も含まれていると考える。自己責任が強い人は、救いを求めない。救いを求める依頼心の強い人は、責任を他に転化しがちな人だと私は考える。

「依頼心はエゴイズムと共に世の中を悪くしている根本原因だ。」と沖正弘先生も言及している。いらないところまで、救い救われ理論を持ち込むから騙した騙されたのような詐欺まがいの問題が起こっているのではないかと考える。肉体の病気治療もヒーリングも効果は一時的なものだと考えるべきである。根本的な解決法は別の所に有るからだ。問題が起こる根本原因は救い手と救われ手の相互間でのもっと、もっと、もっと、と云う渇愛(根本欲)に起因しているのだと思う。そこを解決しなさいと仏陀が説いています。

大乗仏教では仏道に易行道と難行道があるとして、自力道である難行を廃して、救い救われの道である易行、つまり他力を勧めた。本当に価値あるものが簡単に手に入るはずがない。このことは少し考えれば道理に合わないとすぐ解るだろう。楽な事、簡単なことの概念に、自分の欲と期待が引っかかると体験に乏しい人は騙されてしまうのである。騙されたい人が欲を持っているから、騙す方はそれを上手に利用する。

【救われたい人間の欲】
仏陀の時代から過去仏と未来仏という考え方があった。釈迦牟尼仏陀は入滅したので未来仏としての弥勒如来が生まれるまでは、仏のいない時代となる。それでは人間は救われない時代なので困るではないか、と云うことで現代仏が求められた。

【救い手の対応】
その要請に答えるように、造り出されたのが現代仏としての数々の如来や菩薩である。代表的なものが観音菩薩、地蔵菩薩である。大無量寿経に記された法蔵菩薩の大願、西方極楽世界の阿弥陀仏。東方浄瑠璃世界の薬師如来。維摩経に出てくる妙義国のアシュク如来。華厳世界の毘盧遮那仏。おとぎ話のような壮大な物語として現在仏のいます世界と架空の仏が造り出されたのである。 

【更なる対応とその理論】
方便はその時代の人が救いを求める人々の解決策として、作られた理論、理窟である。小さな嘘は直ぐバレル。大きな嘘は検証しようがない、信ずるか信じないかになってしまう。方便は嘘ではないけど本当ではない。厳密にいえば本当でなければ嘘なのである。方便によって救われるのであれば、それは騙したということではなく、助けたということである。その理屈は助けた方の言い訳ともとれる。本当に必要性があったか検証されなければならないと思う。方便と云うのは真理に近づくために、その人のレヴェルに必要に合わせた処方箋みたいなものである。善い方便もあるが、私たち一人一人は方便を超えて真理を探す旅を継続すべきと考える。それが自力の道である。私は他力は人の精神性を高める効果として乏しいのではないかと考えている。

方便によって救われるためには、その物語が真実真理だと信じて塵ほどの疑いを持ってはならないと云うのである。仏教用語で疑蓋と云うのは、99%信じていても救われない、100%信じないとだめだという。法蔵菩薩が全ての衆生の悟りの後、誓願が成就して悟りの本願を成就したのだから、全ての人間は既に悟っている。だから『南無阿弥陀仏』と唱えれば誰でも救われる。「そうであるなら疑っている人は救われないと云うのは、二枚舌で矛盾ではないのか。」「信じていない人も悪人も極楽往生できるのですから。既に全ての衆生は救われているのでしょう。」 人間はもともと悟っていた、救われていた。なのに、好んで遊戯の旅に出た。遊戯の旅に飽きたら、もとの真実に戻りたくなるだろう。それが、南無阿弥陀仏だよ。「それなら、理屈っぽい私にも理解できる。だけど、そのような説明は聞いたことが無い。」真実の内なる自己を探求していけば、外なる何者かに頼ることは無くなるだろう。頼れるものは自分自身だけであると云う考え方を私は支持する。でなければ、自由は無いことになる。救いを求める人に対して、ただ救うのではなく、他に頼ることなく自分自身で問題を解決する方法を教えるべきである。それが真の菩薩道であると思う。

【大乗仏教も真理、智慧を説いている】
私は大乗仏教が真理ではないと云うのではない。真理を説いている事も沢山ある。私は大乗仏教全ての宗祖であるとされる龍樹を尊敬している。龍樹が『中論』で説く空の教えの信奉者でもある。空の教えは仏陀の無常、縁起論を発達させたものである。龍樹は説く、この世・現象物質世界に固定不変の実体はない。この世の全てのことは原因と御縁が結びついて起こっている。それを『空』と云う。

不生不滅、不常不断、不一不異、不来不出。

生ずることもなく、滅することもない。常に変化しているが途切れることなく続いている。前後として同じではないが全く違うわけでもない。来ることもなければ去ることもない、と空を説明している。龍樹にとって空の説明はアートマンの説明でもあった。

常に変化しているが、途切れるんことなく続いている。とは常見でもなければ、断見でもないということである。常見は不変の実体であるアートマンがあるということ、断見は全てのものは存在しない、死んだら無になって終わることである。空は無ではないというのが龍樹の教えである。空は輪廻転生を否定しているのではない。

【注記】
ここで言うアートマンは汚染されたアートマンと究極浄のアートマンを別けて説明していないから理解が難しい。

変化するアートマンをジーヴァ・アートマンと云う。大乗仏教瑜伽行派のヴァスバンドウはジャイナ教のジーヴァ・アトマンを阿頼耶識と説明している。別けることは出来ないけれど変化しない普遍的なアートマンの一側面をシッダ・アートマンと云う。

大乗系のあるグループは龍樹は自力では悟れなかった、絶対他力で救われたのである、とグループの理屈に合うように主張している。外道を含めて当時の宗教全てを探求し、深い思索を繰り返し、論理的に矛盾なく考察した龍樹ともあろう人が、完全他力によって救われた等と云う話を私は信じがたいのである。大乗仏教は非常に難解である。私にもまだまだ理解できない理論・理屈が多い。

沖正弘先生は「信ずるな、疑うな、確かめよ」と説かれた。私は「信ずる前に疑って、熟考して間違えが無いか確かめて、最後に自分に必要なら受け入れなさい。」と教えたい。宗教を只、盲目的に信じてはならない。でないと、「カルトや宗教的な詐欺に騙されるよ。」「宗教がどうして必要なのかが正しく理解できないよ。」と云いたい。

<著:坂本知忠>
(協会メールマガジン2025/4/29からの転載です)